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舞台 「トータルペイン」 観劇レビュー 2023/10/19


写真引用元:劇団時間制作 公式X(旧Twitter)


公演タイトル:「トータルペイン」
劇場:赤坂RED/THEATER
劇団・企画:劇団時間制作
脚本・演出:谷碧仁
出演:松本紀保、小西成弥、松田るか、佐瀬弘幸、田野聖子
公演期間:10/19〜10/29(東京)
上演時間:約1時間30分(途中休憩なし)
作品キーワード:ホラー、ファンタジー、シリアス、家族、親子、死生観
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


2013年に旗揚げし、谷碧仁さんが主宰を務めながら脚本・演出を担当する「劇団時間制作」が、10周年記念公演の第二弾として新作公演を行うということで観劇。
「劇団時間制作」の公演は、2020年3月に『赤すぎて、黒』を、2020年11月に『迷子』を、2021年9月にプロデュース公演として舞台『ヒミズ』を、そして今年(2023年)8月に『哀を腐せ』を観劇しているので、今回が5度目の観劇となる。
「劇団時間制作」の10周年記念公演では、『哀を腐せ』と『トータルペイン』というどちらも交通事故を題材とした新作二本を上演し、前者では「どう生きるか」後者では「どう死ぬか」という対照的なテーマを扱っている。
今回は、後者の「どう死ぬか」をテーマとした『トータルペイン』を観劇した。

物語は柿沼家というとある家族についてのホラーファンタジーである。柿沼家の主人である柿沼正敏(佐瀬弘幸)は末期がんを患っており、抗がん剤治療を受けるか否か家族と共に悩んでいた。
娘の柿沼ゆう(松田るか)は婚約相手がおり近いうち結婚式を挙げるため、父親と一緒にバージンロードを歩きたいと父親の抗がん剤治療に賛成し、たった6%の治療による生存率に賭けようとしていた。
一方で、息子の柿沼春叶(小西成弥)と正敏の再婚相手である柿沼あかり(田野聖子)は抗がん剤治療に反対していた。
夜、あかりとゆうが自宅のリビングに二人でいる時、突然水道の蛇口から血が流れ出す。
二人は叫び声を上げると、そこには7年前交通事故で亡くなったはずの、ゆうの実の母親である柿沼静江(松本紀保)が立っており...というもの。

「劇団時間制作」の今までの作風は、実際に日本のどこかで起きていそうな、不慮な事故や事件がベースとなって家族や人間関係が壊れていくシリアスなヒューマンドラマで、且つ一つの家族を取り扱うのではなく複数の家族を登場させることで、その家族同士の間で生じる軋轢を生々しく描くことが多かった。
しかし今作は、不慮な事故によって悲惨な状態の家族を描くという点では共通するものの、登場人物を少なくして一つの家族にフォーカスし、幽霊といったホラー/ファンタジー性のある作風が特徴的で、今までの「劇団時間制作」とは異なる点が非常に新鮮だった。

今作で私が強く感じ取ったメッセージ性は、死んでいった人の家族に対する未練や後悔と、血のつながった親子とそうでない親子関係についてだと解釈した。静江という交通事故によって亡くなった幽霊を出現させることで、死人なのだけれどホラー映画とは違って、その存在は果たして幽霊なのか、それとも死んでいなかったのか、それとも他の登場人物の幻覚なのかを、観ている側に錯綜させるような演劇的アプローチが、山西竜矢さん主宰の「ピンク・リバティ」にも通じていて、新たな「劇団時間制作」を観られた感じがした。
また、ゆうと静江という実母と娘の親子関係、そしてゆうとあかりという血のつながりのない親子関係が両方とも描かれることによって親子についても深く考えさせられた。
ゆうにとって産みの親は静江一人しかいない。だからこそ、実の母が亡くなっているという精神的な苦痛が感じられて感情を掻き乱された。

ただ、個人的には作品が全体的に役者の熱量と迫力に頼りすぎている側面が強いように感じられて、もう少しこの脚本で描きたいことを丁寧に描いて欲しい印象はあった。
柿沼家の家族たちが今感じている家族に対する未練は十分に伝わってくるのだが、結局柿沼家の家族たちはお互いを具体的にどう思っているのか、静江の登場によってそれがどう変わっていったのかが不明瞭で置いていかれる感じがあった。
もしかしたら、あまりはっきりと分かりやすく描かないことが意図した演出だったのかもしれないが、それが私には脚本の粗さにも感じられて、それを役者の熱量と勢いで誤魔化しているようにも思える点が勿体なかった。
それか、役者の熱量が過剰過ぎて脚本の凄みが薄らいでしまっていた可能性もあるかもしれない。

客層は若年層女性が多く、とにかく役者陣の熱量と迫力、そしてホラー要素で90分間ずっと舞台空間に強制的に惹きつけられる演出にはなっていて、客席からは時折啜り泣きが聞こえるほどだった。
「劇団時間制作」の作風を考えれば赤坂RED/THEATERくらいの200名弱のキャパの小劇場が一番規模としては適切なのかもしれないというくらい、終始迫力を感じさせられた公演だった。
いすれにせよ、役者陣の演技の迫力は素晴らしいものなのでホラーやシリアスものが苦手でない方には是非オススメしたい作品だった。

写真引用元:ステージナタリー 劇団時間制作10周年記念公演「トータルペイン」より。





【鑑賞動機】

今年(2023年)は「劇団時間制作」が10周年を迎えるという節目の年で、「どう生きるか」と「どう死ぬか」の対照的なテーマで二つの新作を書き下ろすということでどちらも観に行こうと思っていた。
元々『トータルペイン』は、2022年3月に上演予定でその時から観劇に行こうと考えていた。しかし当時は上演を見合わせることになり、今のタイミングでの上演となったので、1年半待っての観劇となった。
前作の『哀を腐せ』が、今までの「劇団時間制作」のテイストをそのまま引き継ぐ感じだった一方で、今回は新たな「劇団時間制作」が観られると告知内容から期待しながらの観劇となった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、上演台本も購入しておらず、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

乱雑に仏壇のおりんが鳴り響く音と共に開演する。
柿沼家の主人である柿沼正敏(佐瀬弘幸)は末期がんを患っており、いつも咳をしていて辛そうだった。柿沼家では、正敏の抗がん剤治療をするかどうかについて意見が真っ二つに分かれていた。娘の柿沼ゆう(松田るか)には婚約者がいて近いうち結婚式も控えていた。そのため、父親の正敏と一緒にバージンロードを歩くことが夢でもあるため、正敏に抗がん剤治療をしてもらって、生存率6%ではあるものの元気になって欲しいと願っていた。一方で、息子の柿沼春叶(小西成弥)と正敏の再婚相手である柿沼あかり(田野聖子)は、正敏の抗がん剤治療に反対していた。抗がん剤治療には大きな苦痛を伴う。正敏にそんな思いをして欲しくないというのが大きな理由だろう。
正敏と春叶はカードゲームをしている。引いたカードが、その人が死ぬ間際にやっておいた方が良いことだとされている(たしか)。正敏はカードを何枚か引く。春叶は、正敏が引いたカードは「トータルペイン」なのではないかと言う。
ゆうは、正敏が「ユーモア」というカードを引いていて「ユーモア?」とバカにしたように笑う。

ゆうは髪を乾かしながら、春叶と7年前に交通事故で亡くなった実の母親のことについて話している。正敏が亡くなり、ゆうが結婚したらこの家も解散だろうと。

夜、ゆうはあかりと話している。あかりがキッチンにいる時、いきなり蛇口から血が流れてきて叫び声を上げる。あかりとゆうは身を寄せ合うと、今度はキッチンに死んだはずの柿沼静江(松本紀保)が血だらけで立っていた。あかりとゆうは再び叫ぶ。静江は、徐々にゆうの方に歩いてきながら「私のこと、覚えているよね」と言ってくる。
あかりとゆうの叫び声を聞いて、正敏と春叶もリビングにやってくる。ゆうとあかりは、最初は幻覚を見ているのかと思っていたが、どうやら正敏と春叶にも見えているので、自分一人の幻覚ではないと悟ったようである。

暗転し、再び明転すると、ゆうはMacで何やら調べごとをしている。そこへ、春叶が帰ってくる。どうやらゆうは、先日見た静江の幽霊について調べているようである。正敏の抗がん剤治療のことなど精神的に参っている時に何か幻覚を見ることがあるのだろうかと。しかし、今も静江の幽霊は正敏の部屋にいるようだとゆうは言う。
そんな会話をしていると、静江が再び姿を現す。そしてゆうの元にやってきて、ゆうの顔を両手で掴む。ゆうは恐怖しながら、ごめんなさい、ごめんなさいと連呼する。ゆうは恐る恐る、本当に静江なのかと問いかける。静江は、自分が交通事故で亡くなった時の未練について語り出す。あの時、ゆうはもうすぐ成人式を迎えるというタイミングだった。ゆうの振袖は何にしようかと悩んでいた。私が着た振袖だと古臭いとゆうは嫌がりそうだしなと。そんな中、静江は横断歩道が青だったので渡った。しかし、運転手の脇見運転で静江は轢かれて死んでしまった。脇見運転で人の命が奪われるなんてふざけんじゃねえと思っているようである。しかし、柿沼家はその後裁判で運転手に賠償を求めてこの件はひと段落していた。ゆうは、こうやって柿沼家に現れておきながら、すぐにどこかへ消えてしまうんじゃないかと言っている。
静江は今度は、春叶の方へ行く。春叶は、静江が生きていた時と変わらず医者になりたいという夢に向かって頑張っていると言う。ただ、今春叶が目指しているのは終末医療に関する医師だけれどと言う。
静江は、懐かしい柿沼家に7年ぶりに帰ってきたと思っていたが、テーブルの配置だったり、仏壇が置いてあったり、その他色々な家具の配置が自分が知っていた頃とは違っていることにパニックになって、そのまま消えてしまう。

数日後、ゆうや春叶など家族たちがリビングで静江のことについて話している。一体静江はなぜ柿沼家に現れたのだろうか。きっと、静江は未練と後悔があって柿沼家に現れたのだろうと言う。
そんな会話をしているうちに、再び静江は姿を現す。静江は、死ぬ前にやりたかったことのリストを取り出し、これを叶えていきたいと言う。そして、静江は最後にあかりに自分を殺して欲しいと言う。
静江は、ゆうを産んだ時の話などをする。静江と正敏の間にはなかなか子供が授からなくてやっと出来た子供であったことを語る。それから、ゆうはSEの仕事をやっているが、仕事の方は無理をしているんじゃないかと静江は心配する。そんなに理路整然と話す子じゃなかったじゃないかと。ゆうは、職場ではいつもヘマばっかりしていて上司に怒られているという。その時のメールも見せようとする。そんな話をしている間、あかりはその会話の蚊帳の外にいるようだった。
あかりは、静江から殺して欲しいと言われていたので、なら殺すわと殺せる覚悟が出来ているように思われた。

正敏、静江、ゆう、春叶は静江が生きていた頃の過去の回想を展開する。ゆうと春叶はまだ幼くて家中を二人で走り回っていた。みんなで大富豪をして遊んで盛り上がった。また、ゆうも春叶も静江が作るカレーがとても好きで、カレーを作ってみんなで食事をしていた。また、誕生日をお祝いしたりした。

あかりは静江にお願いされて静江の首を絞めようとしたが、なかなか彼女を死なせることは出来なかった。
正敏、あかり、ゆう、春叶の4人は、静江の死ぬ前にやりたかったことリストを見ながら話し合う。ゆうは、婚約者に今の柿沼家のことを話したらバカにされて幻覚ではないかと軽くあしらわれたと言う。ゆうの婚約者は仕事一心で現実的な人なので、もしゆうに子供が授かったとしても仕事を優先してしまいそうで怖いと言う。婚約者はまだ32歳でまだまだ仕事をがっつり頑張りたい年頃だからと。そのゆうの言葉に対して、あかりは私の最初の旦那もそうだったという。子供を産むってなって不妊治療ってなった時でも仕事優先だったからと。ゆうは、不妊治療で仕事優先はヤバいと言う。
その時、静江はその柿沼家の会話の蚊帳の外にいて、フワフワとまるで成仏していくかのような感じで柿沼家のリビングから姿を消した。
そして、正敏、あかり、ゆう、春叶の4人だけで一礼して上演は終了する。

役者陣の熱量に圧倒されて、結構聞き逃した台詞があったり、複数人の役者の声が被ってしまって綺麗にストーリーを追うことは出来なかった気がする。だからこそ、結局この物語では何を主張したかったのかが不明瞭で消化不良な部分があった。
タイトルが「トータルペイン」で、きっとこれは正敏が末期がんにかかったことによる全人的苦痛(トータルペイン)のことを指しているように思えたが、基本的に劇中で描かれるのは静江とゆうや春叶の親子関係がメインで、あまり正敏が会話しているシーンも少なく、どう捉えたら良いのか腑に落ちなかった。
また、終盤まで回収されない伏線も沢山あって混乱したことも腑に落ちなかった要因の一つかもしれない。序盤に登場したカードゲームももう少し全編絡めて欲しかった(もしかしたら私が捉えきれてないだけかもだが、絡んでないように初見では感じてしまった)し、結局静江がいきなり柿沼家に姿を現した理由も明確なものってなくてモヤモヤしたし、抗がん剤治療するかどうかも結局結論は出ていないし、色々中途半端に終わってしまった感じがあった。それと絡んで、上演時間90分は短いように感じてしまった(あまり良い意味ではなく、その続きも描かれないと中途半端だと感じた意味で)。
さらに、登場人物が少ない割には、あまりその人物についてキャラクター性が深掘りされていない感じがして、例えばあかりがなぜ正敏と再婚したのかとかもっと深掘って欲しかったし、春叶のキャラクター設定ももっと深掘りして欲しかったと思った。そして何より、正敏のシーンが少なくて彼がどう思っているのかももっと知りたかった。

写真引用元:ステージナタリー 劇団時間制作10周年記念公演「トータルペイン」より。



【世界観・演出】(※ネタバレあり)

「劇団時間制作」の作風ではあまり観られないホラーファンタジーで、凄く新鮮な世界観だった。「ピンク・リバティ」の世界観と「劇団時間制作」の世界観が混在しているような感じだった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。

まずは舞台装置から。舞台装置は、いつもの「劇団時間制作」の舞台装置に通じる一軒の家のリビングとキッチンが広がっているのだが、中央に象徴的に配置されている歩行者用信号機と横断歩道があることによって、これはファンタジーなのだという創り手側の宣言のようにも感じた。
ステージは柿沼家のリビングになっていて、下手側にはソファーとテーブルが置かれている。そこで正敏がカードゲームをやったりするシーンが繰り広げられた。その奥は、おそらく玄関や2階に通じるとされるデハケがある。ただ、扉を具象的に配置している訳ではなく、白いカーテンのようなものが垂れ下がっていて、そこから役者が登場する仕掛けとなっている。
ステージ中央奥には、左側には静江の仏壇が置かれている。その右には巨大な歩行者用信号機が設置されている。そしてその信号機の近くの床面には客席側へ伸びるかのように横断歩道が敷かれていた。いつもの「劇団時間制作」の舞台装置は家やリビングがセットされて終わりなのだが、現実世界ではありえない室内に歩行者用信号機が配置されていることで、今作は今までとは一味違う感を客入れの段階から醸し出していた。
上手側手前には、もう一つ小さなテーブルのようなものが置かれていて、そこにはMacのノートPCが置かれていた。ゆうがそのPCを操作していたので、彼女の仕事用のPCだと思われる。その奥にはキッチンがあり、食器棚や流しが配置されている。その流しの蛇口から血が流れ出すことによって、静江が幽霊として登場する。
赤坂RED/THEATERに私は今回で初めて足を踏み入れたのだが、思ったよりも小さめの劇場で萬劇場と同じくらいの広さしかなかった。今まで観てきた東京芸術劇場シアターウエストのキャパよりもだいぶコンパクトで、その分舞台セットも近く迫力があるように感じた。その近さと迫力が非常に良かった。

次に舞台照明について。
舞台照明は常に暗い照明が多いように思え、青白い照明がいくつかある程度の印象だった。夜のシーンが多いというのと、やはり静江という幽霊を登場させるので明るめの照明は使っていなかった印象である。
印象に残った照明演出は、静江が交通事故に遭った時のシーンのフラッシュバック。歩行者用信号機に青白いスポットライトが上から当てられていて、全体的に冷たい印象を感じた。また、歩行者用信号機もしっかりと信号が点灯するように仕掛けられていて、赤から青に変わったタイミングで静江が交通事故に逢ってしまうシーンは、歩行者用信号機が象徴的に点灯していたからインパクトを感じたのかなとも思う。
あとは、過去の静江が生きていた頃の走馬灯のような家族の回想シーンで、そこだけ照明演出を変えていたのも良かった。

次に舞台音響について。
音響に関しては、まず交通事故のシーンのインパクトが大きかった。静江が車にぶつかって跳ねられる効果音が劇中何度か流れたが強烈なインパクトだった。
また、今作はホラー要素もあるということで、静江の幽霊が登場するシーンにテレビ番組『本当にあった怖い話』の幽霊登場シーンで流れそうなホラーな音が流れるのも恐怖を煽っている感じがあって効果的ではあった。最初に静江が出現したシーンは特に、あかりとゆうの悲鳴とそのホラー要素強めの音によって、一気に観客は強制的に作品にのめり込めるし、それは演出として成功していると思った。
だがしかし、劇の途中途中でBGMを流してしまうのは正直どうかと思った。たしかに選曲自体には違和感なくてハマっているし、音量は小さめで役者の演技や台詞を壊している訳ではなかったが、それによってベタにシーン自体が煽られているように感じて、それよりも役者の演技や脚本、台詞で勝負して欲しかったかなと感じた。

最後にその他演出について。
まず目立ったのは、静江が交通事故に逢うシーンで、歩行者用信号に彼女が立つ度に頭上から白い紙吹雪が舞い降りてくるギミック。かなり劇序盤からそのギミックが発動していたので、もう降らせちゃうんだと驚いたが雰囲気が出ていて良かった。あれは雪とかではないはずなので、静江の幽霊というものを際立たせるための演出だったのかなと思った。
あとは、「ピンク・リバティ」風に静江という死んだ登場人物をしっかりと登場させてシーン作りをしていくあたりが非常に演劇的だなと思った。私は普段ホラー作品を映像で観ることが多いので、さりげなく映像に映り込んでいたり、ふいに出現して消えるみたいな幽霊の出現の仕方に慣れている。だからこそ、今作の静江みたいに幽霊がはっきりと登場して、他の登場人物たちと同じくらい馴染んで会話をするということに最初は戸惑った。しかし、そういった死者の描き方もありだなと徐々に慣れてきた。だからこそ、静江は幽霊なのだけれどまるで生きているみたいに感じられたし、それは静江の未練と後悔の強さなのかなと合点もいった。そうやって、しっかりと幽霊を登場させて他の登場人物と会話させて、幽霊なんだか生きているんだか錯綜させられるのは演劇的なアプローチだよなと思う。
また、静江の生前の家族との走馬灯回想シーンがあったが、設定上は春叶もゆうも子供のはずだが、同じ役者が子供っぽく演じているのが良かった。そのシーンには、回想シーンという意味合いも含まれると思うが、静江の未練と後悔を払拭するために、今の時間軸で柿沼家の家族たちが水入らずの時間を過ごしてるとも捉えられて良いなと思った。どちらの解釈も許容出来る所に演劇の魅力を感じられる。
あとは、なんといっても終わり方が非常に印象的だった。「劇団時間制作」の10周年記念公演の第一弾で上演された『哀を腐せ』とは対照的な終わり方だった。『哀を腐せ』では、最後に植物人間だった母を失った主人公が墓地の前に姿を現して終わるのだが、カーテンコールもなくまるで劇中の世界と現実の世界が繋がっているかのように、ずっと劇中の世界が続いているかのように終わる。これは、主人公が背負った十字架がずっと生きている間付きまとうことを示唆してるように思えた。一方で今作は、ラストは静江が成仏していなくなり、柿沼家が未来のことについて明るく会話を繰り広げる途中で終了し、しかも静江を演じる松本紀保さん以外のキャストでカーテンコールを迎える。これは、静江がこの世に感じていた未練や後悔を皆で払拭して無事成仏し、クリーンになった状態でお互いがスタート出来るからではないかと思った。だから個人的には、『哀を腐せ』はバッドエンドで、『トータルペイン』はハッピーエンドなのではないかと思った。「どう死んでいくか」について、創り手側の主張としては未練なく死んでいきたい、やりたかったことは全てやって死んでいきたいという願望を描いているのではないかと感じた。また、終演後も拍手は鳴り響いたが、ダブルカーテンコールにならなかったのも演出を考えると凄く納得した。そこで、全キャストが再び登場するのは違うなと思った。

写真引用元:ステージナタリー 劇団時間制作10周年記念公演「トータルペイン」より。



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

役者は「劇団時間制作」でお馴染みの役者が多かったが、とにかく演技の迫力が凄くて90分間ずっと引き込まれていた。シリアスな意味で役者の熱量を最大限に舞台にぶつけてくる感じは「劇団時間制作」らしくてアイデンティティが健在だった。
5人しかいないので、全員について記載する。

まずは、柿沼春叶役を演じた小西成弥さん。小西さんは、演劇ユニット鵺的の『バロック』(2020年3月)で一度演技を拝見しているようである。
夢に向かってまっすぐで、医者を目指している感じが雰囲気とピッタリハマっていた。印象深かったのが、終末医療についての医者を目指していて、そんな中父親が末期がんで終末医療にかかっているという点。それなら、抗がん剤治療を受けさせたくないと思う春叶の気持ちもよく分かる。終末医療を専攻する春叶にとっては、なるべく患者の苦痛を取り除いてあげたいはずなので、苦しむことなく逝ってほしいと願うと思う。だからこそ抗がん剤治療によって苦しみながら死んでほしくないであろう。
小西さんは普段はミュージカル『刀剣乱舞』といった2.5次元に出演される役者のようで、観客に若年層女性が多かったのも小西さん推しの方も多かったのかなと思ったが、ストレートプレイを演じられていても全然違和感がなかった。素晴らしかった。

次に、柿沼ゆう役を演じた松田るかさん。松田さんは「劇団時間制作」の舞台でよく出演されており、舞台『ヒミズ』や『哀を腐せ』で演技を拝見している。
今回は非常に松田さんのシーンが多かった印象で、松田さんの俳優としての魅力が存分に詰まった作品に感じられた。『哀を腐せ』では、大人の女性を演じられていたので、そんな役とは打って変わっての母親に甘える女性という一面もあって、さらに印象が変わった。松田さんの演技の幅の広さを堪能出来た。
とにかく演技に迫力があって、感情をストレートに舞台上にぶつけていくあたりが素晴らしかった。こんなに迫力のある松田さんの演技を観たことがなかったので、本当に良い意味で裏切られたし俳優としての実力を痛感させられた。
静江とのシーンを観ているとしっかりと親子だなと感じるのだが、あかりとのシーンを観ていると友達という印象を感じた。そこがまた良くて、それは父親の再婚相手を母親とは思えないよなと演じ方にも納得させられた。だからこそ、亡くなった静江とのシーンを見ていると、この人には産みの親はもういないんだなと感じてしまって苦しくなる場面もあった。そこが凄く良かった。

柿沼正敏役を演じた佐瀬弘幸さんも素晴らしかった。佐瀬さんも「劇団時間制作」の舞台で演技を拝見している。
末期がんを患って弱っている感じが上手く表現されていた。終始咳をしている感じ、パジャマをいつも着ている感じ、病人らしさがあった。
個人的には、もう少し正敏の心の中の葛藤も描いて欲しかった。ゆうのシーンが非常に多いので、正敏と静江のシーンももっと観たかった。なかなか子供が出来なかった過去があると話していたが、そこの夫婦関係ももっと観たかった。

柿沼あかり役を演じた田野聖子さんも良かった。田野さんも「劇団時間制作」の舞台で拝見したことがある。
柿沼正敏の再婚相手なので、どこか他の家族とは距離があって、そこが絶妙に演じ方によって反映されている感じが良かった。特に、ゆうと静江の親子のシーンで蚊帳の外になってしまっているシーンは、正敏と結婚して一緒に暮らしているとはいえ、昔のことは知らないよなとう疎外感を上手く描いていて、そういったものも観ていて心に打たれた。
こちらも、もう少しあかり自身の心の葛藤を描いて欲しかったとも思った。再婚相手ということで複雑な部分もあると思うので、もう少しヒューマンドラマを観たかった。

最後は、柿沼静江役を演じた松本紀保さん。松本さんが、松たか子さんの姉であることを先ほど知って驚いている。
とにかく、幽霊とは思えないほどのパワフルで迫力のある静江が印象的で、それだけこの世に対する未練と後悔が強いのだと思った。この作品、非常に静江の役がどういった演技をするかにかかっている部分もあるので、そこを上手く演じられていて凄かった。
幽霊としての登場の仕方も、最後に成仏していく感じでいなくなっていく感じも凄く上手かった。そしてリビングを彷徨う歩き方も、幽霊のように狂気じみていて素晴らしかった。

写真引用元:ステージナタリー 劇団時間制作10周年記念公演「トータルペイン」より。



【舞台の考察】(※ネタバレあり)

ここでは、今作のタイトルになっている「トータルペイン」について考察しようと思う。

「トータルペイン」とは、全人的苦痛のことを一般的には指し、がん患者の苦痛をトータル的に捉えようとする考え方である。「トータルペイン」は一般的には4つに分けられる。「身体的苦痛」と「精神的苦痛」「社会的苦痛」「スピリチュアルペイン」の4つのようである。
そしてこの「トータルペイン」の説明は劇中でも登場していた上、末期がんを患っている柿沼正敏にはこの4つのペインが全て表れていると思われる。正敏にとっての「身体的苦痛」は、末期がんにかかっての咳が止まらなかったり、歩くのもやっとで身体的に弱ってしまっていることが当てはまると思う。「精神的苦痛」は、劇中ずっと苦しそうで弱っているネガティブなオーラを感じたのでそれが該当するのかなと思う。三つ目の「社会的苦痛」は、物語序盤に出てきた抗がん剤治療をするしないの問題かなと思う。ゆうの結婚式に出席するなら抗がん剤治療をしないといけないといった悩みが該当するのかなと思う。そして、四つ目の「スピリチュアルペイン」は、ゆうと春叶にとっての実の母である静江を亡くし、あかりと再婚しているという罪、自分が死んでしまうと子供たちに血のつながった親がいなくなってしまうという罪かなと思う。
「トータルペイン」は、これら4つの苦痛が互いに影響を及ぼしながら患者を苦しめるとされている。たしかに、今正敏の苦痛を上げてみたが、これなら弱ってしまうなと思う。

ここで私が一つ考えたことが、この「トータルペイン」が静江の幽霊を出現させたのではないかということである。
これはあくまでも私の一つの解釈でしかないが、この劇は全て正敏の脳裏で起こっていることで、末期がんによる闘病による「トータルペイン」によってこのファンタジーを夢見ているのではないかということである。
正敏にとって静江の存在にはずっと未練と後悔があって、彼の中ではずっと成仏出来ていなかった。だから、静江が生前にやり残したことをやらせてあげたかったのではないかと。

静江は最後、思う存分この世でやり残したことをやって成仏していく。それによって、正敏は娘や息子、そしてあかりと未来のことについて話していくことになる。
「どう死んでいくか」は、静江ではなく正敏ががんによって死んでいく時の物語なのではないかとも捉えられる。
ずっと生きてきて罪として背負ってきたことを、まるで幻覚を見るような感じで払拭していく。死ぬ時は未練を残さず死んでいくことが大事なのではないかと。
そういう意味で、たしかに今作はファンタジーだと思ったし、『哀を腐せ』で出した結論、つまり人は死ぬまで過去の苦しみに囚われ続けるということに対する一つのハッピーエンド的なアンサーなのではないかと思った。

写真引用元:ステージナタリー 劇団時間制作10周年記念公演「トータルペイン」より。



↓劇団時間制作過去作品


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