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常識を疑え。映画「グリーンブック」に思う、当たり前に貼られた”差別”のレッテルに気づくことの重要性

わたしたち日本人にはふだん実感として感じにくい
ふつうに、当たり前に、そこにある「人種差別」。

奴隷解放宣言が1863年に出され、舞台は1962年。
実話をもとにしたこの「グリーン・ブック」は、奴隷解放宣言が出てから100年経っても、がっつり人種差別が残っている。残っている、というか、逆に「伝統」となってしまっているさまをキッチリ見せつける。


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ただ、ここのところ、「トゥルー・ノース」とか「映画大好きポンポさん」とか、熱量が高く、密度の濃い映画ばかり見ていたせいか、この「グリーン・ブック」はアメリカに根強く残る有色人種差別を取り上げながらも、ベースは男同士の友情を描いたロードムービーなので、複雑に絡み合った人種差別問題に触れつつも、なんだか心温まる気持ちになった。

「グリーン・ブック」とは、有色人種、特に黒人差別の根強いアメリカ南部を旅行する際に重宝された、黒人でも泊まれるホテルなどの施設情報をまとめたガイドブックの名前だ。

劇中にもたくさん出てくるが、ただ「黒人」というだけで入場お断りのレストラン、黒人専用の宿泊施設、あからさまに蔑視をしてくる人々、黒人のみならず、同じ白人のはずのイタリア人でも差別をしてくる強烈な白人至上主義が染みついている。

奴隷制度の歴史をたどってみると、古代ギリシャ、古代ローマの時代から戦争に負けた側の人民を奴隷にする制度は存在し、その後、ヨーロッパでのアフリカ人奴隷貿易が始まったのが1400年代、アメリカ国土にイギリス人が入植して奴隷制度を引いたのが1640年代。数百年の間「奴隷」という存在が当たり前に受け継がれてきたのだから、100年程度ではどうにも変わらないというのが実情なのだろうか。

その変わらない「制度」がありつつも、個人と個人の友情は成立するし、やはり最後は人と人だ。敵国同士の恋人もいれば、黒人と白人が親友になることもある。

個々の話ではそこまで重要視されない人種差別が、集団になると急に発動されてしまう。結局そうやって「〇〇人はエライ」とレッテルを貼ってしまったほうが管理上ラクなのであろう。

「トゥルーノース」でも思ったが、多少飢えさせておいたり、自由をなくし、報酬を与えて反体制者を通報させたり、他人と足の引っ張り合いをさせたりしているほうが、庶民は目の前のことに必死で本質的なことに気づかないので為政者は管理がしやすいのだろう。

だから「人類みな平等」とか言ってるよりも、人種とかで区別してレッテルを貼っているほうが団結するし、何より万人にわかりやすい。疑うことを知らず、「偉い人のいうことが正しい」と思っている人たちには、人類は平等ではないことを生活の中で感じているし、いっそのこと分かりやすいレッテルを貼ってくれた方がラクなのだ。

先のトランプ大統領が掲げた白人至上主義、アメリカファーストなどは、その「わかりやすさ」のアピールが巧みだったのかな、と思う。

ということは、わたしたちはこの上が創った「レッテル」に翻弄されて、本来の自分を見失いやすいということになる。

当たり前と思っている価値観が、実は「大きなノイズ」であることに気づくのには結構一生懸命見極めないといけないが、やはり「思考停止」でお上の発言やすでに貼られたレッテルを鵜呑みにするよりも、自分の感覚を信じて、自分はどの世界に生きたいか、誰と出会って何をしたいか、をしっかり持って生きていきたいな、と思う今日この頃だ。

今日もお読みいただきありがとうございました!

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