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「オケバトル!」 17. 楽譜リレー vs 地獄のダンス

17.楽譜リレー vs 地獄のダンス



「Bチームの奴らめ。演奏前につるし上げてやる!」
 舞台の袖に下がりながら息巻く金管の過激派連中を、
「それはどうでしょう」
 弦の温厚派がやんわりなだめる。
「Bの仕業と決めつけるのは危険ですよ」
 とは、チェロの白城貴明。
「はっきりした証拠が上がってるわけでもないですし」
「B以外の誰がこんなことをするってんだね?」

 そこで一同の間に、さっと疑惑の目線が交わされた。まさか身内の犯行だと? 我らがコンサートマスター有出絃人に恨みを抱く輩か? だとしたら......、

 初日からいざこざのあったらしい「お騒がせ双子」の早苗さん?
 初コンミスの時点で波長の合わなかった「ずぶ濡れ妖魔」のよしえさん?
 音量騒動で醜くバトルったピッコロ嬢? 
 あるいは、実力では到底かなわないから今のうちに破滅させて追い払おうとする、同じヴァイオリン内の誰か、だったりして? 

 しかし、そのせいでAチームが負けようものなら、脱落の危機が我が身にも及びかねないのだ。そんな危険を犯す者がいるだろうか。

「少なくとも我々Aのメンバーは、ページを貼り付けるチャンスなんて皆無だった。ですから、犯人はAの人間ではないはずですよ」
 とは、当の有出絃人。

 パート譜は、リハーサル室の各々の譜面台に残されたままの状態から、本番直前に番組スタッフにより回収され、そのまま舞台上の譜面台に並べられる。舞台はあらゆる角度からモニターされているので、楽譜がひとたび舞台上に置かれたら、糊づけなんてできやしない。チャンスを狙うとしたら、人気の消えつつあるリハーサル室にて誰も見ていない隙を突くしかなかろう。しかし直前まで練習していた者も大勢いたのだから、到底それも不可能なはず。
 いったん回収された楽譜が、つかの間、どこか舞台袖にでも束ごと置かれたか。としたら、糊づけも可能かも知れないが、最終ページの一部分だけが貼られたのではなく、ページ全体がべったりと裏表紙に貼りつけられているのだから、台の上など、押さえながらしっかり糊を塗れる場所も必要だったろう。

「弦の楽譜って、全プルト同じなのでしょ? やられた楽譜が、たまたまコンマスのとこにきちゃったってことですか?」
 管メンバーからの疑問に、
「違いますよ。中身は同じでも、表紙にプルトごとのナンバーがふってあるので」
 と、誰かがパート譜の表紙を見せて説明する。
「ではやはり、コンマスが狙われたわけか!」
「もしかして、1プルト目の楽譜が二冊あって、どこかですり替えられたとか。それならチャンスはいくらでもありそうですが」
「いえ、有出さんが書いたボウイングなんかの書き込みはそのままですし、間違いなく、これは私たちの見ていた楽譜そのものです」
 と、ダンスが可愛すぎたアシスタント・コンマスの桜井さくらが、楽譜を再確認しながら言った。
「でも分からないな」
 絃人が不思議がる。
「最終ページの音楽なんて本当に単純なんだから、楽譜がなくたって誰だって弾けちゃうものなんですよ」
「すみません」と、さくらが慌てて謝罪する。「さっき、それを言いたかったんです。プロなら当然それくらい弾けるはずなのに、弾けなきゃいけないのに、私ったらすっかりパニクって、絶対ムリって、自信がなくなっちゃって」

「いや、僕が言いたいのは、犯人は音楽を何も分かってない人間じゃないかってことです。曲は色々知ってても、演奏事情に関する知識は皆無の」

 一同の間に衝撃が走る。では犯人はバトル参加者ではないのか?

「あー、でも」
 トロンボーン奏者がのんきな調子で言った。
「うちら管楽器は、弦の皆さんが譜面ナシでも、どの程度弾き続けられるか? なんて分かっちゃいないですよ」
 正直者のトロンボーン氏であったが、このバカ氏! 余分なこと言うんじゃない! せっかく身内の容疑が晴れつつあったってのに! と、金管仲間に小突かれる。
「少なくとも犯人の間抜けな行動からして、弦の奏者ではなさそうだと判明したんですから、いいじゃないですか」
 白城貴明が皆をなだめる。
「そして管の皆さんには犯行の理由がないんですし、安心なさっていいですよ。身内の裏切りではないのだと」

「そろそろBチームが舞台に出ますから、皆さん余所に引き払ってくださーい」
 と、ステージマネージャーから声がかかる。

 どのみち今夜はBチームの演奏は観賞できないお達しなのだし、今、この場でBに難癖つけたりしたら演奏妨害になりかねない。明日になって結果が発表されるまでは下手に動かないことにしましょう。といったところで話はいったん落ち着いた。




 ジュニアオーケストラ時代の数年間、コンサートミストレスの経験が幾度かあった会津夕子。
 元々彼女は身体をやたら動かさないと弾けないたちで、それが必要以上なものだから、周囲への合図としては実際は分かりにくくとも、それっぽい雰囲気はどうにか出せていた。
 とはいえ、このような強者揃いのプロ集団を率いるなんて無謀のまた無謀。はったりはいずれバレるだろうと自分でも分かっていたが、アシスタント・コンマスである別所氏の温かな無言のサポートも手伝ってか、本番では緊張であがることもなく、全体のテンポや強弱など、要所要所はしっかり押さえられたし、恐怖だったヴァイオリンのソロも気持ちよく弾ききることができ、残すところは勢いでいけちゃえそうな最後のページのみとなる。
 その、地獄のアレグロに入ったところで異変は起きた。

 別所がいきなり振り返って背後に手を伸ばし、2プルト目の譜面台から容赦なく楽譜を奪い取ったのだ。

 譜面台が空になった2プルト目に、すぐさま3プルト目から「ほいよ」と楽譜が回され、何が起きたか分からぬままにも、楽譜のリレーは後ろから前へと迅速に行われていった。Bチームはヴァイオリンの人数がすっかり減ってしまっていたので、最後尾の女性はたった一人で弾いていた。楽譜を失ってしまった彼女のために、前の二人が気を利かせて左右にちょいと身体をずらしてやったので、彼女は空の譜面台を脇に追いやり、空いた真ん中のスペースから少しばかり身を乗り出し、前の譜面をのぞき込むだけで事は足りた。

 驚いたのは審査員らと司会だった。Aと同じ事件がBの本番でも起こるとは! 

 しかしアシスタント・コンマスのとっさの機転で、波乱の事態は免れたようだ。演奏が終わったところで、「どうなってるんだ? いったい」と、首を傾げている審査員らの元に、一枚の紙片がスタッフによって届けられる。

──先ほどAチームに起きた事には触れないように──。

「この大バカヤロウめが」と腹の底からうめいて、長岡プロデューサーは背後の音響調光室の窓を振り仰ぎ、室内は見えずとも、特殊ガラスがひび割れんばかりの恐ろしい勢いでにらみつけた。
 しかしどのような陰謀であれ、事が起きてしまったからには公平にBチームの反応を観察する必要はあった。ライバルチームが困難をどう対処したか。そしてBの面々がこの事件の犯人を、敵方と見るか、身内の足の引っ張り合いと判断するか。そういったことも今後の審理の重要な判断材料となるので、審査員側からヒントを与えて結論を誘導すべきではないのだ。

「実に迅速な楽譜のリレーでしたね!」
 宮永鈴音の手元にもまた、同様の紙片が届けられていたので、言葉は慎重に選びつつ話を進めていく。
「演奏会の本番中、突如ヴァイオリンの弦が切れてしまうことが稀にあるのですが、演奏は続けなくてはならないので、すぐさま問題の楽器を、コンサートマスターの場合は、脇のアシスタント・コンマスと交換して、その後は……、こんな風に順繰りに背後に回しながら交換していく、といった方法がとられます」
 言いながら、鈴音は1プルト目から後ろへと自分のヴァイオリンを交換するふりをしながら、ぴょんぴょんと送っていくような動作を示して見せる。
「一台ずつ交換していくので、つまり弦が切れたプルトから後ろの、片側全員が他人の楽器を弾く羽目になるのです。そして最後、弦の切れた楽器を手にした一番後ろの奏者は、いったん舞台の袖に引っ込み、大急ぎで弦を張り替えるか、予備の楽器を手にして舞台に戻るならわしとなっています」
 と、わざわざ袖に引っ込んでから戻ってくる。
「今回は楽器ではなく、パート譜に非常事態があったようですが、アシスタント・コンマスの方が、後ろから代わりの楽譜を拝借するという形で、実にスマートに、問題なく音楽が続けられて何よりでした」
 それから鈴音は、ソロを奏でた奏者、冥界の王と、ウリディース、オルフェの三方の、さりげなくも気の利いたキャラクター扮装について少し触れ、そうした工夫や演奏についての詳しい講評と審査結果は、明朝までのお楽しみとなるそうです。皆さん、眠れるんでしょうかしらねえ? と言ってから、
「今夜の音楽バトルは、Bの粋な扮装の計らいに、迅速な楽譜リレー。そしてAの地獄のダンスと、実に興味深い展開となりました。果たして明日はどんな舞台が待ち受けているのでしょうか」
と、締めくくる。
 鈴音が「しまった!」と思った時は、既に手遅れ。うかつにもAのダンスのことをバラしてしまったではないか。紙片を送ってよこしたのはディレクターの鬼アザミに違いないと、長岡同様、鈴音も踏んでいた。彼女に締め上げられるくらいなら、Bの反応の様子をカメラで捉えて欲しくて、わざと言ったのだと開き直るしかないかなと、反省はしないことにする。

──なんだって? 地獄のダンス!? ──

 譜面のトラブルもスマートに回避して、楽曲もうまくまとめ上げ、達成感に浸っていたBチームであったが、司会の「ダンス」発言により、大きな衝撃が走ってゆく。

 奴ら、曲に合わせてフレンチカンカンでも踊ったのか? 

 そんな演出をされては到底勝てるわけないじゃないの。脱落ゼロで、うちらより多い人数をラインダンスに回すなんて、ずるいよAさん。しかも我々を陥れようと楽譜に破壊工作までするなんて、フェアじゃないよ。卑怯だよ。何が貴公子団だよ。ズルのインチキ集団じゃないか。

 先行Aチームの時と同様に「勝敗は明朝に発表される」とのお達しを受け、不穏な空気に包まれながら一行は舞台から袖に下がっていった。
「あれ?」
 問題のパート譜に仕組まれた陰謀の状況を確かめていた会津夕子が、糊づけされたページにはっとする。
「これって……、ベリーの香り?」



18.「鍵はベリーの香り?」に続く...




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