『フェミニスト経済学』から政治・経済・歴史を捉え直す⑥
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史料の読み方が変わる
金井 最後にお二人の研究の中で『フェミニスト経済学』を読んでのご自身への研究の展開や発展可能性についてお伺いできればと思います。
満薗 歴史学は史料が先にある学問なので、史料をどう読むかが大事ですね。その史料をどう読むかというときに今回のテキストは、私たちが無自覚に持っているジェンダーバイアスだったり、いろいろな社会規範を相対化しようという姿勢がすごくはっきりしているので、これを読むと史料の読み方が今後変わってくるだろうなという印象を受けました。
実際に、歴史学の人たちがこの本を読むと、「史料批判」のことを思い浮かべると思います。歴史学では、単に文字面を追いかけるだけでなくてその史料の成り立ちを含めて史料というものを読みなさいと言われるわけですね。今回の本は、そこに関わっているいろんなバイアスをめぐって、史料を読む目というのをどういうふうに鍛えたらいいのかが一つ筋道立った視点から説明されている本になっていて、すごくいいなと思いました。
あと日本の読者に日本語で書かれていることがすごく意義深いと思いました。日本の現状とか実態に関する記述が随所に入っているので、たとえば日本の大学で学んでいる学生も、「日本もこうなのか」とか、「なんで日本の場合だけこうなんだろう」とかいろいろ気づきを得られるところがあると思います。歴史家からすると、じゃあ歴史はどうなんだろうと素直にそこから問いを与えてもらえるところもあって。歴史学の人も広く読んだらいいんじゃないかなと思いました。
日本経済史の捉え直し
満薗 今回のようなテキストができる前から、フェミニスト経済学の影響を受けた成果は個々の研究レベルではあるだろうと思うし、そういうものに無自覚かもしれないけれど接してきたはずなので、個別にはいろいろあるだろうと思いますけれども、それをこうやってまとまった形で体系化されて学問の輪郭がはっきりわかる形で提示されたのが意義深くて刺激をすごく受けました。
私の関心からすると、日本経済史そのものを通史としてどういうふうに捉えたらいいのか、あるいは何を考えたらいいのかというときに、このフェミニスト経済学のテキストはすごく参考になると思いました。
先ほど成長とか効率性についてしつこくお聞きしてしまったのですが、現状の日本経済自体が成長ということを中長期的には望めない状況の中で、日本経済史のテキストはまだ成長というものをベースに歴史を書いているところがあるんですよね。それをどういうふうに書き換えていったらいいのかというときに、成長とは違う軸、成長とは違う視点をどう入れるかがまだ十分経済史のほうでは方法的な議論になってないと思うんです。
それを考えようとすると、「そもそも経済史というものは成長だけじゃないとすると何を考えるべき学問なんだろう」という問題に行き当たると思うんですけれど、フェミニスト経済学が主流派経済学に対して「そもそも経済学とは何を考える学問なのか」というレベルで格闘してきた、その歴史があるということと、その成果が体系的にちゃんと輪郭のある形でこうして提示されたことがすごく力強く感じられたんですね。参考になる部分が多いんじゃないかなと思います。
具体的にどういう形になるのかはまだわからないんですけれど、プロヴィジョニング概念やアンペイドワークをまず先に考えましょうと、そういった発想は経済史のほうにも必要になってくると思うし、通史を考えるときにもいろいろ手がかりになるんじゃないかと思って。個別の研究レベルではいろいろ刺激を受けて、私も今後書くものが変わっていくと思うんですけれど、大枠の「そもそも日本経済史とはなんぞや」というレベルの問題の参考になるだろうということで、非常に面白く読ませていただきました。
政治と経済の関係
岡野 本書を読ませていただいて、第Ⅰ部の理論と方法編は、とても関心が重なりました。私は政治経済学部出身なんですね。だけれども、経済学の勉強をまったくしたことがなかった。振り返ると、政治学、特に政治思想史では、そもそもエコノミーの語源であるオイコス(家政)とポリティクス(政治)がまず分かれて、政治学はオイコスじゃないものとして議論が出発しているんですよね。
ですので政治学の中でケアあるいは家族が政治以外のものであることは大前提なのです。だけれど政治思想・哲学が面白いのは、家族はこういう理由で政治的じゃないんですよというのを何度も何度も語り続けることです。つまり政治学は家族は政治の外ですよということを説明しつくす形で政治的に構築してきたわけです。
ですからフェミニスト政治理論家たちは、公私二元論こそが政治的な作用でつくられているという権力論にたどり着くんですけれども、とはいえこんなに私は経済学のことを自分なりに勉強しつつも、政治と経済との関係はほとんどあんまり考えてなかったことに、今回改めて驚きました。
本書の第1章のところで、フェミニスト思想というと社会学で発展してきたと言われていますが、いや哲学とかじゃないの?と私は思うんですけどね。ただ、すぐには政治学は出てこないんです。次のページにやっとフェミニスト経済学は政治学とも関わりがあるとは書いていただいているんですけれど。私もフェミニスト政治学というとやっぱり社会学、人類学、法学との関係を思い浮かべます。経済学って私も書いたことがないような気がします。これはこの本を読んですごく反省させられた点です。
本書はフェミニスト政治学の教科書としても使える
岡野 フェミニスト経済学のこの教科書では、経済学でも社会正義の問題を扱うべきと主張されています。ここも興味深く読んだのですが、政治学からすると経済問題は社会正義の一番根幹にある、貧富の差ですよね。政治的に再配分によって格差を是正していくことが社会正義の一番根幹にあるわけです。経済が私たちの日常をこれだけ規定しているにもかかわらず、これまで自分は無関心だったんだと。ケアに関してこれまでフェミニスト経済学を参考にはさせていただいたとはいえ、経済そのものに自分は無頓着だったのと気づかされたのです。実際には日本社会では市民はほとんど政治活動していない、政治家しか政治活動していないので、日常からすごく離れていて、政治について学生に教えづらいところがあるんですよね。フェミニズムと政治というのは。
その中で実はフェミニスト経済学のテキストは政治学におそらく一番関心が近いのではと思ったわけです。テキストとしてこれだけまとまったものが残念ながらフェミニスト政治学にはまだないので、政治学でも使えるテキストだと思います。
日本にいる女性たちが自分たちの権利獲得のためにまず目を向けないといけないのは、家族・世帯のことや賃金格差ですよね。生活の中で、私たちの政治の問題、権利の問題、それから健康安全の問題って経済の問題に関わっているんだという形で、フェミニスト経済学の間に政治って括弧で入れたいくらいで、政治学のテキストとしても使わせてもらえる。学生にはぜひすすめたいと思っています。実際にケアを勉強したい学生から相談を受けたときに、私はフェミニスト経済学の勉強が理論的にも人間社会を見るためにも、おそらく一番いいのではないかと紹介しています。ケアの倫理からだとあまりにも遠回りなので、今の女性の困窮なんかを考えるにはフェミニスト経済学じゃないか。これまでもそんなふうに伝えてきた学生の方々にすすめられる本だなと思いました。
フェミニスト政治学とフェミニスト経済学の協働
岡野 政治学と経済学って本来姉妹のような関係のはずなのに、こういうところも女性は分断されるのかと思うほど溝が大きいというか、先入観が溝を作っているというか。でも関心はすごく似てるはずですよね。おそらく皆さんそれぞれの分野で東ティモールなりバングラデシュなりの政治と密接に関係して、意思決定等を考察もしてこられたと思います。政治学で政治経済ってだからこそ言うのかなとか。
あらためて私は政治思想史なのであまりにも伝統的な経済と政治の、オイコスとポリティクスみたいな変な二元論がまだ刷り込まれているんだなと気づかされました。本当にたくさんの共通点がある。一番の共通点は、経済の外部も家族、世帯だったし、政治の外部も家族。なのでおそらく家族を中心にもう少しフェミニスト政治学とフェミニスト経済学が共に学べるはずですね。日本フェミニスト経済学会に政治学の申琪榮さんも入られているので、今後何か一緒に交流できるきっかけになるような本ですね。フェミニスト政治学者もたぶんこれをモデルにして、私たちも頑張らないと、と思わせてくれるような本だと思いました。
読書案内に取り上げられているクラウディア・ゴールディンさん、ノーベル経済学賞をとりました。私もそのニュースでようやくちゃんと読んだのですが、とても面白くて。私は経済学の本を見ると数式とか、あとなんか三角とか入っている(苦笑)、あれ見た途端拒絶反応を起こすんですが、ゴールディン先生の『なぜ男女の賃金に格差があるのか』(鹿田昌美訳、慶應義塾大学出版会)は読み物としてもめちゃくちゃ面白くて、今後皆さんの著書とセットで学生にすすめたい。実際にすでにフェミニスト思想という講義の中で両者を紹介させていただいています。大学院なので学生10人くらいしかいませんが。
私は本書にエンパワーメントされて、フェミニスト政治学って分野としてはとても小さいんですけれども、それでも一緒に闘えるシスターフッドを感じた本だったので、このたびはありがとうございます。ご苦労さまでした。これだけ網羅的で執筆者がこれだけいるにもかかわらず、まとまりのある、一冊で紹介されているという点で学ぶところも大変あったと思います。ありがとうございます。
金井 ありがとうございます。たぶん政治学もディシプリンとしてしっかりしていて、主流派の経済学もディシプリンとしてすごくしっかりしていて、だからこそ、それぞれのディシプリンの中で閉じられた関係だったと思います。フェミニスト経済学は、学際性を重視しています。今後も他の学問との交流も重ね、開かれた学問として様々な分野の人に読んでもらいながら、さらに発展することを願っています。
(おわり)
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