舞台 「ロボット」 観劇レビュー 2024/11/28
公演タイトル:「ロボット」
劇場:シアタートラム
企画・制作:世田谷パブリックシアター
原作:カレル・チャペック
潤色・演出:ノゾエ征爾
出演:水田航生、朝夏まなと、菅原永二、加治将樹、坂田聡、山本圭祐、小林きな子、内田健司、柴田鷹雄、根本大介、渡辺いっけい
公演期間:11/16〜12/1(東京)、12/14〜12/15(兵庫)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:ディストピアSF、会話劇、考えさせられる、舞台美術
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆
チェコの作家であるカレル・チャペック(1880年〜1938年)が1920年に発表した古典SF戯曲『ロボット(R.U.R.)』を、劇団「はえぎわ」を主宰するノゾエ征爾さん演出で上演。
「ロボット」という単語自体、この『ロボット(R.U.R.)』という戯曲で初めて使用されたことで有名であり、チャペックは「ロボット」という言葉の生みの親ともされている。
私自身、『ロボット(R.U.R.)』という戯曲を今回の観劇で初めて触れることになる。
物語は、孤島にあるロッサム・ユニヴァーサル・ロボット社(R.U.R.社)という人造人間(ロボット)の製造工場を舞台に展開される。
R.U.R.社にヘレナ(朝夏まなと)という女性がやってくる。
ヘレナはグローリ社長の娘であり、ロボットの人権擁護連盟の代表でもある。
ヘレナはR.U.R.社の社長であるドミン(渡辺いっけい)と出会う。
ドミンはヘレナに会うと彼女に好意を抱くようになり執拗に口説いてくる。
ヘレナは、R.U.R.社で働く社長秘書ロボットのラス(根本大介)や図書館秘書ロボットのラディウス(柴田鷹雄)に会うが、どのロボットも感情がなく冷たいことに疑問を抱く。
その後、ヘレナはR.U.R.社で働くアルキスト(水田航生)、ファブリ(菅原永二)らに出会うも、彼らをロボットだと間違えてロボットの人権擁護連盟の代表として名刺を配ろうとしてしまう。
ヘレナはドミンに気に入られてそのまま結婚し、10年間R.U.R.社で暮らすことになるが...というもの。
今やChatGPTに代表される生成AIも普及し、今作で描かれているような人工知能(AI)と共存する世の中になっている。
観客自身もヘレナと同じように誰がロボットで誰が人間なのか分からなくなる演出は非常に興味深く、まるでそれはネット上に溢れる生成AIが生成したのか人間が作り出したのか分からない制作物を見ているかのような不思議な気持ちにさせられた。
また今作で描かれるディストピアSFが今の世の中にも通じるという他に、新聞はいつも戦争のことばかりと嘆く描写もあり、世界大戦になりかねない昨今の世相とも通じる世界が今作にも描かれている点にも現代との共通点を感じた。
チャペックが書いた原作戯曲は上演時間3時間半にも及ぶ大作だそうだが、如何せん100年以上前の戯曲なので現代ではピンと来ない描写も多く、そういった描写を除いて短くまとめて今回上演したそうである。
確かに劇中にピンと来ない描写はなかったのだが、個人的にはもう少し現代とのリンクがイメージしやすいように脚色や演出をアレンジすることは可能だったのではないかと思った。
基本的に会話が中心で戯曲に描かれた台詞をほぼそのまま進行しているように感じたが、今作の根底に描かれているものは現代にも通じるもので、そこをもっと現代に寄せて演出、脚色した方が面白く観られたのではないかと思った。
会話がずっとメインで続くシーンも多くて途中やや退屈してしまうシーンもあった。
また、ラストに関しては大きく脚本を変えているが、そのような終わらせ方にする意図が私にはよく分からなかった。
舞台美術は、読売演劇大賞でもスタッフ賞で名前が上がる山本貴愛さん担当ということもあり、非常に無機質で空虚な世界観に引き込まれた。
巨大な石のようなものによって場面ごとにそれらを移動させて舞台空間を作り上げる美術が印象に残った。
また舞台照明も有名な吉本有輝子さんが担当しており、非常に格好良くて綺麗な照明演出の数々に魅了された。
ディストピアSFという世界観を会話劇で見せるので、どういった舞台美術が良いのかというプランニングは相当難しいと思うが、あのような発想で空間を作り上げるのかと色々センスを感じた。
役者陣も非常に実力派が勢揃いで素晴らしかった。
今作では多くの俳優が人間とロボットを演じ分ける。
そしてロボットを演じるといっても、序盤と終盤では感情を持っているか持っていないかなどロボットの演じ方も変わってくると思う。
それを絶妙な形で観客を人間なのかロボットなのか混乱させる形で演じていて素晴らしかった。
特にロボット色が強かった、ラスを演じた根本大介さんやラディウスを演じた柴田鷹雄さんが素晴らしかった。
それに加え、ヘレナ役を演じた朝夏まなとさんのミュージカル女優としての歌唱力も所々披露されていて良かった。
ディストピアSFといっても物語は難しくなく誰でも理解出来ると思うし、生成AIが普及し戦争が近づく今だからこそ刺さる場面も沢山あると思う。
個人的には、もっと現代風に演出をアレンジして脚色し、上手く上演出来れば物凄い出来の作品になったとは思うが、現代社会を考える上でも興味深い一作として多くの人におすすめしたい。
↓原作『ロボット(R.U.R.)』
↓ティザー映像
【鑑賞動機】
カレル・チャペックの有名戯曲『ロボット(R.U.R.)』を上演するということで観劇した。出演者も水田航生さん、朝夏まなとさん、菅原永二さんと豪華なのも魅力的だったから。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
ヘレナ(朝夏まなと)が孤島にあるR.U.R.社の人造人間(ロボット)製造工場にやってくる。ヘレナは、R.U.R.社の社長であるドミン(渡辺いっけい)と会う。ドミンは、R.U.R.社などのロボット製造工場を取り仕切る会社のグローリ社長の娘と聞いて大変出会えたことに喜ぶ。そして握手で握った手を離さない。ヘレナは離してと言ってようやくドミンは握った手を離す。
ドミンはヘレナに気があるようで、そこから饒舌にR.U.R.社のロボット製造工場の成り立ちについて語り始める。今は亡きドミンの親戚は探究心の強い博士で、様々な生き物を作っていた。しかし博士にはユーモアがなく、何か面白い生き物を作り出すことはしなかった。何か面白いものを作りたいと考えた博士が思いついたのが、人造人間(ロボット)の製造だった。
その博士が亡くなってからは、ドミンが後を継いでこの孤島にあるロボット製造工場を拡大していった。そして今では、世界中に出荷出来るくらいの大量のロボットを製造するようになった。ロボットが労働をしてくれるおかげで人間は徐々に働かなくても良いようになっていったと。
社長秘書ロボットのラス(根本大介)がやってくる。ラスにはロボットなので感情がなく仕事をテキパキとこなして正確に応答する。ドミンはラスの髪の毛を撫でたりする。また、図書館秘書ロボットのラディウス(柴田鷹雄)もやってくる。ラディウスもラスト同じく感情を持たないので機械的に応答して仕事をこなす。
ラスとラディウスが去った後、ヘレナとドミンの元にはR.U.R.建設部長のアルキスト(水田航生)、R.U.R.技術部部長のファブリ(菅原永二)、ロボット心理・行動研究所所長のハーレイ(加治将樹)、R.U.R.生理学研究部長のガル(坂田聡)、R.U.R.経理部長のブスマン(山本圭祐)がやってくる。ヘレナは最初彼らをロボットだと思い込み、自分がR.U.R.社などのロボット製造工場などを取り仕切る企業のグローリ社長の娘であることを名乗り、それと同時にロボットの人権擁護連盟の代表として活躍していると名刺を配ろうとする。しかしドミンから、彼らはみんな人間だと教えられる。この製造工場では、労働自体の多くはロボットが取り行っているが、住職に就く者は皆人間なのだと言う。
場面転換する。舞台装置の巨大なブロックが動かされ、沢山のシクラメンの花鉢が置かれている。
10年後になる。ヘレナはそのままドミンと結婚をしていた。子供はいない。今日はヘレナがこの孤島にやってきて丁度10年が経った日である。そのお祝いに、多くの人からヘレナは沢山プレゼントをもらった。
ロボットたちは人間の代わりに労働するようになり、人間たちは何もしなくても生きていけるようになった。そして人間は働かなくなったが故に退化していった。子供すら産まなくなってしまった。子供を産む必要がないからである。ヘレナとドミンの間にも子供は生まれていない。
ヘレナはアナキストと話をする。
その後、ドミンはヘレナに向かって今こちらの孤島に向かって船がやってくると述べる。10年前の今日ヘレナが船に乗ってやってきたみたいにと。ドミンはあの船はヘレナへのプレゼントだと言う。しかしその船はまるで軍艦のようだとヘレナは叫ぶ。おまけに大砲なども船に積んでいると。そんなプレゼントは嫌だと言う。
ドミンは去り、ヘレナは使用人を呼ぶ。ナーナ(小林きな子)がやってくる。ヘレナはナーナに新聞を持ってくるように告げる。ナーナが新聞を持ってくると、その新聞には世界中で起きている戦争のことばかり書かれていた。そこにはロボットがついに人間を殺戮し始めたという記事が掲載されていた。ナーナは、まさかロボットは人間に従って労働するはずなのに人間を殺すはずがないと言う。どうやら、ロボットが人間を殺戮し始めたのは、人間がロボットによって人間を殺すよう命じたからだそうである。
ヘレナはロボットのそんな暴挙に耐えかねて、そんなロボットを作り出す文書を燃やしてしまおうと考える。ヘレナは、社長の部屋に入って机の引き出しからロッサム文書を持ってくる。ロッサム文書には、感情を持ったロボットの製造方法が記載されていた。ヘレナはその文書を暖炉の火の中に入れて燃やしてしまう。
ヘレナとナーナが去った後、ドミン、アルキスト、ファブリ、ハーレイ、ガル、ブスマンたちがやってくる。ロボットたちが暴走をし始めて大変だと騒いでいる。しかしドミンはみんなに落ち着けと宥める。ロボットを生み出したのは自分たちなのだから、あのロッサム文書さえあればこの一大事を食い止められると、何とかなると。そんなドミンの様子を見たヘレナは慌てる、自分がロッサムの文書を燃やしてしまったから。それを一大事だと捉えてヘレナはドミンに伝えようとするが、ドミンはヘレナが慌てた様子を見て落ち着けと言うだけでヘレナに本題を切り出す隙を与えてくれない。
ドミンは自分の部屋に向かってロッサム文書を取りに行く。しかし部屋にロッサム文書が無くなっていることに気がつき、すぐにロッサム文書がないと言いながら戻ってくる。ヘレナはここで、自分が先ほど暖炉の中にロッサム文書を入れて燃やしてしまったと言う。
一同は大騒ぎして、灰の中からロッサム文書を取り出そうとする。しかし、燃えかすには一部の文章が書いてあることを確認出来るくらいで残っていない。ロボットは大量に製造しているので、文書がなくてもロボットを製造できるのではと問うが、ロボット製造で一番重要な工程だけ文書を見ながらやっていたので、文書がないとロボットを製造出来ないのだと言う。
サイレンが鳴り始める。ロボットたちがこの場所にもやってきて人間を襲おうとしている。ロボットA(根本大介)がやってきてハーレイに斬りかかり殺してしまう。次々にロボットは人間を殺していく。そして最後にアルキストだけは殺さずに捕える。
場面転換する。舞台装置の巨大なブロックが再び動かされ、一つの家のような空間を作り出す。
20年後、アルキストが一人部屋の中で寝転んでいる。人間はアルキスト以外絶滅してしまい、ロボットだけが生き残った世界である。
ロボットのダモン(渡辺いっけい)が複数のロボットたち(菅原永二、坂田聡、加治将樹、山本圭祐)がアルキストの元にやってくる。今はロボットたちはダモンによって統治されている。しかしロボットの寿命はせいぜい20年でロボットがロボットを製造することは出来ず、人間がロボットの製造方法を教えてくれないと人間だけでなくロボットたちも絶滅してしまうため、人間であるアルキストに助けを求めに来たのだった。
ダモンはアルキストに、ロボットの製造方法を教えてくれと懇願する。しかしアルキストは建設部長であってロボットの製造に直接携わっていた訳ではないので知る由もない。しかしアルキストは、誰かのロボットを解剖すれば何か製造方法が分かるのではないかと思い、ダモンを捕えて解剖しようとする。ダモンは思い切り暴れ回って嫌だと叫ぶ。ロボットたちは自分も解剖されるんじゃないかと思って逃げ出していく。
アルキストはそのまま疲れて眠ってしまう。
アルキストが眠っている所に、労働ロボットのプリムス(内田健司)とロボットヘレナ(朝夏まなと)がやってくる。二人は愛し合っているようでずっとイチャイチャしている。プリムスがガラス管を触って遊んでいるとそれを倒してしまって危ないと戯れている。そんな様子を聞きつけたアルキストは起き上がり、プリムスとロボットヘレナに近づいていく。
アルキストは最初は二人を人間だと思って、そしてロボットヘレナをヘレナだと思ってしまったが、彼女が生きているはずがないのでロボットだと認識する。ヘレナが生前開発した感情を持ったロボットたちである。
アルキストはプリムスに向かって、ロボットの製造方法を知るために解剖させてくれと言う。しかしプリムスは断る。それはプリムスとロボットヘレナ同士が愛し合っているから。自分が解剖されて死んでしまったらロボットヘレナを悲しませてしまうから。プリムスとロボットヘレナはアルキストの元を去っていく。
アルキストがいた空間は巨大なブロックに囲われて、そして天井からは四角い屋根のようなものが降りてきて蓋がされる。そして「サイゴノニンゲン」と書かれた石碑が立つ。ここで上演は終了する。
原作戯曲を削ったにも関わらず物語自体は難しくなく入ってきたのだが、やはりこの戯曲で一番訴えたいことが分かりにくかったからこそ没入感が薄かったように感じた。例えばヘレナが孤島にやってきたことによって感情を持ったロボットを製造し、ロボットは人間に対して歯向かうようになった。さらにヘレナはロッサム文書も燃やしてしまった。ヘレナは善人のように見えて人間を滅亡の方向にしか導いていない人物である。それが結構分かり難かった。ヘレナ中心の物語が多くて、どうしてもヘレナ起点で物語を見てしまうのでその重要なポイントを気づきにくいと感じた。
また、もっと会話劇を面白くすることは出来たんじゃないかと思った。それはチャペックの戯曲が良くないという訳ではなく、この戯曲に込められているメッセージ性をもっと汲み取って、現代の事象ともっと結びつけられると面白さが増したのではないかと思った。
また終わり方も個人的には納得がいかなかった。「サイゴノニンゲン」という石碑を出してきた演出がどうもしっくりこなかった。人間が絶滅することを強調するのは今作の終わり方としてどうなのかと。ここに関しては考察パートで触れることにする。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
舞台美術の山本貴愛さんの無機質な舞台空間と、吉本有輝子さんの照明演出が格好良くてずっと見惚れていられる空間だった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。まるでストーンヘンジのような巨大な直方体の石のようなものがいくつも置かれていた舞台美術で、それらの石を移動させることによって全く異なる舞台空間を生み出す。
劇中、舞台美術は合計4つの空間が巨大な石の移動によって形作られた。一つ目は第一幕のシーンで、ヘレナがドミンに出会う時のシーン。巨大な石が不規則に積み上げられて孤島のようなものがステージ上に表現されている。壁などは何もなく様々な箇所に段差がある。
二つ目は第二幕、第三幕のシーンでヘレナが孤島に来て10年の月日が経ったシーン。巨大な石は別の形で積み上げられていて、シクラメンが至る所に置かれていた。第一幕のシーンと比較すると全体的に平面に巨大な石が散りばめられて置かれている印象だった。
三つ目は第四幕のシーンで、最後に生き残った人間アルキストの家のシーン。巨大な石が今度は壁のように機能してアルキストを囲んでいた。そして床面にも巨大な石があり、そこをアルキストは寝床にしている。
そして四つ目はエピローグのシーンで、巨大な石が完全にアルキストを囲うかのように壁となって設置されて隙間なく敷き詰められている。そして天井からはずっと吊り下げられていた四角い囲いのような舞台装置が降りてきて屋根になる。また、その横には「サイゴノニンゲン」と書かれた石碑も立っていた。
ディストピアSFというのもあり、どのような舞台装置が最も適切なのかいくらでも自由度があるからこそ難しかったと思うが、山本さんらしい無機質で空虚な世界観を出しつつピタリとはまった舞台空間を作り上げていたように思う。
次に舞台照明について。吉本有耀子さんが担当する照明演出は何度かお目にかかっているが、今作はとびきり至る所で照明演出に格好良さを感じた。
まず第一幕のヘレナとドミンが出会うシーンや、その10年後のヘレナとナーナが会話しているシーンは、割と明るめの照明が多く、まだまだ世界が平和であるような感じの照明だった。しかし、ヘレナがロッサム文書を燃やしてしまうシーンのあのオレンジ色の照明演出から、徐々にオレンジがかった照明で全体が覆われるようになる。そしてアルキストしか生き残らなくなった第四幕では、まさにディストピアSFといった感じの薄暗く冷たい感じの照明と変化があって良かった。
また山本さんの無機質な舞台セットと非常に相性の良い舞台照明の組み合わせだった。シス・カンパニー『いつぞやは』(2023年9月)も舞台装置が山本さんで照明が吉本さんで、無機質なブロックのような舞台セットにカラフルに照明が映し出されていた印象だったが、今作でも同じスタッフの方のタッグで似たような印象を抱いた。無機質な舞台装置だからこそ、カラフルな舞台照明が映えてそれがインパクトを持ってくるなと感じた。
特に舞台照明は、人間たちがロボットたちの反乱によって慌て始めるくらいのシーンで、彼らの驚きを表す舞台照明がオレンジ色でカットインで表現されたりするのが印象的だった。あとは、ヘレナがロッサム文書を燃やしてしまう時のオレンジの照明も美しかった。
次に舞台音響について。
まず客入れの音楽がとても好きだった。電子音を響かせてちょっと可愛らしい感じにロボットらしさを感じられた。そしてSFっぽさも感じた。
劇中はほとんど音楽はかかることなく、サイレンなどの効果音が強く印象に残る。
それと、なんといっても朝夏まなとさんによる歌声が非常に素晴らしかった。ここに人間性があるよなと思ったし、ラストのロボットヘレナも歌を歌うが、それによってついにロボットも歌が歌えるくらいの感受性の豊かさを手にしたんだなと考えさせられる演出だった。
朝夏さんが歌っていた『埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)』が良かった。イングランド民謡でタイトルは聞いたことあったが、こういう曲なんだと思いながら聞いていてた。そして調べたら『火垂るの墓』でも使われているとか。
最後にその他演出について。
序盤でヘレナがラスに、様々な言語で喋るように指示していて、これはまさにChatGPTのようだなと思いながら見ていた。ChatGPTも他言語で話すように指示するとすぐにそのように直してくれる。このシーンもオリジナルとして原作にあるのだから凄いなと思う。
また、私たち観客はヘレナ視点で物事を見るので、R.U.R.社で働く人々がロボットなのか人間なのか分からなくなってくる演出は大変素晴らしいものだなと思った。私もファブリたちが最初にステージに登場した時は、果たして人間なのかロボットなのかどちらなのか疑ってしまったから。でも考えてみれば、ホワイトカラーで働く人間なんて、単純作業も多くなるのでロボット化するよなとも思えてゾッとした。そして劇終盤の第四幕では、もうこの時はアルキストしか人間が残っていないから、他の存在は全てロボットだなと頭では分かってはいたけれど、登場人物がみんなロボットに見えなくて人間に見えたので、その辺りもロボットがどんどん人間になっていっているのを感じた。象徴的なのはロボットヘレナで、彼女はもはやロボットには見えなかった。ノゾエさんからも特にロボットを意識しなくても良いと言われて演技もしていそうだと感じた。
ロッサム文書が燃えてしまうシーンの演出も見事だった。四角い空洞の中にロッサム文書を入れ、中からオレンジ色に炎のようなものがあるように思わせる照明演出も素晴らしかったし、そこから煙が出ていく演出も好きだった。
あとは時々コミカルな会話劇も出てきて笑いをとる部分もあった。例えば、ファブリか誰かが旦那と妻の会話を演技で表現していたのは笑いを取っていた。「遅くなるんだったら連絡くらい入れてよ」「はい、今度からそうします」みたいな夫婦の会話が好きだった。思わず笑ってしまった。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
ストプレだけでなくミュージカル界隈でも活躍している水田航生さん、朝夏まなとさん、菅原永二さんという豪華キャストが揃っての俳優陣で演技力が素晴らしかった。
特に印象に残った役者さんについて見ていく。
まずは、ヘレナ役を演じた朝夏まなとさん。朝夏さんはミュージカル界隈を中心に活躍している俳優のという認識で、過去にはミュージカル『モダン・ミリー』(2024年)やミュージカル『マイ・フェア・レディ』(2021年)などに出演されており(『マイ・フェア・レディ』に関しては神田沙也加さんとWキャストで、神田さんの死後朝夏さんお一人で残りの公演を上演し続けたことで記憶に残っている)、私はミュージカル『SPY×FAMILY』(2023年3月)で朝夏さんの演技を一度拝見している。
朝夏さんをミュージカル『SPY×FAMILY』で拝見しているので、もっとスターのような感じの俳優さんのイメージがあったが、今作では割とお嬢さんといったような役でそのギャップも素晴らしく思えた。
ストプレ中心の舞台だったが、全然歌唱力で勝負しなくても堂々たる演技で存在感も抜群で素晴らしかった。個人的には、『不思議の国のアリス』のアリスのようなヘンテコな世界に迷い込んだ少女のようなイメージで拝見していたので、ずっとヘレナ視点で観劇していたからこそ、後になってヘレナがこのR.U.R.社、強いては人間を滅ぼしかねない張本人であることを後になって気がつき、劇中はそれを意識することはなかった。もっと、ヘレナのような善意を持った人間こそが、この世を混沌たらしめてしまう描写を強く描いたらどうかとも思ったが、後になって段々気づき始めるくらいがメッセージ性的にも丁度良いのかなと色々考えた。
朝夏さんは最後でロボットヘレナとしてロボット役を演じるが、どう見てもヘレナとロボットヘレナで差があるようには見えない演技だった。これがまた良くて、ロボットが人間に物凄く近づいたことを意味する描写で良かった。そして内田健司さん演じるプリムスとの愛の描写もまるで人間のカップルを見ているかのようで、ロボットが完全に人間と同じ感情を手に入れたことを描いていて良かった。
また、ミュージカル俳優の朝夏さんということで歌パートを2つ見ることが出来て良かった。『埴生の宿』の歌声を聞いているだけでもうっとりする。そしてラストのロボットヘレナによる歌声も、ロボットが人間らしさを手にした象徴と言える歌声で色々響いた。
次に、アルキストを演じた水田航生さん。水田さんも朝夏さんと同じくミュージカル俳優として活躍されており、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』(2024年)などに出演されているが、私は水田さんはストレートプレイの舞台ゴーチ・ブラザーズ『ブレイキング・ザ・コード』(2023年4月)で一度演技を拝見している。
個人的には前半にもっと出番があると思っていたし、そこまで出番が多くはなかったのだなと意外に思ったが、第四幕での見所が多くてそちらが素晴らしかった(個人的には、どうして建築部長のアルキストだけロボットに生かされたのかをもっと分かりやすく演出して欲しかった、凄く唐突にアルキストだけ残って疑問を抱いた)。
第四幕では人間ではアルキストだけがこの世界に生き残っている。その孤独感が水田さんの演技によってより強く感じられて、人間の力が弱くなってしまった象徴に見えた。なんとかロボットたちを解剖しないとそのさきがないと、ロボットたちに襲いかかる様は、たしかに後々考えてみたらもはやロボットの世界に迷い込んできた人間という外的な存在でしかないんだなと考えさせられる。
またアルキストは、第四幕以前の役としては非常にクールな感じの男性として魅力的に感じるよなと思った。
個人的に一番印象に残ったのは、ドミン役を演じた渡辺いっけいさん。渡辺さんは映画、テレビドラマなどではよく演技を拝見したが、舞台では初めてお目にかかる。
序盤のヘレナに対して饒舌になる感じ、ずっと一方的にヘレナに話してしまう感じに人間的な面白さを感じた。この人は人間だなと思わせる演技が好きだった。そして渡辺さんだからこそ、あそこまでインパクトがあって個性的な演技を出来るのだなあと素晴らしく思えた。
また、自分が優位な立場に立っているからこそ、水面下で危機が起き始めているのに、それに対して全く気がつかない感じ、ずっと楽観的で最後にロッサム文書がないと焦って手遅れになる感じが、まさに上に立つ者の転落なのかもしれないとも感じた。
ファブリ役を演じた菅原永二さんの演技も素晴らしかった。菅原さんの演技は、舞台『ふくすけ -歌舞伎町黙示録-』(2024年8月)、KERA・MAP『しびれ雲』(2022年11月)、M&Oplaysプロデュース『DOORS』(2021年5月)で演技を拝見している。
個人的にはもう少し菅原さんの見せ場も見たい所だったが、コメディリリーフ的な会話シーンがあった印象で会場を湧かせていたのが素晴らしかった。
あとは、序盤で社長秘書ロボットのラス役を演じた根本大介や、図書館秘書ロボットのラディウス役を演じた柴田鷹雄さんも素晴らしかった。あの非常に機械的で無機質な演技がとても良かった。見ていて滑稽であるし、どこか魅力的も感じてしまう。ヘレナが、こんなロボットたちに感情を授けようと思ってしまうのも頷ける。根本さんの髪を触られていじられるシーンとか好きだった。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
ここでは、今作の戯曲について考察していこうと思う。
今作は戯曲をあらかじめ読んでおかなくてもストーリーを理解することは出来るのだが、戯曲で描かれている根底のメッセージ性などを理解するのであれば、事前に読んでおいて考察なども一通りさらってから観劇に行った方が良いかもしれない。そうすればもっと楽しく観劇出来た気もする。
今作で最も重要事項として描かれていることは、人間の好奇心と欲求が度を越したことによって、自分たちが喰われてしまうという普遍的テーマを描いているのだなと思う。
今作の物語を一言で言ってしまえば、人間の知的好奇心と技術革新への欲求によって自らを滅ぼすことになったという風刺である。そのメッセージ性を人間がロボットに対して支配的で優位だったのが逆転してロボットによって人間は支配されるという構造になっていくことで表現しているのだろう。
私は観劇中はあまり気が付かなかったのだが、よくよく戯曲を振り返ってみると、以下のような変化があることに気が付く。
第一幕のヘレナとドミンが出会うシーンでは、まだロボットたちに感情はなく労働をするだけの存在、そして人間たちが汗水流して一生懸命やっていた仕事を代替わりしてくれる便利な機械として捉えている。いわば、人間がロボットを支配する世界を描いている。ヘレナがロボットの人権を擁護したいと言い出すのも、人間がロボットよりも優位に立っているという前提があるからこそ成り立つ行いだと思う。
第二幕・第三幕によって、この人間がロボットに対して優位であるというのが逆転してしまう。ドミンは、自分たちが劣勢に立たされることはない、ロッサムの文書はあるし脅かされることはないという過信が自分たちの地位を落として危機に瀕してしまう。これは、別に人間対ロボットで始まった構造ではなく、権力者と社会的弱者というヒエラルキーにおいて常に存在する盛者必衰の理を描いている。ドミンをはじめ、アルキスト以外は全員ロボットによって殺されて、まさにここで人間とロボットの関係は逆転する。
そして第四幕では、ロボットが支配する世界を描いている。生き残った人間はアルキスト一人で、彼はもう一度ロボットの製造方法を何らかの形で入手しないとと、ロボットを解剖しようとするがそれも叶わず。むしろプリムスとロボットヘレナを見ていると、彼らの方が人間よりも生き生きと人間らしく生きていることが窺える。
そして、序盤のヘレナ、ドミンといった人間がラス、ラディウスというロボットを揶揄っている描写と、終盤のプリムス、ロボットヘレナがアルキストから愛を奪わないでと調子に乗っているこの2つの逆転構造がシンメトリーだからこそ、人間たちが喰われてしまうという普遍的テーマが説得力を持ってくるのだと思う。
そしてもう一つ注目したいのが、ヘレナの存在である。
私は初見では気が付かなかったのだが、ヘレナが最初にR.U.R.の孤島にやってきてロボットの人権擁護をしようとしたことによって、今後のロボットの大暴走に繋がってしまう。つまりヘレナこそが悪の元凶でもあったことが示唆されているのである。そしてロッサム文書を燃やしてしまったのもヘレナの仕業である。もちろんヘレナは意図的にではないものの、無自覚で人間を滅亡の方向へと向かわせてしまっているのである。
しかし、これはまさしく今の人間そのものかもしれないとも思わされる。私たち人間も、何か慈善活動のためやもっと良い方向に向かうはずという意思のもと行動を起こすことがある。それは科学技術の発達かもしれないし、それ以外の人類の進歩を促すものかもしれない。しかしそれによって結果的に、人々が自分たちの首を絞める方向に行ってしまう。生成AI技術の発達がそうなのかもしれないし、核兵器の製造がそうかもしれない、温室効果ガス排出による地球温暖化の加速がそうなのかもしれない。
そんなヘレナの行動が振り返ってみれば、良い人そうで禍を呼ぶものでしかなかったというのが一番のミソなのかもしれないと感じた。
最後にラストについて考察したいと思う。個人的にはラストの「サイゴノニンゲン」にはしっくり来なかった。理由は、それによって人間は滅亡してしまうというバッドエンドを決定づけてしまう痛烈なメッセージ性だからである。
確かに、アルキストはその後ロボットを解剖することによって新たにロボットを製造することができてハッピーエンドという流れにはなれないのは理解できる。そのままアルキストは生き絶えてしまうと考えるのが自然なストーリーで、それは人間視点で考えたら滅亡を意味するだろう。
しかし、私は今作にもっと希望を持たせて終わらせてほしいと感じた。つまり、もっとプリムスとロボットヘレナにフォーカスして欲しかった。
結果的に、ラストはロボットが人間とほぼ同じように人を愛すことを知って愛こそが科学技術よりも何においても勝るというメッセージ性で幕を下ろすものになるのだが、もう一歩この物語の続きを考えてみたくなるものである。それは、プリムスとロボットヘレナというロボット同士の愛の先に未来があるのかということ、つまりロボットに生殖機能があるのだろうかということである。
劇中においても、ヘレナが人間が子供を産まなくなったら性別は必要なのか、みたいな議論をしていた。性別はビジュアル的な要素としてあるかもしれないが、生殖機能はなくなるんじゃないかと伏線を張っている。
このプリムスとロボットヘレナは、聖書に登場するアダムとイブと捉える人も多く、ともすれば二人は愛によって初めてのロボットによる子供が生まれることを示唆している。
もしプリムスとロボットヘレナから子供が生まれたら、ロボットは20年という寿命をまっとうしても子孫を残すことができて生きながらえることが出来る。そうすれば、人類は滅亡しても人類が残したロボットによって生は継承されるよなと思った。
だからこそ、ラストにアルキストにフォーカスして人類滅亡を決定づけてしまうラストにしっくりこなかった。
まさにチャペックの『ロボット(R.U.R.)』は、古典SFの金字塔であり、これに影響を受けて世界で初めてのSF映画『メトロポリス』が誕生(改めて『メトロポリス』のあらすじについて調べたら、ロボット社に訪れた娘がロボットに感情を与えようとして捉えられ、彼女とそっくりのロボットを作られてしまうという『ロボット(R.U.R.)』に極めて似たストーリー)し、さらに映画『2001年宇宙の旅』では、「HALL」というロボットが暴走を起こすシーンは絶対に今作に影響を受けているし、映画『ブレード・ランナー』も人間とロボットの境界線が無くなっていく話で、これもまた『ロボット(R.U.R.)』に影響を受けているものと思われる。『ブレード・ランナー』の続編の『ブレード・ランナー2049』では、デプリカント(『ブレード・ランナー』に登場するロボット)が生殖機能を持つ話になっている。
つまり『ロボット(R.U.R.)』は後世のSF作品に絶大な影響を及ぼしたことが分かる。そんなSF作品の原点ともいうべき今作にこのタイミングで触れられて良かった。
↓ノゾエ征爾さん演出作品
↓水田航生さん過去出演作品
↓朝夏まなとさん過去出演作品
↓菅原永二さん過去出演作品
↓加治将樹さん過去出演作品
↓内田健司さん過去出演作品