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2つ目の自分(10)>メンターきっこさんとの出会い

2つ目の自分(9)>から続きます。

復学し大学に通い続けた当時。霧のかかった、過去も未来もない、時空にいた。同級生の中にいても、返事や相槌しかできない。身体はここにあるのに、自分はどこにいるのか。実感がない。何もかもが噛み合わず、なにを掴めばいいのか、わからない。20年間積み上げたアイデンティティの、微かな記憶や、体が覚えた感覚だけが、ふわふわと浮いている。自分の存在が、日に日にぼやけていく怖さ。なにも信じられない。自分を、信じられないんだ。

当時はインターネットを徘徊し、誰か分かってくれないか、アンテナを貼りめぐらせた。心が動いた場所には、どこにだって出かけた。

感銘を受けた書籍に、「壊れる脳生存する知」がある。これは女医さんが、先天性の脳の奇形から意識喪失、高次脳機能障害や身体麻痺が残ったストーリー。脳の中で何が起こっているのかご自分の経験を言葉で伝え、またどう社会生活に戻っていったかが、鮮明に記されていた。そこで初めて、この障害とどうやって向き合っていくことができるのか、知ることができた。

筆者の、きっこさんこと、山田規久子先生をSNSで見かけた時は嬉しく、ずうずうしくも、メッセージを送った。私の生き辛さを嘆くメッセージに、温かい返事が返ってきたのだ。そこでどんなに世界が拓いたか。先生が後遺症と共存される姿を見て、少しずつ、本当に少しずつだけれど、生まれ変わった自分に、焦点が戻り始めた。

居場所の見つからない大学生だった私は、きっこさんと仲良くなると、すぐにお会いしたいと申し出る。きっこさんの住む高松まで、高速バスで向かった。自由時的に、アンテナのさす方へと移動していた当時。極限まで命を研ぎ澄まし、なんと尊い時間。今だから思う。

高松駅に着くと、きっこさんが迎えてくださった。歓喜の声を上げながら、半身麻痺のあるきっこさんのお家へ、ゆっくりと歩いた。家では小学生の息子さん・まぁちゃんと、ジャンガリアンハムスターが迎えてくれた。一息ついた後、カバンの中から、用意したお土産を取り出す。若草色のストールで、優しい温かい風合いが先生にぴったりだと、合わせてもらう場面を楽しみにした。

しかし当日、きっこさんが身につけておられたのは、ビビットピンクのストール!とってもよくお似合いなのだ。ご自身の凄まじい経験からも、華やかに導いてくださる、先駆者の証のように。わたしのように人生の途中で、自分を見失う経験をする者たちをね。若草色のストールは到底きっこさんの魅力に及ばず、勝手に「ああ、やられた・・!」とよく分からない敗北感でいっぱいになったことも、記しておこう。

きっこさんは歩く途中も、お家で遊んでいるときも、ランチにうどんを食べに行ったときだって。「何を間違ったって、死ぬわけじゃないから」と、あっけらかんと話してくださった。あるがままの姿で過ごしておられる、先生と、まぁちゃんの姿。若者ばかりのめまぐるしく展開する、大学のスピードから離れ、やけに落ち着くゆったりとした時間を過ごしていた。


当時はまだ目に見えない後遺症のある、自分のことが分からない状態。自分のことを知って欲しく周りに伝えたいのに、「高次脳機能障害なんだ」これとしか言葉が出ない。最近になってやっと、テレビで取り上げられることも増えたが、当時はまだそんな言葉誰も知らない。今考えると、この”伝えられなさ”は後遺症の症状だからしょうがないのだ。それは意識のないどこかで、自分の体の機能が初期化されたように、全く変わってしまった自分の扱い方。

だから、「それって一体何なのだ?!」自分で自分を追求する日々。忘れたり、うまく動けなかったことをメモに書いて、部屋に貼ったりと。上手くいかない何かを生活に取り込めるよう、向き合う毎日。「二度目のわたし」というアイデンティティを築くまでに、どれだけ不甲斐ない自分を見たし、誰にも伝わらない孤独を味わっただろう。それさえも理解してくださるきっこさんの言葉が、わたしに染み渡る。

これらの出会い一つ一つが、見失ったわたしのアイデンティティ。世界観をゆっくりと押し広げ、二つ目のわたしを創り上げていく。

きっこさんはその後もたくさんの書籍を書かれているが、この時のわたしの突然の訪問を、紹介してくださったことがある。自信をなくしている生活のなかでの、嬉しいお心遣いだ。誰かに認めて受け入れてもらうことほど、ありがたいことはなかった。

ここに抜粋させていただく。

 

『二十一歳のかわいいお嬢さんは、ふだんの生活に煮詰まると、大阪から長距離バスに乗ってやってきて、うちに泊まって胸のつかえを吐き出すようになりました。若い彼女の来訪で、いつも代わり映えしない母子家庭にも光が差すようです。』

 『我が家に遊びに来るお嬢さんも、周りの人に理解されずに苦しんでいました。

 彼女は手脚も長く、格好良く歩き、なんでもでき、日常生活動作の自立度が非常に高いのです。誰が見たって健康な、すてきにイケてる娘さんなのです。

 見る限り、彼女に交通事故で生死の境をさまよった影は残っていません。ただ、彼女の脳は、以前の彼女ができたことの多くができなくなっており、本人は日々うんざりするような障害の繰り返しに悩んでいます。いわば見えざる障害者なのです。

 彼女が愚痴をこぼすと、すっかり完治したと思っている周囲から、「もう治ったのに、終わったことなのに、いつまでも辛いって言われてもねえ」という反応があるそうです。「文句ばかり言っている」とか、失敗をやらかすと「できるくせに真面目にやらない」とみられるのがたまらないと、その美しい口が歪むのです。

 「そんなの誰にだってよくあることだよ」とも言われるそうです。当事者にしてみれば、健常者でもときにある症状は、たとえば、時間を間違えるとか、靴の左右を間違えるとか、そういった些細に見えることでも、明らかに生活上の不自由度が違うという思いがあるのです。

 「そういうひと言で片付けてほしくないんです。」

そう言いながら、大粒の涙を流す彼女の気持ちが、私の胸を締め付けるのです。

やはり、「障害の存在など、考えたこともない」というレベルから、「そういう障害のことはきいたことがある」へ。さらに、「そういう障害の人が社会に共存しているのは日本の常識」と言ってもらえる世の中にするのが、私の目標です。』



現在は、一時期体調を崩されたが、リハビリを頑張っておられるよう。また再開し、私も先生の目標を少しでもお手伝いできるなら、こんなに嬉しいことはないなぁ。




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ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎

二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー、続きます。



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