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「オケバトル!」 9. ねずみのオーケストラ

9.ねずみのオーケストラ


 平穏な朝食の場にざわざわと不穏な空気が漂い始める。中にはそそくさと席を立つ者も。

「〈ウィリアム・テル序曲〉って名曲のはずなのに、ディズニー・アニメのせいで、どうしてもおバカなどんちゃん騒ぎのイメージが強烈でね」
 2杯目の紅茶を諦めて、沢口江利奈がぼやいた。
「しかもアニメでは、曲の構成順もあべこべだしね」
「それって『ミッキーのオーケストラ』?」
「違います~」倉本香苗の言葉を、ルームメイトの会津夕子が遠慮がちに訂正する。
「それは〈軽騎兵〉のほう。〈ウィリアム・テル〉は、『ミッキーの大演奏会』ですよう。音楽とアニメの動きが見事に調和してて、脚本がすごいのかな。アニメ史上でも最高傑作と思います」
 夕子はすっかりきらきらモード。
「アイスクリーム売りのドナルドが横笛を吹いてオケの邪魔するやつよね?」
「〈ウィリアム・テル〉を演奏してたのに、ドナルドにつられて違う曲になっちゃう」
 早苗と香苗の倉本姉妹が交互に話し始める。
「指揮者のミッキーが怒って取り上げた笛を折っても」
「ドナルドは意に介しもせずマジックみたいに懐から何本も出してくる」
「あたし、クラで大まじめにこの曲吹いてても、どーしても頭のどっかではドナルドの笛の音が聞こえちゃうのよね」
 早苗が「タラランタララン、タラランタンタン」と、〈ウィリアム・テル序曲〉のクライマックス、「スイス独立軍の行進」のテーマを口ずさむと、
 香苗が「タラランランラン、タラランランラン」と、ドナルドの〈オクラホマ・ミキサー〉を重ねて歌い、二人は手拍子もつけて大はしゃぎ。
 姉妹がきゃはははと笑い転げ、「自分はこの場にいるべきではない」と江利奈が逃げ出したくなったところで、早苗がけろっと言った。
「でもアニメでは、オーケストラじゃなくて、ブラバンだったよね」
「そう。原題は『ザ・バンド・コンサート』でした」と夕子。
「大昔のアニメなのに、若い皆さんも良く知ってるのね」江利奈は呆れるばかり。
「だって私、ああいったディズニー・アニメが大好きで、それで育って音楽にも自然と興味を持てたんです。ストコフスキーが実際に指揮で登場する映画『ファンタジア』なんかも」
「夕子さん、ディズニーおたくなんですって」
 と香苗。同室で一夜過ごしただけで、二人はすっかり気心も知れている様子。
「しかも、プリンセス系でなくて、ミッキーとかのぬいぐるみ系が好きってね」
「知ってます? 着ぐるみの中の人って、ディズニー・リゾートなんかでどんなに暑くても、息苦しくても、お客さんの前では必ず笑顔でいるんですって」
 との夕子の説明に、見えないのに? すごいサービス精神、と一同。
「中でふてくされてたりしてると愛情は伝わらないって。見えてなくても、お客さんには分かっちゃうんですよ」

 演奏にも同じことが言えそうだな、と皆が考えた。いや、それどころではない。
「イングリッシュ・ホルン!」
 香苗が椅子を倒さんばかりに勢いよく立ち上がった。
「Bの管楽器は交代で首席を回すルールになったんで、次はあたしなんだわ」

 ロッシーニの〈ウィリアム・テル序曲〉には中間部、オーボエの一番奏者が、楽器をオーボエの一種であるイングリッシュ・ホルンに持ち替えての長大なソロがある。

「あたしはどうなるかな」
 姉の早苗も不安そうに席を立つ。クラリネットも首席のソロがあり、自分に回されるのかどうか。既に課題曲が発表されたとなると、もう首席の座は昨夜同様、強気の先輩男性に奪われてしまったかも。

 皆が自室に楽器を取りにゆくべく、カフェは既にもぬけの殻となっていた。




 先手か後手を選択できる勝利チームの権利を施行し、Aチームが「少しでも時間を稼ごう」と、後手に回ったため、Bチームはリハーサルの時間がライバルチームより20分ほど短めになるという不利な状況となった。
 しかしBでは管楽器の首席は交代制、コンサートマスターも含めた弦楽器の席次も、すべて公平にアルファベット順にしようと、昨夜のうちから話し合いで決められていたので、無用な争いや混乱は回避できた......、はずだったのだが。

「パーカッション、今回はエキストラがいないそうなんです」
 ティンパニ奏者の男性が、もう一人の打楽器奏者、か弱そうな小柄の女性に変わって発言した。
「大太鼓は彼女がやるそうなので、トライアングルとシンバルに、どなたか回ってくれませんかね」
 楽器奏者が足りずともエキストラ不在の場合は、奏者は自前で調達するのが今回バトルのルールとなっていた。
 打楽器二名と、初回の失敗を踏まえて今度ばかりは指揮者を立てないと。つまり三名は、自分の楽器から離れないといけない計算だ。

 有志は? しかしいなかった。

 昨夜はヴァイオリン首席の二人が真っ先にいけにえにされたのだ。常にトップの者が責任をとらねばならないとなると、とりわけ勝敗を左右する要の指揮者など、うかつに引き受けるわけにはいかないだろう。

「管からは一人たりとも出せませんよ」
 スコアを熟知しているトランペットの年配男性がきっぱり告げた。
 いつも弦から犠牲者を出せって? そんなの不公平! という声が口々に上がる。
「弦が大勢だから、一人二人減っても音が変わらないだろうなんて、とんだ偏見ですよ」
 と、コントラバスの男性が太い声で意見する。
 実のところ、コントラバスはオーケストラ全体の底辺をがっしりと支える役目なので、仮に、今いる四人中の一人でも消えると、オーケストラ全体の音量が半減すると感じられるほど、その存在価値は大きいのだ。
「だったら弦楽器の譜めくりの時はどうなんです?」
 ファゴット奏者がひょうひょうとした調子で突っ込んだ。
「譜めくりの瞬間って、プルトの片方は弾いていないわけだから、弦の音が半分になるはずですよね? でも実際の演奏自体には何の影響もない。ということは、つまり、弦の人数が半分減っても、音量は変わらないってことですよ」
「へりくつだ」と、セカンドヴァイオリンの半ばに座る青年。
「譜めくりの時は、表の人間が気持ち頑張って弾いてるんですよ。いちいち意識なんかしない潜在意識のレベルですけどね」

 リポーター兼メンバーのサポート役として、リハーサル室の出入口付近の片隅で成り行きを見守りつつ、語りのチャンスを見計らっていた宮永鈴音が、ここでカメラに合図を送り、小声で補足を入れる。

「譜めくり時、半分は弾いていないはずなのに音量には変化が感じられない。不思議ですよね? この譜めくりの謎については、いく人もの弦楽器奏者が見事にぴったり揃って一糸乱れぬひとつの音を奏でる奇跡と同様に、オーケストラにおける七不思議のひとつともされています」

 弦楽器としては、管楽器の偏見による「半分までは人数を減らせるでしょ」的な発想は、極力排除しておく必要があった。でないと鶴川と豊田に続いて、この先、脱落者は容赦なく弦楽器から出され続ける事態に陥りかねないから。
 しかしオーケストラ全体のバランスを考えると、一人一人の役割配分がきっちり決まっている管楽器群には、少なくともこの曲においては全く余分のないことくらい、弦の連中にも分かりきっていた。

「チェロは無理ですよ」
 申し訳なさそうに申告するチェロの首席。
「この曲、チェロの六人全員に各々違うパートが当てられてるんです」
〈ウィリアム・テル序曲〉の冒頭では、チェロの五重奏により荘厳な「夜明け」の情景が奏でられる。チーム内にチェロは六名しかいないので、残りの一名が、全合奏のパートを一人で受け持つことになり、事実上の六重奏となる。
 チェロから一人も落とさなくて良かったと、誰もが胸をなで下ろす。
 次の課題曲を知らされずして、脱落者を決定せねばならぬところが、このバトルのスリリングな魅力でもあるのだが。重要なパートの奏者をうっかり落とそうものなら命取りになりかねない。
「となると、ヴァイオリンのファーストとセカンド、ヴィオラから一名ずつ出すのが無難ってことかしらね」
 アルファベット順でコンサートマスターの役を振り当てられた「阿立さん」が、やむなく事態を受け入れた。
「首席はAからだから、逆に助っ人役は後ろから回すのが妥当ですかね。つまり、逆アルファベット順ってことで」
 え~? やだあー。などと言える状況ではなかった。互いがぐずぐず言う無駄な話し合いなどさっさと切り上げ、一刻も早く音出しに入らねば。

「じゃあ私、トライアングルやります」
 ヴィオラ最後尾の女性が手を上げた。
「良く知った曲だし、多分やれると思います」

 多分じゃ困るんだよ、と誰もが意地悪く思ったが、ここは賢く口は閉ざしておくことにする。下手したら「じゃあ、お前さんがやりなさいよ」と言われる危険を避けるべく。

「僕はシンバルで」
 続いてファーストヴァイオリンの後方からも明るい声が上がる。
「ちょっとだけ、コツをつかませてもらえさえすれば」

 二人とも、指揮者の責任を負わされるくらいならパーカスに回るほうがまだましと、とっさの判断での立候補であった。逆アルファベット順なら自分の番と分かっていたので。この曲のクライマックスにおけるどんちゃん騒ぎのパーカッションをやってみたい、との好奇心も多少はあってのことだった。
 となると残るは指揮者のポジションのみ。セカンドヴァイオリンの後方に皆の視線が自然と降り注がれる。
 セカンド最後のプルトの内側の青年が、びくつきながら我が身を指す。
「え? 僕?」
「そう、あなた」コンミスの阿立が立ち上がり、威厳を持って弓で彼を指し示した。
「指揮の経験くらい、どこかでおありでしょう?」
「ないです!」彼は飛び上がった。
 指揮者を務めたことは、一応はあった。中学時代、クラス対抗の合唱コンクールで。結果は見事優勝。しかも「指揮者賞」までも受賞した。今使っているヴァイオリンは、その時のご褒美で祖父が買ってくれたものだった。
「指揮なんて、一度も。経験なんて、全くないです」
 断固として、彼は抵抗した。

「ねずみだって振ってるんだ!」

 先のトランペットおやじが、よくとおる声で一喝。
 しばしの静寂のうち、一同はその言葉の意味に思いを巡らしてみた。どういうこと?
 アルファベット順に従い、セカンドヴァイオリン首席の位置に、びくびくしながらやむなく座っていた会津夕子と、双子の片割れであるオーボエ首席が、そこでうかつにも目を合わせてしまった。わなわなと二人が震え始めたのをきっかけに、くくく……、といったくすくす笑いがオケ全体に伝染し、やがては大笑いが巻き起こった。
 それは実に80年以上も昔のアニメの話であったが、ディズニーに詳しい者も、知識の全くない者も、ミッキーマウスがしばしば名曲を指揮している往年の名作アニメがあることくらいは知っていた。その音楽のひとつが、まさにこの〈ウィリアム・テル序曲〉だと気づいた者は、なおさら笑いが止まらない。
 一人笑わず、神妙な面持ちを保っていたヴァイオリン青年はしぶしぶ立ち上がり、コンミスとラッパおやじの命令に従い、ヴァイオリンと弓をそっと席に置いてから中央に進み出て、用意されてあった譜面台に向かった。
「よろしくお願いします」
「マエストロ、お名前は?」
 彼の緊張をほぐすべく、木管の誰かが穏やかに声をかける。
「山寺充希といいます」
 か細いネズミの声で青年は答え、少し迷った後につけ加えた。
「通称……、ミッキーです」
 すぐさま高らかな笑い声をあげた一部の金管も、遅れて笑った他の者も、「みつき」というファーストネームは気を利かせた冗談と思った。
 しかしそれは紛れもない本名であり、呪われた我が名の、これは運命なのだ。と彼は自分に言い聞かせる。

 それから笑いの渦に誘われて少しばかり調子に乗ったか、譜面台の指揮棒を取り上げピッコロに向かって指し示し、厳しい口調で言い放った。
「ドナルド、途中で〈オクラホマ〉にならないでくださいよ」
 ピッコロの女性はすかさず反応、おどけた調子で〈オクラホマ・ミキサー〉の一節を吹いて、「どうよ?」とばかりに挑戦的にあごを上げ、アヒルの口をさらにとがらせて見せつけた。
 主に弦楽器の一同が、膝を叩いて大笑い。涙で化粧が落ちるとぼやく女性も。
 振り向かなかった一部のチェロや、彼女の背後、クラリネットやファゴット、金管、打楽器の面々は、妖艶な美女の珍しくもおどけた表情が見れなくて、非常に残念。しかしカメラにはばっちり撮られていたので、それは番組放映時のお楽しみとされた。



10.「鬼監督と、リポーターの心得」に続く...


♪  ♪  ♪   今回初登場の人物   ♪  ♪  ♪

山寺 充希(みつき)Violin Bチームの可愛いミッキー氏



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