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最後は上野公園になりたい
通勤や家賃その他あらゆる制約がなかったとして、どこに住みたい?とふと長年の友人に聞いてみた。私はこれを聞かれるとうーん…と考え込み、その果てに海外?とか言い出してしまうのだがその友人は即座に「不忍池のそばがいい」と返してくれた。私はすぐ、めっちゃいいな…と思った。
不忍池というのは、東京は上野公園にある大きな池だ。夏には蓮の葉がぐんぐん育って池を覆い、花を咲かせる。水鳥がたくさんいて、賑やかなのになんとなく静か、そんな場所だ。
「というか、上野公園が好きなんだよね。わかりやすいパワースポットって感じじゃないのになんでだろ」と彼女は続けた。まぁ良い場所ではあるが…と少し考えてひらめいた。
「もし人だったら、あんなに魅力的な存在いなくない?うちら、できればあぁなりたいんだと思う」
上野公園という場所を擬人化して例えるならば…
古今東西のあらゆる美術に精通しており、科学にも明るく歴史にも愛が深い。学びの場としての機能も果たし、あらゆる祈りに寛容。あらゆる場所へのアクセスも良いつまりフットワークが軽そうだ。動物も好きだろう。そして開けていて風通しがよく、四季折々に美しい。
自分で言ったことながら納得してしまった。
憧れる。こんな人になれたらどんなに良いだろうか!
今私の住む場所を流れで擬人化するとしたら、それはそれで好きだ。古道具を愛しクリエイティブにも貪欲、個人店と専門店好きなグルメで自分のために花を買い、パンもお米も自炊も外食も大好きでこだわるコーヒー愛飲家。きっとそんな人かもな〜と言ったら、コーヒー以外わりと夕立じゃんと言われて照れてしまった。彼女の住む街を擬人化するなら、多国籍料理に明るくて素敵なデパートがあり上演系の芸術を楽しむ場所も多くて他路線に通じている。あれ?こっちも友人っぽい。いいなと思って暮らす街にはパーソナリティ的な相関があったりするのだろうか?
しかし上野公園は改めて、スケールのでかい愛に満ちている。最後は上野公園になりたい。いつかこの世を去るまでに、自分で自分のことを上野公園のようだと思えるようになったら。あるいは、あなたは上野公園のようですねと言われるようになったら(そんなことあるかよというのは置いておく)。もうそれで私の人生は良いものだったと思って良いということにした。
もうすぐ冬が終わる。ここ数年、立ち入り禁止になっていた上野公園の桜を、今年は見に行けるだろうか。春になったら出かけていこう。
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