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愛と野望と秘密をミキサーにかけて、世界一エレガンスで悲劇的な女性を読む。

著者シュテファン・ツヴァイクの、時代の価値観や登場人物に対する感情移入ぶりは、見事に400年前の主人公たちに息を吹き込んだ。それによって、私は、18世紀フランスのベルサイユ宮殿にタイムスリップしたような感覚を味わうことになった。ファンタジーよりずっと心をえぐられる、ドラマチックな事実にどっぷりハマりながら。


王妃とお王。自分の地位と名誉が全ての野心家の取り巻きたち。心から彼女の身を案ずる口うるさい教育係や臣下たち。貧困の怒りに火を注ぐ国民たち。昨日の友は今日の敵とベルサイユに背を向ける革命軍。死ぬほど想いあっても、時代と身分階級が許さなかった、永遠の恋人、フェルゼン。


本人には申し訳ないが、伝記はその人生が波乱万丈であればあるほど、こちらはドラマチックな感情を味わえ、読み終えた後には、ページの中の人生に入り込んで放心状態になる。それが、悲劇のフランス王妃、マリー・アントワネットだ。



「フランス革命」そのものが主役となる本であれば、まず腐敗しきったベルサイユに触れ、次に貧困に怒り狂った国民が血なまぐさい革命で大勝利し自由を掴み、そして今日に繋がる「自由・平等・博愛」を掲げる新しいフランスへと向かう。ベルサイユを悪者にすれば、手に汗握ることなく読める、右肩上がりのサクセスストーリーとなるだろう。



だが、1人の人間に特化した伝記を読み進めることは、その死へと向かうことである。「マリー・アントワネット」の場合は、世界中一華やかなプリンセス時代を経て、宮廷でやりたい放題の末に、革命のターゲットに吊るしあげられ、高く付きすぎたその代償を自身の処刑で払わざるを得なくなる。この1人の平凡な女性に、時代が着せた大転落ストーリーは、最初こそは穏やかに始まるが、読み手に最後まで同じテンションで読むことを許さず、手に汗握る展開へと豹変する。



人は悲劇が好きだ。例えるなら、平和な江戸幕府を築いた徳川家康より、明智光秀に裏切られ暗殺された織田信長が人気なように。イギリスと結婚したと言うほど一心に国を治めたエリザベス1世より、やらかしまくって処刑された王妃マリー・アントワネットのほうが、多くの話題となり書籍になっているように。シェイクスピア物語も、喜劇は名だたる「4大悲劇」の影に潜んでいる。誰もが知るのは、現役のポール・マッカートニーより暗殺されたジョン・レノンである。



皮肉なことに、優れた話や苦労話は思うほど飛躍せず、人を陥れる噂や秘密や陰謀は矢の如くハイスピードで飛び回る。元オーストリア皇女のマリー・アントワネットが、恋の味も知らぬ14歳で本人の意思とは無縁に政略結婚をさせられたこと。彼女の振る舞い1つ1つに、フランスとオーストリアの国交問題がのしかかっていたこと。ルイ16世の機能不全で、7年間をセックスレスに苦しみ、それでも貞操を守り、待ち続けた彼女が「王位継承者を産めない女」とフランス中で笑い者にされていたこと。



そんな息苦しさや満たされない心を埋めるように、退屈を嫌い、趣味に没頭するようになったのだが、「我慢は美徳」な価値観の日本ですら、そこは綺麗に省き、散財、豪遊、賭博、愛人、豪華な暮らしぶりの事実だけを後世に伝えている。



先のルイ14世のベルサイユ宮殿建設と、ルイ15世の愛妾への散財で、ルイ16世とマリー・アントワネットの時代には、フランスは既に氷山にぶつかった後のタイタニック号であった。沈没船の王冠を、由緒ある血筋というだけで、その気のない結婚と、その器量もなく被らされた王妃と王の悲劇は、同情の余地もないほどおもて面には出てこない。



18世紀のフランスが吊るしあげた罪人であり、また被害者でもあり、フランス中が恋に落ちた、マリーアントワネット。1人の女性の短くて悲劇的な人生の奥深い秘密を、その豊かな心情描写に酔いしれながらじっくり読むことは、ハロウィンの衣装に身を包んで渋谷に行くことより、私の秋にぴったりであった。





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