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『フェミニスト経済学』から政治・経済・歴史を捉え直す③

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フェミニスト経済学とは何か

金井 わかりました。お二人のお話から、『フェミニスト経済学』に期待をしてくださったことがわかり、とても嬉しいです。ここで、『フェミニスト経済学』にどのようなことを書いたのかを簡単に私たちから説明をさせていただきます。

フェミニスト経済学は、フェミニズムの視点から経済学を捉える学問で、女性に限らず、男性、子ども、高齢者などの万人を差別や抑圧から解放し、一人ひとりの権利を保障することで、万人のウェルビーイングの向上を目指すことを目的にしています。

日本でフェミニスト経済学を牽引してきた足立眞理子先生がおっしゃっていますが、フェミニスト経済学は一九六〇年代以降の第二波フェミニズムの思想や理論を経済学の学問体系の内部に持ち込んで、主流派とされる新古典派経済学の体系や方法を問い直して、先ほど岡野さんもご指摘くださったように、経済学をフェミニズムの視点から再概念化を図っていくものです。

主流派経済学の想定するアクターとしての「合理的経済人」にいかにジェンダーバイアスが入り込んでいるのかや、市場で経済活動する人が突然大人として現れることが想定されること自体を批判している点に特徴があると思います。市場で経済活動する人間は、突然、十分に成長した大人として生まれるわけではなく、脆弱な存在で、他者からケアを与えられなければ生命を保持することができない、他者に依存した状態で生まれることに目を向けます。

ニーズを充足するためのプロヴィジョニング

金井 その中で人間の欲望ではなく基本的なニーズを充足するプロセスを確保しなければ私たちの社会は持続することができず、このニーズの充足ができるかどうかはウェルビーイングに直結しているという立場に立っています。そこで、フェミニスト経済学は人間の生存に必要なものを備えて供給するというプロヴィジョニングという概念を用いて、プロヴィジョニングを分析の中心にして、非市場領域を含めてケアを中心に据えた経済学を構想しようとしています。

この分析の特徴としては、最初からアンペイドワークを分析に組み込みましょうということ、経済的成功をGDPの拡大ではなく、ウェルビーイングの向上と考えること、経済学では市場で選択行動を行うアクターは権力関係のない中に存在していると考えられていますが、権力関係を前提として社会構造に埋め込まれつつ能動的な行為遂行体としての人間のエージェンシーという側面を重視して分析の視点に入れること、経済学は科学なので価値判断をしないという理解が一般的ですけれども、倫理的な判断はむしろ有効で不可避だと考えていること。最後に、女性を一つの均質なカテゴリーとして理論化することの限界を認識し、インターセクショナリティの視点を分析に含めましょうということがフェミニスト経済学の分析の特徴となっています。

世帯内の意思決定や資源配分

金井 その中で何点か具体的テーマを取り上げて、さらに説明します。まず、世帯をどのように捉えるのかという点です。一般的な政策立案や貧困などの実態把握の際、世帯を一体のものとして捉えがちです。しかし、一人ひとりのウェルビーイングの向上が重要だと考えると、世帯の内部での意思決定や資源配分のあり方を権力関係や社会規範を前提に分析する必要があります。

世帯の中の意思決定と資源配分を理解するためには、協力と対立の両方を認めることが重要で、アマルティア・センの「協力的対立」という概念でみる必要があると考えています。特に日本は世帯の内部でも表面的には対立が見えにくく、たとえばテキストの中で三具淳子さんの研究を引用して示したのは育児休業を夫か妻のどちらが取るかを決めるとき喧嘩をするわけでもなく女性が取りますと決めるようにみえるプロセスはどのようなものかなどです。

また、家計管理も、日本では妻のほうが財布の紐を握っているから妻に権力があるんだとよく言われますが、実際の世帯内の消費の配分を見た家計研究からは、夫個人の消費の割合が最も高いのは、妻が財布の紐を握るタイプでした。日本のように世帯内の対立が表面的に見えにくくても社会規範や権力関係が複雑に絡み合って世帯内の意思決定や資源配分が行われていることに目を向けて分析しています。

アンペイドワークを分析に入れ込む

金井 また、ケアを中心に据えることにおいては、時間を資源として捉え、ペイドワーク、アンペイドワーク含めて何にどれだけ時間を割り当てるのかがそれぞれの社会の中でのジェンダー役割に影響されています。私たちも執筆している途中までは実は第6章の「労働市場」が先で、第4章の「生活時間」をあとの章にしていたのですが、ペイドワークは私たちの生活する時間の一部であるというメッセージを明確に伝えたいことに自覚的になり、順番を変えました。

第6章では、ペイドワークでの不利がいかにアンペイドワークと関係しているのかを書きましたが、アンペイドワークを最初から分析に入れ込むことの重要性がわかる章だと思います。私自身の研究テーマでもある、低処遇のパートタイム労働を女性自身が選ぶことについて選好や女性自身の選択という側面をどのように分析し解釈したらいいのかを、フェミニスト経済学が主流派経済学に対して格闘してきた分野だと考えています。その人の行動の目的がどのようなものであるのかを問いながら、権力関係の中にある個々人の行動としてあらわれる選択の結果がどのようなことに影響されているのかに着目し、個々人の行動や経済的成果について、構造とエージェンシーの相互関係とみなして分析しています。

次に長田さんから説明をお願いします。

多国籍企業と女性労働

長田 はい。私はグローバル経済、グローバル資本主義との関連の章を担当しました。特に私は第11章と第12章を執筆しましたが、本日は金融のグローバル化の話も少し紹介したいと思います。

フェミニスト経済学者たちは、これは私の認識ですけれども、やはり当初からグローバリゼーションやグローバル資本主義がもたらす女性やコモンズへの影響に注意を払いながら、批判的な立場から研究や実践に取り組んできたと思っています。その中でもフェミニスト経済学者が非常に初期の頃から関心を持って取り組んだのが資本移動、すなわち多国籍企業の途上国への移転の問題です。

途上国の輸出加工区がその典型であり、そこに多くの若年女性が資本にとって括弧付きですけれど最適な労働力として発見されたという事実です。これは第13章でも紹介されておりますけれども、フェミニスト経済学のパイオニアと称されるエスター・ボーズラップが、女性は開発過程から排除されており、だからこそ開発過程に女性を組み込む必要性を主張したのに対して、その後のフェミニスト経済学者たちは開発過程への女性の組み込まれ方自体が問題だと主張しました。

特に、先ほど申しましたように途上国の輸出加工区では若年の女性たちが企業組織の末端で何の権限もなく、また劣悪な環境の中で働いており、こうした点を問題視したと言えます。たとえばそうした実証研究は第11章で紹介しましたけれども、リンダ・リムによる東南アジアの電子産業の研究や、ダイアン・エルソンとルース・ピアスンによる「器用な指」言説に関する論文などが多国籍企業による輸出向けの製造工場に若年女性が動員されていることを明らかにしたということです。

彼女たちが従事する仕事というのが非常にジェンダーに基づく特性と関連しており、それはたとえば、女性は手先が「器用」、「従順」に働く、そして結婚・出産によってすぐ辞めるだろうと想定されており、それは資本の論理にとっては非常に「都合」が良かったということだと思います。

さらに九〇年代後半以降になると、国際貿易の自由化やIT、流通の発展に伴って、多国籍企業は自社のサプライチェーンを世界各地に配置し、さらなる生産コストの低減に努めるようになりました。こうした状況を踏まえて、フェミニスト経済学者は、グローバル・バリューチェーンのジェンダー分析をはじめとする、貿易のフェミニスト経済学という分野を切り開き、女性たちが「競争優位」の源泉としてみなされることのないように、理論、実践の双方から提言しています。

ジェンダー非対称な影響をもたらす構造調整政策

長田 グローバル経済、グローバル資本主義との関連でのフェミニスト経済学のもう一つの大きな貢献だと私が考えているのが、金融危機とIMF世界銀行による融資条件としての構造調整政策がジェンダー非対称な影響をもたらすということを明らかにした点です。これは李素軒さんが第10章で仔細に執筆されていますが、一九八〇年代の中南米の債務危機から始まり、一九九七年のアジア通貨危機、二〇〇八年のグローバル金融危機と二〇一〇年の欧州の債務危機に至るまでやはり構造調整政策によるジェンダーの影響はほとんど考慮されずに、途上国、先進国問わず男性に比べて女性に重い負担がのしかかったということだと思います。

フェミニスト経済学者はその要因として、危機の政策対応における男性バイアス(デフレバイアス、男性稼ぎ手バイアス、市場化・民営化バイアス)を指摘し、問題提起をしてきましたが、残念ながらこの提言が十分に検討されることはなく、これまで同じ問題が繰り返されてきたということだと思います。私自身はコロナ危機の政策対応も根底ではつながっているように感じておりまして、第10章で李さんが指摘されていますけれども、ケアエコノミーが常に「危機の衝撃を吸収するバッファーやセーフティネットの役割を果たしている」という指摘は本当に重要だと思っています。

グローバルなケアの連鎖

長田 それから最後に労働力の移動についても少し付け足しておきたいと思います。特に国際移動の女性化の現象については、先進国、途上国の双方でケアを供給しづらい状況に直面していることを示しており、これをケアの危機と呼びました。特に国際移動の女性化に伴って、グローバルケアチェーンと呼ばれる先進国女性、移民家事労働者、そして移民家事労働者の子供を世話している途上国女性という、「女性」のみによる連鎖が形成されています。

日本は例外として、多くの先進国では、女性たちが途上国からの移民家事労働者によるケアの「商品」を購入することで、その負担を解消しているという現実が存在しています。このことは、現代のグローバル資本主義における格差の問題を象徴的に表しているように感じます。

開発課題としてのセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ

金井 ありがとうございます。では古沢さん、お願いできますか。

古沢 私はおもに第13章「開発」と第14章の「環境・災害」を担当しました。第13章では山本由美子さんと一緒に開発という概念を問い直しました。これら二つの章は植民地支配以来からの経済開発とか経済成長のあり方をフェミニストの立場から問うものです。経済成長のあり方を問うという意味では、モノ・ヒト・カネのグローバル化をジェンダーの視点から分析した第10章、第11章、第12章と地続きです。

第13章では何にフォーカスするかでかなり悩んだのですが、セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツを開発課題として取り上げたいと思いました。マーサ・ヌスバウムも述べているように、身体の健康や安全は女性にとって必要なケイパビリティだからです。それから性のありようを決められる、そしてそれが認められることも人の人生と経済生活のウェルビーイングに大きく影響するものだと考えます。

フェミニスト経済学は、人間は一瞬にして一人前の労働者として立ち現れて、必要なくなったら一瞬にして消え去るものではない、ケアワークは経済行為なんだとずっと主張してきたのですが、そこで性と妊娠と出産というのは人が出現する前の重要な段階で、そのプロセスで暴力や強制から自由であり安全であること、自己決定ができることが必要です。また、人の性は人生と歩みを共にします。ですから、経済学の人的資本論には教育とか健康に加えて、こうした要素が入ってこなきゃいけないと考えます。

それから、人の妊娠・出産とその奨励・抑制というのは大変厳しい権力関係の中で行われており、その権力関係は、グローバル、国家、コミュニティ、そして家庭、カップルという重層的なものです。だからこそ南北を超えた女性運動を結ぶ結節点であり続けているということを指摘しました。HIV等の性感染症も、コンドームの装着から治療薬の知的財産権問題までこういった構造の中にあるものとして捉えました。

災害により増幅される平時のジェンダー関係の歪み

古沢 第14章では、環境破壊と自然災害によってもっとも大きな被害を受けるのは社会の中で富と権力から一番遠いところにある人たちだということをおさえました。そして、災害が発生すると平時のジェンダー関係の歪みが増幅される傾向があると、途上国と日本の3・11の例をあげて述べました。たとえば、アンペイドケアワークの責任の違いによる負担の非対称性は共通してみられる問題です。事例では、水俣病の有機水銀やベトナム戦争の「枯葉剤」など、母から子へ有害物質が移転され、世代を超えて被害者が今も苦しんでいることにも触れました。

ですが、フェミニスト経済学が強調するのは、「共有地の悲劇」のジェンダー的側面だけではなく、女性は自然の保全と活用に関する知恵袋で守り手でもあることです。ですから、女性が培ってきた知識や経験を価値のないものとして活かさないこと、また、女性の状況は一様でないとしても、当事者である女性に正確な知識や情報やスキルを提供しないのは、それこそ深刻な効率性の無視ではないかと考えます。

結論として、フェミニストは開発事業や環境政策の計画・実施・評価の各段階に女性を含めた住民の参加を重んじます。将来に発生する被害や紛争を避けるために民主的な意思決定を行う、そこに時間をかけるのは合理的なことだと考えるからです。運動論としては、平時と非常時の連続性を重視します。たとえば、SEWA(自営女性協会)というインドの働く貧困女性の団体が、まず共同保育を実践し、次に国の保育政策に関与し、災害時には生業と保育サービスの確保に取り組んだ経験を二つのコラムで取り上げました。

へ続く)


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