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ゼロから始める伊賀の米づくり34:今年の出穂と、薬害、土地を守ることについて

今年の出穂を確認!

前回、6月半ばからの溝切りの様子を記録にまとめ、

そして、その後の中干しを経て、

土中に酸素を行き渡らせるため、水田の水を抜く「中干し」の際の様子

7月半ば、ついに今年の出穂を確認できました!

穂には白い粉のような、米の花がついている

こうして今年も、無事に穂が出てきてくれて、嬉しいです。

と、今回はそれだけでは終わりませんでした。

除草剤の被害?稲穂にダメージが

畦道の途中に何か不自然な変色が。それは、田んぼにも及んでいる

何気なく畦道を眺めていると、どこか気になる点が見えました。

歩いていって近づいて見ると、なんと畦道が禿げているだけではなく、家の田んぼの一部の生育が明らかに悪い区画が現れています。

母に尋ねてみても、

「自分はわからない。やってないわ」

と返ってきます。

黄色、オレンジ色近くまで苗が変色している

改めてじっくり眺めて見ると、被害の痛々しさが伝わってきます。この一角の穂だけが生育が悪いのではなく、穂がオレンジ色に変色しているものの他に、

あまりにも酷い……

すっかり枯れ果ててしまっている苗も発生しています。

おそらく、お隣の田んぼの管理の途中で除草剤等が過度にこちらの田んぼに流れて、それがこのような被害を生んでしまったのでしょう。

こんな光景は初めてです。自分の身体が傷ついたように、痛みを感じます。

後日、隣の田んぼの管理者さんが謝りに来てくれました。
また、その際に補填の話もしてくれました。

とはいえ、なかなか気持ちも追いつきません。

除草剤や化学肥料等を使うことの弊害、といったものを、こんな形で体験するとは思っていませんでした。

全体で見れば僅かな被害でも、それでも何か考えさせるものが残りました

御年88歳の先輩との対話

このような田んぼでのショックな出来事を抱えつつ、家の畑を耕していると、通りかかる人がいます。

怪訝そうな様子で近づいてくる麦わら帽子を被った男性は、地域で最高齢、御年88歳の百姓の先輩。

亡くなった祖父と仲の良かったTさんです。

Tさんが尋ねます。

『お前、どうしたんや?』

「あぁ!度々実家と街を行き来して、今日は休みだったので」

『そうなんか!お婆さんはどうしたんや?』

「この暑さなので、休んでますね。無理はできないですから」

『えらいなあ。俺も来年、再来年には辞めようかとも思ってるんや。うちの分の田んぼまでやってくれたらええんやけどな』

「いやいや(笑)まだTさんお元気じゃないですか」

『冗談はさておいてな。俺も年やしな』

「その時は、Tさんの機械もお借りできたら嬉しいですね〜」

『そうやな。機械もな』

その後、話は田んぼを続けることそのものについて移っていきます。

稲穂が生い茂る田んぼ。いよいよ収穫の時期も近づいてきていることが意識される

「若い人、少ないですもんね。田んぼやってる人で」

『田んぼは、他の仕事とも両立させなきゃできんからな。みんなそれをやらず、土地を他人に預けたっきりにしてしまったりしている。俺の息子もやらんしな』

「実際、米の値段も農協(JA)に卸してみれば全然安かったりして、頭使わないとやってられないですからね」

『お前みたいに、やってる人がいたら婆さんやお母さんも喜ぶやろう?安心やわ』

『昔、この辺りの土地改良のあった時に、俺はお前のとこの爺さんと話しに、よくこっちへ来たもんや。お前の爺さんは「どうしたらええんやろ?」って話してて、土地の権利を確定させたりするのや、法務局への登記やら苦労してたんやで?お前の名義でも良いから、土地の管理はきっちりしといた方がええぞ』

「おかげさまで、飛地だった土地も無事に見つかったんですよ!今は使われてない放棄地になっていて荒れ放題でしたけど」

『おお、そうか。……時間、取ってしもたな』

「いえいえ!いつもありがとうございます。Tさんも熱中症、気をつけて!」

『ほんまやわ。草刈り、早く切り上げようと思ってたら、話し込んでたらもうこんな時間(笑)それじゃあな』

田んぼの中に佇む地域の神社。鎮守の森

改めて、土地と共に生きること

出穂の確認、除草剤の被害、地域の先輩との対話…それらはほんの3日間ほどの間に立て続けに起こり、自分としては改めて自然や土地との向き合い方や、地域との付き合い方について振り返るような機会となりました。

自分は集落において、自らの家で田んぼを管理し、毎年の米づくりを行っている者の中では最年少です。

兼業農家としてやってきた地域の先輩方としては、自分のあり様に何かをみてらっしゃるのかもしれません。

自分としても、それらの目線を意識しつつ、どのような未来像や暮らし像を大事にし、つくっていきたいのかを改めて大事な人たちに伝えていく、そんな流れがきているように思います。

自分がめざしていきたいのは、独自の文化や風土、自然を大事にしつつ、近隣や他地域と共生していける集落を数世代かけてゆるやかに形作り、自らは交易の拠点となること。

京都、大阪で暮らし、再び地元の三重県伊賀市にUターンしてからも複数拠点で生活している自分こそ、そうした役割を担いうるのではないか?そんなことを考えています。

悲喜交交の思いを感じつつ、もうすぐ収穫の季節です🌾


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大森 雄貴 / Yuki Omori
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