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「初めての人生の歩き方――毎晩彼女にラブレターを」(有原ときみとぼくの日記) 第239話:扉の向こう側に。

「人生とは出会いである。その招待は二度と繰り返されることはない」ハンス・カロッサ


 扉を開ける。
 それは出会いと別れの抽象的な表現だ。
 開けた先に出会いがあるかもしれないし、開けた先に別れが待っているかもしれない。
 開けない、という選択肢はあるだろうか。
 きっとある。扉があるということは、どこかの空間に存在しているということだ。ただその場所が外側なのか内側なのかは分からないけれど。

 私はここ最近、三つの扉を開いた。
 一つはある人から嫉妬の炎で身を焼かれそうになったので扉を開けて別の空間に逃げたのだ。その人とはも空間が切り離された。だから私はもうその人との縁はなにも感じない。例えそれが以前仲がよくてもだ。
 二つ目はある人がいなくなったので前に進まざるを得なくなったので扉を開けた。悲しい別れは唐突に起きる。だが、私たちはそういうときにこそ進まなくてはならない。その相手が親しい者なら特に。
 三つめの扉はいつの間にか開いていた。しかし、私はまだその向こう側に行く決心がつかないでいる。三つ目の扉は友情の扉だ。その先には確かな友情があるのだが、いかんせん私は怖いのだ。

 友情が怖い。

 過去に何回もあった。
 縁を切り、縁を切られ。自業自得なのは重々承知しているのだが、人はいつか裏切る、という思春期に植え付けられた妄想はなかなか消し去ることができない。

 人はいつか裏切る。

 それはきっと、私自身に対しての言葉なのだ。
 自分はいつか裏切る。いい方にも悪い方にも。
 だから私は人を愛するのだ。

 だから扉の向こう側に。

 帰りの電車の中で少しだけ眠ってしまった。
 夢なんてなにも見ていない。
 それなのに、なにかが叶う予感がしたんだ。

 隣のサラリーマンのスマホが鳴った。ぼくは席を立つ。そのまま隣の車両に歩き出す。カバンには嬉しいことがたくさん詰まっている。帰りたい。早く帰って彼女に今日の出来事を丁寧に話したいんだ。

 大きすぎる扉は、なにも見えやしないのだ。

 歩こう。
 空を見上げながら、えんじ色に光る夕暮れの雲を眺めながら。
 きみを想いながら。

家に帰ってきみがいるということが幸せで、

そしてきみと娘と一緒にみるテレビがこんなにも楽しいなんて。

ありがとう。

深く愛してるよ。

初めての人生、

裏切り裏切られることなんていくらでもある。

ただそれは、ないと思えばないのだ。

裏切るという概念は

本当は存在しないのだから。

今日もありがとう。

今年も、残り112日。

またね。

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