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短編小説「雨のお友達」

 その日も、雨が降っていた。
 梅雨入りして約一ヶ月。朝からどんよりとした暗い雲が上空に垂れ込め、気圧の変化に不調をきたした私の頭はその奥底にじんわりと鈍い痛みを携えている。湿った溜息を零しつつ、私はなんとなくざわついた胸を抱えたまま、お気に入りの傘をさしてアパートまでの帰り道を歩いていた。

 今日の職場のオフィスもじめじめとしていて、ミスをした同僚が何やら上司に叱責を受けていた。彼が私とは違う仕事を担当しているとは言え、誰かが怒鳴られているのを聞くと胸がズキズキとして呼吸が浅くなるのは私だけなのだろうか。
 憂鬱な雨が落ち込んだ気分をなお助長するかの様に、私の傘を叩き続けているのだった。

 疲れた足取りで街角を過ぎ、保育園傍の十字路を左に折れた時、ふと何気なく顔を上げた私の目に一人の小さな女の子の姿が映った。
 彼女は黄色のレインコートと長靴を身に纏い、雨の降る中、両手を広げてくるくると踊っていたのだ。雨雲を見上げる女の子の顔はとても楽し気な笑顔に満ちていた。

 傘を差しながら通りを行く大人達は皆一様に暗い色のスーツを着込んで背負った疲労をどんよりとした煙の様にそこら中に漂わせていたが、レインコートの女の子がいる所だけはまるで世界が違って見えた。一面灰色の野原に、たった一輪だけ向日葵が咲いている様だ。
 私はいつしか立ち止まり、その姿に見惚れてしまっているのだった。

 しばらくその場に佇んだまま彼女の様子を見ていると、回転した拍子に水溜りに足を取られた女の子はつるりと滑って盛大に尻餅をついてしまった。「あっ」と零した私が小走りに駆け寄って行って、

「大丈夫?」

 と手を差し出すと、女の子はぺたんと座ったまましばらく私の目を見つめていた。それから小さな歯を見せてにっこりと笑った彼女は、

「ありがとう、お姉ちゃん」

 と言って私の手を掴んでゆっくりと立ち上がったのだった。
 私が身を屈めて差した傘の下で、女の子は手に付いた泥を払い、お尻に付いた泥も払っていた。そんな彼女の様子を訝しみ、

「あなた、一人なの? お母さんは?」

 と私は訊ねてみた。女の子は私の目を見て、

「どこかに行っちゃった」

 と答えた。

「どこに行ったのか知らないの?」

「知らない」

 そう答えた女の子の顔は雨に酷く濡れていたので、私は持っていたハンカチで彼女の顔を拭ってあげた。すると、

「でもね、また会えるよ」

 と女の子が言った。

「・・・そうなの?」

「うん、絶対にまた会える」

 そう言った女の子は、また小さな歯を覗かせてにっこりと笑って見せるのだった。私は「会える」の意味がよく分からなかったが、女の子が今いる場所は保育園傍の路地なので、きっと母親の迎えをここで待っているのだろうと思い小さく息を零しつつ、

「そうなの」

 と答えることしか出来なかった。

 それから女の子は一度ぶるぶると身を震わせると、私の差す傘から出て行って再び雨の降る中踊り始めるのだった。私は彼女のことを不思議に思いつつも、灰色の世界に煌めくその黄色いレインコート姿にぼんやりと見惚れているのだった。
 と、その時。傍を通った自動車が水溜まりを踏み散らし、気の抜けていた私は盛大に下からの雨水を被る羽目になってしまった。

「うわっ・・・もう、最悪」

 と声を上げつつ被ってしまった水を払っていると、ぱたぱたと走り去って行く様な足音が聞こえた気がした。額にまで飛び付いた泥水を拭って顔を上げると、そこにはもう黄色いレインコートの女の子の姿は無かった。

 その次の日、私はまた肩を落として仕事帰りの道を歩いていた。
 当然雨はまだ降り続いていて、今日私が差しているのはコンビニで買った透明のビニール傘だ。昨日まで大事に使っていたお気に入りの傘は、昼食を買おうとして足を運んだコンビニで盗まれてしまった。誰だか知らないが本当に許せない。
 置き場所の無いイライラと共に、もう一つ、私の胸をざわつかせるものがあった。

 今日の昼休み、苛立ちを抑えながらコンビニから帰って来たオフィスがいつもより騒がしかったので、何事かと同僚に訊ねてみると、私の一年後輩の子が結婚することになったらしい。ずんとのしかかる胸の痛みにえずきそうになったものの、しっかりと堪えた私は後輩の子に「おめでとう」と言って拍手を送るのだった。

 私はつい半月前、3年間交際していた彼氏と別れた。理由は分からない。彼は同棲していたマンションから突如として姿を消し、漸く繋がった電話で「別れよう」と一言だけ言ってぷっつりと通話を切ってしまった。
 他人の幸せを嫉むことなんてしたくないけれど、漸く癒えてきていた傷が少しだけ開いてしまった様な気がして、私は憂鬱の底をふらふらと漂いながら帰路に就いたのだった。

「・・・なんだかもう、先が見えないなぁ」

 そんな事を一人で呟きながら帰り道を歩いていると、

「あ、昨日のお姉ちゃん」

 という可愛らしい声が聞こえた。それは聞いたことのある声だった。
 ついと顔を上げて見ると、黄色のレインコートの女の子が昨日と同じ場所にいた。しかし、今日は踊っている様子はなく、膝を抱えて路傍の段の淵に腰を下ろしている。
 そんな彼女の姿を目にした私はなんとなく目元がじんわりと熱くなるのを感じた。相変わらず彼女のいる所は世界が違うかの様に明るく輝いて見えたからだ。

「・・・今日も一人なの?」

 と私が問うても、女の子は何も答えないままジッと私の顔を見つめていた。昨日いつの間にかいなくなっていたので、あの後どうしたのか訊ねようと私が息を吸った時、

「お姉ちゃん、どうしたの?」

 と女の子が訊ねてきた。
 そんな問い掛けに私が首を傾げていると、女の子は静かに立ち上がって私に近寄り、そっと手を握って来た。

「お姉ちゃん、とても悲しそうな顔してる」

 不意に、私の頬を数滴の雫が伝っていった。それはきっと、傘から染み出して来た雨に違いない。微笑んで見せた私はその雫を手で拭って、

「私、雨が嫌いなの。色々なことを思い出しちゃうから」

 と言った。女の子はそんな私の顔を覗き込んだまま「ふーん、そうなんだ」と答えた。
 そして、

「ねぇ、お姉ちゃん。今から一緒に遊ぼうよ」

 と言った。

「・・・今から?」

「そう、今から」

 すると女の子は私の手をぐいぐいと引っ張り始め、そんな彼女に引かれるまま、私は雨の通りを小走りに駆けていくのだった。

 レインコートの女の子に導かれるままに辿り着いたのは近所の小さな公園だった。雨が降っているので、公園の中で遊んでいる人は誰一人としていなかった。

「こういうの、貸し切りって言うんだよね?」

 と目を輝かせて言う女の子の様子に、私はすっかり心を絆されてしまうのだった。

 それから私は靴も靴下も脱ぎ捨てて、屋根付きのベンチに上着を放り投げ、ズボンの裾を膝下まで捲り上げると、ゴム紐で髪を結んで雨の降る公園に飛び出した。

 そぼ降る雨に濡れてしまうが、そんなもの、昨日の車に浴びせられた泥水に比べればどうってことない。濡れた滑り台を二人で滑って、水飛沫を上げながらブランコを漕ぎ、しけた海原を超える船に揺られる気分でシーソーに乗った。それから、

「お姉ちゃんが鬼ね!」

 と言い出した女の子と裸足で泥水の上を駆け回りながら鬼ごっこをした。バシャバシャと浅い水溜りを掻き分けて走り回るのはいつ振りだろう。私はいつしかその楽しさに心をほぐされ、憂鬱な気分のことをすっかり忘れているのだった。優しい雨が、私と女の子の上にしとしとと降り続けていた。

 ようやく足の速い女の子を捕まえ、くたびれた拍子に濡れた地面の上に仰向けに寝転ぶと、薄っすらと暗い空から降り続ける小雨が気持ちの良いシャワーの様に火照った体の熱と息切れを流していった。

「気持ちいい」

 私はいつの間にかそんなことを呟いているのだった。すると、

「お姉ちゃん、大丈夫だよ」

 隣に寝転んで私の腕を枕にしていた女の子が不意にそう言った。

「雨はいつか止むんだもの」

 にっこりと笑ってそう言う女の子の頬には、小さなえくぼが出来ていた。

「それにね、雨は素敵なものを連れて来てくれるんだよ」

 とも彼女は言った。

「・・・お天気のこと?」

 と私が訊ねてみると、女の子は「ないしょ」と言って悪戯っぽく笑っているのだった。

 その時、どこからか午後六時を報せる音楽が流れ始めた。その音楽を聴いた女の子はむくりと体を起こしてレインコートに付いた泥を払うと、私を置いたまま急いで公園の出口の方へと走って行ってしまった。
 その最後に振り返り、

「お姉ちゃんはもう、私のお友達だよ!」

 と言って手を振って見せたかと思うと、彼女はそのまま街角へと姿を消したのだった。

 その後、久しぶりに雨の降らない日が二日程続いた。
 雲が空を覆っているのは変わりないので街はどんよりと暗いままだが、擦れ違う人達はみんな雨に濡れなくて済む、とでも言いたげな顔をして通りを歩いている様に見えた。
 私も以前まではそうだったかもしれない。雨が嫌いで、服が濡れることも嫌だった。しかし、あの黄色いレインコートの女の子に出会ってからというもの、心なしか私は雨を待つようになっていた。
 雨の降らなかったこの二日間、あの女の子はいつもの場所に現れなかった。仕事の帰り道に彼女に会えることを楽しみにしていつもの場所を通りかかっても、彼女は居なかった。

 寂しさを胸の奥に感じつつ、彼女は一体何者なのだろう、とふと思う自分がいた。歳は5歳くらいで賢そうな目をしている。しかしとても無邪気で明るく、一緒にいるだけで心がわくわくとしてくる。よく考えれば、名前も知らないあの女の子はなんて不思議な子なのだろうと今更ながら思った。
 雨の日だけ彼女はあの場所で母親の迎えを待っているのだろうか。まだ一度もあの女の子の母親に会ったことはないが、いつか会ってみたいと思うのと同時に、もし雨がこのまま降らなければ、あの女の子にはもう会えないのではないだろうか、という寂しさも私の胸を締め付けるのだった。

 仕事中、職場のオフィスで誰かが言っているのを聞いた。

「そろそろ、梅雨明けも近いな」

 週末の金曜日。昨日までの曇り空とは打って変わって、その日は朝から土砂降りの一日だった。私はオフィスの窓から時折外の様子を見ながら、なんとなく落ち着かない気持ちでいた。もしかしたら今日、黄色のレインコートの女の子に会えるかもしれない。しかし、こんなにも激しい雨の下にはいて欲しくないという思いもある。

・・・早く仕事を終わらせて帰りたいな

 私は貧乏ゆすりをしながら、パソコンのキーボードをカタカタと打って仕事を進めるのだった。

 定時の午後五時を過ぎると、私は急いで退勤手続きを済ませて会社を後にした。透明の傘を差し、急ぎ足で帰り道を歩く。雨足は相変らず激しいままだが、疲労を抱えた人達の背中など気にも留めず、私はいつしか駆け足になってあの女の子がいるかもしれない場所へと向かった。

 息を切らしながら街角を過ぎ、保育園が傍に佇む小さな交差点を左に折れると、そこに黄色のレインコートを纏ったあの小さな女の子が一人で立っていた。私は彼女に会えた嬉しさに思わず笑顔を零しそうになったが、「あ・・・」と言って口を開けたまま立ち尽くしてしまった。

 レインコートの女の子は、目元を両手で拭いながら泣いていたのだ。道も霞む程の土砂降りの中で、彼女はとても悲しそうな声を上げて泣いていた。
 私は静かに女の子の元へ向かい、そっと傘の中に入れてあげた。

「・・・どうしたの?」

 そう訊ねると、私に気付いて顔を見上げた女の子が、

「・・・喧嘩しちゃった」

 と言った。

「誰と?」

「・・・友達の、勇樹くんと」

 そう答えた女の子は、雨と涙にびっしょりと濡れて小さく体を震わせていた。私はバッグの中からタオルを取り出して、女の子の濡れた顔と髪の毛を優しく拭いた。女の子はぐすりと鼻を啜りながら、

「お姉ちゃん・・・悲しい」

 と言った。私は小さく微笑んで見せ、

「大丈夫、いつか雨は止むんでしょ?」

 と言って彼女の頭を撫でた。すると女の子はゆっくりと私に抱き寄って来て、私の胸の中でまた俄かに泣き始めるのだった。
 私は彼女の小さな体をそっと両腕で包んで、優しくその背中を擦った。ばちばちと激しい雨が傘を打つ音をどれほどの間耳にしていただろう。それは1分だったかもしれないし、あるいは1時間だったかもしれない。気付けば土砂降りだった雨足は、しとしとと弱いものになっていた。

 しばらくすると、保育園の植物が生い茂った柵の向こう側から一人の男の子が駆け寄って来た。年頃はレインコートの女の子と同じくらいだろうか。その男の子は口を「へ」の字に結んで、何か言いたげであった。男の子の気配に気付いた女の子はハッと顔を上げると、私からゆっくりと離れて彼の顔を見た。しばらく黙り込んだままジッとお互いの目を見据え合う二人の上に、私は傘をさして静かにその様子を見守っていた。

「あの・・・その・・・」

 もじもじと何か言いたげな男の子は、その先の言葉をなかなか口に出せずにいる。すると、

「勇樹くんは、私のこと嫌いなの?」

 と女の子が先に訊ねた。そんな彼女の問い掛けに、少しだけ身を固めた勇樹くんはぶるぶると首を横に振った。

「・・・嫌いじゃないよ」

「じゃあ、どうして皆の前で私に意地悪な事をするの?」

「それは・・・」

 再び黙り込んでしまった勇樹くんはしばらく下を俯いていた。
 しかし雨に濡れた握り拳をぎゅっと握り直すと、彼はゆっくりと深い息を吸った。

「ごめん・・・俺、本当はもっと、仲良くしたくて・・・」

 静かにそう語った勇樹くんに深い溜息を零した女の子は、彼に近付いてその顔を覗き込んだ。

「じゃあ、痛いから背中を叩いたりしないで。私は優しい勇樹君が好き」

 そんな女の子の言葉を聞いた勇樹くんは、いつしか眉の下がった顔になって、

「・・・ごめん、もう酷いことしない」

 と答えるのだった。
 それから仲直りした二人は小降りになった雨の中、仲良く手を繋いで保育園の敷地の中へと入って行った。去り際に私に小さく手を振った女の子の頬は、心なしかほんのりと赤くなっていた様に思う。
 小さな笑みと共に手を振り返して彼女を見送った私は、傘を降ろして空中に掌を返してみた。線の様に細くなった雨足の向こう側の空に、少しだけ夕暮れの陽光が差し込み始めていた。

 その二日後の日曜日。朝の報道で長い梅雨がついに明けたことを知った。
 久しぶりにカラっと晴れ上がった空は既に夏模様で、その青に深呼吸した私は久しぶりに洗濯した布団を外に干した。雲一つない夏空の下で、蝉の声がそこら中から聞こえ始めている。

「昼から出掛けようかな」

 と独り言を零した後、部屋の掃除を済ませて乾いた布団を取り込んだ私は、身支度を済ますと早速街へと出掛けたのだった。

 商店街に入って少しだけ買い物をした後、私はあのレインコートの女の子と出会った路地へと足を向けてみた。雨の降っていない路地は陽が差してすっかり乾いていたので、いつもの見慣れた場所とは少しだけ違って見えた。そしてそこにはもう、あの女の子はいない。

 寂しさを隠す様に小さく微笑みを零した私は、自宅に帰ろうと踵を返して家路へと戻った。と、その時、


「あ、お姉ちゃんだ!」

 という声が聞こえた。聞き覚えのある声に、私はハッとして振り返った。
 そこには、若い男性と手を繋いだあのレインコートの女の子が溢れんばかりの笑顔で立っていた。男性の手を離した女の子は勢いよくこちらに駆け寄って来ると、彼女の背丈に合わせて身を屈めた私の胸に思い切り抱き付いて来た。思わず抱き上げた女の子はとても軽く、もはや黄色いレインコートは身に纏ってはいなかった。

「会いたかったぁ」

 そう零した女の子の言葉に、私は少しだけ目頭が熱くなっていた。
 ゆっくりと女の子を下に降ろすと、彼女と手を繋いでいた若い男性が静かに私の方へ近付いて来た。

「あなたが、雫(しずく)の言う『お姉ちゃん』だったんですね」

 とその男性は微笑みながら言った。父親にしては随分と若く見えた彼の様子に私は首を傾げて、

「・・・あなたは?」

 と訊ねた。すると、

「雫の兄です」

 と男性は答えたのだった。

 それから私達は近くの公園へと向かった。夏の陽光が降り注ぐ公園では沢山の親子が一緒に遊んでいて、誰一人として居なかったあの雨の日の様子など想像もできないくらいだ。
 雫ちゃんは公園の遊具で他の子供達と一緒に遊び、私と雫ちゃんのお兄さんは木陰のベンチに腰を下ろして、そんな子供達の様子を遠目に見ていた。

「僕らは再婚した両親の間の異父兄妹で、雫は17ほど歳の離れた僕の妹なんです。ですが3年前に両親を事故で亡くしまして・・・その後は、兄の僕が雫の保護者をしているんです」

 静かにそう語るお兄さんの話を聞きながら、私は言葉を失っていた。明るく無邪気なあの女の子が、心の中でどれ程のものを抱えているのか見当も付かない。
 お兄さんは雫ちゃんを遠く見守りながら、優しい笑みを浮かべていた。

「雫はここ一週間、いつもあなたの話を聞かせてくれました」

「そ、そうなんですか?」

「はい、とても楽しそうに」

 もしかして雫ちゃんはあの雨の日に公園で遊んだこともお兄さんに話したのではなかろうか、と考えると、私は少しだけ顔が熱くなるのを感じた。

「雫は雨が好きなんです。雨の日は保育園の敷地外に出てまで、仕事終わりに迎えに来る僕を待っているんです。風邪を引かないかいつも心配になるくらいですよ」

 苦笑しながらそう語るお兄さんに、私は「あぁ、それで」と思わず呟いていた。すると、しずくちゃんのお兄さんがくすくすと静かに笑い始めた。
 何だか気恥ずかしくなった私は苦笑いを浮かべつつ「何ですか?」と彼に訊ねてみた。お兄さんは込み上げてくる笑いを堪える様に「驚きましたよ」と言った。

「まさか雫の新しいお友達が、大人の女性だったなんて」

 それには私も納得だ。実際、いつしか雫ちゃんの無邪気さと明るさに心惹かれて、彼女に会いたくて仕方がない時もあった。この一週間を思い返しながら、私は自分自身の予測も付かない行動をとても不思議に感じていた。

「それに、雨に濡れながらあんなに楽しそうに遊ぶ大人を初めて見ましたよ」

 ともお兄さんは言った。そんな彼の言葉に私は一気に全身が熱くなるのを感じた。

「・・・も、もしかして、見ていたんですか?」

 そう訊ねる私の慌てふためいた顔をちらりと見たお兄さんは、

「はい、雫を迎えに行く時にたまたま」

 と答えた。私はすっかり火照ってしまった顔を両手で覆い、

「恥ずかしい・・・」

 と呟いていた。しかし、

「でも安心しました。話に聞いていた雫のお友達が、あなたの様な方で」

 隣に座るお兄さんが、静かにそう言うのが聞こえた。ゆっくりと両手を外してそんな彼の顔を見てみると、お兄さんはとても優しい笑みを浮かべていた。

「・・・僕は、とても素敵だなぁと思いましたよ」

 心の奥底で、とくんと何かが揺れ動いた。
 次の言葉を探し切れないままに雫ちゃんのお兄さんと見つめ合っていると、ぱたぱたとした足音がこちらに駆け寄って来て、ぴたりと止まるのが聞こえた。お兄さんから視線を外して立ち止まった足音の方を見やると、そこには満面の笑みを浮かべた雫ちゃんが立っていた。

「お兄ちゃんとお姉ちゃん、二人共とってもお似合いだね」

 それだけ言い残した彼女は、またぱたぱたと子供達が遊ぶ遊具の方へ走り去って行くのだった。しんとした沈黙がしばらく私達の間に流れた後、ちらりと隣のお兄さんの顔を見てみると、こころなしかその頬が赤くなっていた様な気がする。

・・・本当だね、雫ちゃん
・・・雨はいつか降り止んで、素敵なものを連れて来てくれるんだね


〈 終わり 〉

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