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「オケバトル!」 20. 拒絶男と水の妖魔

20.拒絶男と水の妖魔




「今回の結果はAB引き分けで、脱落者は両チーム一名ずつとします」

 とのお達しが、翌日早朝、各部屋で閲覧できるモニター画面を通じて、淡々と語る宮永鈴音によって伝えられた。
 続いて、本日も互いの観賞は不可、リハーサルは舞台上にて、持ち時間は各チーム一時間ずつ。先攻はBチームで、9時きっかりにAチームからの逆リハーサル開始とする。両チームの脱落者が確定した時点で、次なる課題曲の楽譜が渡されるので、まずは待機のこと……、といった説明がなされていった。

 傷心のルームメイトが出て行ったのにも気づきもせず、疲れ果ててぐーすか眠り込んでいたチェロの女性は、目覚めたら彼女が荷物ごと消えていたので大慌て。番組スタッフが常駐するフロントに確認し、彼女が涙の独白とともに朝一番でこの館を去ったと知るのだった。
 傷つき悩んでいた彼女を、明るく励ます程度で放ったらかしにしてしまった責任もあるし、桜井さくらさんが無事に帰宅したかどうか知らせて欲しいし、ひと言だけでも連絡を取りたい旨をスタッフに依頼したが、そうしたことは番組側できちんとサポートします。脱落者についてのフォローも我々にお任せくださいと、体よく断られてしまう。
 心優しき善良なチェリストとはいえ、大切な仲間を引き留めてあげられなかったことを悔やみつつも、Aからの最初の脱落者が自分でなかったことに内心安堵する。

 噂はすぐに広まり、脱落免除の特典を得ていたのに、よほど悪いことしたと落ち込んじゃったんだね、気の毒に。といった同情の声がささやかれる。
 こうしてヴァイオリンを一人失ったAチーム。Bチームの脱落者が決まらないうちは次なる課題曲も発表されないのだ。しかし9時からの舞台リハーサルまでに決めるべき事項はあらかじめ相談しておかねばと、一同は早めに朝食を済ませ地下のリハーサル室付近に集まり、基礎練などでのんびりと、しかし気分的には落ち着かない朝を過ごしていた。
 前回はとんだトラブルのせいでフェアとはいえなかったので、コンサートマスターはもう一度、有出絃人さんに権利を差し上げましょうよ、と皆が応援してくれたので、本人もありがたく応じることにする。

 そこへ情報収集に出ていたホルンの偵察部隊2人組の片割れ、先輩格の方が戻って来た。
 初日に参加のエキストラ陣、チューバやハープに加え、お人形さんみたいな外国人の少女をバックヤードで見かけたので、何らかの情報を聞き出そうとしたが、スタッフに遮られてしまったと伝えられる。

 ハープやチューバが入るとなると、これまでより規模の大きい曲かなあ、その可愛いお嬢さんは、ソプラノ歌手か何かだろうか、などと皆が思いを巡らしていると、

「コッペリア!」ともう一人の斥候ホルン、若い方が駆け込んできた。
「前奏曲と、ワルツです!」
「なるほど。だからチューバが必要か」
「ドリーブの音楽って、ホルンやチューバといった低音域の扱いが実に丁寧かつ重要だと、企画側も分かってるんですね。他楽器での代用じゃなくて、ちゃんとチューバを用意してくれるとは」
 嬉しそうな金管陣。
「あとホールですがね、前方の客席が数段取り除かれ、ステージが広めにセッティングされてましたよ」
 偵察係が報告を続ける。
「バレエ曲だし、もしかしてオケをバックにダンサーがワルツを踊るんだったりして」
「じゃあ、その外国のお人形さんは、自動人形のコッペリアですかい」
「といっても〈ワルツ〉なんだから人形役じゃなくて、ヒロインのスワニルダですよ、きっと」
「踊りがつくとなると、やはり指揮者が必要だろうか」

 舞台袖に置いてあったパート譜も、スタッフの了承を得てエキストラの分以外はもらってきたので、はい、みんな持ってってください、と役立つ偵察青年から一同に楽譜が渡される。

 前奏曲とワルツの二冊に分かれたスコアに、まず首を傾げた絃人。「おかしいな」とつぶやき、木管首席らのパート譜もチェックする。それからクラリネットとオーボエとフルートの首席に向かって、
「できますか?」とひと言。

 何が? と、恐怖に身をすくめる三人の首席女性陣。よりによって、ピッコロ騒音でもめた厄介女にうるさい双子の片割れと、絃人と相性最悪の二人が揃っている。

「前奏曲とワルツが一緒にプログラムに組み込まれる場合、当然、二曲を続けて演奏するのが自然ですよね。だけど用意された楽譜は二曲が別々になっていて、つなぎの木管群のソロの部分がすっぽり抜けてるんです」

 絃人の要求は、
「つなぎのソロを譜面ナシで吹けるか?」
 という意味だけでなく、
「もちろん《コッペリア》の原曲は知ってますよね」
 といったニュアンスもあったのだが、三者の不安げな表情から、こりゃダメかな? とがっくり。しかしやむなく、相手に恥をかかせない程度に注意を払いながら説明してゆく。

「前奏曲の楽譜が終わると同時に、クラリネットがこのワン・フレーズを」
 と、ヴァイオリンで弾いてみせ、
「同じフレーズを今度は短調でオーボエが繰り返し──」
 とまで話したところで、脇で聞いていたフルートの男性が、更に長くカデンツァ的に続くフルートのソロを実に優雅に巧みに吹いてみせ、
「ポン。ポン……、と弦のピッツィカートがあって、そのままワルツに入るんです」
 と、有出絃人が言わんとしていた続きの説明を引き受ける。
「はい、決まり」絃人が言った。
「今回、フルート首席はあなたで」
「なんなのよ、それはないでしょ!」
 いきなり首席の座から降ろされることになった元のフルート首席が立ち上がる。
 じゃあ吹いてみて。という絃人に対して、
「勝手に決めないで。まず、つなぎを入れるか、入れないか、皆の意見も聞いてみないと」
 と抵抗する。
「用意された楽譜の範囲内でこなすだけでも生きるか、死ぬかって騒動なのに、わざわざ危険なつなぎをつけ足す必要、あるんでしょうか?」
 クラリネットの倉本早苗が、フルート嬢に助け舟を出す形で自分も保身に回ろうとする。
「どこが危険?」
 と、今度はクラリネットの年配男性がつなぎ冒頭のソロを吹いてみせる。
 そこにチェロの白城貴明が、すかさずピッツィカートの合いの手を入れ、
「弦の皆さん? 楽譜にはないんですから、タイミングを覚えちゃってください」
 と、誘導する。
 いったん間は開いたが、オーボエの女性が負けじと続くソロを吹き、
「こんな感じですよね」
 と調子を合わせ、そうそう、と絃人が続く二度のピッツィカートの音の変化を弦のメンバーに伝える。
 有出絃人が無言の合図でフルートとクラリネット、各々の首席を交代させようとしたため、順当に首席の座に収まっていた二人の女性は、もうカンカン。
「嫌なら出てっていいですよ」
 冷たい独裁者を演じる絃人であったが、そこで、セカンドヴァイオリンに大人しく溶け込んでいた山岸よしえが立ち上がり、
「これって罠なんだと思います」
 と、早口で意見を述べ始める。
「有出さんの言われたように、前奏曲とワルツの二曲を続けてやるのなら、つなぎを入れるのは必然ですよ。たとえ譜面がなかろうとね。間違いなく効果的なんだから。オケ人なら誰だってそれくらい知ってるはずですけどね」
 そこで首を傾げてからゆっくり口調になり、
「それに気づかない愚かな奏者を見極めるための、これも番組の巧妙な仕掛けなんだと思いますよ」

 例によって「水の妖魔」が演説を始め、独裁有出への攻撃体勢に入るかや? と、いったんは、はらはら誤解した一同であったが、へえー! 素直に彼に賛同するんだ! と、意外な展開に感心する。

「私たち、試されてるんですよ。用意された楽譜に何の疑問も持たないで、ただ器用に再現するしか脳がないのか。作曲家の意図に精一杯の敬意を払って、工夫をこらして近づこうとするのか」
 そう言ってから、よしえは木管の二人の女性に対し、
「あなた方も、提案したのが天敵の拒絶男だからって、いちいち反発なんかしないで、少しでもいい演奏になるよう協力し合わないと。これはチーム戦のバトルなんですよ。首席の順番どころじゃないでしょ? 曲を熟知してて、うまくやれるメンバーがいれば、その人に任せればいいんです!」

 おっかなすぎる「ヤバおばさん」の恐ろしい勢いに感動した周囲の面々は、思わず拍手喝采したくなったが、叱られた木管の二人の立場を少しは思いやり、拍手は遠慮しておくことにする。
 クラリネットの早苗が、自分の前に座るフルート女性の肩に手をかけ、
「どーします? 出て行く?」
 と態度を決めかねる姿勢を見せる。自分らが降りれば、もちろんこの場で脱落確定には違いないが、木管二台が一気に抜けるとなると、オーケストラとしてはかなり不利になるはずだ。コンマス有出の横暴のせいでチームが負け続ける事態に陥れば、格好の復讐となるだろう。二人は同じ事を考えるが、当の絃人がぼそっとつぶやいたひと言で、ありがたきことにそうした思惑はうやむやとされる。

「天敵の拒絶男、ですか。水の妖怪さんにそんな風に言われちゃ、かなわないな」

 一同の間に爆笑の渦が起こり、絃人はよしえに向かって無愛想ながらも「ありがとさん」とばかりに、皆に気づかれない程度にそっとうなずいた。



21.「浮気男に、恋する乙女」へ続く...




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