夢現交差点

 海を眺めながら、原稿を書いている。
 梅雨明けの青空が広がる今日の海は穏やかに空の色を映し、波は砂でなく砂利や小石の多い海岸に静かに打ち寄せている。
 窓際の文机に腰かけてみるのは、実は今日が初めてだ。時代とともに仕事道具が変わっても、昔ながらの道具、所作、あるいは過去の偉人の姿に憧れを抱くのは曲がりなりにも文士を名乗っているからだろうか。形を真似るだけで名のひとつも上がった気になれるのだから不思議なものだ。
「どうぞ」
 やがて女主人が淹れたての珈琲を持ってきてくれる。一言礼を述べてカップを受け取り、そのままひと口いただく。得も言われぬ香りとほのかな酸味が広がる。
 とある喫茶店の二階、二間の和室をほぼそのまま利用した小さな喫茶スペースで、私は窓際の文机に腰かけ、愛用のラップトップに向かっている。時おり、窓の外に広がる海を眺めながら。
 一応は喫茶店と呼びつつも、ここは街に多くある瀟洒で小奇麗な建物とは少々趣が異なる。というのも、最初から喫茶店として建てられたものでないからだ。住む人がいなくなり、朽ちるのを待つばかりになっていた、築数十年の、ボロボロの民家。それを、自分たちの手で修繕し、改装して喫茶店にしたのがこの店ということらしい。
 おそらく一般的にイメージされる『古民家』ほど立派でもなく、さして広いでもない普通の住宅だが、その素朴さがかえって気持ちを落ち着かせ、心の安らぎをくれた。しばらく前に興味本位で訪れて以来、たびたびこの場所で羽を伸ばしている。
(おや)
 真っ白なテキストエディタと青い海を交互に眺めながら、ふと視線を外して部屋の隅を見やる。と、調度のひとつである木製の長椅子に、小さな女の子が座っている。年の頃はだいたい四つか五つほどと思われ、おかっぱ頭に紫紺の着物を着ている。
 昨今それなりに珍しい日中の着物姿――といっても、先の女主人は趣味で着付けもされているそうだから、何処かでしてもらったのかもしれない。いやむしろ、それより。
 この子はいつの間に二階に上がってきたのだろう。二間を仕切る襖を取り払っているため、合わせて十四畳の和室は一人でいる分には広い。それでも人が来ればすぐに分かるくらいの広さだし、廊下と和室を隔てるのは引き戸ひとつだ。
 文机に座って窓の方へ体を向けていると、その引き戸には背中が向いていることになる。原稿に気を取られているうちに上がってきたのだろう、多分。
 女の子は部屋の中をとてとて歩いたり、床の間に置かれた手許箪笥を開け閉めしたりと、気ままに遊んでいる。他に客もおらず特に邪険にするものでもないから、モニタと海のついでにちらちらと様子を眺めながら、作業を続けることにしる。キーボードのタイプ音は、もう一時間ほど鳴ってないのだが。
 珈琲をちびちび啜ったり、時おり目を閉じたりなどしていると、いつの間にか女の子が文机のすぐ横にまで寄ってきている。座卓よりも高さのある文机は、この子の身長とだいたい同じくらいだ。女の子は背伸びをして、机上の何かを見つめているらしかった。
 子供の興味を引くようなものが、何かあったろうか。机に乗っているものといえば、ラップトップと珈琲のカップ、それに――透明の小さな袋に入った琥珀糖が二粒。ちょっとしたサービスでと、そういえば珈琲とともに置いてくれていた。
「どうぞ」
 琥珀糖入りの袋を女の子に渡してみると、その子はずいぶんと驚いたような顔をする。しかしほんの一瞬の後には破顔して、お気に入りらしい長椅子で琥珀糖を頬張りはじめる。見ている方まで心豊かになる、屈託ない笑顔だ。

 どうやら少しばかり眠ってしまったらしい。壁にかかった振り子時計が夕方の四時を告げて、その音で目を覚ます。女の子の姿は見えない。下へ降りたか、もうそろそろ家に帰ったのかもしれない。
 少し長居しすぎたか。そろそろお暇しようと階段を降りると、女主人が出入り口近くのカウンターで本を読んでいた。帰り際の挨拶ついでに、ひとつ尋ねてみる。
「今日は小さな女の子が来ていましたね」
「――いえ、見ていませんよ」
 てっきり親戚とか、知人の子どもだとばかり思っていたから、この返答には面食らう。不思議なこともあるものだ。帰り道、車を運転しながらずっと思索にふけった。あの子は何者だろうか。
(座敷童子)
 知り得る中でもっとも腑に落ちた答えはそれだった。着物を着た童子で、女の子ならおかっぱ頭、居付いた家に富をもたらし、普通は人の目に見えない……。
 考えてみればあの子はひと言も言葉を発していないし、気配も足音もなかった。あの場所で人に声を掛けられたのも初めてだったかもしれない。
 此処は伝承が多く残る地域からはかなり遠いところだが、昔とは比べ物にならないほど豊かになり人の往来も増えて、行き来する人に付いて他の地域へと移動することもあろう。ときには好きな色の着物を着ることだって。
 また座敷童子はよく働く者を好むとも聞く。あの気立てのいい女主人もたくさんの苦労を重ねてきたというから、その直向きな心持ちが童子を惹きつけたのではないか。
 連日お客がひっきりなしの大繁盛、というのも店の佇まいからすればやや似つかわしくないように思う。けれど、私の好きなスペースが後々まで残るのなら、これほどありがたいことはない。

 真っ白のテキストエディタには、今日の出来事を書き留めておくことにした。夢と現実のクロスポイント――とある夏の日のことだ。

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