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「オケバトル!」 16. ひとたび舞台に乗ったなら

16.ひとたび舞台に乗ったなら



「今のは……」
 息切れも見せず、涼しい顔で有出絃人は答えた。
「演出です」

 明らかなトラブルのはずなのに、それが演出だったと開き直るとは! チームの仲間や審査員を始め、番組スタッフも含めたその場に居合わせた誰もが、コンサートマスターの意外な返答に驚かされる。
「いいや嘘だ」
 審査委員長の長岡幹が言い放った。
「楽譜に何らかの支障が生じていたと見受けられたんだがね。しかもアシスタント・コンマスの彼女が、あんなに慌ててたじゃないか」

「アシスタント・コンマスとは」
 ここで司会の宮永鈴音が近場のカメラに向かい、視聴者のためにそっと注釈を入れる。この間、舞台上でのやり取りが進行していようと、妨げにならない別録りの配慮である。
「コンサートマスターの裏、つまり内側の席で演奏する人を指す言葉でして、首席をサポートする立場。今回の課題曲のようにコンマスが長くソロを弾く場面などでは、その間オーケストラをリードする重要な役割もこなさなければなりません。もう少し重めの意味合いで、フォア・シュピーラーとも言われます」

「あの、すみません。それは私が──」
 長岡の鋭い指摘を受けて、言い訳をしかけたアシスタント・コンマスの彼女に対し、絃人は何も言うな! と無言の圧力で遮り、席に着くよう促す。それから自分は立ったまま、
「それも、演出です」
 と、軽くかわしてしまう。
「指揮者は不在でしたし、調子よく音頭をとって地獄の大宴会のばか騒ぎを表す効果を狙ってのパフォーマンスでしたが、それが原因で音楽的に不自然に聞こえたはずはないと思いますが、何か問題がありましたか?」
 こちらの正当性を伝えつつ、生意気にも逆に問いかけてしまう信じがたい図太さである。

「確かに不自然どころか、音楽と、あの楽しい踊り弾きは、完全にマッチしてましたね」
 とは青井杏香。
「こんなに愉快にさせてくれるなんて、もう最高!」
 ジョージも喜んで手を叩く。
「またしてもスタンドプレーか」
 長岡は諦め気味にぼやきつつ、
「度肝を抜かれたが、確かに音楽が損なわれはしなかったようだね。しかし一歩間違えば、真っ逆さまに地獄行きだよ」
 と、釘を刺すのも忘れない。

 そのまま一件落着になりそうなところであったが、状況を正確に伝える責務のある司会としては、問題の楽譜を自分の目で確認せずにはいられなかった。舞台中央のコンサートマスターの譜面台に歩み寄り楽譜を取り上げ、
「いやだ、たいへーん!」
 大仰天しつつ事実を告げた。
「ご覧ください。最終ページ全体が完全に糊づけされちゃって、まったく読めない状態となってますよ!」

 長岡氏に促され、鈴音は客席中央の審査員席に問題の楽譜を届けにゆく。
「完全なる破壊工作だ」
 憤慨する長岡幹。こんな卑劣な行為は番組史上初めてだ。音楽への冒涜だ。犯人はただじゃすまさいないぞ、などと思いつく限りの怒りの言葉を低い声でまくし立てた。それから改めて、
「だけど分からないな」と首を傾げる。
「なぜ有出くんは、犯人をかばおうとするのかね?」
「かばってるわけじゃ、ないですよ」
 有出絃人は冷静に説明する。しかし続く言葉には卑劣な犯人に対する恐ろしく冷たい怒りが込められていた。
「むしろ、犯人の仕業を逆手にとったんです。汚い手段でこちらを破滅させようったって、誰がその手に乗るものか、とね」
「なーるほどお!」
 感心した司会の鈴音が手を叩いてはしゃぐ。
「相手を陥れようとしたはずが、それが原因で逆に絶大な効果をもたらしてしまった。思惑が外れた犯人は、相当……、悔しがるでしょうねえ」
 本番中から何事が起きているのか、わけが分からなかったチームメイトも、これでようやく納得がいった。誰ともなしに賞賛の拍手がわき起こり、
「すごい度胸だな」と、ジョージがうなる。
「とっさに機転を利かせて、逆境から最も効果的なパフォーマンスを生み出しちゃうなんて」
「たいしたことではありませんよ」
 絃人は謙遜気味に声を落としてさらりと告げた。
「演奏家なら誰だって。ひとたび本番が始まったら、聞き手には極力、こちらのトラブルなんて気づかせちゃいけない。舞台に立つ者の鉄則ですので」


 たとえばヴァイオリンのリサイタルで、共演のピアニストが勘違いして予定とは違う曲を弾き始めてしまったら? 
 音楽が始まったらもはや流れは止められない。それは神聖なものだから、
「曲順が違ったから、はい、やり直し」なんて、聴き手の集中を妨げるような事態は極力避けないといけなかろう。そのために自分は目の前にある楽譜ではなく、違う曲を暗譜で弾かねばならない羽目に陥ったとしても、プロならば何が何でもやり遂げる。おかげで多少調子が狂ってしまったとしても、
「曲が違うハプニングがありまして……」なんて、面白おかしくでも言い訳はすべきでない。曲順を周到に確認してあった上での、明らかな共演者のミスだったとしても、である。


 かつて、某混声合唱団の本番にて、こんなハプニングがあった。
 新進指揮者が曲を始めるべく勢いよく指揮棒を振り上げた途端、正面に並ぶ団員らが一斉に目を見開き、驚愕の表情を見せた。おかげで指揮者は、
——— 曲が違う ———。
 と悟ることができた。
 そして自分が間違えて振ろうとしていた勢いのある歌を瞬時に時空の彼方に追いやり、本来のプログラムどおりの静かな音楽に導くべく、ゆっくりと冷静に指揮棒をおろしゆき、うまい具合に冒頭を切り替えて振り始め、事なきを得たのだった。
 関係者以外、聴衆の殆どは異変に気づかなかったであろう。指揮者がそこで腕を下ろし、いったん間をおいてから、「はい、やり直し」といった仕切り直しをせずに済んだので。
 たとえ音がまだ出ておらずとも、ひとたび指揮者の棒が振り上げられたら、もはや「振ろうとしていた曲を間違えちゃいました」なんて言い訳は通用しない。


 舞台上では、どんな事態に陥ろうともハプニングを聴き手に悟らせてはならない。全責任をもって自ら対処すべきなのだ。
 そうした考えを絃人は持っているのだが、この場ではいちいち説明しないことにして、
「そのトラブルが、番組の収録に伴う卑劣な破壊工作といった内部事情によるものなら、なおさら外には漏らすべきではないでしょう?」
 とだけ述べるに留めておく。

「だから演出なのだと押し通そうとしたのね」
 しみじみと、杏香が言った。
「演奏を終えた後ですらも、犯人を糾弾するでなく、内々のトラブルとして責任を背負い込もうとするなんて」
 コンサートマスターの崇高な姿勢に胸を打たれた杏香は、そこで感激のあまり言葉を詰まらせ、隣のジョージが彼女の肩をぽんぽんとなでてやる。二人は苦笑しながらも、うっすらと涙さえ浮かべていた。チームの何人かも、つられてじんわり涙ぐんでしまう。

「いずれにしても、講評や結果発表は、この後のBチームの演奏を終えてからになりますね?」
 静かな感動の雰囲気を損なわぬよう、司会が穏やかな語り口で審査員陣に確認する。
「ああ、明朝のリハーサルが始まる前までに。恐らく今回は文書による通達となるだろう」
 と長岡氏。
「脱落者も、それからチーム内で決めてもらう、ということになりますか」
 参加者に同情する司会の鈴音。
「不安で眠れなくなりそうね」

「騒動の話は別として、ひとつだけコンマスに確認しておきたいんだけど」
 長岡が改まって絃人に尋ねた。
「ヴァイオリンのソロで楽譜にないトリルをいくつか入れてたよね。それに、地獄のアレグロに入る前でも譜面に書かれてないソロのフレーズをオケの上に重ねてたよね。その意図を説明してくれるかな」
「今回用意された楽譜には記載がなくとも、トリルについては、今日ではあのヴァージョンが定番になってますし、実際、その方が明らかに効果的なはずですよ。それに少なくともカデンツァにおいては、そのくらいの自由さも必要ですしね。あと、アレグロの直前にソロを重ねることで、そこまでの甘く優美な雰囲気と、その後に続く地獄の大騒ぎのコントラストを、より際立たせる効果はあったと思います」
 よどみなく説明してから、ひと言付け足すのも忘れない。
「もちろん、それも前例に習って取り入れたまでで、自分が思いついたアイディアではないですが」

 有出絃人のこうした答えに対し長岡氏が口を開く前に、杏香とジョージが同時に、「素晴らしかった」だの、「美しすぎてうっとりだった」だのと、絃人の判断と、彼のヴァイオリンそのものを絶賛する。
「わかってる。わかってる。私も同じ意見だったんだ」
 長岡も深くうなずいた。
「まあ、どんな結果になろうとも、有出くんの脱落は特別免除だから安心したまえ」
 その言いようが、ひいきっぽく聞こえてしまったか、当の絃人は少ししかめ面をした。
「あら、嬉しくないのかしら? 有出さん」
 司会の問いかけに、
「免除なら、僕の無理難題に一生懸命調子を合わせてくれた、彼女のほうを」
 と、絃人は隣の女性を示した。
「ならば両方は確実に免除に」
 との長岡審査委員長のありがたきお言葉に対し、当の彼女が「あの~」と、遠慮気味に立ち上がる。
「私、どうしても言っておきたいことが──」
 そこまで言って、司会に「お名前を」と促される。
「桜井さくらです」
 言いようによっては笑いをとられる名前なので、一気にあとを続けてしまう。
「私がいけなかったんです。譜めくり役が課せられる裏の人間としては、本番前に譜面を確認しておくべきだったのに。問題がないかどうか。でも私、それをしなかった。怠慢ですよね。だから自分にも責任が」
「いや、譜面が貼りついてるなんて、普段は起こり得ないことなんだから。きみに責任はないよ」
 長岡氏が諭す。
「それに、バカみたいなダンスを踊る羽目になってしまったのも、実は私が──」
「もういい。なんだねぐちぐちと。言い訳はたくさんだ。そんなのは独白ルームでやってくれ」
 いきなり大御所の長岡にぴしゃりとやられ、驚いて呆然とする彼女。精一杯の勇気を出して自らの非を告白しようとしていたのに。それも清らかな自己犠牲の精神で。大きな瞳にあふれんばかりの涙がたまってしまう。
 彼女の脇にいる有出絃人が何らフォローしようとする気配がなかったので、さっと司会が歩み寄って彼女の肩を抱えてやる。
「大丈夫よ。あなたが悪いわけじゃないんだから」
 宮永鈴音にしてみれば、ここでようやく「参加者のサポート役」のチャンス到来といったところであったが、はたから見ている面々は、「あんな風に優しく接したりしたら、きっと泣いちゃうよ」とはらはら。オケ人が仲間の前で泣かない鉄則は破られるのか? 

「『桜井さくらさん』って、何て素敵なお名前なの」
 そこで青井杏香が助け船。
「ホント、名前のとおり、可憐で素敵なダンスでしたよ。もうっ、可愛いのなんのって」
「うん。内心は必死のあまり引きつってたはずなのに、とびっきりの笑顔で身体を左右に揺らしてるとこなんか、かえって素朴で良かったよね」
 ジョージも調子を合わせる。
「そうそう。有出さんは生粋のショーマンって感じで、涼しい顔で平然と踊りこなして完璧に決めてましたけど、さくらさんは逆に一生懸命さがほほえましくて。その純朴さが天性の魅力よね」

 まったく甘いんだね、君たちは。と、あきれ顔の長岡プロデューサーであった。




17.「楽譜リレー vs 地獄のダンス」に続く...


♪ ♪ ♪ 今回名前が初登場の人物 ♪ ♪ ♪

桜井さくら AチームViolin 可愛いダンスを披露




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