市原 ユウイチ

舞台に出演したりバンドでドラムを叩いたりと、人前で芸事を披露して喜ぶタイプの人種ですが…

市原 ユウイチ

舞台に出演したりバンドでドラムを叩いたりと、人前で芸事を披露して喜ぶタイプの人種ですが未だ何者でもありません。演劇、映画、音楽、B級グルメ(町中華、日本の洋食、レトロ喫茶など)などを養分に、休みの日は洗濯をし、布団を干し、部屋に掃除機をかけるのが何よりの幸せです。

最近の記事

覚書、2024

10年前、欲にあふれギラギラした眼で舞台に立ってた同世代の俳優が40歳を目前にして疲れ果て、半分抜け殻のような姿でいるのを目の当たりにし、かつての自分を、先輩の言葉を思い出す。「(えつこの芝居には)『俺を見ろーーーー!!!』っていうのがあるよね」。 歳を重ねて、何か分別でもついたような、わきまえたような気分になってしまっていた。後進に席を譲らねば、年甲斐もなく前へ前へ出ようとするのはみっともない、売れてないベテランは脇役として若きのサポートに徹するべきなのだ、って。 んな

    • 珍しく、表現欲

      アバレアンナイト、これまでで一番楽しく踊れたかもしれない。 ずーっとダンスには苦手意識があった。昔から身体が付いていかなかったし、そもそもダンスの振付でされるような動きが自分の中に無さすぎて理解が出来なかった。だから振付を追うのに必死で、かと言って身体も「運動やってこなかった人の身体」と言われるくらいのアレだから笑われてばかりで。だから苦手ってことにしてしまってたんだけど、ほんとは好きなんだよね。下手の横好きもいいとこだけど。 今回もそりゃ細いとこまで意識できてたかってい

      • わたくしとBUCK-TICK

        BUCK-TICKのボーカリスト、櫻井敦司氏が亡くなったのを知ったのは友人とカフェにいる時だった。トイレに立った友人の背中を見送りながらふとチェックしたSNSで目に入った、黒い背景の中に白い文字で書かれた「大切なお知らせ」の文字。同バンドのギタリストにして高校時代から僕が天才と崇めている今井寿氏の投稿。普段の彼なら投稿しないような画像に、一瞬誰かのそれと間違えたのかと思ったが、2枚目の画像の文章を読んですぐ、割と大きめの「え」が声になって出た。しばらく呼吸を忘れた、というより

        • 役者と演出家

          役者市原は演出家との癒着を嫌う。 作品づくりをする上で演出家の方が偉いとか そんなことは絶対にない。決定権や責任は演出家にあるだろうけど、あくまで対等な立場で作品づくりに臨むのがクリエイティブな環境だと思う。 頭では。 ただ、自分の中の感覚として役者=現場、演出家=会議室みたいなのがある。言葉で説明しようとすると絶対に誤解が生じるので難しいのだけど、例えば、公演稽古中は自身の弱った部分やなんかはツイートしない。したとしても目に触れないようにする。あくまで稽古場での芝居と、

          身近なひとを喜ばせたくて

          単刀直入に書く。小劇場のチケット価格高騰が著しい。僕が小劇場のあるべき姿として考える「気軽な娯楽」としての範囲を超えてしまっている。 僕が演劇を始めた20年くらい前は安いと1000円前後、高くても3000円くらい。それ以上は有名人が出たりする商業演劇と呼ばれるジャンルのものだった。シアターグリーンのベースで2500、ボックスで3000、ビッグツリーで4000円くらい。中野のあくとれは1800円くらいが相場だった。 それが今や4000円前後がスタンダードで、6000円以上の芝居

          身近なひとを喜ばせたくて

          笑わせたくて 2023 その1

          演劇に携わるようになったのは大学の演劇部に入った2002年、役者として活動を始めたのが2007年。されど、そのもっと前、中高生、なんなら幼稚園児の頃くらいから人前で何かをするのが好きだった気がします。ただ小学生から高校生くらいの頃って今で言う同調圧力が酷くて、他の人と違うことしたり違うものが好きだったりしようものならば冷笑、嘲り、差別、弾圧、村八分、一族郎党皆殺し、ってなもんで、とにかく肩身が狭かった。だからとにかく人と違わぬよう生きようとしてきました(とかく世の中生きづらい

          笑わせたくて 2023 その1

          ぴょ 39歳の革命

          表立った俳優活動を休止、というわけでもないけど、なんとなく控えて5ヶ月。その間、いろんな刺激に出会い、いろんなことを考えました。 若い人の表現からもらう刺激、年上の人の表現や生き様からもらう刺激、同年代の頑張り、足掻きを見てもらう刺激。冷ややかな目で見ることもできるのでしょうけど、幸い自分にはそれらの全てが刺激に思えました。思考を巡らす材料となり、心の燃料になりました。 経験を積んだり技術を獲得することによって無くしてしまうもの、見えにくくなってしまうものについて考えてい

          ぴょ 39歳の革命

          Bye-Bye Show for Never

          解散ライブの翌日は寂しくて仕方ありませんでした。テレビやネットニュースで前日の様子が報道される度に、自分はここにいたんだっていうドヤ感もありはしましたが、祭りの後の寂しさが増しました。そして、ライブ直後に発表された6人の今後がじわじわと効いてきて、早速次の活動を始めたり新情報が流れたりしてくる度にどこか置いていかれるような気持ちにもなりました。 翌朝、渋谷駅で遠征してきて一泊しただろう清掃員の方とすれ違う度に「昨日はお疲れ!遠くまで来てくれてありがとう!!」って、よくわから

          Bye-Bye Show for Never

          死刑

          死刑になる夢を見た。 クーデターによる政権交代みたいな状況で、自分というより権力者たる親の巻き添え、といったところ。学園?公邸?みたいなところでそれを聞いて、軍部か警察に取り囲まれるまでの速かったこと速かったこと。隠しルートや変装などで逃げられる方法をギリギリまで探るものの、やはり逃げられず身柄は拘束される。 しかしその拘束も逃げようと思えば逃げられるくらいのゆるさ。最後の晩餐になるだろうお弁当を、監視されつつコンビニに温めに行けるくらいのゆるさ。 死刑執行の朝。これも

          ルースターズのこと

          ザ・ルースターズはミッシェル・ガン・エレファントらにも影響を与えたバンドとして、日本のロック史に残るバンドであることに異論のある人は少ない、はず。中でもめんたいロックと当時言われた初期3枚はどれも彼らの名刺代わりになるような作品だと思う。 疾走感と熱さがたまらない1st、楽曲の幅が増え、楽しくすら感じる2nd、かっ飛ばす前半に翳りと深みを見せる後半のバランスがたまらない3rd。どれも本当にかっこいい。自分が生まれる前の日本にこんな音を出すバンドがあったのかと驚かざるを得ない

          ルースターズのこと

          世界の終わりから

          初めて緊急事態宣言が出た3年前の今頃の世の中が好きだった。 「外に出よう!人と交わろう!遊ぼう!盛り上がろう!お金を使おう!」という風潮が一転、「家に居ましょう。他人と触れ合わないようにしましょう。自分だけの楽しみをみつけましょう」に変わったから。 町に出ても人はまばらで、出歩いてる人は不安や後ろめたさに似たものを抱えて外に出ていた。お店もほとんど開いてない静まり返った世界。そんな非日常の世界に僕はワクワクしていた。 思えば昔からそうだった。コロナの時も、311の時も、ノ

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          世界の終わりから

          冬の旅、出発前

          戻ってきた寒さのせいかあまり眠れなかった。 日々の生活の色々について考えていたら突然、スピッツの“愛のことば”の歌い出しの歌詞に行き着いた。 「限りある未来を 搾り取る日々から 抜け出そうと誘った 君の目に映る海」 初めて聴いたのが中学2年生の時。26年経ってようやくその歌詞の意味を、実感を伴って理解できた感じがした。

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          冬の旅、出発前

          表に現す力

          「これが…表現力…!」 そもそものキッカケは昨年12月に出演した尾米タケル之一座『ダークダンス』でした。そこで自分は、自身の表現力の無さを痛感したのでした。何の話かっつーと、今年のテーマをまだ設定してなかったな、とふと思ったのです。 毎年、目標とか課題ってことでもないんですけど今年はこれを念頭に、テーマに暮らすぞ、みたいなワードを設定しています。過去のテーマ、どんなものがあったのかは忘れましたけど、それでいいと思ってます。目標じゃないから別に乗り越えるとか達成するもんでも

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          忘れそうだった

          高校の時、高校の選択制プログラムでオーストラリアに2週間ホームステイしたんです。希望した人だけ行くやつ。まぁ、そこでのことは長くなるから土佐割愛守って感じなんだけど、あ、これはとさかつあいのかみって読みます。 んで、いよいよホームステイも終わりって時に

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          忘れそうだった

          THE BLUE HEARTSについて その1

          なーんだか元気がなかった。ずっと。年末くらいから。間を空けず舞台が続いたこともある。全部が上手くいったわけじゃないし、そうじゃなくても年末年始は例年落ち込み気味になる。本当に人と居たくなくて、一人暮らしを始めてから初めて正月に実家に帰らなかった。 正月休みとは言え月末に公演を控えているせいか、どうも今ひとつ気持ちが休まらなかった。自転車で行ける寺社に行って初詣客を眺めたら屋台メシを食べたりして正月気分を味わうだけはした。 まぁ、とにかく。 ここ数日、ザ・ブルーハーツのオ

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          THE BLUE HEARTSについて その1

          正気を保つために

          執着を捨てる。いや、完全に捨てるのは難しいか。いろんなものへの執着とか期待から距離を置く。

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