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不自由な自由を選んだ八方美人。

前回の記事で私が2年前に会社員からフリーランスに転身した時のお話、そして当時感じていた焦燥感の正体についてお話をしました。今日はその番外編のような記事になります。

これは前回の記事に対する「私だけの答え」です。

今日の記事はかなり長い(約3,000字)ので、何となく自分に当てはまるとこだけ受け止めていただき、皆様にも分かりやすくご説明する記事はまた後ほど更新いたします。

読むか読まないかはあなた次第です。

読まなくてもいいけれど、読んでいただき、なんならスキをしてくれたら泣いて喜びます。


・・・では本題に入っていきます。



「もう自分が何をしたらいいのかわからないんだ」


2年前、私がフリーランスになってすぐの頃、自分ではどうしようもできない焦燥感と、重苦しい気持ちを抱えながら、友人とスタバでフラペチーノを飲みながらお互いの人生相談をした。

本来、賑やかな居酒屋でお酒を流し込まないと話せないような深い話を、全く相応しくない閑静なカフェでしていたので、よく覚えている。


ちなみに前回の記事をご覧になっていない方にご説明すると、私は会社員として5年間フォトスタジオで子ども達の記念日を撮影する仕事をしており、その後フリーランスに転身してその仕事を業務委託していただく形で継続している。

本当は2年前のタイミングで仕事を変えるつもりでいたんだけど、自分の中で何をしたいかわからなくて「とりあえず現状維持」という甘い選択をしたということだ。


私の仕事のあれやこれやは説明以上。


そうして冒頭に戻るわけなんだけど、私のこの言葉を聞いた友人からしたら、当時の私は「なりたかったカメラマンになって成功しているし順風満帆じゃん!それ以上に何がいんの?」って思われていたと思う。

だけど私の正体不明な焦燥感はそういうことではなかった。

これを少しずつ紐解いていくと、まず私が会社員としてお店を管理する立場であったから、ということ。毎日滞りなくお店を回すこと、後輩達のメンタルケアや、新人育成に勤しみ、毎日そこにやりがいを感じていた。

そこからフリーランスになったことで、会社員として責任ある立場から「仕事さえこなしてくれれば、あとは自由よ」という状態になったわけだ。

そうなるとどうだろう。

私は途端に不安と焦りと寂しさと、複雑な感情が入り混じってどうしようもなくなった。

『今日の夕飯何がいい?』と母に聞かれて、”なんでもいいよ”と答えたときの母の気持ちが少しわかる気がする。ごめんな母よ。本当は母の作る肉じゃがと唐揚げが大好きだったけど、ソレばっかりになっても困っちゃうから”なんでもいい”って言ってたんだ。


話が脱線した・・・


フリーランスは実に孤独な仕事だと痛感した。
仕事内容も働くメンバーも変わらないけれど、その余白を埋めていた「責任感」や「チームワーク」「仲間」というものがないだけで、心にポッカリと風穴が空いたような気持ちになる。

だけど、どれもこれも無くなったわけじゃない。

単純にその環境に縛られることがなくなっただけだというのに、何を不安に感じているんだ。どうしたらこのモヤモヤが晴れるんだ。私はもうワケが分からなかった。


だけどあるとき気がついた。

これもトラウマの代償なんだと。


それは1年前のこと。
私の心の師匠と勝手にお呼びしている方から、ある言葉を言われた。


「そんなに孤独を感じることがある?
誰かのために生きようとしすぎてない?」


その瞬間に私はハッとして、自分の過去の出来事が雪崩のように押し寄せてきて涙が溢れた。


わたしは小学生の頃から中学生にかけて、いじめを受けていた。それからというもの、私はもう誰にもいじめられまいと心を塞ぎ込み、なるべく目立たないように生きてきた。

邪魔にならないように、喧嘩にならないように、嫌な思いをさせないように・・・そうして細心の注意を払っていても、誰かに嫌な思いをさせてしまうことはあって、それが些細なことであっても私は傷ついて涙を流してばかりいた。


「どうしたらみんな
嫌いにならないでいてくれる?」


好きになってくれるなんて思ってないけど、
どうかお願いだから嫌いにならないで欲しかった。


そうして何年もかけて作り上げた八方美人のわたしは、周りから「優しくて良い人」と言ってもらえるようになった。

カメラマンになってからも、先輩に怒られたり、お客様からのクレームで心を病みそうになったり、色々困難なこともあったけれど、5年間かけて作り上げた「カメラマンとしての私」はとても居心地が良くて息がしやすかった。

だけど、それもこれも”本当の自分”ではなかったのだとフリーランスになって初めて気がついた。


いま泣いているのは
きっと心の奥底で小さく縮こまっていた幼い自分。


自分でも驚くほど、重苦しい思いを抱えていたのだと気がついて「とにかくこれを全部吐き出しきれば何か見えるかもしれない」と漠然とそう感じた。

以前にも、どこかの記事でこの話をしたことがあるのだけれど、当時の私はここまで心の内を紐解くことができていなかったと思う。


でも今はそうではない。

なぜなら私のもう一つの顔はカウンセラーだから。


カウンセラーとして学びを得るほどに痛感するけど、心の問題については、自分の中で完全に自己解決することはできない。

人が日々意識している顕在意識は、人間の意識のたった1割でしかなく、残りの9割は潜在意識。つまりそれは無意識であって「いつもこうなってしまう」の原因を作り上げてしまうものだ。

それぞれに必要な紐解き方があって、解決したと思ってもまだ無意識の奥深くで燻っているものが必ずある。

とある心理カウンセラーさんが言っていた。

人生においての課題をクリアできないと、また同じことを繰り返してしまうのだと。

例えばテストで赤点を取ってしまったら追試があるように、問題を理解するまではそのテストは一生クリアできないだろう。それと同じように人生においてもそういったクリアしなければならない課題が存在する。


ちなみに2年前にフリーランスになり、焦燥感に苛まれている私が、向き合わなければならない課題はこれだった。


『他人のためではなく
自分のための人生を取り戻すこと』


私は小学生の頃にいじめを受けてから自分の心を失った。それは「不自由」なように見えて、当時の私からしたら「自由」と呼べるものだったのかもしれない。だって自分を押し込めて、人に好かれやすい人間を演じていればいいだけなのだから。

その課題に気がつけないまま、フリーランスという「本来の自由」を選んだ私は、まさかこんなふうに孤独感と焦燥感を味わうだなんて思いもしなかった。

でも、きっとどこかでこの課題と向き合わなきゃいけないって思っていたんだと思う。


さぁ、これからどうやって生きようか。


誰かの道標を頼りに生きていた私には
この先の道が真っ暗でなんにも見えない。


『本当にそう?』

『じゃあどうしてカメラマンをやってるの?
この道を選んだのは誰かじゃなく自分でしょ?』


心の中で自問自答していたらそんな思いが芽生えた


確かにそうだ。これまで自分の居場所を自分で選んできたわけで、今はその岐路に立っているだけじゃないか。


不安だね

怖いよね

でもきっとまた見つかる

自分の人生は自分だけのものだから


とりあえず一人になったわけだし
自分の好きなことやってみようかな?


写真を撮ることはもちろん好きだけど
こうやって文字を綴ることも
話すことも聞くことも
新しい知識を学ぶことも好き


じゃあカウンセラーなんてどうだろうか?

ラジオをやったりとかライターはどうだろうか?


好きの延長線上に答えがあればいいな・・・


まだわかんないけど

まぁ、それもいっか



これは私が今の活動を始める前のおはなし





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花崎由佳(はなさきゆか)

フリーフォトグラファーをしながら
メンタル心理カウンセラーもやってます

日々の小さなお悩み、人間関係のお悩み、
自己肯定感や自分らしさのコーチングを
メインにお受けしていますஐ.*+


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