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新書のメモ20240502
新書のメモ。
60年代フォークの時代からロックの流れがあるけれど、フォーク歌手やフォークソング運動の当事者に話を聞くと、音楽は必ずしもサウンドではなくて歌であった。それは音の出るデバイスというより声がメディアであった。マクルーハン的にもそう言える。そして、声と歌が思想であった。それはシーンを形成する。現在書いている新書で言及します。
原稿も未整理のところもあるけれど、10万字を超えた。頑張ります
新書執筆日記202040313
この3日ほど先月調査した資料を読んでまとめてコメントをつける作業を行った。資料はページ番号もないのがほとんど。日付がわからないチラシなどが含まれる。これらは初出の宝の山なのだった。今日で少し目処がついた。
新書執筆日記20240309
現在執筆中の新書で、新しい資料などから再び取り上げます。
日本のフォークソング運動の興味深いところは、アメリカ文化のローカル化におけるカウンター・カルチャー的な受容が、日本のコンテクストにおいて変容していったところがあるということ。そこに市民運動が関係していたというところは、いくつか出版しました。新書では、文化の内容と実践された活動にも焦点をあてています。
“彼らはボブ・ディランの翻訳、あるい
新書執筆日記20240220
メモ。花田清輝はすでに50年代後半に、「大衆を基盤とした芸術運動」に続けて「歌ごえ運動の飛躍」について述べていた。ここで、花田は『アヴァンギャルド芸術』と大衆芸術、前衛についてまとめていて、花田の文化論がつながっていること、大衆の問題として芸術論を捉えなければならないことが示されている。 #新書執筆中
新書執筆日記:鶴見俊輔『方法としてのアナキズム』所収論考「いくつもの太鼓のあいだにもっと見事な調和を」を読む
今日の研究。
鶴見俊輔『方法としてのアナキズム』所収論考「いくつもの太鼓のあいだにもっと見事な調和を」
・ソローの引用(ソローの市民的抵抗についても文献を読むこと。)
・市民と非暴力抵抗運動。
鶴見によると、1960年5月22日に大相撲の千秋楽を見に行った帰り、夕刊で竹内好の辞任の記事を読む。
それから5月30日に東京工業大学に辞表を提出し、6月1日教授会で最後の挨拶をする。
そして61年