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日本の行政、司法、ジャーナリズムは向き合う覚悟あるか。巨大企業の矛盾に迫るNYタイムズ記者の告発と突き合わせて

発達障害の元契約社員がセールスフォース日本法人を障害者差別・ハラスメントと退職勧奨(雇い止め)で東京地裁に提訴した裁判で、裁判所からの和解提案に、被告会社は今なおハラスメントを認めておらず、謝罪や和解金の支払いをも拒否しており、和解は困難とみられている。9月1日に東京地裁527法廷で第7回期日が行われ、被告側弁護士の交代があった。次回は11月14日11時に第8回期日。

セールスフォースCEO VS ニューヨークタイムズ記者

そうしたなか、2022年1月に「ダボスマン 世界経済をぶち壊した億万長者たち(Davos Man: How the Billionaires Devoured the World)」という書籍が米国でベストセラーとなり、7月に邦訳が出版された。原著者はニューヨークタイムズの経済記者ピーター・グッドマン氏、邦訳は朝日新聞で長らく国際報道に携わりフリーとなった梅原季哉氏。

これは、パンデミックで世界的な経営者や巨大企業は富を増やした一方で、元々から弱い立場にあった人々は失業し、格差の拡大が過去最大規模で進行している、と警鐘を鳴らす著書。

ダボスマンとは2004年に政治学者のハンティントンが考案した造語だが、世界の最上層(圧倒的に米国の白人男性で占められる)を総称した呼び名として、ジャーナリストや学者が使うようになった。毎年スイスのダボスで行われる世界経済フォーラム・ダボス会議には、巨大グローバル企業の経営者などが多数参加する。この場に参加することは、現代社会におけるステータスとなってきた。

この著書に、「世界経済をぶち壊したダボスマン」の1人として、セールスフォースのマーク・ベニオフCEOが登場する。ベニオフ氏は世界経済フォーラムの理事でもある。

セールスフォースといえば、ベニオフ氏がビジネスと社会貢献の両立を目指すステークホルダー資本主義にコミットメントし、ダイバーシティや平等をうたうことで世界的に有名な企業だが…。

そうした発信を信じて入社してから、いま障害者差別・ハラスメントと退職強要を訴える、発達障害とうつ病をかかえたシングルマザー。職を失ってから経済的に困窮し、先の見えない生活を送っている。

日本でもコロナ禍で女性の失業者や自殺者が急増したということが統計から伝えられている。経済が落ち込むと、「いまは余裕のない時だから仕方ない」と優生思想が深化しやすいともいわれる。ナチス政権が台頭した時もそうだった。

著書で、2020年3月下旬、コロナ拡大で米国の多くの企業が大規模解雇を行うなか、ベニオフ氏が「90日間は大規模解雇を自粛すべき」と企業にツイッターで呼びかけていたが、のちに同年8月26日に同社から1000人の人員カットが発表された、という内容が出てくる。その前日には、ベニオフ氏は米経済専門チャンネルCNBCの番組に出演し、司会者のクレイマー氏から好業績を称えられ、「ステークホルダー資本主義の勝利」を宣言していた。著者はベニオフ氏に電話で迫る。

 2020年8月末、CEOのベニオフがクレイマーの番組に喜色満面で出演した翌日に、セールスフォースが発表した声明は、オハナ的家族愛に際立って欠ける内容だった。 「我々は企業として成長し続けられるように、資源の再配分を実行しています」。そして、対応の一環として「もはや我々の業務上の優先事項にそぐわなくなった、いくつかの職務を削減することになった」と表明した。
 90日間は解雇を自粛すると表明したベニオフの誓いはもう期限が切れていたので、彼は必要なだけ首を切れる状況だった。
 だが、ベニオフは私との電話で、そうした捉え方は不公平だと反論した。セールスフォースはその他の分野では人々を雇い入れており、その秋だけで 4000人に仕事を与えた、と彼は主張した。職務削減の対象になった1000人の従業員も雇用は確保されており、社内のほかのポジションに応募するよう勧めがあった。退社した人たちには、相応の退職手当を出した、というのだ。
 それでもベニオフは、ステークホルダー資本主義の勝利を宣言した翌日に 1000人の従業員を職務から解くというのは、あるべき姿とはほど遠いと 認めざるを得なかった。「PRとしては失敗した面があった」と彼は語った。
 セールスフォースは世界中で5万4000人を雇用している。「多少の調整をする必要があった」とベニオフは言う。「我々には成長して変革を成し遂げる能力が必要で、それを抜きにして目標は達成できない。より大きく、 もっと成功した企業でなければ、顧客や我々のステークホルダー、それから…… そう、ステークホルダーに尽くすことができない」

ピーター・S グッドマン. ダボスマン 世界経済をぶち壊した億万長者たち (pp.317-318). 株式会社ハーパーコリンズ・ジャパン. Kindle 版.

ブルームバーグによると、人員削減は世界の十数か所で行われ、セールスと顧客対応のチームの一部が対象となった。また筆者が日本法人の元社員から聞き取ったなかでも「コロナ拡大でのオフィス閉鎖でメールルームやパントリーでの業務に就いていた人が何人も人員削減の対象となった」という証言があった。

著書ではこのほか、「同社が合法的な口実を並べて法の穴やグレーゾーンを突いたやり方で、米国政府への納税額をゼロにしてきた」とまとめられている。「セールスフォースも含めた巨大企業が税金を納めないことで、米財務省は年間600億ドルの税収を失っており、そうしたなかで政府による社会福祉、職業訓練、教育、公衆衛生の事業は脆弱化している」とする。「自分たちなら政府以上に良い形で解決できる、と経営者は言うが、それは政府、さらにその支援を必要とする人たちからの富の収奪である」と著者は主張。「セールスフォース社が政府への納税を回避することによって節税した金額に比べれば、ベニオフ氏がカリフォルニア州のホームレス問題への解決のために出資した額は、切り捨て誤差のできる範囲でしかない。ベニオフ氏は2018年、ホームレス問題の解決のために700万ドルを寄付して企業への課税条例を成立させており、同社にかかる新税は年間1000万ドルとなっていた。そもそもカリフォルニア州のホームレス問題とは、セールスフォースも含めた巨大企業の高額報酬が住宅価格の高騰を招いたことに原因があった」と指摘している。

こう示されると、「ベニオフ氏のホームレス問題への解決策とは何だったのか…」となるのだが、後で述べるように、その発言を真顔で受け取った人物が丸の内のJPタワーにいた。

ダボス会議の理想と現実

ところで、「ダボスマン」の由来であるダボス会議では、障害者の雇用やバリアフリーを経営課題として扱うグローバル企業500社による国際運動「The Valuable 500(ザ・バリュアブル・ファイブハンドレッド)」が立ち上げられている。

コロナが来る前の2019年1月、ダボス会議で初めて「ビジネスと障害者」がディスカッションのテーマに選ばれることになった。「世界各地で障害者の就労・教育をめぐる不平等が危機的であり、これは政府や慈善団体だけでなく企業が関わることで、解決できる」という認識が共有された。これはまさに「ビジネスによる社会課題の解決」を目指すステークホルダー資本主義にマッチする。そこでThe Valuable 500がスタートした。

セールスフォースは2019年12月に加盟し、2021年5月に加盟500社(日本企業50社含む)のなかから「13の象徴的リーダー」の1社に選ばれた。同社は経営課題として「全社的に障害者社員比率を増やす(We will grow representation of people with disabilities throughout the Salesforce ecosystem.)」などを設定し、トップダウンで取り組むことをコミットメントしたのだが。

Salesforce’s Valuable 500 Commitment

筆者は提訴のニュースがあってから、The Valuable 500事務局に報告。その日のうちにThe Valuable 500米国担当者に情報が行き、米国担当者がセールスフォース米国本社に問い合わせ、翌日回答となって戻ってきた。“We’ve connected with our contacts at Salesforce to let them know about your inquiry and they are aware. They’ve let us know that while they cannot comment on ongoing litigation, if you have further questions please reach out to them at pr@salesforce.com.” (貴殿からの問い合わせについて、我々はセールスフォース社に連絡を取り、同社はその件を把握しております。同社は我々に「係争中につきコメントは控えますが、さらに質問があれば広報に連絡をお願いします」と伝えてきました。)

筆者はThe Valuable 500事務局に、「また新たな情報が入り次第報告する」と伝えた。

著書によれば「世界経済フォーラムの会合には不文律があり、パネリストは、 例えば不平等などあらゆる事象に関して批判できるが、そうした問題に責任を負っているのが会議の参加者たちだと非難することは禁じ手」といわれている。

しかしビジネスジャーナリズムの立場からいえば、「象徴的リーダー」であればむしろそれだけ見られて然るべき、といえるのではないか。

著書には、ベニオフ氏が、著者がダボス会議に懐疑的であり、「大半の企業はステークホルダー資本主義は隠れ蓑として使っているだけで、ダボス会議に集う人々のほとんどは今も金儲けのことを考えていて、だからこそ皆が参加していると思っている」と読み取って、著者に議論を挑む場面がある。

「よくわかる」とベニオフは言った。「そういう構図は私にも見えるから。 でも、私にはほかの側面も目に入ってくる。現実として生まれてきた、新しい種類の会話、新しいタイプの人々や現象だ」
  私の捉え方では全体像になっていない、とベニオフは主張した。「少なくとも真実のすべてじゃない。50パーセントか、もしかしたら60~70パーセントかもしれないけれど。だが、間違いなく、変革のくさびはすでに打ち込まれていて、どんどん大きな違いを生んでいる」
ベニオフは、自分が善行を強調するのは、単に広報宣伝文の素材を提供する ためではない、もしそうだったなら、従業員たちが気づいているはずだと主張した。彼らは会社を辞め、本当に社会的な目標を追求している企業へ行っ てしまうだろう、というのだ。
(中略)才能ある人材に対して門戸を閉ざす企業は、罰を受けることになるはずだった。だが、現実の米国資本主義の下ではその後も、職場の人種別構成を社会全体の割合へ近づけようという姿勢などまったくみせないような企業であっても、単に生き残るだけでなく、株主たちに大きな富を与え続けてきた。
 ベニオフ自身の会社が、いい例だった。セールスフォース社では、アフリカ系アメリカ人は従業員の3パーセント以下しかおらず、幹部職となるとわずか1・5パーセントだ。ベニオフは「最高機会均等責任者」として、トニー・プロフェットという黒人の役員を雇い入れていた。そのプロフェットがさっそく対処しなければならなかったのは、実際には社内のハワイ先住民やネイティブ・アメリカン、太平洋諸島の先住民族を合わせても1パーセントに満たないのに、 ベニオフが「オハナ」という言葉を用い続けるのは、一種の文化盗用にあたるのではないか、という従業員たちからの苦情だった。

「ダボスマン 世界経済をぶち壊した億万長者たち」pp318-319

2022年6月のセールスフォース米国本社株主総会では、投資家の一部から、同社では黒人・ヒスパニック系の社員の割合が低く、元社員のリンクトイン告発も起きており、人種平等への取り組みが不十分であるとして、自社だけでなく従業員や外部によるチェックを強化するよう求める人種平等監査決議案が出され、「同社では現状で十分にインクルーシブ施策をやっている」とする経営陣と対立する構図となっていた。

ステークホルダー資本主義とは何だったのか

なぜベニオフ氏は、「ステークホルダー資本主義」を言い出したのか。

著書は、ダボスマンの論理をこう伝える。

ダボスマンの論理では、富める者たちの慈悲深さと比べれば、労働組合など、経済活動への不要な干渉でしかないし、税というのは政府がマネーを差し押さえることを意味する。(中略)
その論理にダボスマンが付け加えたのが、政府に対する攻撃的な姿勢だ。公的機関の官僚は能率にも規律にも欠けるため、納税者からの金を必ず浪費 してしまう、と億万長者は主張する。自分たちならば対照的に、慈善活動の本来の使命へと、効果的にお金を振り向けられると説く。競争原理が支配するマーケットの浮き沈みの中で財を成した彼らこそ、しっかりと組織を作り上げて機敏に動き、私費を投じてはるかにましな効果を生むことができる、というのだ。ダボスマンはそのような論理で、自らの裁量でほんの少しだけ他者に与える施しの金が、多額の税金逃れと十分に釣り合いが取れた貢献で あるかのように、巧みに演出してきた。

「ダボスマン 世界経済をぶち壊した億万長者たち」pp50

ベニオフ流の〝思いやりのある資本主義〟では、本来カギとなるべき〝利害関係者〟の姿が塗り消されてしまっている。政府がどこにも関与していないのだ。彼が説き続ける「オハナ」のつながりには、労働組合も含まれない。

「ダボスマン 世界をぶち壊した億万長者たち」pp48

元社員の原告、日本の雇用行政当局も、同社にとっての「利害関係者」や「オハナ(ハワイ語で家族)」のつながりに含まれていないのは明らか。

ここで示されているダボスマンの論理を、日本市場に落とし込めば、こういうことではないか。「日本の雇用行政当局であるハローワークは、法律を盾に障害者の雇用を押し付け、目標未達になれば雇入れ計画という一種のPIP(パフォーマンス・インプルーブメント・プラン)を課してできなければ社名出して晒し上げという、企業活動に不要な介入をする存在であり、自分たちはハローワークなんぞにゴチャゴチャ言われなくても、優秀な障害者を雇用でき、並の企業以上に素晴らしい待遇を提供できる。」(対して米国では障害者の法的な雇用義務はない。ちなみに2021年にセールスフォース米国本社で障害のある社員は3.1%)

しかし、実態はどうだろうか。

障害者の雇用は伸びてはいるものの、2009年以降大半の年で法定雇用率を下回り年度ごとに160万~485万円の納付金を支払っていた。2018年頃まで「受け入れ部門がとまどう事も様々あり、相互理解に時間と労力を費やしてしまうことも多くあった」「働くことはもとより、健康管理を含む勤怠もままならないケースがあり、自ずと雇用に関して消極的になってしまうという負のスパイラルに陥った」(同社と連携する就労移行支援事業所)、「バックオフィス中心に少人数雇用するにとどまっていた」(関係者リンクトイン)。2020年には行政への報告が適切に行われていなかった(罰則規定あり)こともあった。そうしたなかで労働紛争が起きた。厚生労働省の社名公表リスクを抱える状態だった。バックオフィス以外にも職域開拓は進められ、2022年5月には「法定達成していた」(関係者リンクトイン)ものの、今後も達成を維持するかは不透明。

「障害者の面倒は私の仕事じゃない」「あなたのメンター? 絶対嫌!」これらは、元社員である原告の配属先上司が語ったとされる言葉として、訴状に示されていた。障害者雇用は現場の管理職の反対に遭うなど、混乱が続いていた。

社内で苦しんでいたのは訴えた1人だけでなく、何人もいた。「私も合理的配慮が守られておらず、1日待機状態だった」「途中で交代した上司には精神障害への理解は全くなかった」という声が上がっている。同社では過去2年間で短期契約満了となった障害者が少なくとも3人(うち2人は不本意な契約満了)判明しており、提訴したのはそのうちの1人。

ここまでの問題が発覚してもなお、セールスフォースに応募せざるを得ない障害者もいる。社会全体に質が保証された雇用の受け皿が圧倒的に不足しており、特に発達・精神障害者や地方の障害者の働く場所は限られている。

同社には、ベニオフ氏のホームレス問題への発言を真顔で受け取り、日本的経営で取り残された発達障害者を、ビジネスと社会貢献の両立を目指す同社がすくい上げるとひそかに考え、障害者採用に名乗りを上げた人物がいた。関係者の就任は2019年2月で、同社で増員計画が本格化したタイミング。当時同社が入居していた丸の内のJPタワーから、現在の大手町の自社ビルに移転する前のことだった。関係者はツイッターで、フォーブス日本版の記事「ホームレス問題で激論のツイッターとセールスフォースCEOら」(2018年10月15日)をシェアするとともに、米国本社でのイベント、ドリームフォース2016に参加するためにサンフランシスコを訪れた時、ホームレスが多いテンダーロイン地区でその現実を目の当たりにした、ということを綴っていた。(注釈・「ギフテッドリクルーティング」とは、関係者が当時立ち上げた発達障害者のIT就労支援事業)

「2年前にサンフランシスコのテンダーロイン地区を1人で歩いたが、昼間から虚ろな目をした人達を沢山見て、シビアな現実を体感した。日本でも発達障害から周囲の理解を得られずホームレスになるパターンも多く、ギフテッドリクルーティングを行う我々の活動が急務であると感じる。」(関係者ツイッター)

筆者は、同社が代表者以下多くの関係者をインタビュー記事やイベント登壇という形でメディアに登場させるなか、まだほとんど世に出たことがなかった、発達障害があり、不登校になるほどのいじめ、何社も解雇、アトピーやうつに苦しんだりしながら、ビジネスと社会貢献の両立で優れたイメージを築いた巨大IT企業である同社に定着でき、「障害者も専門部署で職域開拓し、健常者と同じ給与水準に」と障害者採用に名乗りを上げた関係者のキャリアストーリーを、同社に提案したことがあった。それは日本の発達障害支援にも変化をもたらす、と信じられるものだった。

セールスフォースの調査報道はこうして始まった。この時には、「コロナ以降のリモートワーク化のなかでの新たな障害者雇用を模索中」という理由(この時の回答も第一報の記事に使うことになった)で、取材は実現しなかったが、実現させるタイミングを待つことにした。しかし労働裁判が焦点になるとは全く予想していなかった。後になって気付いたのだが、筆者が取材を提案した2020年9月、既に同社では労働裁判の原告との間で互いに代理人弁護士を立てての紛争になっていた。

話をダボスマンの論理に戻す。著書は、ダボスマンの論理が政治的にまかり通ってきた理由には、「繁栄の歓びを奪いに来る政府に対して、英雄的な個人が立ち向かう」という、米国人が好みそうな図式があると指摘し、富の独占に反対する者は誰だろうが「反ビジネス的」「社会主義的」とレッテルを貼る見方を根付かせたことが勝因とする。世界各地で、偏狭さや憎悪を煽る勢力の影響で、巨大企業のこうした行いには相対的に社会の人々の関心が向きにくくなっている状況や、社会の不和や機能不全によって政府の統治能力が落ち、本来あるべき権力の相互抑制機能が失われたことを指摘。それを良いことに、巨大企業は「暴利を手にしている」のが問題と主張する。

ハローワーク飯田橋の上級官庁である東京労働局職業対策課の大賀地方障害者雇用担当官は、セールスフォースにどのような指導や措置を行ったか、報告義務違反で罰則が課されたかどうかは「会社の個別事案につき回答できない」としたうえで、「増員計画をすれば雇用すべき障害者数が増えるので、今後も注視していく必要がある」「雇用状況報告がされていなければハローワークは雇入れ計画作成命令を出す根拠になる数字を把握できず、達成指導が入るかどうかの判断ができない」と述べた。報告未提出企業には督促状を出すなどして対処しているという。2020年にはコロナの影響で、厚労省は報告の提出期限を延長する措置を取った。企業が在宅勤務に切り替えるなか、ハローワークの企業への指導にも支障が出ているという。

日本法人で、障害者雇用状況が適切に報告されていなかった問題や、差別訴訟は、そうしたなかで起きた。

障害者雇用訴訟の原告の請求する損害賠償額は約1200万円だが、これは同社の2022年2-4月期の売上高74億1000ドル(約1兆143億円)からみれば、どれほどの割合なのか。「俺たちが必死に上げた売上を、こんな奴のために使うのか」という敵意で臨むということがあれば、「ステークホルダー資本主義」とは一体何だったのだろうか。

ステークホルダー資本主義はあくまで自発的な取り組みで、慈善行為は任意に基づく行動だ。だがCEOの中には、これらをイメージアップに使いながら、実際には今までと何も変わらない手口で経営を続ける者が出てくる。ベニオフですら、そのことは認めざるを得なかった。
「その危険は現実にある」とベニオフは言った。「ただ、我々は進歩していると私は思う。これが革命だとは絶対に言わないが、私に言わせれば改善だ」

「ダボスマン 世界経済をぶち壊した億万長者たち」 pp321-322

ではどうしたら?

「歴史をみれば、富の偏りは、少数の金持ちによる善意の行動などでは改善せず、ステークホルダー資本主義でも無理だ」と著書は指摘する。ではどうしたら?

著書は、「ダボスマンから権力を奪還するためには、暴動も、革命思想も必要ない。必要なのは、ずっと手元にあった道具を賢く使いこなすことだけだ。その道具が、民主主義である。」とだけ結んでいる。

このような巨大米国系企業に、日本の行政、司法、ジャーナリズムが向き合う覚悟はあるか。セールスフォース日本法人は、表面上は平等や多様性を重視といって就労支援機関と連携した定着重視の環境づくりをアピールしながら、その実態は日本の障害者雇用制度を守る意識が希薄と言わざるを得ない。

「雇用率達成ありき」制度のあり方をチェック

2020年には障害者雇用状況報告が適切に報告されていなかった問題(罰金30万円と重いものではないが)が見つかっている。雇用管理のずさんさが現れた。

ここでもうひとつ問題なのが、雇入れ計画の判断材料となる不足数を意図的にハローワークが把握できないようにしてかいくぐる、ということもできてしまうということだ。厚生労働省が示す雇入れ計画の対象となる基準は、6月1日時点で不足数5人以上かつ実雇用率が前年の全国平均実雇用率未満。同社では2020年度には納付金355万円を支払った記録があり、大幅未達状態だった。納付金は1人当たり月額5万円で、つまり2020年度には毎月平均5.91人不足していたことになる。同社が意図的に雇入れ計画を回避しようとしていたかどうかは判断できないが、2020年6月1日の不足数に基づいて本来指導が入るべきところに入らず行政の判断を歪めた可能性は否定できない。そして2021年6月1日の不足数が4人以下になっていれば雇入れ計画の対象から脱し、逃げ切れることになる。実際には2021年6月1日の不足数は5人で、雇入れ計画の対象となる基準から脱してはいなかったが。

現在同社が雇入れ計画の対象となっているかどうか、東京労働局は明らかにしていない(これは法律上、雇入れ計画の結果を経て社名公表、というプロセスになっていることで、ある程度は理解できる)。2022年5月には雇用率を達成していたことを関係者がリンクトインで明かし、社名公表リスクは回避されたもようだが、今後もその状態を維持するかどうかは不透明。(2022年9月13日追記・現在では、関係者リンクトインプロフィールから「達成」という記述はなくなっていた)

企業の実態を十分に精査せず、ただ雇用率が達成されていれば良い、改善されたと判断されれば処分が甘くなる、と受け取られている現行の制度。こうした制度のあり方をチェックし、改善を求めていくのが、ジャーナリズムではないか。

現行の納付金制度や各種助成金制度も、インセンティブとして機能しているとは言い難い。一般に、従業員規模別での障害者雇用率は大企業で大きく、中小企業で小さい。中小・ベンチャー企業で障害者の雇用が進まないのは、雇用は無理せず最小限にとどめ不足数は納付金の支払いで対処しておく方が経営上で理にかなっていると考えられている可能性があり、大企業で雇用が積極化しているのは、雇用して受け取れる各種助成金や雇用率を達成した企業が受け取れる調整金よりも「企業名公表」という不名誉が「罰則」として効果を発揮してプレッシャーとなっている可能性がある、という見方もある。同社で雇用が積極化したのは、従業員数1500人を超え、増員計画が本格化した2019年以降だった。

司法を障害当事者コミュニティは見ている

さて、こうしたなか起きた裁判で、一見真っ当なビジネスの論理を装って近づいてくる価値観や判断基準が判決のなかに入れ込まれていくことによって、いままさに著書「ダボスマン」で警鐘が鳴らされているような、巨大米国系などの外資系企業によって進められている、思いやりのある資本主義という美名のもとで、コロナ禍に乗じて法の穴やグレーゾーンを突いた労働者の権利のはく奪とみられるようなことや、またそこから現に生まれている不当な格差や貧困といった現実を、日本の司法が追認して上塗りするということを意味することにならないか。

そうした判例が作られれば、今後類似した問題があった時、具体的にはハラスメントや退職の手続きに不満があると訴えてきた人がいた時に濫用されかねないのではないか。少なくない数の差別主義者を喜ばせ、そうしたくてもできなかった日本の大企業から「よくぞやってくれた」という声なき声が聞こえてくるのではないか。一方で、ただでさえ年収200万円前後の契約社員やパート・アルバイトが多数派の障害者の雇用には、大きな不安定さをもたらし、定着支援の流れにも逆風となるのでは、と言わざるを得ない。厚労省の統計上、障害者の解雇・雇い止めは過去3年間は令和元年度は2074人、令和2年度は2191人、令和3年度は1656人と推移しており、理由は事業廃止によるものがおよそ半数だが、この傾向にも何か変容が現れるのではないか。

企業側弁護士としてハラスメント相談に乗ることが多い宮澤勇作弁護士による解説サイトによると、今日のハラスメント訴訟実務では、それがハラスメントと評価されるのかどうかという点で争いになることもあるが、ここで被害者側が主張するハラスメントの事実の全部又は一部が認められる場合、被害者側からの請求を退けることは、ほとんどの場合不可能にならざるをえなくなっていくという。(出典:パワハラやセクハラで訴えられた場合の対応のセオリー)。訴える側の視点でハラスメントと主張される行為があったこと自体は認めるものの、それに加害者独自の意味づけをして不当なハラスメントとはいえない、と主張するのは避けるべきであり、判決や賠償額に影響することもありえる。(出典:パワハラ等の加害者や会社のNGな反論と対応

原告の上司が障害者雇用への反対姿勢を示していたという証拠は、録音や社内で相談した記録などの形で出ている。(「障害者の面倒は私の仕事じゃない」「あなたのメンター? 絶対嫌!」という言葉は録音できていなかったという)しかも、人事部の責任者が原告からのハラスメント相談の内容を本人の承諾なく上司に伝えるなど、ハラスメント対策の基本を怠った対応をしていたこともわかっている。

同社の言い分は「障害者だからといって特別扱いが許されると思ったら間違いである」「本人がコロナ拡大のなかメンタル悪化後の復職に向けた通勤訓練ができず、これ以上の雇用は継続的でないとし、本人に合った職場への転職を勧め、契約満了した」「不機嫌になっていたことで、ハラスメントのつもりはなかった。合理的配慮も十分にしていた」というもの。同社ではコロナ拡大初期から在宅勤務切り替えを対外的に発表し、障害者採用の社員も含め大半の社員が在宅勤務となっていた。しかし原告には通勤訓練が行われていたことがわかっている。通勤訓練の必要性には疑問がある。

上司が障害者雇用への反対姿勢を示すようになっていった動機や、組織としての処分に踏み込むことにならなかった事情の解明も待たれる。「障害者雇用への反対姿勢」と「メンタル悪化し休職」との因果関係も焦点になるとみられる。

原告含め声を上げた元社員3名、問題に立ち上がった弁護士・ジャーナリストは、発達障害や精神障害の当事者たちだった。日本最大の障害者団体の集合体であるDPI日本会議、日本自閉症協会・東京都自閉症協会が、傍聴を呼びかけるなどの形で連帯を示している。

日本メディアの報道が低調ななか、筆者はいま、外資系企業への転職に活用されるビジネスSNS・リンクトインで調査報道を展開し、論調を主導している。閲覧回数は1回の発信につき3300回となり、特に外資・国内IT・HR関係者にリーチし、発信を重ねるうちに多数のコメントが来るようになっている。同社は係争中を理由に対外的に説明せず、多数の広告を通して、世界で最も素晴らしい職場環境であるように発信し、採用を活発化させている。安心して応募できるのか。

米国本社の監督責任は…

米国本社としても、日本法人のガバナンスが効くように監督することが大切であるはずだ。

原告は米国本社の最⾼機会均等責任者のプロフェット⽒(当時)にも、「障害者採⽤で⼊社しましたが、上司からのハラスメントでとても苦しんでいます。助けてください」と英⽂でメールを送ったが、プロフェット氏から返ってきたのは、「セールスフォースはこんなに良くなっていますよ!」というようなタイトルで、「⼥性幹部〇%増加」「マイノリティ支援〇%増加」といった実績を書き連ねただけのメールだけだったという。(このメールは証拠として残すことができなかったという)

一般に、外資系企業ではハラスメントやコンプライアンスに厳しく、解雇も含めた日本企業以上に踏み込んだ処分が行われていると言われているが、実態はどうだろうか。かたや「外資系企業は極端な成果主義でクビ切りが横行している」というイメージも日本では根強くある。外資系企業の日本法人で不当解雇が法律問題となるのは珍しいことではない。障害者の雇用では定着が大事といわれているにもかかわらず、日本の解雇規制を非効率とみなし、極端な生産性の論理で何かあれば「自分に合った職場に行けばよい」とするような動きが障害者雇用にも持ち込まれることがあれば、大きな不安をもたらす。障害があっても成果を上げていくことは大切だが、これまでは「厳しい」で済まされてきたことも、見直される必要がある。


取材後記

著書「ダボスマン」について、セールスフォース社の日本法人や米国本社は把握しているか、どのような見解を持っているか、広報に電話とメールで問い合わせたが、9月1日18時時点で返答はない。

著書の版元であるハーパーコリンズ・ジャパンに引用の意思は連絡し、了承済み。翻訳者の梅原氏にも、引用の意思をリンクトインで伝えたところ、「日本に引き付けて発信していただければ潜在的読者層を増やすことにつながる」と返事をいただいた。梅原氏に、出版後にセールスフォース社など著書に登場した企業から何か連絡があったのかも尋ねたが、「やりとりは発生していない」と回答。

「ダボスマン 世界経済をぶち壊した億万長者たち」については、7月20日のプレジデントオンラインの記事にも少し紹介がある(世界をダメにしているのは英雄気取りの大富豪である…「コロナ禍」に乗じて暴利をむさぼるダボスマンの正体)。


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