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[青春短編小説]白球とバックネット#応援したいスポーツ

 スポットライトの当たりすぎで人が死んでしまった事件が一つや二つ、スポーツ史には存在したのではないかと思った。それほどまでにバルコニーから見える球場やスタジアムに設置されたライトが放つ強いエネルギーを感じた。

「なぁ、ミサキこっち来てみろよ。」
彼女はまだ実家の母と電話をしている。
「ちょっと待ってー。もうちょいで終わるからー。」

 僕たちが泊まっているホテルは、新国立競技場の目の前にある。オリンピック景気で最近建設されたそうだ。新国立競技場、東京スタジアム、明治神宮球場といったあまりにも有名なスタジアムの外観がバルコニーから一望できた。

「お待たせ。うわー、東京の夜景って綺麗ねー。新国立競技場って上から見るとハンバーガーの形をした宇宙船みたいね。」
電話を終えたミサキがやってきた。両手には缶ビールを一本ずつもっていた。

「どんな例えだよ。でも、この夜景はすごいよな。」
「新国立競技場はどうしても見ときたいって言ってたもんねー。」
「東京オリンピックのシンボルだからなぁ。こんなでっかいスタジアムの中でたくさんの人の声援に混ざって俺も応援したいよ。チケット取ってないけどさ。」
まぁともかく、と言って缶ビールを渡してきた。
ミサキは心底ビールを愛している。
「フジくん乾杯〜。」
プシュっとした音を吐き出した缶に口をつけた、うまい。

「もし何の競技でも観戦できるんだったら私は体操が見たいなー。動きが優雅よね、体操選手って。鉄棒をクルクル回って、フィニッシュで空中に飛び出してもまだ回ってるの。だけど地面に足が着いた途端に全てがピタって止まるの。一瞬、会場全員の時間が止まって、そのあとは拍手喝采。私は大はしゃぎだろうな。」
そんな瞬間そうそう立ち会えないだろ、と言うと、私の頭の中の想像だからいいんだもん、とビールをグビグビ飲みながら答えた。

「フジくんは何の競技が一番見たい?」
何の競技が?そういえば何のオリンピック競技を一番見たいかを今まで考えたことがなかった。ミサキが言うように体操を見たい気もしたし、元々中学校と高校でバスケ部だったからバスケットも見てみたい。どのスポーツも臨場感を味わうことができて面白いと思うけど、一番と言われると難しい。

「一番見たいのかぁ。何だろうな。」

 明治神宮球場の方向を眺めながら缶に一口つけた。ナイター照明の光は強烈で、バックネットはやけに高く見える。ふと白球がバックネットから真上に飛び出した。バックネットの二倍、いや三倍の高さまで、徐々にスピードが緩みながらもぐんぐん伸びていき、あるポイントまでの高さに達すると、今度はスピードが徐々に増しつつ落下した。不発に終わった不運な花火玉のドキュメンタリーを見せられているようだった。

 ボールをバットで叩いた音は聞こえなかったが、頭の中で”カン”でも”キン”でもなく、”ボン”という音が響いた。懐かしい音が僕の体のどこかに隠れていた。夜空へと伸びた白球が僕の身体を熱くさせ、喉を乾かす。もう一度缶に口をつけてビールを流し込むと、急に熱くなった身体の中を上から下へ冷たいビールがストンと落ちていくのがわかった。缶ビールを持っている手が懐かしさで少し震えた。

「ソフトボールが見たいな。」

***
 ミサキとは東京駅で別れた。

 実家で何をやったかLINEで報告し合う事と二人で住んでいる茅ヶ崎の家に三日後の夕方には帰る事を約束し、ミサキは北陸新幹線で長野へ、僕は東海道新幹線で岡山へと帰省した。

 僕は新幹線の席に着いてFree Wi-Fiに接続し、日本中が女子ソフトボールに熱狂した北京五輪について検索した。車窓からの景色を時折眺めながら昔の記憶を辿る。2008年の北京五輪の時、僕は小学6年生だった。あの年は仲間とともにソフトボールの練習に明け暮れ、“鬼の小鉄”と呼ばれる地元では伝説のコーチにしごかれていた。

 あえて平凡な表現で許してもらえるなら、あの一年間は人生で一番きつかった。

***
 翌日、実家で昼食を食べ終え、Instagramの投稿をチェックすると、モリが東京から岡山に帰省していることが分かった。モリは小学校からの幼馴染で、4年前から東京で芸人活動をやっている。最近は広報活動も兼ねてYouTubeを始めたので定期的に動画でモリの姿を見ているが、投稿動画が面白いとか面白くないとかではなく、モリが元気で生活していることを教えてくれるブログ的な見方をしている。

“モリ岡山帰ってきとん?”
“そうそう、我が家最高”
すぐにLINEの返信が返ってきた。
“俺も岡山帰ってきとる!”
“久しぶりにキャッチボールしようぜ!”
既読はすぐについたが、返信が返ってこない。

30分経ってようやく返信が返ってきた。食後に冷えた葡萄をデザートにと、母が僕のところに持ってきてくれた時だった。
“わりぃーどのグラブもっていくか迷っとった”

***
 僕らは近所の駐車場にグラブと一号級のソフトボールを持って落ち合った。
「テレビデビューは果たしたけどな。なかなか売れんなー。人気YouTuberの人と仲良くなってその人の動画に出たりもしたけど、登録者数もイマイチ伸びんわ。」
「そんな簡単に上手くはいかんじゃろー。」

 僕のグラブはセカンド用で、モリのグラブはファースト用だ。セカンド用グラブは素早く球を捕球して捌けるよう皮が薄くポケットが浅い。一方で、ファースト用グラブは確実に球を捕球できるよう皮が厚くポケットが深い。僕らのグラブに共通して言えることは、もう拭いても取れることのない12年前の汚れが付着していることぐらいだろう。

「それにしてもフジとキャッチボールするの久しぶりじゃなー。」
「ほんまよな。何年振りじゃろーな。」
錆びついた肩を回して白球を投げる度に、肩から二の腕にかけての筋肉がピキッと音をたてる。運動不足の証拠だ。

「最近さ、東京のホテルのバルコニーからものすげぇ打球が真上に飛び上がるのが見えてな。小鉄コーチが打ったんかと思うたわ。」
「小鉄コーチのキャッチャーフライ懐かしいな。わや真上に飛ぶもんな。」
バビュン、と言いながらモリがキャッチャーフライを打つ時の小鉄コーチの真似をした。だけど全然似ていない。誇張しすぎだ。だけど面白かった。

「なぁフジ、河川敷見に行ってみようぜ。やってるかもしれねぇ。」

***
 堤防に立つとヒバリのさえずりが涼しい風に乗って聞こえてきた。

「お、やっぱりやっとるが。」
河川敷のグラウンドは移動式のフェンスでサッカー場と野球場に区切られていている。サッカー場には誰一人いなかったが、野球場には地元のソフトボールチームに所属している練習着を着た20人の小学生がいた。子どもたちはサード側に置かれた青いベンチをぐるりと囲っていて、ベンチには小鉄コーチが座っていた。

「うわー、小鉄コーチまだソフトボール教えてんのか。」
肩幅が広く180センチある大きな体格は昔と変わっていなかったが、くりくりとした大きな目が特徴の濃い顔には深いシワが刻まれていた。

 僕らは小鉄コーチの視界にできるだけ入らないようバックネットの後ろ側にこそこそと回り、堤防の草むらに腰をかける。

 ミーティングが終わり、子どもたちは各ポジションに散らばった。小鉄コーチはノックの準備に入った。ノックではソフトボールにも関わらず木製バットを使用する。バックネット前のホームに立ち、首を一度右に傾けた。サード方向を睨み、持っていた白球を右手から離すと、バットを振りぬいた。”ボン”という音がして、速い打球が地面を這った。

「サードー」
子どもたちが一斉に叫び、ノックが始まった。

「相変わらずノックの打球が凄まじいわ。全然衰えとらんが。」
モリだけでなく僕も感心していた。12年前と同じ練習風景がそこにあった。

 グラウンドに叩きつけられた白球が高く跳ねた瞬間、一歩目の足が前に出る。前だ、前に出るんだ、下がってはダメだ。白球の次の落下地点にグラブを添える。よし、ここでグラブを立てろ。グラブと白球が接触する時、緊張が走る。時には白球に嫌われ、捕球を失敗してしまうこともある。その時僕はたまらなく悔しい。

 一時間もノックの練習風景を眺めていると、頭の片隅で昔の断片的な記憶を映像として再生可能なフィルムロールに変換できるようになっていた。

「あぁぁ、今の打球あと一歩で取れたのにな。」
ファーストの選手が惜しいプレーをする度にモリは悔しがる。

 ショートにボールが飛んだ瞬間にセカンドベースへと駆け寄る。ショートの選手が捕球して僕に送球し、僕もすぐにファーストのモリに送球する。ゲッツーを取れた手応えがある時、心の中でガッツポーズがでる。

「すげぇ、今のフライよく取ったな。あの子、守備範囲わや広いが。」
大きなセンターフライを後ろに走りながら捕球した選手をモリが絶賛した。

「フジー、何回言ったら分かるんな。」
小鉄コーチから怒号が飛ぶ。
「もう一度お願いします。」
次の球は必ずとってみせると、心に決めてた。腰を低くして集中する。コーイと、喉の奥を絞って声を出す。

「シゲー、何回言ったら分かるんな。」
小鉄コーチから怒号が飛んだ。
「もう一度お願いします。コーイ」
シゲと呼ばれる選手は怒られ役だったが、何度も難しい打球に食らいついた。
「あいつ根性あるなー。」
僕らは同時に呟いた。

 堤防の草むらに腰をかけて三時間が経った。あっという間に夕暮れに近づいたが、ノックを終えた選手も出てきた。キャッチャーに最後の送球をし、一人、また一人と終えた順にベンチ付近に並んでいき、キャッチャーを除いて全員が揃った。

 小鉄コーチは最後の仕上げに入った。バッドのヘッドが天使の輪のような綺麗な楕円形の弧を描き、斜め上の方向に白球を打ち当てると、白球の少し下をバッドがくぐり抜けてバックスピンがかかったまま真上に飛び上がった。
「キャッチャー」
子どもたちが一斉に声を上げる。

白球がぐんぐん伸びて、バックネットを軽々と追い越す。

全員が白球を目で追いかける。すると自然と顎が上がり、空を見上げる。

 今、目の前の子どもたちがこの弾道のようにぐんぐん成長しているのだ。このグラウンドで将来立ち向かわなくてはいけないバックネットくらい高い壁もなんなく飛び越えるための力をつけている。

 徐々に速度がゼロに近づく。白球が頂点に達し、落下してくる。その間にキャッチャーは落下地点に素早く入り、準備が整ってからようやくミットを額の上に構えた。“ポスッ”という音を立てて白球はミットの中に吸い込まれ、それを合図に子どもたちが一斉にサードとホームを結ぶ白線上に一直線になって整列した。

一番背の高いキャプテンが誠実で張りのある声を出す。
「グラウンドに礼。」
それに他の全員が続いた。
「ありがとうございましたー。」
彼らしかいないグラウンドに大きな声が響く。
隣のモリが急に立ち上がり、両手を口の前に丸めて叫んだ。
「お前らかっこいいぞー。」
子どもたちが僕らに振り向き、不思議そうな目でこちらを見た。
もちろん鬼の小鉄も。
モリが逃げ出し、僕も慌てて続いた。

階段を降り、道路を横切り、坂を下った。
僕らは走った。
「なぁ、フジ、あいつらかっこよすぎじゃわ。」
モリはゲラゲラ笑いながら叫んだ。
「あいつら一丁前のソフトボール選手じゃ。心掴まれてファンになってしもうたわ。」

 ソフトボールは僕の中で特別だった。僕はかつてプレイヤーの立場だったが、子どもたちを応援する立場に変わりつつある。選手たちのプレーに胸を打たれ、ファンにもなる。僕のソフトボールを通しての気持ちの移り変わりは、長い時間をかけて親という存在に近づいていく過程そのものな気がした。まだはっきりとその意味を分かっていないが、帰ったら今日の出来事をミサキに報告してやろう。

「フジ、俺も、東京であいつらみたいに、もがきながら頑張るぜ。」
息を切らしながら僕らは坂がなだらかになってもまだ走った。ゲラゲラ笑いすぎて、呼吸がうまくできず肺が死にそうで、でも心から満たされていた。


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25歳/社会人/職業ホテル作り/千葉大学卒/都内住み/素敵な物づくりと物語を/猫/文学Twitter:https://mobile.twitter.com/yu7_momiji