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「オケバトル!」 10. 鬼監督と、リポーターの心得

10. 鬼監督と、リポーターの心得



 楽しい笑いで一件落着した様子を見届けて、宮永鈴音は撮影クルーは残したまま、音出しが開始される前にBのリハーサル室を後にした。
 片やAチームの様子も別の撮影隊が入念に記録しているだろうから、混乱リハの経過は後でモニタールームでチェックすればいい。

 メインホールの音響調光室を利用したモニタールームでは、施設内の各所に設置されたリアルタイムの映像や昨日の模様が、何台ものモニター画面から流されていた。ヘッドホンを当てて各々の画面をチェックしているスタッフもいたが、目下のところはAチームのリハーサル室の様子が、メインの大画面に映し出され、音も室内全体に流されていた。

「Bチーム、ご覧になってました? ホント可笑しかったですよ」
 そっと入室してきた宮永鈴音がディレクターに親しげに笑いかけた。
 しっ! とばかりに片手を上げ、藤野アサミは無神経なヴァイオリニストを黙らせた。
 相手がむかっとする態度を、好んでしているとしか思えない嫌~な女。と鈴音は思ったが、この部屋では彼女が女王様なのだから、致し方ない。

 本名の麻美をあえてカタカナの「アサミ」とし、強いイメージを打ち出した成果もあってか、今では周囲から「アザミ」とか「鬼アザミ」などと嫌われている、しかし凄腕には違いない大物ディレクターである。クラシック音楽に精通しているということで、バトル・シリーズでは初めての起用であり、今回の様々な仕掛けには彼女の意地悪いアイディアもふんだんに盛り込まれている。悪質であろうと、それが確実に視聴者受けすることを誰もが分かっていた。
 そして本人も「鬼アザミ」の呼称を、自分が恐れられている代名詞なのだと、むしろ面白がっていた。

 Aチームのリハ情報を、そこいらの誰かからかいつまんで聞き出したかったが、小声で話すだけでも「出て行け」と鬼ディレクターから叱られかねないので、Aの流れを早送りで確認するべく、鈴音はモニター画面のひとつを陣取り、ヘッドホンを取り上げた。とたんに、
「早くAのリハ室に行って、気の利いたレポートをとってきてちょうだい」と、アサミから声がかかる。
「ちょうだい」と、一応お願いしながらも、彼女の完全なる命令調には、「ですが」も「だって」も通用しない。
 アーティストに対する敬意のかけらもない失礼な姿勢に対し精一杯の反抗心を見せるべく、鈴音は無言で立ち上がり、ドアをそうっと閉める礼儀は、あえて忘れることにしてモニタールームを後にした。



 華やかな宮永鈴音が登場すると、その場の空気がさあっと変わる。

 ロビーラウンジのソファでくつろぎ、特設の巨大画面でAチームのリハーサル進行状況を興味津々で楽しんでいた手空きのスタッフら、既に先攻Bチームの舞台セッティングを終えてひと息ついていたステージマネージャー以下の裏方、主に男性陣が一斉に身じろぎし、さりげなく姿勢を正す。

 ここに居るメンバーの中では、音楽的視点から最も的確な情報を引き出せそうなステージマネージャーの岩谷に歩み寄り、鈴音は尋ねた。
「Aリハについてのコメントが必要なんですけど、どんな具合ですか?」

 ステマネ氏は大いに張り切って、今しがた画面で目撃した場面に加え、自分が独自に仕入れた状況についても、今朝Aチームに起きた興味深き出来事を事細かに話し始めるのだった。



 早朝からリハーサル室で個人練習に励んでいた早起き組の元に、午前の課題曲のパート譜がこっそり届けられた時点で──リハ室の入口付近のテーブルに、いつの間にか置かれていた──、まずチェリストの六人に集合がかかった。優雅な朝食をお預けにされた者も。

 こうした有事に備えて、チームAは昨夜の時点で部屋割りの名簿を周到に作成し、全員に配布してあった。携帯電話やスマホのたぐいは、バトルに参加の時点で主催者から容赦なく没収されていたので、あくまでも氏名と受け持ち楽器、部屋番号というシンプルな情報のみ。

 チェロは冒頭の〈夜明け〉で、六人全員が異なるパートを担い、そこにコントラバスとティンパニが加わる形となる。美しく静かなアンサンブルを迅速かつ入念に仕上げてゆく必要があるため、リハーサル室は一時的に彼らに占領された。

 この場面に限ってはバランスを考慮し、コントラバスも、ここでは一名のみで奏するのが妥当と、先人メンバーは判断する。コントラバス奏者は各チームに四名ずついたが、バトルは基本、早い者勝ち。
 いち早くリハーサル室で黙々と練習に取り組んでいた一人のコントラバス奏者が、自動的にその役割を担うことになり、さっさと合わせに参加したのであった。後からやって来た三人は、その厳かなアンサンブルに途中から加わりたくも、リハーサルの様子を初っぱなから見届けていた鬼監督有出の恐ろしい勢いの「ノー」目配せで、話し合いの余地もなく、冒頭では残りの三人は加わるべきでないことをしぶしぶ悟るのだった。

 平穏な〈夜明け〉から、一陣の不穏な疾風を機に、徐々に全合奏──ただし、シンバルとトライアングルの出番はまだまだ──が荒れ狂っていく〈嵐〉を経て、やがて訪れるのどかな〈牧歌〉では、イングリッシュホルンのソロと、それに重なるフルートの技巧的オブリガートが重要な役割を果たす。

 日頃から迅速かつ強引な行動が売りのフルート男性は、自室でせっせと朝飯前のリード削りに余念のなかったオーボエ青年を奇襲。
 オーボエ奏者の中には、持ち替え楽器として、たまに登場するイングリッシュ・ホルンまでご丁寧に持参しているバトル参加意識の高い者もおり、この青年もまたしかり。その場で究極のアンサンブルが奏でられる。
 食い気より眠気を優先と、ベッドで寝込みを決め込んでいた同室のヴィオラ青年は、果たしてこれは甘美な夢か、悪夢の現実かと、天上から大音量で降り注ぐ静かな牧歌の調べを拷問のごとく延々と聞かされながら、それでも図太い神経で惰眠をむさぼるのだった……。

 そうした動きに気づきもせず、ルームメイトと至福の朝食タイムを呑気に過ごしていたAチームのオーボエとフルートの女性奏者は、各々相方楽器の男性奏者に出し抜かれる結果となった。二人が「二度も続けて首席の横取りなんて、フェアじゃない」と異議を申し立てようも、
「たっぷり時間かけて、もう周到に合わせちゃったから」と、さらりと交わされる。


 静→動→静→動と、四つの場面から成り立つ《ウィリアム・テル》序曲中、静の部分、つまり楽曲の半分は全体リハーサルをするまでもなく、こうした自主練にて仕上がったも同然となる。

 残るは動の部分、中間部の〈嵐〉と、トランペットの高らかなファンファーレで開始される威勢のいいクライマックスのみ。
 このファンファーレの箇所も、金管どうしで即座に合わせ、完璧なまでに仕上げてしまい、もはや問題なし。
 動の場面は始終テンポも変わらず、リズムの微妙な揺れ動きもないので、今回は指揮者なしでも大丈夫だろう。ただしリハーサルの仕切り役は必要だ。話し合っている時間はない。ということで、初回でチームを勝利に導いた有出絃人に再び白羽の矢が立つことになる。

「シンバルとトライアングルは弦から二名出すとしても、クライマックスまでは出番がないので、ぎりぎりまで自分の楽器を弾き続け、直前で移動すればいい」
 との絃人の提案に、
「それなら自分らがやりますよ」
 と、セカンドヴァイオリンからプルトごと二名の若者が気前よく志願した。
「ただし」絃人がすまして忠告する。
「幸せな牧歌のシーンで、いきなりガシャーンとやらかさないでくださいよ」

 パーカッションなど楽器の掛け持ちで、曲の途中での移動が必要な折に、うっかり舞台の段差につまづいたり譜面台を倒したりといった事故が時たま起こったりするものだから、これは笑えない冗談であった。

 コンサートマスターを初めとする弦楽器各々の首席は、志願者による五十音順の交代制とされ、リハーサルは順調に進んでいく。
 コンマス経験も豊富なベテランの浅田と、音頭をとる有出は互いを尊重しつつ波長を上手に合わせ、チーム全体を統率。早、小一時間で楽曲は大方仕上がり、あとは仕切り役や各首席のセンスに左右されそうな細かな詰めの作業となる。リハーサルが早めに片付けば、楽曲をさらう充分な個人練習の時間も確保できるわけだから、だらだらリハを続けるより、演奏のレベルアップには効率が良いのだ。


 そうした映像がどこまで撮れているかを撮影隊に確認した上で、どんなコメントが必要かを鈴音は考えた。絵のないエピソードだけ、簡潔に説明すればいい。

「で、今は何をもめてるのかしら」

 仕切り屋の有出絃人と、彼よりは先輩格といった風格、強気のピッコロ女性の間で、何やらやり合っている様子がクローズアップされている。

「ピッコロにピッコロの音を出すなって、意味不明なんですけど!」
「ソロの音量は、どうぞご自身の判断で。恥をかくのは本人ですからね。ですが、トゥッティ(全合奏)で、あなたのオクターヴ下を奏でるフルートやヴァイオリン全員の音がかき消されてしまうほどピッコロだけがやたら目立ち過ぎると、曲全体がどうしても幼稚な印象になってしまうんです。そこは抑えてもらわないと」

 目を三角につり上げ、頬を膨らせて抵抗の意思を示すピッコロ奏者。

「抑えられるんですか? 音量を。それとも、できない?」
 冷たく言い放つ鬼監督の有出。


「あらあら、まさしくバトルじゃないの」
 これを現場で見逃す手はないと、宮永鈴音はA棟地下のリハーサル室へすっ飛んでいく。

 鈴音は状況を整理しつつ自分に言い聞かせた。

——— 自らの批判は控えること ———。

 バトル参加者を支えるサポーターとしても、状況をわかりやすく伝えるリポーターとしても、自分の意図は巧妙に隠し、あくまでも中立で公平な立場を守り通さねば。
 それでも自分が伝えたいことは、恐ろしいくらいストレートに伝わるものだから。頭の中に渦巻く言葉のうち、何を話し、何を話さないか。どういったことを強調するか、逆にあえて知らせないかで、視聴者への印象は全く違ってしまうメディアマジックの驚異。
 憎まれ役の存在は貴重であろう。
 既に「拒絶男」として、一部の女性陣から忌み嫌われている有出絃人には悪役を演じていただこうではないか。遅れてきた残り三名のコンバス奏者を冷酷にはねつけた彼を、傲慢な独裁者に仕立てるも、的確な判断を下す頼れるリーダーと印象づけるのも、あたしのコメントやそうした場面の編集次第。
 ヴァイオリンの有出絃人。
 女性を見下すエゴイストなのか、チームを勝利へと導く救世主なのか。
 前年優勝者のジョージと同じく、計り知れぬ才能にクールな容姿、物怖じしない言動に加えて、有無を言わせぬカリスマ性。確実に視聴者受けするタイプだから、自分が彼を批判しているように見せていけない。そうした手腕も、鈴音は充分に心得ていた。




11.「貴公子団の芸術談義」に続く...


♪  ♪  ♪   今回 名前が初登場の人物   ♪  ♪  ♪

藤野アサミ 「鬼アザミ」の異名の番組ディレクター

岩谷 陰謀も含め、状況知り尽くしのステマネ氏

浅田 Violin  Aチームの冷静コンマスとして活躍



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