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死を身近に感じて思うこと

わたしは4年前に乳がんを経験している。
 
実名のブログの方に治療や体験談を書いていて
治療のあれこれはこれからこのnoteにも書いていこうと思うが、
今回は乳がんを経験してから強く思うようになったことについて書いてみようと思う。

わたしの乳がんは、初発乳がんとして全摘手術、抗がん剤、放射線治療を受けて、いまは定期健診を受けるのみとなり、今は普通の人と同じ生活を送っている。
 
治療を受けている最中からメンタル的にもいろいろとあり、今の状態に来るまでにはさまざまな葛藤に出くわし、さらに、それまで先延ばしにしていた自分の中や他人とのかかわりの問題なども一気に直面することになり、なかなかにしんどい日々だった。
先が見えずにもう消えてしまいたいと思う日も続いた。
 
そこから少しずつ息を吹き返し、今のような日常生活を送るようになれたのだが、病気になる前と大きく変わった価値観がある。
 

それは、
死を身近に感じるようになったこと。
 

人はいつか必ず死ぬとわかっていても、実感として死ぬのかな、と思える経験がある人は少ないように思う。たとえそれが老人であっても。
 

そして医学が進歩した今日、わたしのような初発ガンで臓器転移のないガンなら、多少荒治療ではあるが、手術で患部をぶった切り、どぎつい抗がん剤で叩けば、定期的な健診と再発防止を意識する程度で、今のように日常に戻れる。
 

けれどやはり、死因の上位に上がる「ガン」という病気になったことがあるというインパクトは私の中で大きい。

 
乳がんの再発は、統計的には一番多いのが5年以内ということで、それ以降はあまり気にせず過ごしましょう、ということになっており、4年目の私は集中的に健診をしているが、


結構身の回りで聞く話は、ちょっと違う。
知り合いのお母さまなど、高齢の方によく聞く話なのだが、わたしくらいの年代に一度ガンになって治療した後、10年とか20年とか、忘れたころに再発し、見つかったときにはステージ4で転移しまくり、とか、悪性リンパ腫とか乳がんではない別のガンが見つかる、など、病院のデータでは追えないであろうケースが結構多いのだ。

 
確か、亡くなられた樹木希林さんも、60代で乳がんの治療をし、その後かなり経ってから「全身ガン」を発表されたかと思う。


そういえばキャンディーズのスーちゃんも、長い間乳がんの治療をしていたことが亡くなった後に明かされた。


少しググってみたら、スーちゃんの乳がんについての記事が出てきた。この医師によると再発は10年以上経った後でも割とあるそうだ。

【あの有名人から学ぶ!がん治療】田中好子さん、乳がんと20年間の長い闘い 病状も公表せず


なので私は、今この瞬間は、あまりガンのことを心配していないが、この先忘れたころにそういうことがあるかもしれない、という気持ちが常に頭の片隅にある。
 
なので、いつそのときが来ても
後悔が少ないように生きようと思うようになった。
 
そのうえで意識していることが、大きく分けて3つある。
 
1つめは、
「やりたいことはやれるうちにやる」だ。

別にガンになったからと言って再発が決まったわけでもないし、毎日の生活があるし、勝手気ままに生きようというわけではない。けれど、実現可能なやってみたいことがあれば、それは「今」がベストタイミングだと思うようになった。

何がいつやってくるか分からない。死ななくたってこの先何が起こるかはわからない。

このコロナ禍も事実、2020年の2月くらいまではまさかこんなことが起こるとはだれも予想していなかったと思う。わたしも全く想像していなかった。ちょうど息子の中学受験の時期だったので、コロナなんていうよくわからないものよりも、インフルエンザにかからないように細心の注意を払っていたくらいだ。

けれどたったの1か月で世の中は変わってしまった。そしてあれから1年以上たっても状況はたいして変わっていない。
まさか自由に海外に行けなくなる日が来るとは思っていなかった。

地震や台風などの災害もそうだ。いつ起こるか分からない。


何かしたいことがあるときに、「いつでもできる」と先延ばしにできていたのは「何もなく平穏に過ごせた場合の話」であって、いつでもできそうなことでも、やりたいことはなるべく早く行動して実現してしまおうと思うようになった。


生き急いでる気がしなくもないが、「いつかやろう」の、いつかは来ないかもしれない。それでもいいやと思うものは先延ばしにするが、できそうなチャンスがあればなるべくやる。
 
そして、仲良くなりたい人がいたら、少し勇気が必要だが、積極的に声をかける。空気を読みすぎてものごとを先送りにしないようにする。思ったことはなるべく躊躇しないで言う。ここ数年で、かなりそのあたりが変化したなと思う。


死を身近に感じるというのは、人を変える。
 

2つめは、
自分の機嫌をなるべく良い状態で過ごせるように意識することだ。


自分に与えられた時間は、自分のものだから、自分になるべく納得が行くように使う。寝るのが好きなのに、1日がもったいない気もするし、だらしない気もして今まで躊躇していたが、日曜日の朝寝坊を思い切りする、というのにも罪悪感なく時間を使うようになった。


3つめは、
やりたいことをやる、のももちろんだが
「何に時間を使わないか」ということも意識すること。
 
わたしはできれば家事に時間を使いたくない。家事の時間だって人生の一部だ。だったら短く済んだほうが良い。そんなことを堂々と言うのは気が引けたのだが、限られた人生の中で、毎日の家事の数十分少しでも減るなら、トータルでは大儲けだ。

そういう意味では先日書いた食洗機の記事は、わたしの価値観に変化が起こった証拠ともいえるかもしれない。

家事の革命児、降臨!【その1】

家事の革命児、降臨!【その2】


メンタルに関してもそうだ。喜怒哀楽はもちろん人生の大事なスパイスだし、怒るときは怒るし、不安になることも多いけど、自分の不快感に必要以上に時間を使わないようにする。


気持ちの切り替えが苦手で、不安や不満、悩みがあれば1週間でも続けて悩みぬいていられた私だが、それがもったいないと思うようになった。
 

自分の人生は、「今の積み重ね」だ。この1分が1時間になり、1か月になり、1年になる。

不機嫌な時間が増えれば増えるほど、わたしのトータル人生に占める不機嫌の割合が増える。

考えているだけで解決するならよいが、たいていのことは、ひとりで考えているだけでは解決しない。手を動かし、発言し、行動することで変化は起こりうる。


こうして、いつ死ぬか分からないので、死ぬときにまあまあ納得できるよう、自分の時間は自分の納得いくように使うように気をつけている。

だからといって死への恐怖はあるし、まだまだやりたいこともあるし、見たいものもある。

 
自分の人生は自分のものだ。
時間は限りあるし、生きていくために使わなければいけない時間も少なからずあるので、すべて思い通りにはいかないし、何を選ぶか取捨選択に迫られることもあるし、それは時に勇気が必要なこともある。

けれど、生活に使う時間も、誰かに使う時間も、自分に使う時間の使い方も、できるだけ自分で選んで決めて、最期の瞬間に「まあ、いいか」と思えるような生き方をしたいなと思う。

ブログチャレンジ9日目達成!
今日もお読みいただきありがとうございました!

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