【日本一周 京都・滋賀編24】 平成を揺るがした現代アートたち
・「平成美術 うたかたと瓦礫」の探訪記 筆者:明石
この記事は、旅中に立ち寄った京都市京セラ美術館にて開催されていた、平成に制作された現代アート作品を中心にとりあつかった企画展「平成美術 うたかたと瓦礫」の鑑賞記録である。
「平成美術」展の会場へ向かうと、入り口の外からしてすでに、スペードのエースを無限に投影し続けるプロジェクター(IDEAL COPYの作品)がカタカタと騒いでいた。「これはすごいものがはじまる」という予感が肌を走った。
入場して最初に迎えられたのは、高さ4mを超える壁一面を覆い尽くすポップな平成史(残念ながら写真撮影NG)。年表には美術をメインに災害と社会的事件が散りばめられていて、ひとつのセンセーショナルな出来事に対する芸術の応答を俯瞰的に見ることができた。しかし、もともと無理なスケジュールながら分離派の展示を長く見過ぎたことも追い討ちとなり、我々に残された時間は非常に少ない。
前述の分離派の記事は下のリンクから、、!
魅惑の平成史に足をとめることは叶わず、作品の展示へと急いだ(このときの不完全燃焼のためか、物販では図録を衝動買いすることになる)。
現代アート集団の作品が乱立するカオスな空間で最初に目に入ったのは、テクノクラートの過去の作品資料であった。液体窒素によって保存された精子を提供する公衆精子計画や、期間を指定して互いの同居者を性生活も含めて交換する計画など、「Dutch Life」と名づけられた一連の作品群には度肝を抜かれた。
この展覧会に展示されていなかった彼らの作品には、HIV感染者の血液の展示や貨幣に付着した雑菌の繁殖などがあるらしい。日常生活において知人でも立ち入りにくいシークレットな領域が、公の場で展示されていることのインパクトが大きかった。
人間にまつわる生物科学的な素材というのは医療従事者や学者といった専門知識を身につけた人以外が触れる機会は滅法ないため、それらを扱っているというだけで身を引いてしまう部分がある。この類の奇抜さはパフォーマンスとして側から見る分には面白いけど、参加したいという気はあまり起きなかった。でも、初期に手がけた青山のカフェバーの内装なんかは悪役のアジトみたいでかっこよく、当時知っていたら足を運んでいたかもしれない。
入り口の外にも展示(スペードの無限投影機)のあったIDEAL COPYは、あなたの所有する外国硬貨を1g=1IDEAL COPY COINと交換するというプロジェクトを作品とし、集めた外国硬貨が床一面に展示してあった。この計画は世界中の貨幣がIDEAL COPY COINに換金されるまで続行されますという洒落もイカしている。これはつまり、外国硬貨を渡せばIDEAL COPY COINという現代アート作品を所有できることを意味しているため、美術好きにはたまらない作品だっただろうと当時を思った。
続け様に見たパープルームは、梅津庸一をモデルとした黒田清輝の「智・感・情」のオマージュ作品の印象が大きい。本家に比べてはるかに人間味のあるポージングが笑いを誘う。
相模原のアパートを拠点とするパープルームの真髄としては、芸大という芸術の教育機関を経てからアーティストになるという構造に異を呈し、直接的にアーティストを養成もしくは活動の場を与える予備校として立つというものである。
この考え方には大いに納得したが、制作された作品となるとそれぞれのコンセプトが異なるために一貫性がなく、パープルームというくくりでまとめることは少し強引であるように感じた。でも、パープルームに属していなければ名の知れた美術館における展示の場もないわけで、、、日本の美術市場の活性化を望みます。
とここで、スタッフに誘われるがまま暗室でDIVINA COMMEDIAを鑑賞する。音と光の激しさと、そもそものモチーフが謎めいていて理解不能だったが、上映後に解説を見ることで感動が押し寄せた。
これは過去に実施された体験型の作品で、鑑賞者は防塵服を着て10tのゼリーで満たされたプールの上に仰向けに寝ころがり、ブラックライトとストロボと音響に晒されるというもの。6日間の開催期間中に体験できた人はわずか250人と少なく、これも“伝説的”作品に加担しているらしい。
それにしても、ゼリーの上に寝るというのは一体全体どんな感覚なのだろうか。自重で沈む恐怖はないのだろうか。芸術鑑賞は体験的なものであるが、新しい感覚を提供する作品というのは一線を画した存在であると思った。
アウトサイダーアートを専門に扱うアートスペース・クシノテラスの展示区画では、昆虫で作られた千手観音像が強く網膜に刻まれた。素材となった昆虫は、カナブン、クワガタ、カブトムシ、タマムシといった甲虫をメインに2万匹が使われている。細部に目を凝らすと見てはいけないものを目にしたような震えが体に走る。作者の稲村米治は標本のために採集した昆虫を供養する目的で作り始めたらしいが、言ってみれば屍の寄せ集めであり、2万の命を奪ったという罪が凝縮されているという矛盾を感じた。
最後に、Chim↑PomのSUPER RATを含む一連の作品群を鑑賞した。スーパーラットとは、駆除業界で用いられる人間の生み出した「都会」に適応する殺鼠剤の効かないネズミの通称である。
正直なところ、ともに展示されていた渋谷でネズミを捕まえる動画に映る興奮した様子のメンバーには嫌悪感を抱かざるを得なかった。自著には動物愛護の観点もよぎったとあったが、それならば、剥製にする生き物を捕まえる際はもう少し粛々とした態度で臨むべきである。
しかし、それを除けば、自らの過酷な境遇に怯むことなく、ずぶとく適応していくスーパーラットの生き様を人々に知らしめる手法として面白いと思った。
ここまで「平成美術」を足早に見てきたが、これほど多種多様な現代アート作品を直に鑑賞したのは初めての経験であった(まだまだ紹介しきれていない作品、団体がある)。そのため、作品の持つインパクトに圧倒されつつも、現代美術という世界の雄大さに茫漠とした、されど痛烈な思いが心臓の肌をチリチリと焦がした。
現代アートは一番に「コンセプト」が重視されるため、技術がなくても誰でもはじめることができる。ユーモアでも風刺でも提起でも熱情でもいいから、何かを伝える手段としてアートを利用することができる。言葉によらない表現で「語る」ことができるなんて、なんと素晴らしいことだろう。これは何かアクションを起こさなければ。僕らは互いのほころんだ顔を見つめつつ、雑念にまみれた外の世界へと踏み出していった。
・メンバー
明石、尾道
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