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発想の転換、音楽・言葉の力

本日、付き合いの長い方と深い話…と言うか相談に近い内容の話をして来ました。
音楽や詩を制作する私にとって、発想の転換ともなる話で、書き綴っておきたいと思います。

音楽や詩の表現ついての悩み相談のだったのですが、ポジティブ・マジョリティ的な表現や活動が評価される事へのコンプレックスみたいな内容での相談でした。

確かに、何かで表彰されたとか皆にウケるとか、華やかな表世界での表現活動は評価の対象になります。

楽しい・嬉しい・前向き・頑張る・大丈夫…
概ねそう言った意味合いのもの。

しかし、私はその対極もあって然りだと考えています。
ネガティブ・マイノリティな表現、それらは私が表現していく上で、大切な要素や原動力となっています。
淋しい・悔しい・辛い・泣きたい・心の闇…

つい最近まで私の活動は、後者の自分を隠して…と言うより割り切りを持って前者の活動をしていました。

しかし、やはりそれだけでは物足りないと言うか、人間としての表現に限界を感じることが多々ありました。

どこかで、人は感情を喜怒哀楽をセットで持っているため、ポジティブな要素だけを持とうとしたらネガティブな要素も付いてくる・ネガティブな要素を取り除こうとしたら、ポジティブな要素も取り除かれる。と聞いた事があります。

音楽療法で、同質の原理…と言う概念があります。
現在の心情に寄り添ってくれる同じ性質を持った楽曲を鑑賞・演奏する事によって心が浄化され、生きる力を取り戻すと言う原理。
悲しい時は悲しい曲を、怒りに打ち震えている時には怒りをぶつけられる曲を…
そうやって音楽で寄り添われたり、発散出来たりする事によって、本来の自分を取り戻す…
何とも不思議な話ですが、それこそが音楽や言葉の力だとも感じます。

今日お話した方も、そう言ったネガティブな表現も人を救う事ができるから、その表現を躊躇する必要はないよ、とおっしゃって下さいました。

失恋の曲に涙し、次の恋を始める気持ちが湧いたり、激しいロックを聴いて普段の社会生活で我慢している気持ちを発散したり…

そして現代は、マスメディアが流すポピュラーな楽曲を共有する時代から、細分化されたメディアやSNSから発信される様々な表現を個人単位で棲み分けの時代への返還を遂げているとも言われて久しくもあります。

ですので、こちらでは他のSNSではなかなか発信しづらい楽曲や詩を上げていけたら…と思いを馳せています。
同じような考え、気持ちを持たれている方がいましたら大変心強いです。


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