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人生で本当に大切なことは?〜「君たちはどう生きるか」ブックレビュー

「人間って、分子みたいなものだね」

 これは物語序盤にあった、主人公コペルくんのセリフだ。 


 この物語は、中学2年生の純一くん(通称:コペルくん・叔父さんがつけたアダ名)が、学校生活や友達・家族との関わりなどの日常生活から、コペルくんが考え辿りついた物事の見方や真理を通じて、コペルくんがどう生きようと決意したかまでを描いている。

 その決意を見て、あなたはどう生きますか?という問いかけで物語は締めくくられる。


 この本は、タイトルどおり「君たちはどう生きるか」を問う本である。


 子供たちに向けた哲学書であり、道徳書でもある児童文学なのだが、80年も前の作品でありながら、今の時代にも当てはめられるような格言が多く見られ、たくさんの人の心をうつようだ。


この物語のどこに、一番胸をつくか。


 たくさんの方のレビューを見てみたが、それは人それぞれのようだ。
 私が印象に残ったものでも、同じように皆思うわけではないようである。その人が歩んできた人生によって、物語に対する意味付けや捉え方は全く違うようなのだ。


 読む人が、どのような年代なのか。
今までに、どんな心を揺さぶられるような経験をしてきたのか。
その経験を通して何を感じ、思ったのか。


 「百人百様」とはよく言うが、
生き方も、人生の答えも、人それぞれなのだとは思うが、本当の自分らしさとは、自分の生きる道とは何なのか。
そんなことをこの本は考えさせてくれる。

 昨今、ニュースを見ると、政治家の汚職、著名人の失言、差別や優生思想、いじめや一般市民の犯罪事件、格差が広がり争いの絶えない世界情勢、人間優位で進んでいく環境破壊や人為的な地球温暖化・・・

 悲しくも虚しくもなるような出来事が世の中にはたくさんあるが、遡ってじっくり考えていってみると、


私たち、一人ひとりがどう生きるか。


これに尽きるのではないだろうか。



 私たち一人ひとりは、コペルくんの言うように、分子のようなもので、決して世界の中心ではない。

 そして、取り返しのつかない過ちを犯してしまったり、一生後悔するような経験をしたことは、きっと誰しもあるだろう。


 やってしまったことは、もう元には戻せない。だが、大切なのはそこからなのではないか?
 現実を受け止め、自身の過ちを認められるのか? その上で、これから自分はどう生きていくのか?


 この本から、そんなことを語りかけられたように感じた私が心に残った、2シーンの中のセリフを紹介したいと思います。


※ここからは少し軽くネタバレになるので、見たくない方はここでストップして下さい。


シーン1

「人間って、分子みたいなものだね」

 おじさんと行ったデパートの屋上から見た、街を行き交う人々を見て、世界は様々な人々で構成されていること、そして自分も世界中のたくさんの人々に支えられていることに、コペルくんは考え気が付いていく。

そこからコペル君のおじさんの「ものの見方」に関する話が展開する。


 人間は子供の頃は自分を世界の中心だと思っているが、大人になるほどそうでないことに気付いていく。

 だが、大人になっても自分を中心に考えてしまう傾向はどうしても存在する。

 そして、大人でも自分が中心で世界がまわっているように考えてしまう人もたくさんいる。

 そうコペル君に説いた、叔父さんの言葉。

「自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当のことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本当のことも、ついに知ることができないでしまう。大きな真理は、そういう人の目には、決してうつらないのだ。

シーン2

 友達がピンチになったら共に闘うと、友達と誓いあったコペル君。しかし、イザその時になると、勇気が出せず、コペル君は友達を裏切ってしまう。

 自分の行動に失望すると共に、これから自分はどうしたらいいのか、思い悩むコペル君。

 そんな中でも、どうしたらまた友達と仲良くしてもらえるだろう、自分は悪くなかったと思ってもらえるだろうなど、保身ばかりコペル君は考えてしまう。

 そんなコペル君に叔父さんが言った言葉、そしてお母さんとの会話。


叔父さん

「コペル君、ここは勇気を出さなけりゃいけないんだよ。どんなに辛いことでも、自分のしたことから生じた結果なら、男らしく耐え忍ぶ覚悟をしなくちゃいけないんだよ。
 考えてごらん、君が今度やった失敗だって、そういう覚悟ができていなかったからだろう?一旦約束した以上、どんな事になっても、それを守るという勇気が欠けていたからだろう?」
「また過ちを重ねちゃあいけない。コペル君、勇気を出して、他のことは考えないで、いま君のすべきことをするんだ。過去のことは、もう何としても動かすことはできない。それよりか、現在のことを考えるんだ。いま、君としてしなければならないことを。男らしくやってゆくんだ。こんなことでーーーコペル君、こんなことでへたばっちまっちゃぁダメだよ。」

お母さんとの会話より

「でも、純一さん。そんな事があっても、それは決して損にはならないのよ。その事だけを考えれば、それは取り返しがつかないけれど、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを、心にしみとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃあないんです。それから後の生活が、そのおかげで、前よりもずっとしっかりした、深みのあるものになるんです。純一さんが、それだけ人間として偉くなるんです。」
「だから、どんな時にも自分に絶望したりしてはいけないんですよ。そうして、純一さんが立ち直ってくれれば、その純一さんの立派なことは、そう誰かがきっと知ってくれます。人間が知ってくれない場合でも、神様はちゃんと見ていてくださるでしょう。」

 人生の中でこういう会話ができる人と巡り会えることは、私はとても素晴らしいことだと思う。


 さて、「よい」人生とは一体どんな人生だろうか。

 そんなことを私たちに問いかける「君たちはどう生きるか」は、人生の意義や自分の生き方を、改めて見つめ直してみたくなる一冊だ。

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