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【小学生】母が精神病院へ強制入院させられる~再び双子は祖父母の元へ

【小学生】母が精神病院へ強制入院させられる~再び双子は祖父母の元へ

母がベビーシッターを雇い借金を積み重ねる生活は、私が小学4年生になる2学期まで続いた。

知らない大人たちが頻繁に家を訪れるようになったのもこの頃か。

母は離婚してからずっと通院やカウンセリングを欠かさず、お薬を飲んでいた。

家までやってきた祖父母に対して、脅すように包丁を自分の喉に突き立てている母の記憶がふと蘇った。

小学校の校長やソーシャルワーカーの介入があり、祖父母により母は精神病院へ強制入院させられてしまう。

私たち双子の今後の処遇について話し合いが行われたみたいなのだが、親戚も引き取る気はなかったようで、祖父まで児童養護施設に預けることには賛成していたようだ。

しかし、祖母が唯一反対した。

私にはそれがかなり意外だった。

私は再び祖父母の元へ預けられるのだが、とにかくいい子にしていないと児童養護施設に入れるということを祖父母に度々告げられた。

祖父母が再び虐待と呼ばれるような行為に及ぶことは無かった。

当時私と弟はとにかく体が弱かった。

頻繁に高熱を出しては、何十回も入退院を繰り返していたらしい。

マイコプラズマ肺炎で死にかけたこともあった。

児童養護施設に孫を預けたくなかった理由は祖母の偏見も含まれているだろうが、そういった理由があるらしい。

そして、私と弟は小学4年生の3学期から登校を始める。

初めは教室に入るのが本当に怖かった。

2年以上に及ぶ不登校の期間があり、果たして馴染めるのか、同級生に冷たくされないだろうか。

何より周囲の目が本当に怖かった。

不登校期間中も同級生に会わないように外出時は細心の注意を払っていたものだ。

教室へと向かう階段が、死刑台へ向かう階段のように感じられたのを覚えている。

担任の先生に紹介され、勇気を出して教室に入ると、

パチパチパチパチ

何が起こったか分からなかった。

気付くとクラスメイト全員が拍手をしていた。

私にはそれが何の拍手かわからず、やっぱり恥ずかしかった。

学校の勉強にはもちろんついていけなかった。

もちろんテストの点数は0点近かったと思う。

そのせいで、私と弟は近くの地域の専業主婦がやっている個人塾に通うことになり、小学2年生の勉強からやり直した。

その個人塾の先生はコロちゃんという大型犬を飼っており、宿題などをちゃんとするとコロちゃんの写真がプリントされたシールを貰えた。

それがなんだが嬉しくて、私はひたすら勉強を頑張った。

小学5年生の頃には勉強には追い付いていた記憶がある。

友達も少ないながらもいて、少なくとも学校に馴染めてはいたはずだ。

塾も集団で学ぶ形式の塾へ変わった。コロちゃん会えなくなるのが少し寂しかった。

ただそこでは頭角をめきめきと現した。

小学6年生に向かうにつれて、成績が自分でも信じられないくらいに上がっていき、最終的には全国模試で5教科の総合得点で全国2位を取った。

同級生からは一目置かれており、そのせいか私はほとんどいじめられなかった。

「私は」というのは、弟は吃音が原因で同級生によくからかわれていじめられていた。

「ほとんど」というのは、私もやはり吃音でからかわれていた。

かつて慕われていた女子からも「喋る時に唇が震えてキモイ。」と言われるようになった。

しかし、私と弟でいじめの程度がこうも変わるのは何故か、一度考えたことがある。

弟は勉強ができなかった。

話は変わり、塾の先生には私立の某有名中学に進学してはどうかと言われた。

環境を変えたかった私は祖父母にお願いしたが、経済的な事情で諦めざるを得なかった。

それが一因かは今となってはわからないが、中学に進学しても私はまたも長きにわたる不登校を経験する。

母はというと、精神病院を3ヶ月で退院していた。

のちに母はこの期間を人生で最も辛かった出来事の一つとして挙げている。

詳細を語ってくれたことは無いので、想像するしかないが、やはり想像するしかない。

それでも、週末には母の暮らす家行くことができた。

それを楽しみに通学も頑張っていた。

ある日、母の主治医である精神科医に「君は色々と辛い思いをしてきて人の気持ちがわかるから精神科医に向いている」と言われた。

その言葉を信じて疑わず、私はこの時期から精神科医を志すようになる。

のちにこの先生は私の主治医にもなる。

私にロシア文学の魅力を教えてくれたのもこの人だ。

勉強ができて多少なりとも傲慢になっており、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公であるラスコーリニコフを自分を重ねて、いわゆるラスコーリニコフ症候群に陥っていた。

「一つの微細な罪悪は百の善行により償われる」と信じていた。

ある種の万能感を持っていたのだと思う。

この先に待っている挫折も知らずに。

夢を見るといることはある種の催眠行為かもしれない。

たとえ叶わないと心のどこかでわかっていても、信じられるものがあるからその間は希望を持って生きられるのだと思う。

入院する必要のない程度の精神疾患を抱える人でも、様々な事情で強制入院をさせられ、家族の同意がないがゆえに退院できない人がいるということをこの時知った。

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