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「日本のような、中国のような、ベトナムのような…不思議な街ホイアン」青年海外協力隊になる前、2か月間1人旅した話⑬

前回↓(アニメ好きのオーグストと一緒にフエを観光。オーグストはダナンへ、私はホイアンへ行く)

バスがホイアンに着いたのは、日が傾き始めたころだった。

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地図アプリを起動させて、予約していたユースホステルへと歩く。


ユースホステルの住所と地図アプリが指す場所が微妙に違っていて、なかなかたどり着かない。近所で小さな商店を営むお母さんたちに場所を聞きまくった結果、やっとユースホステルを見つけられた。


チェックインを済ませ、自分のベッドの近くにバックパックをおろす。一気に体が解放されたように感じる。


時刻はもうすぐ夕方の6時になろうとしていた。

いつもは1人で外を出歩くのはやめておく時間帯だけれど、今日は出かけることにする。ホイアン旧市街は夜に散策したほうが魅力的だからだ。


ホイアン旧市街はトゥボン川の河口に位置する古い港町だ。

そして、ランタンの町でもある。夜になると、店先にずらっと並んだランタンに明かりがともされ、トゥボン川では灯篭流しが行われる。


ホイアンは16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航して国際的な貿易港として栄えた。

当時、街には日本人街や中国人街ができるほどの繁栄っぷりだったのだけれど、日本では江戸幕府が鎖国を行ったことや、ホイアンにあったオランダの商館が閉鎖されたことなどにより次第に衰退していった。(日本が鎖国を行ったことは、遠く離れたベトナムのホイアンにまで影響を及ぼしていたとは驚きだ)

幸いなことにベトナム戦争のときに町並みが破壊されなかったので、当時の状態が残っている。



ユースホステルから歩いて10分くらいで旧市街に着いた。

観光客用にランタンを売っているお店が、ちょうどランタンに明かりをともし始めているところだった。

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旧市街に立ち並ぶ商館や商人の家は、どこか日本風なのだけれど何か違う、見方によっては中国のような、いやベトナムのような、やっぱり日本のような・・・

町を歩いていると、懐かしいような、懐かしくないような、不思議な気持ちになる。


旧市街の中に、「日本橋」という名前の橋がかかっている。日本が鎖国を始める前に日本人がここに作ったのだそうだ。

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辺りはすっかり暗くなっていた。

トゥボン川にはぽつぽつと灯篭が流れ、両岸に立ち並ぶ屋台や出店、ランタンの明かりが川面にうつってユラユラ揺れている。

この景色はずっと見ていられそうだ。

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旧市街を散策したり、景色をぼーっと眺めていたら1時間半くらい経っていた。

・・・そろそろお腹が空いてきた。

夜ご飯を探しに行くことにする。


観光客向けのレストランは高いし、1人でオシャレなレストランに入る勇気はないので、旧市街の中にある「ホイアン市場」で夜ご飯を探すことにした。

そこそこお客さんが入っている、人気そうなお店を見つけたので、そこでホイアン名物「カオラオ」を食べた。

カオラオは油そばみたいな料理で、太麺にカイワレなどの野菜、チャーシューなどがトッピングされ、甘辛いソースが絡めてある。

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これは30.000ドン(約143円)だった。このお値段でお腹いっぱいになれるし、日本人ウケしそうな味だったのもあって結構気に入った。(ちなみに次の日の夜もこの市場内にある別の店でカオラオを食べた・・・。)


お腹いっぱいになったあとは、ホイアン旧市街の新名物「ロータスジュース」を買い、飲みながらユースホテルへ帰った。

ロータスは「蓮」の意味で、文字通り蓮の実を使ったジュースだ。

蓮のジュースなんて初めて飲んだから新感覚の味だったのだけれど、サッパリとしていてとても美味しかった。

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おまけ

ユースホステルに帰りつき、「さあ寝るか」と思いベッドに入ってゴロゴロしていたら、同じドミトリーの酔っぱらった旅行者から

「イエーーーイ!これからパーティーするけど君もどう!?とりあえず口開けろ!お酒流し込んでやるぜ!!」

と言われお酒をかけられた。笑

その日は疲れていたのでパーティーには参加せず寝た・・・。

おやすみなさい・・・。



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