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舞台 「哀を腐せ」 観劇レビュー 2023/08/19


写真引用元:劇団時間制作 公式Twitter



写真引用元:劇団時間制作 公式Twitter


公演タイトル:「哀を腐せ」
劇場:東京芸術劇場 シアターウエスト
劇団・企画:劇団時間制作
脚本・演出:谷碧仁
出演:岡本夏美、青柳尊哉、安西慎太郎、松田るか、鬼頭典子、杉本凌士、長内映里香、やまうちせりな、佐々木道成、太田将熙
期間:8/17〜8/27(東京)
上演時間:約1時間50分(途中休憩なし)
作品キーワード:シリアス、バス事故、ヒューマンドラマ、家族、考えさせられる
個人満足度:★★★★★☆☆☆☆☆


2013年に旗揚げし、谷碧仁さんが主宰を務めながら脚本・演出を担当する「劇団時間制作」が、10周年記念公演の第一弾として新作公演を東京芸術劇場で行うということで観劇。
「劇団時間制作」の公演は、2020年3月に『赤すぎて、黒』を、2020年11月に『迷子』を、そしてプロデュース公演として2021年9月に舞台版の『ヒミズ』を観劇しているため、今回が4度目の観劇となる。
「劇団時間制作」は、今年(2023年)は10月にも新作公演『トータルペイン』を行うことになっていて、今作も次回作もどちらも交通事故を題材とし、今作では「どう生きるか」、次回作では「どう死ぬか」という対照的なテーマを扱ってシリアスなヒューマンドラマを描いていく。

今作は、バスの事故で家族を亡くしたり身体的、精神的にダメージを受けた人々とその遺族たちが集う被害者の会の物語。
バス事故は運転手の過重労働によって引き起こされ、その運転手とバスの運営会社を訴えようと被害者の会は立ち上がる。
刑事裁判と民事裁判の結果被害者の会は勝訴、バスの運営会社も倒産したが運転手の張本人は追い詰められて自殺してしまう。
ネットでは、バスの運転手を自殺に追い込んだのは被害者の会だと炎上する。
この騒動を巡って、バス事故の犠牲者を持つ遺族たちが被害者の会を存続させるか解散させるか話し合うというもの。

当劇団の過去作である舞台『迷子』(2020年11月)と限りなく設定が似ており、舞台『迷子』も民宿の火事によってそこに泊まりに来ていた家族を失った人たちの物語で、民宿に対して弁護士をつけて訴訟しようという話だった。
相違点は、裁判を起こすタイミングの舞台『迷子』に対して、今作は裁判を起こして勝訴した後で司法関連の登場人物がいないこと、そして今作は被害者であるはずの自分たちが世間的に悪者扱いされている点である。
「劇団時間制作」を今作で初めて観る観客にとっては、この救われないシリアスな描写の連続に胸を打たれるかもしれないが、舞台『迷子』を観劇している私個人の感想としては、あまりにも今作は舞台『迷子』と似たような設定で似たような結論にたどり着いているので、もう少し新たな軸みたいなエッセンスを取り込んで欲しかったなと感じた。
ネットで被害者の会が叩かれる箇所とか、被害者の会がある種心の拠り所となっていた箇所など、舞台『迷子』にはなかった要素をもっと深掘りしてくれた方が私の満足度は高かったと思う。

あとは、リビングに被害者の会のメンバーが皆集まって、上演時間の多くを場転もせずに一つの場所で会話劇が進行していく形で進んでいくが、正直私はある程度キャラクター設定が分かってしまうと、その登場人物の心境なども分かってしまって、演技の迫力があっても割と後半は退屈してしまった。
これは舞台『迷子』を観劇していて、似たような結論に辿り着くんだろなという先読みが出来てしまったからだと思う。そこが勿体なかった。

ただ、役者陣の演技力は皆素晴らしいもので、彼らの演技を目の当たりにするだけでも観る価値のある舞台であった。
特に、被害者の椎名ほのか役を演じた岡本夏美さんの演技は軒並み素晴らしかった。
ピンク・リバティの『点滅する女』(2023年6月)でも好演だったが、その時に演じていたキャラクターとは全く違う、芯の強い迫力ある若い女性を演じていて素晴らしかった。
自閉症である間宮勝利役の安西慎太郎さんのあの難しい演技も違和感がなくて、そしてキャラクターとして感情移入しやすい役が印象的だった。

「劇団時間制作」の過去作品も沢山観ていて観劇慣れしている(と一応自負している)私にとっては意外性が乏しくて満足度は低めだったが、物語に破綻がある訳でもないしキャラクター設定も全員丁寧に描かれているので、「劇団時間制作」を初めて観る方や「劇団時間制作」の作風が好きな方にはもちろん、役者の演技力の高さもみどころの一つなのでシリアスが苦手でない方にはぜひおすすめしたい。

写真引用元:カンフェティ 【ゲネプロレポート】「劇団時間制作」10周年公演『哀を腐せ』





【鑑賞動機】

「劇団時間制作」は、2020年3月に萬劇場で観た『赤すぎて、黒』が個人的には衝撃的で好きになった。そこから、2020年11月に『迷子』を観劇してから本公演はタイミングが合わず暫く観ていなかった。
そのため、10周年記念公演というのもあるし、以前と比べてキャストも随分と豪華になったので久しぶりに観劇することにした。だが、久々の「劇団時間制作」は観劇に最近肥えてしまった今の自分でも楽しめるのか不安ではあった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

自閉症を患っている間宮勝利(安西慎太郎)は、仏壇でおりんを鳴らして拝む。そのそばには、勝利の叔父の間宮伸彦(青柳尊哉)がいて、仏壇にいると思われる兄貴が亡くなってしまって、自閉症の勝利だけ生き残って、逆だったら良かったのになと勝利に怒鳴り散らす。
チャイムが鳴る。家にやってきたのは、椎名ほのか(岡本夏美)という20歳過ぎの女性。伸彦とほのかは親しくしているようで、甥である勝利を紹介する。勝利は、ほのかの生年月日や血液型やウエストなどを正確に言っていてほのかは若干引いているものの「すごい」と言う。

音楽と共に、役者が一斉に登場して電話をとって、バスの事故が電話越しに告げられる描写が披露される。
その後アナウンスで、観光バスが事故を起こして多くの犠牲者を出したこと。そして、家族を事故で亡くした遺族と事故の生き残った被害者とで被害者の会が結成されたことが説明される。

息子の陽翔をバス事故で亡くした和久井仁(佐々木道成)と妻の和久井琴子(長内映里香)が話している。仁は交通事故没滅の講師としてPCを立ち上げてzoomで講演していたらしい。そしてその内容をTikTokでもショート動画として流しているそうである。
被害者の会の人々たちがやってきて集まる。被害者の会の代表の堤亜蘭(太田将熙)は、威勢の良いキャラクターで会を仕切っている。今まで、この被害者の会はバス事故が起きてから、事故で生き残った被害者と事故で家族を失った遺族で、バスの運営会社を提訴した。刑事裁判と民事裁判を行った結果、被害者の会が勝利した。バスが事故を起こした原因が運転手の過重労働でバス会社に責任があった。バス会社は倒産した。しかし、そのバスの運転手も自殺してしまった。今ネットでは、バスの運転手を自殺に追い込んだのは被害者の会だと叩く人々がいる。被害者の会の代表の堤亜蘭は、だからこの会を解散しようと言う。
その被害者の会の代表の堤亜蘭の解散しようと言う意見に、皆は反対する。一番反対しているのは、母がバス事故によって植物人間状態になってしまったほのかの姉の椎名しおり(松田るか)。刑事裁判にも民事裁判にも勝訴することがこの会の目的ではないはずだと。被害者の会の代表の堤亜蘭は、自分の都合で色々と決めすぎだと。最近は代表自身が起業準備で忙しくて、そっちに時間をかけたいからだと言う。
しおりは続けて、堤亜蘭自身も婚約者をバス事故で失ったのだからずっと辛いはずだと言う。しかし、堤亜蘭自身、その婚約者を亡くしてずっとその同じくらいの苦しみを感じてきたかというとそうでもなくて、徐々にその悲しみは癒えていっていると言う。その言葉に、被害者の会の人々は猛反発する。あのバス事故の悲劇を風化させてはいけないと。

しおりは、バス事故の被害者である母はまだ植物人間状態で生きていると言う。だからまだ終わりにしてはいけないと。
それに対し、ほのかは母は死んだも同然と言う。そこで、ほのかとしおりで喧嘩になる。そこにほのかの父である椎名譲二(杉本凌士)も口論に入ってくる。ほのかは母に対してあまり良いイメージがなかったらしく、一方でしおりは母に愛されていたようである。しかし、譲二はいつも外出してばかりで家族の元にいつもいなかったではないかと娘たちに責められる。
ほのかは、今から母に繋がっている管を全部抜いてきて死なせると言う。しおりは、それは犯罪になると怒りながら止める。
他の家族が、ネットで調べたところ、管を抜いても犯罪にはならないらしく、それは患者が自分自身で抜いてしまうこともあるからだと言う。
ずっとキッチンの方にいた勝利は、いきなり皆の前にやってきて「焼けた、焼けた」と呟く。きっと父の火葬がフラッシュバックしているのだろうと周囲の人は言う。

小学校に上がる前の息子を亡くした和久井夫婦は、ほのかの家族に対してまだバス事故で生き残っているだけマシだと言う。息子はもう戻ってこないのだからと。
買ったばかりのランドセルはそのままにしていて、部屋は息子が片付けると言っていたからそのまま残しているのだと言う。家族をあのバス事故で亡くしたのだから、私たちは一番のあの事故の当事者だと言う。
それに対してほのかは反論する。事故の当事者は、あのバス事故現場にいた人だと。だから一番の当事者はほのかと勝利と荒川きらら(やまうちせりな)だけだと。バスが事故を起こした時、周囲のガスの匂いや血の匂い、そして泣き声叫び声は事故現場にいないと体感できない。それは、遺族が想像するよりもトラウマになることなのだと。それを知りもしないで当事者面をしないでほしいと。
そのほのかの発言に対して、再び被害者の会の周囲の人間は憤る。そこへ、勝利が何か道具の入った箱を持ってきて、広げようとするがきららに躓いて転んでしまう。そしてきららも車椅子から転落してしまう。そんな勝利にほのかは優しく寄り添う。

きららには母の荒川真澄(鬼頭典子)がいた。真澄は、あのバス事故によってきららが身体障害者になってしまったことが許せなかった。きららの今後歩めたかもしれない人生を、そして夢をあの事故は奪ってしまったのだと。
しかし、きららにとってはむしろあの事故は、自分が変わる大きなきっかけとなってポジティブに捉えていた。バスの事故まで五体満足だったきららだが、生きる目的や夢はなかった。しかし、こうやって事故に遭って、たしかに言葉も上手く話せない、そして車椅子生活になってしまったが、それによって周囲の人間に働きかける目標が出来て、生きがいとなった。だから、今の人生をポジティブに受け入れていた。
しかし真澄はそう思っていなかった。事故に遭って自由に話すことも動くことも出来なくなってしまったのだから、これは不幸だと決めつけるのである。
伸彦は、あのバス事故からずっとギャンブル中毒になっていた。勝利の父親が亡くなった今、誰も家計を支えてくれる人がいなくなって、これでは勝利と共に共倒れなんだと叫ぶ。これからどうやって生きていけば良いのだと。
伸彦は、このバス事故を腐らせたいと言う。哀を腐せたいと。

ネットでは、被害者の会に対してボロクソにアンチコメントが並んでいた。被害者はバスの運転手だとか、被害者の会は人殺しとか。
ほのかは、植物人間になった母とはよく口喧嘩していた思い出を語る。でもそれは思い出を語っているだけで、腐らせてはいないと伸彦は言う。
ほのかは、母が植物人間になって良かったと思うことはドラマのネタバレをされなくなったことだと言う。今まで、母はすぐドラマのネタバレを言ってしまうので、楽しみが台無しだったけれど、植物人間になったおかげでそれがなくなったと。そして、それ以外にももう一つ母が植物人間になって良かったことをあげていく。
その後、被害者の会は解散する。

暗転して、ステージにはほのかの母が眠る病棟。周囲には、ほのかとしおりと譲二がいる。そして、いよいよ人工呼吸器が異変を察知して鳴り響いている。
ほのかは病室を飛び出そうとして、しおりに止められる。
暗転し、ステージ上の壁が十字架を示すかのように照明が当てられる。その後、ほのかに静かに白い照明が当てられる。
そのまま、カーテンコールなしに上演は終了する。

刑事裁判、民事裁判で勝利したものの、それによって結局バス事故の件は終わった訳ではなく、遺族やその被害者たちはずっと苦しみ続ける。
もう2度とあのような事故が起きないように、交通事故撲滅の活動をしたりするものの、その活動に終わりはないし失われた家族は戻ってこない。遺族たちは必死で風化しないように活動しようとするけれど、その被害者意識の感情は、どこか運転手を自殺に追い込んでしまったりと別の方向へ向かってしまう。
果たして風化させないことが正しいことなのか。それはただ、このマイナスの感情をぶつける拠り所を探す自己満足になってしまっているのじゃないだろうか。そんなことを感じさせる物語だった。
あとは、ラストが個人的には好きだった。被害者の会が解散しても、遺族にとってこの事件は終わっていない。むしろほのかの家族にとっては、その事故の後遺症によって母がずっと植物人間状態で、そしてずっと後になって亡くなった。だから事故による被害はずっと継続中である。だからカーテンコールがなく終わった、むしろ劇としても終わっていない感じの終演の演出だったのだと思う。素晴らしかった。
ただ、脚本の面白さという点に関しては、個人的に感じたのは冒頭で書いたことである。もう少し新規性を取り入れて欲しかったし、舞台『迷子』とはまた違うアプローチや軸を持っていた方が楽しめたと思う。これでは、あまりにも『迷子』で観させられたことを設定を少し変えてやり直しているように感じてしまった。

写真引用元:カンフェティ 【ゲネプロレポート】「劇団時間制作」10周年公演『哀を腐せ』


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

舞台セットは、現代的な被害者の会が集まる広いリビングで、いかにも「劇団時間制作」の舞台装置らしい作り込まれたセットと、そして舞台照明、音響も素晴らしかった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番でみていく。

まずは舞台装置から。
洋風で現代的なリビングがステージ一面に広がっていた。下手側奥にはキッチンがあり、その手前にはダイニングテーブルが置かれている。そのダイニングテーブルには、和久井琴子やほのか、真澄などがいた。ステージ中央には玄関に続くドアがある。その手前側には、やはりテーブルが置かれていて、そこには和久井仁や被害者の会の代表の堤亜蘭、しおりがいた。ステージ上手側奥には、白いカーテンのようなものがかけられていて、その向こうには病棟があって、そこにホノカの母はずっと眠っている。その手前には、仏壇、というかおりんが置かれた台があって、序盤はそこで勝利が父に向かって拝んでいる。
ステージ奥側には壁がなくて、そこを上手く活かして車椅子できららが通る演出だったりをシリアスに表現していて面白かった。

次に舞台照明について。
なんといっても印象に残るのは、ラストシーンの照明の当て方。舞台装置に十字架が浮かび上がるように当てて、ほのかの母が亡くなったことを暗示する演出が心を惹かれた。こんな感じの演出って他では観たことがなかったから新鮮だった。
あとは、上手側の白いカーテンを活かした照明演出も良かった。カーテンで樹木のようなものを影で作って光で当てる感じが、どことなくシリアスさが伝わってきて良かった。

次に舞台音響について。
テレビかラジオのニュース番組で報道されているかのように、バス事故に関する詳細な情報をニュースアナウンサーが伝える音響が良かった。舞台『ヒミズ』(2021年9月)でも同じような演出があったような気がする。雰囲気があったし、重々しいニュースを伝える演出手法でとっても合っていた。
あとは、バスが事故したと思われる時の効果音が迫力あった。「劇団時間制作」の作風の一つとして、結構シリアスなシーンでシリアスな効果音や音楽を流す傾向があるが、やり過ぎにはならず程よいバランスで調整されていると感じた。
あとは蛇足だが、チャイムの音が自分の自宅のチャイムと全く同じでびっくりした。チャイムだけめちゃくちゃリアルだった。

最後にその他演出について。
ほのかの独白で、当事者はバスの事故現場にいた人間、つまりほのかと勝利ときららだけのシーンで、ステージ背後に紙吹雪が舞っている演出が印象に残った。紙吹雪って悲劇を表す時に舞台でよく使われる印象。今回も、その紙吹雪はほのかのバスの事故を経験した過去の記憶を思い起こしている感じがあって演出として好きだった。
劇中には「言語化」という言葉がよく登場する。これは、何か被害者の会のメンバーが自分の抱えている気持ちを伝えようとする時に、周りのメンバーが一斉に「言語化」と叫んでいた。この「言語化」というのは、被害者の会というコミュニティの結束を表す言葉なのかなと思った。おそらく、被害者の会はバス事故によって傷ついた心の拠り所として機能していた訳で、お互いの苦しみを分かち合うようなコミュニティとして成立していたと思う。だからこそ、その人が抱える苦しみは分かち合って共有しようという優しさから、「言語化」が求められたのかなと思った。これは非常に興味深かった。これって、ちょっと宗教団体とも近いよななんて思った。
あとは、これは個人的に思ったことだが、今作はネット上でアンチコメントが来たり、zoomを使って交通事故撲滅の講義やったり、TikTokで切り抜き動画みたいなネット上の描写があったので、そこを映像を使って表現しても新しさがあって良かったのかななんて思った。アンチコメントを映像で流すだけでもインパクトがあるし、そういった演出は「劇団時間制作」としてやるのはアリなのではと思った。
また、劇中の台詞が物凄く台詞っぽいものもあれば、台詞っぽくない日常会話に近い言葉もあって混在していて、そこに関して若干の違和感があった。この類の劇なら台詞で全部貫いて欲しかったかなと感じた。

写真引用元:カンフェティ 【ゲネプロレポート】「劇団時間制作」10周年公演『哀を腐せ』



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

「劇団時間制作」の舞台にお馴染みの俳優から、2.5次元舞台を中心に活躍されている俳優までどの方も皆演技が素晴らしかった。というか『赤すぎて、黒』から「劇団時間制作」を観劇している身として、随分とキャストが豪華になったなあと団体としての成長も感じられて良かった。
特筆したい役者について触れていく。

まずは、ほのか役を演じた岡本夏美さん。岡本さんの演技は、ピンク・リバティの『点滅する女』(2023年6月)で初めて拝見して素敵な女優さんだなと思い、今回もどんな演技をされるのだろうかと楽しみにしながら観劇しに来た。
『点滅する女』では、亡くなった姉の役でどこか悪巧みしている感じの、常に笑みを浮かべている感じの役だったが、今回はずっと闇を抱えている感じの鬱々として表情の演技で全く異なる性格の女性を上手く演じられてしまう点が素晴らしかった。そして、今作で岡本さんの舞台女優としての底力を感じて、物凄く腕のある役者さんなんだと再認識した。
今回の役は妹なので、どこか幼く見た目が感じられるのだが、芯は物凄くしっかりしていて声にもパワーがあるし、その言葉に物凄く説得力を持たせられる役者だから凄いと思った。大体、被害者の会の人たちの意見をひっくり返すのは彼女だが、これは説得力のある演技が出来ないと務まらない。そこを上手く演じられていて実力を感じた。
あとは、『点滅する女』でも今作でも、岡本さんはコミュニティのクラッシャー的なポジションの役をよくされるなと思った。そんな役をそつなくこなしていてこれからが楽しみな俳優である。11月の舞台『ビロクシー・ブルース』も観にいくので、また岡本さんの演技が観られることを楽しみにしたいと思う。

次に、勝利役を演じた安西慎太郎さん。安西さんの演技は、TAACの舞台『人生が、はじまらない』(2022年8月)で一度演技を拝見している。
勝利は重い自閉症を患っている設定。その自閉症を患っている感じを上手く演技に落とし込めていてこれまた凄いなと演技力に驚嘆した。安西さんも岡本さんと同じように、前回拝見した舞台の役とは全く異なる演技をされているので本当に同じ俳優なのかと驚く。
勝利は、父親の死がかなり衝撃的だったらしく、あの言動からずっと引きずっている感じを受ける。そして劇後半では、何やらモノを箱から出して捨てようとしていた。それは、過去の記憶を消し去りたいという一種の気持ちの表れだろうか。おそらく、箱にしまってあった靴やらリュックやらは、バス事故が起きた時に勝利が身につけていたものかなと思う。勝利も勝利自身のやり方で哀を腐らせたかったのかもしれない。

次に、バス事故で息子を亡くした和久井仁役を演じていた佐々木道成さん。佐々木さんは、劇団時間制作の公演で何度も拝見している。
メガネをかけておとなしそうで、いかにも理系出身といった頭が良さそうで真面目そうな感じの男性というキャラクター設定が良かった。たしかにあの雰囲気ならzoomで交通事故撲滅の講師をそつなくやりそうだなと思う。
息子を亡くした悲しみにくれ、劇終盤でシクシクと涙する姿でこちらも涙を唆られた。

車椅子生活の荒川きらら役を演じたやまうちせりなさんも素晴らしかった。
本来は、山口まゆさんがこの役を演じるはずだったが急遽代役とのことで演じられていて、代役であるにも関わらずあの難役をこなされるのが素晴らしかった。
終始ぎこちない感じで話しながら、車椅子で動き演技するのは至難の業だと思うが、そこを違和感なくやっていて素晴らしかった。
必ずしも身体障害者になることが本人にとって不幸になる訳ではない。それを不幸と決めつけるから不幸になってしまのだと気付かされた。

あとは、椎名しおり役を演じた松田るかさんも素晴らしかった。松田さんは、舞台『ヒミズ』(2021年9月)で一度演技を拝見していたが、その時に高校生役を演じられていたからか、今日観た雰囲気のギャップが凄かった。随分と俳優として成長したものだと思ったが、1995年生まれだったので納得の大人の女性オーラだった。
凄く台詞一つ一つに覇気があって、引き込まれる演技だった。

勝利の叔父である間宮伸彦役の青柳尊哉さんも素晴らしかった。あの大声と怒鳴り声に迫力があって、それによって舞台に没入出来た感じもあった。

写真引用元:カンフェティ 【ゲネプロレポート】「劇団時間制作」10周年公演『哀を腐せ』



【舞台の考察】(※ネタバレあり)

先述した通り、「劇団時間制作」の過去作である『迷子』(2020年11月)とかなり共通する部分がある舞台作品だった。もはや今作は、『迷子』の続編という立ち位置でも良い気がするくらいである。
ここでは、『迷子』と今作を比較しながら、今作への理解を深めていこうと思う。

『迷子』では、「正義」とは何かを問いかけてくるかのような作品だった。それは今作ではあまり触れられていない裁判に関する内容も含まれていたからだろう。誰が悪いというのを一概に決めつけられないからこその裁判とは何か、「正義」とは何かを問うてくる話だった。
しかし、今作でもそれに関しては通じる部分がある。それは、被害者の会たちがネットでバスの運転手を殺したと批判されていることから窺える。被害者の会の人々は、自分たちの家族がバスの事故に遭って被害を受けて、それがバスの運転手の過重労働が原因だったとわかったので、バスの運営会社を提訴した。そしてこれを正しいことだと思ってやってきたと思う。
たしかに過重労働して、寝不足であろう運転手に多くの客の命を預けさせるなんてあってはならないことだと思う。しかし集団の力と法律の力は恐ろしいものである。その正しさを武器にして違う意味で人を苦しめてしまうことだってあると思う。だから、バスの運転手は自殺してしまったのではないだろうか。経緯までは、もしかしたら聞きそびれたかもしれないが、罪のない何十人もの客の命を奪って精神的・肉体的に傷つけてしまった責任を運転手が背負い込むのはとんでもない精神的な負荷だったと思う。
だから今度は世間が、運転手を自殺させてしまった被害者の会を叩くのである。「正義」は存在しないはずなのに、事故の被害者になってしまったという強い被害者感情で周りが見えなくなることで、「正義」を作り出してしまうのかもしれない。

私は観劇していて、この被害者の会というのは一種の宗教団体に近いとも思えた。
宗教団体というものは、人の弱い心に漬け込んで、その心を癒すためのコミュニティとして存在することが多い。先述したように、「言語化」を被害者の会の人々は同じメンバーに対して求めてくる。これは、一種の被害者の会というコミュニティ内ルールのようにも感じた。また、登場人物の誰かが被害者の会の存在意義について、事故で傷ついた心を癒す場所として機能していた的な発言をしていて、それこそまさに宗教だなと思ってしまった。
同じ事象によって傷つけられた同士が集まり、傷を癒し合う。こうやって宗教団体は結束していくようにも感じられた。

被害者の会は、結束しているようでバラバラであったことが劇中で露呈する。それは、バス事故によってその人が失ったものの大きさにも依存すると思うし、全ての人が同じように被害に遭っている訳ではない上に、人によって捉え方が全く違うからである。これも『迷子』とも通じてくる。
一番わかりやすいのは被害者の会の代表の堤亜蘭、亡くなった婚約者とは生前どんな関係だったのかはあまり分からなかったが、あの感じを見ると被害者の会の代表をやりたかったという仕切りたがりだったことが窺えるし、婚約者を失った哀しさは薄れているように感じる。婚約者なだけでまだ家族ではなかった訳だから、血の繋がり的なダメージも少ないと思う。
勝利の叔父の間宮伸彦にとっては、勝利の父が自分の分まで養ってくれる存在だったので、彼らを失ったら共倒れに等しい。息子を失った和久井夫婦も子供を亡くした喪失感は計り知れない。一方、ほのかの姉のしおりは母が植物人間状態で生き残ってはいるが、最愛の母なのでショックから立ち直れず、一方ずっと家を留守にした父や母のことをそこまでよく思ってなかったほのかは捉え方が全く違うのだろう。
そして、きらら自身はこの事故でむしろ生きがいが見つかったというのに、母の真澄はきららを被害者に仕立て上げようとする。
同じ事故の被害者同士でも、こんなにも捉え方は違うようである。
被害者の会というのは、結局は自分の感情のゆき場所をぶつけられる場所というだけであって、各々のエゴに満ちた集団だったのだろう。

だからこそ、そんなエゴに満ちた感情は早く腐らせておきたかったのかもしれない。
「腐す」というのは、私は受け入れるということかなと思った。こんなバス事故が起きてしまったけれど、こう変われたし、まあいいかと受け入れることなのかなと思った。
でもこの作品が一番メッセージとして伝えたいのは、やはり『迷子』とも共通することなのだが、どんなに腐したところで、バスの事故は決して終わったことにはならず、むしろずっと死ぬまで被害者を苦しめ続けるということだと思う。
それはラストシーンからでも明確である。ほのかは、あれだけ母のことについてネガティブなことを言っても、やはり母のことが好きだった。それは、母が植物人間状態から亡くなった時に、その現実から逃げようとした。
どんなに腐そうとしても、その哀というは一生身に纏い続けるということなのだと思う。

物凄く「劇団時間制作」らしい救いようのないラストである。
もし自分の身に同じようなことがあったら、自分はどう振る舞うだろうか。想像しただけでも恐ろしい。
この物語が、全ての人にフィクションであって欲しいなと思う。

写真引用元:カンフェティ 【ゲネプロレポート】「劇団時間制作」10周年公演『哀を腐せ』


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