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2つ目の自分(11)>褒め言葉は「根性あるな」

2つ目の自分(10)>から続きます。

地に足もつかず、ふわふわと浮いていた当時。自分が何者なのか分からず、居場所もない。

自分がわからない中でも、たくさんの友達と変わらず過ごしていたが、友人と信じていた人と、突然連絡が取れなくなったこともあった。それでもどうにか連絡が取りたいと、執着は増すばかり。どうして思うようにいかないのか。その時の私の「精神や神経」、頭の中の「認知の力」では、わからない。相手は自分と「別の人」だなんて、考える隙間もない。

誰かにわかってほしくて、導いてほしくて、少し優しく声をかけようものなら、疑うことなんて知らず、全力で信じた。力ない状態に見えるからか、デカい私に親しげに寄って来る下衆にだって、全力で答えた。

過ちをおかしまた、トラウマは増殖した。

毎日悔しさや戸惑いが、溢れる。毎晩「見返してやる」と、心いっぱいに叫んでだ。あの頃イカれてる宗教に惑わされなかったことだけは、ラッキーだったと思おう。


以前話した島根県の彼とは、高次脳機能障害者同士だった。8ヶ月くらい、遠距離間を行き来したが、自我をコントロールする方法も分からず、分かり合えないまま終結を迎えた。その頃に出会った京都の彼。彼は一見穏やかな風貌であり、私は甘えに甘えきった。伝えている事が、伝えたいように伝わらないだとか、分かってもらえないことは、癇癪で表現した。他人に自分を分かってもらおうなんて、なんて傲慢なんだと今なら分かる。ただその時の私は、伝えたい事を言葉に変換し辛い。言葉で発ししきれない自分の感情、戸惑い。予想外の返答に、またパニックになり、シャウトする。赤ちゃんが泣き叫ぶことで自分を主張するように。自分の葛藤をそのままぶつけていた彼には、それでもよく、私に付き合ってくれたと、感謝でいっぱいだ。


あの頃は大学三年生。周囲が就活で騒がしくなる頃だ。私は何ができるのだろうと常に先の見えない不安に包まれていた。一度、奈良県の障害者アート施設を尋ねたことがある。私は病院でたくさんの人に御世話になって、今がある。創造するのが好きで芸術大学にいたこともあり、アートと福祉が必要なこの場所なら、私の居場所、できることがあるかもしれないと、興味を抱いた。何か恩返しができるなら、と。

実はここで、思いがけない出会いがあった。あれから10年後のことだっただろうか。東京で、障害者アートのギャラリーを尋ねた事がある。施設長さんとお話をしているうちに、私の事を知っているかもしれないと仰るのだ。聞くと当時、大学生の私が後遺症に四苦八苦しながらも訪れた、奈良県のアート施設に勤めておられたと。カメラを持ち、これを記憶代わりに撮って歩くと話していたことも、覚えてくださっていた。なんと嬉しいこと。当時、自分の存在感をこれっぽっちも感じず、ふらふら彷徨っている私のことを、他の誰かが覚えているなんて。

他にも、カメラマンアシスタントのインターン募集のサイトを見つけて、3週間お世話になったことがある。当時ハマっていた写真だったが、写真のことなんて何も知らない。無鉄砲にも程がある。今の私はそう思うが、当時は自分を見つけたいと、必死なのだ。興味があるなら、なんでも飛びついた。

場所は東京・五反田。数日遊びに行ったことがある程度の大都会に、よく行ったものだ。五反田なんて駅を降りたこともなかった。早速、先生のアシスタントとして、撮影に同行させてもらうことに。私は運転免許を持っておらず、運転は先生にお願いすることになった。いきなり後部座席に座り、大目玉を喰らう。お客さんかと。本当ならば私が運転する立場だ。助手席に座り直し、知らない場所の、やったことも無いナビゲートに勤しむ。

実際は受傷してから働いたこともない、学校とリハビリに通うことで精一杯だった私だ。全神経を働かせてアシスタントに集中だ。初期の頃だったか、後遺症があることは話していただろう。外見から全くわからないが、必死に動いていた私を見て、障害を理由に解雇させることはできないと、続けて置いてくれた。おっちょこちょいで、怒られることの方が多いのだが。日々叱られ、スタジオで提携先のスタッフさんに含み笑いされながらも、必死に食らいつく。

今まで何人もの見習いアシスタントが、すぐ辞めていったのだろう。2週間が経つ頃、「根性はあるな」と認めていただく。こんなに嬉しい言葉を頂いた後。最後の仕事だ。今まで乗ったこともない数メートルの脚立にカメラをつけろと言われる。恐る恐る、だけどスピード命のスタジオだ。高い所は苦手だが賢明に登り、天井で取り付け、すぐさま地上に急ぐ。

その瞬間、

ガシャンッッッッ、とり付けたハズの先生の仕事道具のカメラは落下、床に転がる。震えた手でカメラを持つ先生。愕然としたその表情。先生の大事な仕事道具だ。すぐに修理に出してして来いと、私は知らない東京の街を闊歩する。

最後の最後でやらかしてしまった・・・

最後の日は、「カメラを壊すまではよくやったんだけどな」と、労い?の言葉をくださった。先生からの「根性あるな」、この言葉を胸に、また根性だけが頼りでもあり、この後も、いつだって、猛進は止まらない。


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ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎

二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー、続きます。

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