ありがとう…そして、またね
この間、このnoteに、父との残り少ない時間のことを書いたが、とうとう、頑張ってきた父が、遠い天の国へ旅立ってしまった…。
父が亡くなってから、日数は経ったものの、未だに、父が亡くなったという実感が無い。
そして、父が危ないかもということで、病院に入院してから5日後…その間も怒涛の日々だったが、父は旅立ってしまった。
その後も、通夜と葬儀と、ホッとする時間も難しく、時が流れていった。
もうまるで、遠い過去に、通夜と葬儀をしたような気分だ…。
でもその反面、え?もう1か月近く経つ?…と、時間の感覚がおかしく感じている自分。
人は生きている間は、自分の地位や名誉に拘る人が多いな…と感じることが、よくある。
でも死ぬときは、皆、同じかもしれない。
どんなに偉い人でも…。
父はよく私に、父が中学生の時も、お店の出前の手伝いを手伝わされたりして、部活など、ろくに参加できなかったという話をよく聞いていた。
子供らしい子供時代?…皆が通るような時代をまともに過ごせたことが無かったと。
父は、もう、その時からずっと、仕事、仕事だったのだなと。
でも、仕事をとても大切にしていたし、自分のお店を本当に愛していたというのが、とてもわかる。
そんな仕事を辞めてしまって、お店からも離れてしまってからは、父はどんどん病気が出てきて、身体も弱ってしまって、亡くなってしまった。
仕事を辞めたら、ゆっくりと夫婦の老後を過ごしたかった母にとって、この悲しみの大きさは…どんなものだろうか?…
今はまだ、私も、前を向いてはいるが、自分の人生というものについて、色々と考える。
とにかく、後悔しないように、色んなことにチャレンジしたいという思いは強い。
あの時、ああすれば良かった…。
失敗したとしても、やってみて良かった!と思えたことの方が、これまで沢山あったから。
失敗を自分で乗り越える力をつけていくことが、人生の学びではないか。
精神の修行ではないか。
とにかく、自分の道を真っ直ぐに歩むのみだ。
その脇に、子供、家族があって、そのことからも色々と学んでいくのだろう。
父もきっと、そうやって歩んだから、死ぬことが怖くなかったのかもしれない。
私も、より一層、生きることの意味や自分で自分を磨くことなど、深く考える経験ができた。
父には、ただただ、『ありがとう』。
その言葉だけである。
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