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「オケバトル!」 23. 砂男と自動人形

23.砂男と自動人形



 次なる課題がオッフェンバック作曲の歌劇《ホフマン物語》からの第二幕のアリア〈森の小鳥は憧れを歌う〉であるとの発表を受け、ランチもそこそこに地下のリハーサル室で待機していたAチームの面々は、
「またオッフェンバックなの?」と一様に首を傾げた。

「そう来たか!」
 気合いを入れてこぶしに力を入れた有出絃人が一同に説明する。
「今日の流れは作曲家というより原作、E.T.A.ホフマンの『砂男』がテーマなんですよ」


オッフェンバック作 オペラ《ホフマン物語》第二幕

主な登場人物

・科学者スパランツァーニ
・人形師コッペリウス
・自動人形オランピア
・オランピアに恋する青年ホフマン

あらすじ

 科学者スパランツァーニは、人形師のコッペリウスに機械じかけの人形オランピアの眼を作らせ、自分の娘と偽って夜会にてお披露目する。
 オランピアは客人の前で華麗に歌ってみせるが、途中で力尽き、こっそりゼンマイを巻き直さねばならなかったりと、ぎこちなさも隠せない。
 しかしコッペリウスから売りつけられた魔法のメガネごしにオランピアを見つめていたホフマンにとって、彼女は紛れもなく生命力を持った美しい女性だった。
 憧れの想いはつのるばかり。
「あれは精巧な自動人形にすぎない」
 との親友の忠告も聞き入れず、熱心に愛を告白する。
 オランピアは「ウィ」としか言えないのだが、ホフマンは愛を受け入れてくれたものと思い込み、すっかり有頂天に。
 二人がダンスに興じるうちに機械仕掛けの調子が狂い始め、踊りのペースが速まるあまり、ホフマンはてんてこ舞いのあげく振り飛ばされて転倒、メガネは割れてしまう。

 我に返ったホフマンが見たものは、支払いトラブルの腹いせでスパランツァーニに仕返しすべく、コッペリウスによって壊された人形オランピアの無残な姿であった。



「なんかまた主催者の罠が待ち構えていそうだけど」
 有出絃人はぼやき、
「とにかくこの曲では、自在に駆け巡る超絶技巧の歌としっかり呼吸を合わせていくのが最重要課題だと思うので、今回は指揮者が必要になりますね」
 と、皆を見渡して志願者をつのってみた。

「きのうの浅田さんのように、いったんコンマスを終えたら次は指揮台に立つ権利を得られるってことで、今回は有出さん優先で、どうぞ」
 と誰かが言い、すぐさま「そうだそうだ」と拍手が起こったので、絃人も「振りたい方がいないのなら」と、素直にヤル気の姿勢をみせる。
 さあ、どうするか。
 この曲においてオーケストラはあくまでも伴奏ということもあり、出番のないメンバーが管楽器から数人出てしまうわけだが、バトルのルールでは、
「いかなる理由があろうとも、参加者は必ず本番の舞台に乗るべし」となっている。
「オケに溶け込んだ人形のフリして、ただ座ってるだけでもいいんじゃないですか」
 との意見が出て、それしかないですかね、と皆も賛同する。
「じゃあ思いっきり木偶の人形っぽくお願いしますね。映画の『ホフマン物語』みたいにシュールな感じも出せたらいいな。……特殊メイクが必要かも」
 なんて、さらっと突拍子もない要求をふっかける有出絃人。
「オランピアの背中のゼンマイを巻く係も出して欲しいな。指揮者がやることもあるけど、どうせ手が余ってるんだから、どなたかスパランツァーニ教授の役を演じていただけませんかね」
 押し切った上で、
「ゼンマイ楽器と指揮棒の調達に、楽器室を物色してくるので」
 と、打楽器奏者の青年に一緒に来るよう合図。
「戻るまでにスパランツァーニ役を決めといてください」
 念を押してリハーサル室を出て行った。

「独裁者」どこからか、ぼそっと文句の声──実は賞賛の意味合いも含まれている──も聞かれたが、ホルンの一人が面白がってネジ巻き役を買って出たので混乱は免れた。


──ここに保管されてる楽器だけでも、フルオーケストラが作れそうだな──。

 ホールの地下に位置する楽器保管室に、有出絃人は三日目にして初めて足を踏み入れたのだが、その豊富すぎる品揃えには驚嘆するばかりであった。
 何しろ弦楽器群だけでも、貴重な年代物と思われる名器が堂々たる輝きを放ちながらずらりと壁に並んでいるのだ。しかも部屋に鍵すら掛けられていないとは。
 いつまでも見とれていたかったし名器の数々を試し弾きもしたかったが、リハ室に仲間を待たせているし、今はそれどころではないのだ。
 絃人は引き出しに収められた数ある指揮棒の中から、お目当てのPKシリーズ、自分の手に最もしっくりなじむ「55番」を選び出す。
 パーカッションの青年も、やはり豊富な打楽器群に狂喜乱舞しながらも、ゼンマイの音が出せる木製の歯車楽器、ラチェットを抜かりなく見つけ出した。
「いやはや、すごいもんだ」と、二人が後ろ髪を引かれる思いで音楽の宝物庫を後にしようとすると──、

「目玉はいらんかね?」

 すぐ後ろからいきなり老人っぽいしわがれた声が聞こえたので、二人は心底驚いて飛び上がり、「うわっ」と互いに抱きついてしまった。撮影隊もついてきておらず、自分らの他には誰もいないと思い込んでいたものだから。

「目玉あるよ。お若い衆、いかがかね? 上等な目玉よ。ヒィッヒッヒッ」

 腰は曲がり、彫りの深い顔立ちに刻みつけられた深いしわ、ぎょろりと妖しげな光を放つ眼に時代錯誤の発明家っぽい片眼鏡、杖をついていない方の節くれ立った手には、まさか本物ではあるまいが、ごろりと大きな目玉が二つ転がっている。

 完璧なコッペリウス=砂男。

 学生時代からホフマンの幻想文学の世界に精通しており、『砂男』の原作も当然のごとく原語で慣れ親しんでいた有出絃人には、それが楽器室を訪れるであろう無垢なバトル参加の獲物を脅かすための悪ふざけであると、すぐに分かった。原作から、あるいは映画から抜け出てきたような特殊メイクの扮装で。

「結構です」と絃人は冷たく断り、
「ラチェットと指揮棒、お借りしますからね」
 と言い捨て、「もうっ。脅かさないでくださいよ~」と、悲鳴っぽい泣き声を出す打楽器奏者の腕を引っ張ってさっさと退散する。

「なら、メガネあるよ。魔法の。お人形さんも生きた人間に見える魔法のメガネだよ……」

 遠ざかる不気味な声を尻目に、怯えた青年パーカッショニストは、
「何なんですか? あれ。怖すぎる!」
 と、逃げ去りながら頭に来たか、手にしたラチェットの歯車を回転させ、「ガガガガー!」と辺りに鳴り響かせた。
「中々強烈なゼンマイ音だね。ちょうどいいのが見つかって良かった」
 絃人は既に冷静さを取り戻しており、ネジは「ぎりっ……ぎりっ……」ってゆっくり巻く感じで、スパランツァーニ教授の動きにタイミングを合わせられるよう、舞台ではよく見える位置を確保するようにと彼に提案してから、
「あのじいさん、楽器庫の番人なんだろうね」
 とぼそり。
「コッペリウス、でしたよね? もしかしてこれまでも課題曲に合わせた扮装をしてたりして。そんな噂は聞いてませんけど」
「昨夜は地獄の番人にでも扮してたのかも」
「誰も見に来てくれなくて、がっかりで、今回こそはと思い切り驚かしてきたのかも知れませんね」
「面白いから、みんなには黙っとこう。知らない方が、びっくり度も増して楽しいだろうから」
「楽しくなんて! 怖すぎでしたようっ」



 一方のBチーム舞台リハーサルでは中々愉快な光景が見られた。
 出番のない一部の管のメンバーから、まず指揮者を決め、残りは舞台前面の左右で人形、あるいは道化っぽく佇み、曲調に合わせて時折ポーズや表情をわずかに変えてみせるといった演出をとる。
《コッペリア》におけるまたもやの敗北で、ヴィオラとチェロから貧乏くじによるいけにえが一名ずつ出され、もはや弦の人数は限界。指揮は管の手隙の者が振るのが妥当ということで、じゃんけんに勝って──事実上は負け──指揮台に立たされたのは、若手の女性ホルン奏者。
 アリアを振るなんて全くの未経験であったが、
「あくまでも歌が主役。オケはただ歌に従ってゆくのみ。タイミングを見計らって合図を送る程度でいいんだから」と、皆になだめられ、おっかなびっくり音出しを始めてゆく。

 ソリストはオケの準備が大方整った頃合いを見計らって登場する、とのお達しで、どんな歌姫が現れるかと思いきや、何と今朝のスワニルダ嬢が、今度は自動人形に成り済まし、ぎくしゃくとぎこちない動きで登場してきたのであった。
 バルーンスタイルの水色膝丈ドレスに、靴や小物は白で統一。髪には大きなリボン、レースの長手袋に扇子、ポンとまん丸頬紅がアクセントの完全なる人形メイク。
 人形だったらなおさら言葉によるコミュニケーションは無理かしらと判断した指揮者は、とにかく曲を進めて様子をみることにする。

 小鳥たちは、森の茂みや光り輝く高いお空で、乙女らに愛を語る。ああ! これが素敵な、オランピアの歌──

 両チームのリハーサルにつき合って、そのまま本番と続くためか、フランス語による歌唱は声量を抑え気味に、小鳥のようにか細き声でありながら、完璧な音程で最高音のハイE(ミ)までも軽々と歌いつつ、同時に結構激しい機械的なバレエの動きまでも入れてきたので、一同はただただ唖然とするばかり。

 彼女は本物の、精巧なアンドロイドではあるまいか?

 少女の人形に徹しすぎるその見事な歌唱と演技につられ、舞台の隅で待機していたゼンマイ係も、ついつい調子に乗って、大げさな動きで笑いをとってみせる。隅っこの人形役までがつられてしまい、各々の個性を生かした面白い表情や動きで工夫を凝らしたアクセントをつける。

 これは実に楽しく素敵な共演ではないか!

 ヴァイオリンのトゥッティ族の一人に埋没し、決して目立つことのない浜野亮も、ますます彼女の可憐さと驚異的な才能の豊かさにのぼせ上がってしまうのだった。




24.「指揮者は指揮棒を放り投げ、コンマスはヴァイオリンを投げ出しはしなかったが」に続く...



♪ ♪ ♪ 今回初登場の人物 ♪ ♪ ♪

砂男(通称) 楽器庫番にして変幻自在の謎の老人 



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