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公演を打つのなんて簡単だ。 だからこそ、未来がない

小劇場が嫌いだ、ものすごく反吐が出るほど気持ち悪いと思う瞬間がある。

よく聞かれる。
『なぜあなたはそこまで意見を持ってるのに、どうして自分で小さい規模とかでも公演をやらないの?』と。

理由?明白にあるよ。
私には私のすべての責任でお客様に足を運んでいただき、きちんと完結させるだけの資金力と知名度がないからだ。
作品を中途半端であってもある程度形にして発表するのはもちろん大事だし、一理ある。だけど私はそれを演劇でやりたくない。
私にとって演劇は、芸術性と興行としての成功と両方揃えたいものであって、今現在の私の力量ではそれを表現できるだけの人を雇えないし、キャストを妥協してまでやりたいものではないし、一分の妥協もしたくない。それで例え興行的に失敗してもその赤をきちんと賄えるぐらいの資本金がないものはやりたくない、それだけである。時間も手間もかかる赤にしかならない芸術なんだから妥協できるか。理想だよ理想。そんなのなら、やらない方がはるかにマシ。

演劇は圧倒的に参入障壁が低い。
頭金50万もあれば公演は打てる。

手前味噌で恐縮だが、過去にこういう記事を書いた。
どれぐらいかかるのか、というところだけれどキャパ100程度の劇場で1週間借りての公演規模だと200万というのが妥当だと思う。この記事だと結構抑えめに書いている。
抑えめに書いてるけど「この劇団でも比較的金ある方だよね」という指摘もあったので、ほんとどんな作り方してるんだ。
あ、ちなみに頭金50万と言ったのは、どうあがいても公演終了後でないと売り上げは確定しないので、準備期間にかかるランニングコストさえ確保できれば公演は実は打ててしまうということ。頭金いらない劇場だったら、極論、稽古場代さえなんとかなれば本当にその程度でなんとかなるのだ。

参入障壁が低い、ということはもちろん良いことでもあって、何か表現を形にしたいという人間にとってはお金を出せば自分の表現を具現化して提示できるということである。美大時代に「個展するなら最低ラインで10万はかかる」と話題になっていたけれど、大学生の10万円はかなり大きな金額であるとはいえ、「たった10万円で自分の作品を見てもらえるチャンスをも作り出せる」というのは大きい。もちろん、予算はかけようと思えばいくらでもかかるので、何を展示するかとかにもよるのだけれど。

ただ小劇場の公演はその参入障壁の低さから、なんでその表現を演劇でやる必要あるの?って正直思うことがある。
自分の作品を発表したい、であったり、趣味として草野球ならぬ「草演劇」のように参加者全員で持ち出しあって協力し合うのはわかる。そういう「趣味として」の裾野の広さこそが文化を長く支えていけるものだから。

でも、参入障壁低いから入って、金も手間もかけずにでも有名になって一発当てて儲けたい、ってのは話が違うよね。

自分の作品発表したい、あ、でも手が足りないや。
自分の劇団は一人でも立ち上げられるけどパシ・・手伝ってくれるメンバーがいないや、劇団員募集!
1人じゃ上演できないな、キャスト募集!
スタッフ入れないといけないよな、もろもろ劇団員にやらせつつとりあえずスタッフ募集!え?劇団員だから給料いるの?団体のメンバーなんだから手伝って当然じゃん。
集客?それって出演者がすることでしょ?キャスト募集して採用したんだから、その人たちが集客してくれるよね!
売り上げ?キャストが集客するからそこからだせるじゃん!てかノルマあるから一定金額は保証されるよね!
作品は自分で作るし演出は他のところで他の人だってやれてるんだから自分も同じようにすればいいよね。

これぐらいの感覚でもホイホイ立ち上げられるのである。そんなことないって言える?だって、「手伝って」「協力して」ってやたら言われるんですよ?仕事でやってる人間に対して「お金がかかるんですか」、二言目には「割り引いて」、「(タダで)協力してくれる人募集中」マインドじゃないって、言えるの?自分にとって都合のいい人を「仕事のようなフリ」をして集めてるだけじゃないの?残念だけど、それ、続かないよ。

演劇という文化や表現方法は好きだ。
けれどこういう、依存・誰かにたかろうとして成り立たせようとという考え方は大嫌い。

集客を、作品の質を、誰かに依存するのは違う。
特に集客なんか、はなから「劇団」「団体」としての集客ができないから客演に99%依存していて団体としては効果が出るようなことをやっていない、効果が出るまで続けようもしていないところもすごく多い。商業のプロデュース公演だったらもちろん集客力や知名度のあるキャストを配役しているけど、それは必要経費として計上している上でのキャスティング。しかも広告も打ってるし。そもそも、金をかけずに集めたキャストだけに依存して儲けようなんて、海老でどころかミジンコで鯛を釣ろうとするようなものよ。それに、集まるキャストのレベルは作品の質や団体の体力に比例する。いきなり100%の公演なんかできない、なにかしら、積み上げていかないといけないのだ。

本来あるべき姿は、依存ではなく共栄だ。
同じモチベーションや目標を共有して、それが演劇であれ他の形であれ、互いに切磋琢磨して作品を作っていく姿。

趣味でやりたいんだか、自分の腕で下克上起こして名を上げたいんだか、いろんな人がごたまぜの玉石混交だから、もっと白黒はっきりしたら勝手にこんなにイライラすることもなく平和なのかもしれないけど、ごたまぜの良さもないわけじゃないから難しいところ。

理想の企画が打てるよう、がんばりますか。


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