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「オケバトル!」 22. 彼女が無言であるワケは?

22.彼女が無言であるワケは?



 ティンパニのトレモロに続くホルンの四重奏で厳かに始まる《コッペリア》前奏曲。フランスの片田舎の美しくのどかな情景がのびやかに歌われた後、音楽はじわじわと盛り上がり、威勢のいいマズルカへと変化を遂げて、陽気で楽しい物語を連想させる。
 やがて音楽は徐々に静まり前奏を終え、緩やかに流れる木管ソロのリレーに導かれてゆく。バレエの演出では、大方この辺りで幕が上がってスワニルダの登場となり、優美なワルツが踊られる──
 はずなのだが。

 スタッフは何も教えてくれないし、とりあえずはそのままワルツの演奏を続けながらAチームの一同が様子を見計らっていたところ、下手からお人形さんのようなチロル風衣装に身を包んだ世にも可愛らしい踊り子が、軽やかなステップでゆったりと弧を描きながら舞台に現れた。
 踊り手が常に視界に入ってくるわけではないので、コンサートマスターの有出絃人は注意を払いつつも、演奏を彼女の動きに無理に合わせようとはせず、リハーサル室で合わせたとおりのテンポやリズムのままに通してみた。通常の〈スワニルダのワルツ〉の、オーソドックスなバレエの振付けなら絃人も頭に入っていたが、彼女の踊りのスタイルは、どうやら即興性を自在に取り入れたコンテンポラリー系のようだ。
 シンプルで短いワルツなので、踊りが加わっても大した混乱はなかろうとの予測どおり、すんなり終えたところで、オケのメンバーは感心のため息と温かな拍手でスワニルダ嬢を讃えるのだった。

 しっかりカールのかかったプラチナブロンド、小柄ながらもはっきり整った目鼻立ちに、白すぎるほどに透き通る肌からして、フランス人か、あるいはロシアか北欧系か? といったところだったが、絃人はまずは一応英語でゆっくりと、何語で打ち合わせたら良いか尋ねてみる。
 仮に英語が話せずとも、ニュアンスなら誰にでも分かりそうな単純な質問であったのに、彼女は大きな瞳をパッチリ見開いてきょとんと首を傾げるのみ。更にフランス語とドイツ語、ダメ元で日本語も試してみたが、反応は同じ。こうなると絃人もお手上げである。金管辺りからロシア語が飛んできたが、スワニルダ嬢は一声も話さない。
 まるで自動人形だ。
 これもやはり罠なのか。実は彼女は言葉が分からないのではなく、言葉によるコミュニケーションを番組側から禁じられているに違いない。と、絃人は判断する。
 まあ、相手が黙して語らずとも意思の疎通くらいはかれるさ。主催者からの、またしてものいやらしい嫌がらせに抵抗すべく、これまでどおり日本語で通してやろうかとも思ったが、絃人はまったく動じないそぶりで百歩譲って、ダンサーに対しては簡単な英語でリハーサルを進めることに。

 彼女がどの場面から登場したいのか見極めかねたので、まずは地下のリハーサル室で木管楽器と一悶着あった、つなぎの部分から演奏を始めてみる。
 案の定、いったん袖に下がった彼女はワルツが始まる直前の、フルートの自由なソロに乗って舞台に登場してくるではないか。

 つなぎパートは、やはり必要だったのだ。

 こちらが何らぶれずに演奏すれば大丈夫。彼女が踊りやすいよう、気持ちゆったり歌い気味に。
 こうして二度ほど通しただけであったが特に問題もなさそうで、スワニルダ嬢はちょこんと腰を落とした可憐な挨拶の後、そよ風のごとくふわりと下手に走り去った。

 いったい何だったのだろう? 大いなる謎が残された舞台リハーサルであった。



 課題として用意された譜面に記されていない「つなぎの部分」を付け足すことで、木管各々のソロにおける失敗の危険やルール違反と指摘される可能性も覚悟の上で、あえて挑む姿勢をみせたAチーム。
 対するBチームは素直に課題の構成に従い、前奏曲と、バレエ付きのワルツが、完全に切り離される組曲としてのスタイルを貫いた。
 既にちらほらと審査員やライバルチームの間でも絶賛されており、今回はフルートの二番手に回っていた天才少年が、自分が吹くわけでもないのに先輩格の妖艶美女に華を持たせたかったか気を利かせ、
「ワルツへの導入として、従来のフルートのソロを入れるべきではないでしょうか?」
 との提案を出してみたが、
「まずは課題の二曲をきちんとやり遂げてから」
「その上、指揮者もいないのにバレエとも合わせなきゃならないんだから」
 とのことで、安全策優先の皆の方針により却下されてしまう。

 型にはまらない者が多そうなBチームこそ、与えられた課題に創意工夫でひねりを加えて挑戦してくるものと主催者側は睨んでいたが、そう単純ではなさそうだ。結局は楽曲を熟知して様々な経験を積み上げてきた者が、当然ながらのアイディアを自信をもって強行する、といった傾向が次第に見えてくる。


 そしてBのリハーサルにおいてもスワニルダ嬢は始終無言で、ワルツが始まると隅から現れて、舞台に設定されたダンスエリアを軽やかに舞い踊る。いたずら娘スワニルダという元来のこまっしゃくれたイメージではなく、完璧なまでに愛らしい少女の可憐なダンスが視界に入ってくる演奏者の皆さんは、心底うっとり。演奏にも自然と優美さが加わるようで、こんなに素敵なダンサーを調達してきた番組側の実に粋な計らいに、一同は大いに感謝する。

 しかしながら古典的なスタイルを保ちつつも即興性に満ちた振付は、次にどう動くか予測不可能。さほど広くとられていない舞台なものだから、ともすれば少女がうっかり足を踏み外して客席側に落っこちるのではと、はらはらと気をもむ者も若干名。

 ファーストヴァイオリンの3プルト目の内側から、「可愛いなあ!」とすっかり目を奪われていた青年、浜野亮もまたしかり。彼女が舞台の端に向かって勢いよくステップを進めたり、思い切りジャンプしたり回転したりするたびに、はっとするあまり弓が止まりそうになってしまう。ここの舞台は客席との段差が結構あり、仮にどんなに上手に転落したとしても大怪我は免れない──どころかダンサー生命が危ぶまれるほどの痛手を負うと言っても過言ではなさそうだから。

「気があるんなら声かけてみなさいよ」
 青年が演奏中に気もそぞろだったことを隣の女性にからかわれる。
「リハでは徹底して無言だったけど、休憩中なら何かしゃべってくれるかもよ」
 なんてそそのかされるが、とてもとても、と遠慮する。
「自分は名もなきトゥッティ族の一人にすぎないんで」

 二曲目での敗北の時点でコンミスの道連れとされた、哀れなヴィオラの「名もなき犠牲者くん」の独白は、目立った活躍も未だ皆無──目立たない活躍すらも皆無──である弦楽器の哀しきトゥッティ(全合奏)陣に大うけで、阿立や安方、そして会津夕子に続く別所のように早々とトップの座が回ってくるアルファベット順の頭のほうでもなく、山寺充希のように後ろからの名指しを受けるでもない、とりわけ浜野のように中途半端に位置する者は、明日は我が身と自らを哀れむ傾向にあるのだった。



 こうして三日目の午前中は舞台リハーサルも、Bチーム先攻に始まった本番も、滞りなく終える。

 結果は、審議するまでもなく、楽曲の流れを重視して自主的につなぎの部分を入れてきたAチームの勝利とされた。

 課題どおりにまじめに演奏したのに、なんでなんで? 結果と講評を聞くべく客席に集められたBの面々は怒りも心頭。舞台上に残っているライバルチームを睨みつけて悔しがる。

 両チームとも本日のルールに従い、互いの演奏は聴いておらず、詳しい事情は把握していなかったが、比較ができた審査員にとって何よりも興味深かったのは、ダンサーの少女がAとBとで踊りのスタイルをまったく変えてきたことであった。
「両チームの特色を彼女が自由に感じ取っての即興ダンスには、我々審査員も大いに学ばされたね」
 感心することしきりの長岡幹プロデューサー。
「Bチームのように自由で大らかな演奏では──」
 と、青井杏香が言いかけたところで、
「悪く言えば、成り行き任せの大ざっぱな演奏」
 との長岡の横やりが入る。
 確かにそうとも言えますね、はいはい。と、杏香は先を続け、
「Bの音楽において、ダンサーのスワニルダ嬢は基本のスタイルをきちんと保った上で、粋でしゃれた雰囲気を醸しだしてましたよね」
「彼女、もう楽屋に入っちゃったのかな。ひと言だけでも踊りの意図や感想を聞きたかったんだけど」
 とはジョージのリクエスト。
「それにスワニルダさん、本名は教えてくれないんですかあ?」
 司会が申し訳なさそうに説明する。
「すみません。彼女はまだ秘密の、謎に満ちた存在なんでーす」

 それを聞いたバトル参加者の多くは、司会が「まだ」と言ったことに注目した。まだということは、いずれは正体が明かされるという意味合いで、今後も共演が用意されているのだろうか。コミュニケーションは禁止状態のままで?

「先攻Bチームでの振付は、なんかローラン・プティ風って感じでしたよね。エレガントな古典の要素を踏まえつつも、ちょっと斬新で粋な表現が随所にあって、エスプリがぴりりと効いていて」
 互いの舞台が観られなかった両チームに、素敵なバレエのイメージが伝わりやすいよう配慮しつつ、ジョージは続けた。
「だけど今し方のAチームの舞台では、かなり前衛的なダンスだったから、僕、もう驚いちゃって」
「既存の振付とはすっかりかけ離れた予測不能な未知なる世界。でも音楽と動きが不思議と完全に調和していましたよね」
 と、杏香も同意。
「そう。まさに目で見る音楽! でした」
 ジョージがつけ加え、杏果が印象をまとめてみる。
「つまり、Bの舞台では音と動きが多少外れようとも、クラシカルな空気感を彼女が重視したのに対し、Aチームのように安定して洗練された演奏では──」
「悪く言えば驚き要素のかけらないオーソドックスな演奏ね」
 再び長岡氏が、彼女の控えめな発言に意地悪批評をプラスする。
「まあ、そうとも言えるかも知れませんが、とにかくですね」
 杏香が核心を突いた見解を述べる。
「ある意味、安心できる演奏だからこそ、あんな風に細部まで細やかな動きで完全に音楽を表現することができた、ということではないでしょうか」
「なるほど! きっちりした音楽だからこそ自由に乗って踊れるのか」
 大いに納得のジョージ。
「そう言う意味でもやはり、軍配はAチームに上がるわけか」
 長岡氏が結論を下した。
「でも、踊りはどちらも良かった!」
 ジョージは言ってから、マイクをオフにして長岡に、
「両チームとも放送すべきですよ。絶対に」
 と小声で勧め、長岡もうなずいて同意の姿勢をみせる。

 舞台で安堵のAチームに、客席では意気消沈するBチームであったが、そこで宮永鈴音が期待を込めた調子で明るくこの場を締めくくった。
「やっぱりスワニルダ嬢ご本人の感想も、ぜひ伺ってみたいですね!」



 続く午後の課題も、舞台でのリハーサルが指示された。
《コッペリア》で勝利のAチームが先攻を希望したため、今度はBからの逆リハ開始とされる。

 そこで再びスワニルダ嬢の登場となるのだが、今度は「自動人形のオランピア」として、華麗なるコロラトゥーラ・ソプラノを何と踊りながら(!)披露するに至り、先の彼女の無言の演技は、殆ど言葉の話せないアンドロイド役のパフォーマンスに向けての準備段階に過ぎなかったのかと、バトル参加者らは心底驚かされることになる。




23.「砂男と自動人形」に続く...



♪ ♪ ♪ 今回初登場の人物 ♪ ♪ ♪

Bチーム Violin
浜野 亨(トオル) 名もなきギセイ者になるはずが...




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