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2つ目の自分(12)>生活がリハビリになるから

2つ目の自分(11)>褒め言葉は「根性あるな」 から続きます。


「生活がリハビリになるから」

これは病院を退院する時、親身になってくれていた看護師さんが言ってくれた言葉。ずっと私の中に残っていた。

感銘を受けた同病の著者、医師でもあったきっこさんを訪ねたり、当てもない場所でカメラマンアシスタントのインターンをしたりと、その行動力にも拍車をかけた。なんでもリハビリ。いってみると、それほど当時の私は、初めからうまくいくことなど、皆無だったのだけれど。

大学を留年して新しく仲良くなった友達と、大阪Zeppの会場で催された就職セミナーにだって、顔を出した。その時の私には就職なんてこれっぽっちも現実的じゃなかったし、人がたくさん集まって真剣に話を聞いていても、私にはなにがなんだか。同じようにパンフレットをもらい、ブースに立ち寄り、右から左に抜けてく話を聞く。今の私が出来る経験は、なんだってしておきたかった。ただそれだけ。

私に出来ることはなんだろ、なんで生きてるんだろ。何とも絡みあえない導線を、焦点の合わない目で見つめていた。空っぽだったけど、新しくできた友人がいたことは、救われてもいた。思うようにコミュニケーションが取れない絶望を、家に帰っては毎晩、反芻しながらもね。

以前から好きだったファッションで自分を表現すること。それには救われてもいた。退院してすぐの母がまだいる時に、ゼミの課題で一緒に古墳へ行ったことを覚えている。(環境デザイン学科だったのだ。)近くの古着屋で買ってもらったばかりの服に、お気に入りのTシャツとスニーカーを合わせて。その時の写真が残っているが、古墳をバックに、お気に入りのカラフルな服を着た、血が通っていない病人の顔したわたし。なんともシュールだ。

病院から一時帰宅できる頃から、両親は好きだった古着屋に連れて行ってくれた。そういえば、たくさんの色がある店内に目が回り、すぐ気持ち悪くなってたな。

それにも時期に慣れたのだろう、生まれ変わった私も、相変わらず洋服をコーディネートすることが好きだった。毎朝毎朝、服を気分で合わせる。当時は芸術大学生らしく、奇抜な服装でもあった。退院後すぐにこの私に戻れたから、そしてそれを同級生達が面白がってくれていたので、随分と気が晴れる部分があったのだろう。ほんの少しだけ「私らしいアイデンティティ」が表現でき、またそれを認めてもらえたこと。これが「わたし」が「私」として生きる第一歩目だったんじゃないかな。今だからこそ思うこと。

以前話したブログを通して出会った東京のお姉さんとは、その後も頻繁にやり取りし、長期休みに東京に行った時は、長く泊めてもらうこともあった。彼女も同じ経験をし、這い上がっていた。その後ろを付いていくように、いつもその前向きさに助けられた。「乗り越えられない試練は与えられない」「悩むんじゃなくて、考えるんだよ」心に響いた言葉を心で何回も繰り返す。

あるときは東京のお姉さんから、白ウサギを譲り受けた。部屋でぴょんぴょん飛び回り、すり寄ってくる。薄い茶ブチのある真っ白な毛並みで、人懐こい。お世話する可愛い娘ができて、私の中の世界が一つ、広がった。「相手を想う」ってことは、うさぎのHOPEから学んだのかもしれないし、誰とも噛み合えない孤独を、随分と癒してくれた。


私の毎日、すべてをリハビリのように過ごした。うまくいかないから、できる方法を考えたし、それでもすぐ「意識し注意する」ことなんてできないよ。何度も失敗する。だけどやっぱり、もう実家に帰ろうという発想はなかったな。わたしはわたしを信じていたのだろうか。

そういえばHOPEのお葬式には、京都にいた当時の彼氏が来て、立ち合ってくれた。誰とも噛み合えない孤独とはいえ、癇癪を起こしぶつける相手がいたことに、感謝しかない。


それでも今日も一人大学に行くと、友達と出会う。目まぐるしく流れる同級生の時間からぽつんと置いて行かれ、賑わう芸大生を尻目に無情な時間を過ごす。帰り道は学校の裏道を抜け、一面にひらけた空に流れる雲を追いながら、「わたしって?」

空洞の時間が流れた。

奈良で見つけたアートを取り入れる施設を訪れた後も、カメラマンアシスタントのインターンを見つけた後も、当事者でお医者さんのきっこさんを訪ねた後も。

帰宅し、また自分を探すように、インターネットをあてもなく徘徊する。


私にだって何かできることがあるかもしれないと、興味を持っていた「アート✖️福祉」。いろんな活動やアートセラピーがヒットする中で気になった、「臨床美術」というセラピー。実態を知りたくて、すぐに書籍を取り寄せた。


初めて読んだ感銘は忘れない。

だってこれこそまさに、私が存在したかった世界観なんだよ。

こんなふうに、お互いを認め合いながら生きていたい。

「誰がどんな姿様子であったろうとも、お互いに認識し、存在しあえるせかい。」


あの日も学校の裏道を抜け、全視界に広がる空を見上げた。

立ち止まりぷかぷかと揺れる雲を眺めながら、強く思う。この世界で、生きていたい。

希望が、初めて私の心にみなぎった。初めてわたしに「やりたいこと」が生まれた。


事故から3年目。大学卒業間近。

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ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎

二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー、続きます。


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