今の時代に必要なのは「ぽつねん」を乗り越える喜劇。
「ぽつねん」
「ぽつねん」とはひとりだけで何もせず寂しそうにしているさまを表し、一人で何もせずに佇んでいる様子などを表す語です。
「ぽつん」とも表現するそうで、こちらの方が馴染みがあるかも。
私が「ぽつねん」という言葉を認識したのはラーメンズの小林賢太郎によるソロコントプロジェクト「POTSUNEN」からで、最初は小林賢太郎の作った造語かと思っていました。
※POTSUNENについては後述
今まで知らなかった言葉を認識すると、急に意識し出してしまうのは人間の性で、「ぽつねん」という言葉は私の中にずっと残り続け、ことある度に顔を覗かせるようになりました。
一一一一
私は思えば「ぽつねん」を恐れ、「ぽつねん」にならないように足掻いてきた人生を歩んでいます。
この文章を書いている時も「ぽつねん」になる自分への逃避ですし、仕事をするのも趣味に没頭するのも「ぽつねん」を避けたいから。
「一人」でいることは好きでも「ぽつねん」にはなりたくない。
寂しさを埋めるために「人」と触れ合ったり、「芸術」を楽しんだり、「運動」で遊んだり、「創作」を行ったり、「仕事」に没頭したり、「食事」をしたりする。
「何か」と接点を持つことで「ぽつねん」から「一人」になることで自分を保っている。
文化的で創造的な事柄は「生きる」ことには不要なことですが、「生きよう」と思うためには必要なことであると繋がりが切断されたからこそ思うようになりました。
一一一一
「生きる」ために不要不急な行動を謹むべきなのは当然のこと。でも「生きよう」と思うためには「不急」ではないけど「不要」ではないものが多くあるという事実が表面化された現代社会において「ぽつねん」ではなく「一人」になるためにはある程度の「繋がり」が必要であることがわかりました。
そして「繋がり」とは人によって異なり、それぞれ価値観が異なれば捉え方も異なり、誰かにとっては「不要」でも誰かにとっては「必要」であるという複数の真実が交差し混ざりあった結果「魔女狩り」のように攻撃的な面が外に溢れるようになってしまったと思われます。
「ぽつねん」にならないように「攻撃」をすることで「一人」になる。
「ぽつねん」ではない「一人」の人に対してヘイトが溜まり吐き出してしまう。
繋がりが見えるようになってしまった現代社会では「ぽつねん」とすることで自分が取り残されてしまったように感じてしまう。
私たちは今「ぽつねん」を自分だけで乗り越えないといけない時代に生きているのです。
「ぽつねん」と「一人」の違い
人と人との繋がりはその気になれば世界中の隅々まで広げることができる世の中になったにも関わらず、依然として人は「一人」である。いや、むしろ「一人」を望む風潮すらある。「一人」でいることを「寂しい」と思いながらも「一人」でいることを「贅沢」と捉え、「一人」でいることを「悲しい」と思いながらも「一人」でいることを「楽しい」
人と過ごす時間よりも「一人」の時間。
それが贅沢であることのように見えていたのは「人」との接触が当たり前のもので奪われることのない権利のような気がしていたからで、いざ奪われてみると「一人」は耐えれるけど「ぽつねん」には耐えれない弱さがあることが浮き彫りになりました。
人は「繋がり」があるから「一人」になれるのであって、繋がりが弱くなればなるほどポツンと独り佇んでしまう。
「孤高」であることと「孤独」であることは違うように、「一人」でいることと「ぽつねん」でいることは違います。
寂しさは延々と付き纏い、寂しさを乗り越えるには「繋がり」が必要です。
「一人」と「ぽつねん」は表裏一体の合わせ鏡のような存在で、「寂しさ」というトリガーによって簡単に行き来できる不安定な状態です。
そんな寂しさを乗り越えるために必要なのは「接点を持つこと」
そして「接点」とはポジティブな人と人との繋がりです。
「ぽつねん」を乗り越えるには没入できる「接点」を探す必要があります。
私は数多くある「接点」となる事柄の中で共通している本質として「面白い」ことが重要だと思っています。つまり「笑顔」になれること。
「寂しくても笑顔になれる」その時だけは人は「ぽつねん」を乗り越えられる。
あとはその回数を増やしていけば良い。
「喜劇」
人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
「喜劇王」チャールズ・チャップリン
喜劇:観客を笑わせながら、人生の真実面を表す劇。
思わず笑いだすような、こっけいな出来事。
今の時代は「悲劇」か「喜劇」か?
自分の人生は「悲劇」か「喜劇」か?
喜劇王チャールズ・チャップリンは「長い目でいれば人生は喜劇だ」と格言を残していますが、これは「人生」という一つの映画を見た時に通しで見たとしたら喜劇に見えるという美しい言葉です。
「ぽつねん」は寂しく辛い事実です。
そして誰からも完全な理解を得ることができない領域です。
明るく見える人でも「ぽつねん」かもしれません。
そんな、ぽつねんを乗り越えるには喜劇が必要です。
苦しい日々だからこそ「笑い」がなければいけない。
あなたが本当に笑うためには、あなたの痛みを取って、それで遊べるようにならなければなりません。
「喜劇王」チャールズ・チャップリン
色々と世知辛い世の中ですが、こんな時代だからこそ自分にとって必要なものに触れ、笑顔になることが大切です。
気が滅入るとなかなか戻ってこれません。
アートはこんな時代だからこそ光を灯してくれます。
明るく行こう、大丈夫だぁ。
POTSUNEN
Potsunenはその意味の通り小林賢太郎の一人芝居で、出演、脚本、美術のすべてを小林賢太郎が手がけており、小林賢太郎の個性がより強く現れた内容のコントになっています。
ラーメンズのミニマルなセットと異なり道具や映像など装飾的な部分が多く、音楽も効果的に使われているのが特徴です。
POTSUNEN
出演・脚本・演出・美術:小林賢太郎
映像:NAMIKIBASHI
音楽:徳澤青弦(anonymass)
スタイリスト:伊賀大介
KENTARO KOBAYASHI SOLO CONTE LIVE 『ポツネン』
日程:2005年11月23日~12月31日
KENTARO KOBAYASHI SOLO CONTE LIVE 『○ -maru-』
日程:2006年2月23日~3月25日
Kentaro Kobayashi Solo Performance Live Potsunen 2008 『Drop』
日程:2008年3月14日~4月18日
『ポツネン氏の庭 ~The spot garden of Mr.Potsunen~』
日程:2009年12月15日~12月20日
LIVE POTSUNEN 2010 『SPOT』
日程:2010年2月17日~4月30日
LIVE POTSUNEN 2011 『THE SPOT』
日程:2011年3月9日~8月18日[4]
LIVE POTSUNEN 2012 『P』
日程:2012年5月15日~6月19日
LIVE POTSUNEN 2013 『P+』
日程:2013年5月15日~7月15日
KENTARO KOBAYASHI SOLO PERFORMANCE 『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』
日程:2014年12月17日~2015年9月7日
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