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目を開けて振り返ると、辺りはやけに暗くなっていた。 おかしいな、日が落ちるにはまだ早いはずなのだけど。 たまの休日、雲ひとつない青空とたっぷりの陽光があまりに気持ち良さそうで、ふらりと散歩に出かけたのがランチタイムの少し後のことだった。昼近くまで眠るか、でなければ仕事でない別の用事のためにあくせく動き回る――そんな休日が多かったものだから、散歩に出たのもずいぶん久しぶりのこと。小春日和の暖かさに誘われるがまま足取りも軽く、特に行き先も決めずに気ままに歩いていた。 幹
colorful 目の前にあるものにも はるか遠くにあるものにも いつも見慣れたものにも ちょっとばかりめずらしいものにも それぞれの色があるのだから はじめからつまらないものと決めつけるのは どうにもつまらない。 すこし角度をかえて あたりを見回せば 日常はもっとカラフル。 ◇ ルルル 光のあふれる この道は どこまでも長く 続いて そう これが希望なのだと 歩み続けるの ときどきは不安もあるけど 道のさなか ときには 誰かとの別れも あって 軽く手を振ったら ま
ぼくは目玉焼きが好きでね、特に白い部分が。昨日も一昨日も食べた。 今日はきみのを食べたい。
「おおきくなったら、けっこんしよう」 小さい頃の、子供同士の、他愛もない口約束。 指輪とは名ばかりの、プラスチックのただの輪っか。 けれど私は、それが永遠のものであるといつまでも信じていた。 それから時の過ぎること十余年。無事に結婚可能な年齢に達した私は、傍で同じだけ年齢を重ねたアキラ兄ちゃんに向かって言った。 「大きくなったし、結婚しようよ」 「ハァ? いきなり何言いだすんだ、ユカリ」 まさか覚えていないのか、あきれ顔で言い放つアキラ兄ちゃん。 アキラ兄ちゃん
雨が降っていた。いつ止むともしれない雨だった。 (今日は、お客さん来ないかも) 山際の小道沿いにガラス作品のギャラリー兼販売店を構える優愛は、テーブルで頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。 元々人通りの少ない場所、といっても晴れていれば近所の住人が通りがかったり、散歩がてらお店を覗いてくれたりする人もいる。それが今日はまだ誰とも会っていない。しとしとと降り続く雨の音だけが耳についた。普段は度が過ぎるほど賑やかな虫たちも、すっかり息をひそめている。 テーブルの端には新作
昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいたと思われる痕跡が残されていました。 おじいさんは病に倒れ待つのは死ばかりに、おばあさんは嘆きのあまり川で入水したというのが近所でまことしやかにささやかれていたうわさです。おじいさんの親戚から『連絡が取れない』との通報を受けた警察が家の中に立ち入ってみると、現実はうわさとはまるで合致しないではありませんか。現場に緊張が走りました。 残念なことに、おじいさんが亡くなっているのは事実でした。家の中に遺体がそのまま放置さ
#ショートショート #ファンタジー ある日のこと、男子高校生の域成逢斗は凍ったバナナに頭をぶつけて意識を失い夢とも現実ともわからない中で異世界の神に導かれレベル最大かつ強力スキルを持った状態で現代日本とは違う世界に勇者として転生し、神的な力によって個人的な都合や展開を色々すっ飛ばした状態で魔王の居城の玉座の部屋の一歩手前の扉の前で今まさにラスボスと対峙しようとしていた。 「たのもう!!」 逢斗が物々しい扉を力まかせにはね開けると、玉座に腰かけた魔王と視線がぶつかった。魔
読んでいた新聞を傍らのマガジンラックに収めると、エム氏は残りのコーヒーを飲みほした。今朝の朝食は五枚切り食パンのエッグトーストとサラダ、そして一日のはじまりにいつも欠かさないコーヒーだ。ダイニングにはまだコーヒーの良い香りが残っている。 「ありがとう」 「いいえ」 食事を用意してくれたのは妻のアイ氏だ。朝の忙しい時間にもかかわらず、アイ氏は笑顔で応じてくれた。 食事だけでない。エム氏の仕事が忙しい時などは家事のほとんどが妻に任せきりになってしまう。感謝してもしきれない、
夜が佇んでいた。静けさをも連れて、傍らでただじっとしていた。 もともとほとんど音のしない部屋だ。明かりも乏しい。けれども窓の外のほど近い場所に確かにあったはずの誰かの気配は、おもむろに冷えてゆく宵闇の空気に熱を奪われたかのようにひっそりと失せていた。静寂ばかりが際立ち、人ひとり分の息遣いと、時折聞こえる冷蔵庫の低い唸りが妙に耳についた。 一台のバイクが、ほんのわずかな瞬間だけ静けさをかき乱して、此処ではない何処かへ消えていった。そのバイクのそばにはたぶん、賑やかな性質の
昼下がり。すっかり馴染みとなったいつもの喫茶店で、今日も心ゆくまで寛ぐことにしよう、などと思いながら入口の戸を引いた。すぐ傍のカウンターに店主の姿がないのは二階に上がっているからだろう。客の姿はさほど多くなく、といっても決して広くはない空間だ。片手の指ほども人がいれば十分に繁盛しているように見える。 適当に本棚の本を手に取って、パラパラとめくってみる。開店日がまばらなブックカフェながら、棚に収まっている本はいつも微妙に異なっていて面白い。同じ空間ながら毎回違った出会いがあ
海ぎわの道路へと車を走らせていた。時刻は午後九時、辺りはうすぼんやりとした夜の闇と、季節の移ろいとともに冷たさを増してきた空気とに包まれていた。 向かっているのは、ひと月ほど前に訪れたあの喫茶店だ。個人経営の小さな喫茶店は営業日がまばらで、営業時間もそれほど長くなく、どうしても足を運ぶ機会を逃してしまうことがある。ちょうど、今この時のように。 (可笑しなものだ――なんとも) 今日は営業日には違いなかった。しかし店は日が落ちるころには閉まってしまう。仕事の都合でちょっと外
海を眺めながら、原稿を書いている。 梅雨明けの青空が広がる今日の海は穏やかに空の色を映し、波は砂でなく砂利や小石の多い海岸に静かに打ち寄せている。 窓際の文机に腰かけてみるのは、実は今日が初めてだ。時代とともに仕事道具が変わっても、昔ながらの道具、所作、あるいは過去の偉人の姿に憧れを抱くのは曲がりなりにも文士を名乗っているからだろうか。形を真似るだけで名のひとつも上がった気になれるのだから不思議なものだ。 「どうぞ」 やがて女主人が淹れたての珈琲を持ってきてくれる。一
今日も夜が来た。静かでよどみなく、しんとした空気が体をすり抜けていく。冷ややかな風にゆらゆらとそよぎながら、そのまま体を横たえてしまいたい。そんな夜。 すぐそばの草叢から小さく虫の声がする。明るいうちに鳴いているのはあまり聞かない……否、日に当てられていささか賑やかになりすぎる日常のざわめきの中に、溶けて消えているだけかもしれないけれど。 一人でいる。話す相手はいない。電話の相手くらいは、探せばいないではない。といえ、こんな時間に呼び出すのは迷惑だろう。寝静まるというに
涼やかな風が吹き抜け、陽射しが円みをおび、彼岸花の花弁がしおれはじめて、季節はもうすっかり秋になりました。 わたしは今、本を読んでいます。ひとりでのスポーツは張り合いがないですし、食欲もそれほど……普段と同じくらいにしか、ありません。ゆったりと心を落ち着けるように読書にふけるのが、いちばん合っているように思います。 音のない空間で物語を読み進めていると、本の中に入り込んで、余計なことを考えず、日常や現実というものを忘れられるように思いませんか。暑すぎても寒すぎても気が散