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短編小説集

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自作の短編小説を集めてあるよ。ジャンルフリー。
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記事一覧

ガラスのハート

 雨が降っていた。いつ止むともしれない雨だった。 (今日は、お客さん来ないかも)  山際の小道沿いにガラス作品のギャラリー兼販売店を構える優愛は、テーブルで頬杖をつきながら窓の外を眺めていた。  元々人通りの少ない場所、といっても晴れていれば近所の住人が通りがかったり、散歩がてらお店を覗いてくれたりする人もいる。それが今日はまだ誰とも会っていない。しとしとと降り続く雨の音だけが耳についた。普段は度が過ぎるほど賑やかな虫たちも、すっかり息をひそめている。  テーブルの端には新作

妄想の桃

 昔むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいたと思われる痕跡が残されていました。  おじいさんは病に倒れ待つのは死ばかりに、おばあさんは嘆きのあまり川で入水したというのが近所でまことしやかにささやかれていたうわさです。おじいさんの親戚から『連絡が取れない』との通報を受けた警察が家の中に立ち入ってみると、現実はうわさとはまるで合致しないではありませんか。現場に緊張が走りました。  残念なことに、おじいさんが亡くなっているのは事実でした。家の中に遺体がそのまま放置さ

ハイスピード・イセカイ

 ある日のこと、男子高校生の域成逢斗は凍ったバナナに頭をぶつけて意識を失い夢とも現実ともわからない中で異世界の神に導かれレベル最大かつ強力スキルを持った状態で現代日本とは違う世界に勇者として転生し、神的な力によって個人的な都合や展開を色々すっ飛ばした状態で魔王の居城の玉座の部屋の一歩手前の扉の前で今まさにラスボスと対峙しようとしていた。 「たのもう!!」  逢斗が物々しい扉を力まかせにはね開けると、玉座に腰かけた魔王と視線がぶつかった。魔王は深い闇色の衣を身にまとい、人と異な

絶対平和社会

 読んでいた新聞を傍らのマガジンラックに収めると、エム氏は残りのコーヒーを飲みほした。今朝の朝食は五枚切り食パンのエッグトーストとサラダ、そして一日のはじまりにいつも欠かさないコーヒーだ。ダイニングにはまだコーヒーの良い香りが残っている。 「ありがとう」 「いいえ」  食事を用意してくれたのは妻のアイ氏だ。朝の忙しい時間にもかかわらず、アイ氏は笑顔で応じてくれた。  食事だけでない。エム氏の仕事が忙しい時などは家事のほとんどが妻に任せきりになってしまう。感謝してもしきれない、

good night

 夜が佇んでいた。静けさをも連れて、傍らでただじっとしていた。  もともとほとんど音のしない部屋だ。明かりも乏しい。けれども窓の外のほど近い場所に確かにあったはずの誰かの気配は、おもむろに冷えてゆく宵闇の空気に熱を奪われたかのようにひっそりと失せていた。静寂ばかりが際立ち、人ひとり分の息遣いと、時折聞こえる冷蔵庫の低い唸りが妙に耳についた。  一台のバイクが、ほんのわずかな瞬間だけ静けさをかき乱して、此処ではない何処かへ消えていった。そのバイクのそばにはたぶん、賑やかな性質の

夢現交差点(3)

 昼下がり。すっかり馴染みとなったいつもの喫茶店で、今日も心ゆくまで寛ぐことにしよう、などと思いながら入口の戸を引いた。すぐ傍のカウンターに店主の姿がないのは二階に上がっているからだろう。客の姿はさほど多くなく、といっても決して広くはない空間だ。片手の指ほども人がいれば十分に繁盛しているように見える。  適当に本棚の本を手に取って、パラパラとめくってみる。開店日がまばらなブックカフェながら、棚に収まっている本はいつも微妙に異なっていて面白い。同じ空間ながら毎回違った出会いがあ

夢現交差点(2)

 海ぎわの道路へと車を走らせていた。時刻は午後九時、辺りはうすぼんやりとした夜の闇と、季節の移ろいとともに冷たさを増してきた空気とに包まれていた。  向かっているのは、ひと月ほど前に訪れたあの喫茶店だ。個人経営の小さな喫茶店は営業日がまばらで、営業時間もそれほど長くなく、どうしても足を運ぶ機会を逃してしまうことがある。ちょうど、今この時のように。 (可笑しなものだ――なんとも)  今日は営業日には違いなかった。しかし店は日が落ちるころには閉まってしまう。仕事の都合でちょっと外

夢現交差点

 海を眺めながら、原稿を書いている。  梅雨明けの青空が広がる今日の海は穏やかに空の色を映し、波は砂でなく砂利や小石の多い海岸に静かに打ち寄せている。  窓際の文机に腰かけてみるのは、実は今日が初めてだ。時代とともに仕事道具が変わっても、昔ながらの道具、所作、あるいは過去の偉人の姿に憧れを抱くのは曲がりなりにも文士を名乗っているからだろうか。形を真似るだけで名のひとつも上がった気になれるのだから不思議なものだ。 「どうぞ」  やがて女主人が淹れたての珈琲を持ってきてくれる。一

寂寥

 今日も夜が来た。静かでよどみなく、しんとした空気が体をすり抜けていく。冷ややかな風にゆらゆらとそよぎながら、そのまま体を横たえてしまいたい。そんな夜。  すぐそばの草叢から小さく虫の声がする。明るいうちに鳴いているのはあまり聞かない……否、日に当てられていささか賑やかになりすぎる日常のざわめきの中に、溶けて消えているだけかもしれないけれど。  一人でいる。話す相手はいない。電話の相手くらいは、探せばいないではない。といえ、こんな時間に呼び出すのは迷惑だろう。寝静まるというに

憧憬

 涼やかな風が吹き抜け、陽射しが円みをおび、彼岸花の花弁がしおれはじめて、季節はもうすっかり秋になりました。  わたしは今、本を読んでいます。ひとりでのスポーツは張り合いがないですし、食欲もそれほど……普段と同じくらいにしか、ありません。ゆったりと心を落ち着けるように読書にふけるのが、いちばん合っているように思います。  音のない空間で物語を読み進めていると、本の中に入り込んで、余計なことを考えず、日常や現実というものを忘れられるように思いませんか。暑すぎても寒すぎても気が散

すばらしき文明

 先生、記憶を消したいのですが――。  開業医の私のもとに、そのような『患者』が訪れるようになって、もう数年が経つ。 「はい。いつ頃のですか」 「六年前の、九月九日です。時刻は夜八時十九分七秒です」  私は患者から差し出されたタブレット端末を指で操作し、速やかに目的の『呟き』、SNSへ投稿された、短い文章を見つける。ちらと日付時刻を確認すると、然るべき手順に則ってその『呟き』を削除した。サーバーまでアクセスすることはできないから、『患者』のアカウントから該当する投稿を削除した

さがしもの

 まだ小学生の僕が『自分探しの旅をしている』なんて言ったら、びっくりされるかもしれない。どこに在るかもわからない、僕自身とはまた別の『自分』。けれどどうしてもそれを探し当てたくて、小学生最後の夏休みを使って電車で色んなところを旅した。都合、日帰りばかりだけど。  もうちょっと、具体的な手掛かり……みたいなものがあればいいけど、そんなものもなく。色々と新しい発見があったり、ときにはちょっぴりムカシの自分を思い出したりもして楽しい反面、なかなか見つからない『自分』に、気落ちするこ

カミのみぞ知る

 生きていたってつまらない。世の中なんてくだらない。君はそうは思わないかい?  少なくとも、私にとっては現実なんてその程度のもんだ。個性がどうの多様性がどうのと言ってみたところで、ヒトは自分が気に入らないものは排斥するし理解できないものには攻撃する。それでいて利用できそうなものはどこまでも利用する。ほら、考えるだけでおぞましい。  どいつもこいつもそうだった。私がちょっと引っ込み思案で大人しいと、臆病で話すのも苦手と知ったとたん、損な役回りばっかり押し付けてきやがって。学校

自由研究

 夏休みも折り返し地点を過ぎた八月の中旬、小学五年生の光太くんは夜空を見上げながら困り果てていました。 「自由研究のテーマを星とか星座にしようと思ったのに、あんまり見えないや」  自由研究。多くの小学生の頭を悩ませる、定番の『夏休みの宿題』です。光太くんも今日まで遊ぶ方に夢中になっていて、この手ごわい宿題に今の今まで手を付けていませんでした。  そうだ夜空ならいつでもどこでも観察できるぞ、と庭に出てみたはいいのですが、なんだか星の数が少ないように思いました。光も弱弱しく、今に