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幸せになろうと思えた日。



今日は、たくさんいいことがあった。
大事なことに気づくことが出来た。


まず、宿泊しているホテルの
外装工事の騒音がすごくて
落ち着いて休養することが不可能なため
急遽、明日からホテルを変更することになった。

慌てて別のホテルを探して
宿泊予約をした。

騒音がひどい中、
パニックに陥りそうで
バタバタと落ち着かない私は
唯一電話ができそうな叔母に
連絡をした。

叔母はすぐに駆けつけてくれた

実の母はいつも
仕事、仕事、仕事が優先

そんな母には悩みも
頼りたいときも
連絡はできなかった 

私に反抗期は存在しなかった。


叔母と一緒に昼食を外で食べた

地元のラーメン屋さん。

今まで抱えてきた家族問題の話
両親への想い
障害を抱えている姉への気持ち

大事な話を時間をかけて
ずっと話し続けた

気がついたら

お客さんは
私達だけだった。

それくらい、
二人とも真剣だった

私は何度も何度も
堪えることのできない
涙を流していた

そこで母の過去を知った
私は言葉も出なくなった、、、、

なぜなら
私の母親の両親は、
私のお母さんとお父さんと
そっくりだったから。

アルコール依存症も
虐待も暴力も暴言も

母親が仕事仕事で
構ってくれないことも

すべてが同じだった。


なんとなく
私の母親が普通でないことが
ようやく理解できた。

母親と父親の
幼少期や過去を
知ることがこんなにも
家族崩壊の原因を知る
きっかけになるなんて、、、


それまで父が大嫌いだった

叔母も他界した父親が嫌いだった
早く死んでくれと思っていた

いまの私と同じ思い。


血が繋がっている以上
逃れられないのが家族

借金も犯罪も
すべてを背負うのが家族  

絶縁したところで 
その現実からは離れられない
それがとてつもなく苦しかったんだ。


私の母親は、自分の父親が 
亡くなってから
人が変わったかのように
明るくなったそうだ

"好きなことができる"

"もう怒られない"

"もう殴られない"

怒られる!!と
思い込んで
言いたいことを
我慢しなくていい。


いまの私と全く同じだ

同じ過ぎて、怖くて
なんだか笑えてくる

幼少期の私は冷めきっていた
家族の愛も親の不倫も
どうでも良かった

「はやく壊れればいいのに」 

「こんな家族、家族じゃない」

そんなことばかり
考えて死にたくなっていた


なんでだろう。

不思議なくらい今は平気

叔母の前で全てを
話せたからなのかな

友達にはとても言えない
壮絶な現実を打ち明けられた
からなのかな


泣いて泣いて
これでもかというくらい泣いた

今はすっきりしている

明日からは明るく生きよう。  

強くそう思えた。


人の心は繊細で
目に見えなくて
本当に難しい

普段の

交友関係も
家族関係も
職場の関係も

上手く築くことが難しい。


上手にこなせる人も
なかにはいるだろう

でも、
私はそれが出来なくて
それで悩んでいる

だから、
そんな自分を受け入れてあげよう


たくさん傷ついた分
これからは自分を大事にしよう。


私はそう思えました

昨年、12月に自殺未遂までした
私がこう思えている


苦しいあなたへ
何か響いたらいいな


一緒に壁を乗り越えられたらいいな


頑張ろうじゃなくて

これからは、

"幸せになろう"


それが合言葉☺️🍀

約束しよ。
一緒に幸せになろう😌🌷



yumi🌼


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