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舞台 「点滅する女」 観劇レビュー 2023/06/24


写真引用元:ピンク・リバティ 公式Twitter


写真引用元:ピンク・リバティ 公式Twitter


公演タイトル:「点滅する女」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:ピンク・リバティ
作・演出:山西竜矢
出演:森田想、岡本夏美、水石亜飛夢、日比美思、斎藤友香莉、稲川悟史、若林元太、富川一人、大石将弘、金子清文、千葉雅子
公演期間:6/14〜6/25(東京)
上演時間:約2時間(途中休憩なし)
作品キーワード:ホラー、ファンタジー、家族、田舎、夏
個人満足度:★★★★☆☆☆☆☆☆


東京芸術劇場が若手劇団とタッグを組んで上演する「芸劇eyes」の作品として、今年(2023年)は山西竜矢さんが作演出を務める「ピンク・リバティ」が選出されたので観劇。
「ピンク・リバティ」の演劇作品を観劇するのは初めてである。
山西さんは元々「劇団子供鉅人」に所属していた俳優で、2016年に当演劇ユニットを旗揚げしている。
また映画監督としても活躍されていて、2021年に公開された映画『彼女未来』では、前原滉さん、天野はなさん、奈緒さんなどをキャスティングし、北米最大の日本映画祭「ジャパン・カッツ2021」のネクストジェネレーション・ コンペティション部門で大林賞を受賞している。
そんな山西さんが「ピンク・リバティ」で描く演劇作品は、リアリティのある日常風景に幻視的なファンタジー要素を取り込む作風が特徴的で、今回もそんな作風で団体として約1年半ぶりの新作公演が上演された。

物語は、田舎に暮らす田村家一家と主人の田村清春(金子清文)が社長を勤める会社の従業員との間で巻き起こる夏のファンタジーである。
田村家には、長女の田村千鶴(岡本夏美)がかつていた。
しかし、千鶴は不慮の事故によって数年前に亡くなっている。
清春は怪我をしていてしばらく仕事を休んでいたが、快方に向かっていていよいよ仕事復帰出来るということで、従業員たちを交えて快気祝いを行うことになった。
しかし、その日は折しも亡くなった千鶴の命日でもあった。
母の田村繭子(千葉雅子)は亡くなった千鶴のことが忘れられず、主人の快気祝いだと言うのに繭子の好きだったコロッケを揚げることになる。
快気祝い当日、田村一家と従業員たちが楽しんでいる最中に突然千鶴が現れ...というもの。

上記の内容から分かる通り、今作には千鶴の亡霊が登場するホラー作品でもある。
千鶴が亡霊となって登場するシーンや、劇中の場転で途中途中挟まれる蛍の描写や暗闇の描写は、舞台照明の使い方が巧妙でその明暗によって舞台上の役者たちがとても朧げで、本当に田舎の夏を彷彿させるようなノスタルジーな世界観に魅了されて素晴らしかった。
また童歌のような歌声や、登場人物から感じられるどことなく閉塞感のあるような空虚感がとても良くて、田舎育ちの私もついつい夏休みに実家に帰った時のことを思い浮かべてしまって良い舞台空間だった。

今作のテーマは、家族の崩壊とそこからの再構築。
描きたいことは分かるが、この類の作品というのは様々な団体が上演し尽くしていて、どう演出手法によって目新しいものにするかといった所が見どころになるが、個人的には脚本という観点では、少々物足りなかったというのが結論。
亡霊として登場する千鶴の動機、妹の田村鈴子(森田想)が抱える苦悩、そして上京した末光定夫(大石将弘)との関連、ちょっと劇中への落とし込みが不自然ですんなり入ってこなかった。
また、これは私が観劇した回が特にそうだったのかもしれないが、シリアスであるべきシーンの迫力が乏しくて、コメディに寄せている訳でもないし緊迫感はないしで中途半端で、ちょっと拍子抜けしてしまうシーンもあった。
亡霊の登場という日常にファンタジーを取り入れる演出もそこに逆効果して、陳腐なシチュエーションに感じてしまったのが勿体なかった。

役者陣は皆素晴らしく、特に今回が舞台初出演の森田想さんの妹っぽさは、彼女にしか出せない特別な魅力があって良かった。
また、大石将弘さんのモノローグが落ち着いていて、そこから紡ぎ出される言葉から一気に脳裏に情景が浮かんで演劇を堪能出来た。

舞台空間の作り方はファンタジックで独特で、まさに夏のホラーファンタジーといったエモさを十分に堪能出来る作品で、そういった類の作品が好きな方には刺さるのではないかと思う。

写真引用元:ステージナタリー ピンク・リバティ 新作公演「点滅する女」より。(撮影:中島花子)


【鑑賞動機】

「ピンク・リバティ」の演劇作品は、2020年にコロナ禍で中止になった、清水みさとさんが主演を務めるはずだった『下らざるをえない坂』の情報解禁から気になっていた。そして2021年に上演された『とりわけ眺めの悪い部屋』でも好評だったが、日程的に合わず観に行けなかった。しかし、今回「芸劇eyes」に選出されたと聞いて情報解禁もかなり早かったので、日程調整して観に行くことにした。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。

田村鈴子(森田想)と田村千鶴(岡本夏美)は、蛍の光が見える中ステージ上を周回しながら会話をしている。
そこへ、末光定夫(大石将弘)がやってくる。彼はモノローグを始める。田舎から東京に上京して、この街で食っていくんだと誓って仕事をしている。しかし、今日は久しぶりに田舎に帰省していた。夕焼けの景色や夜の景色が、自分が田舎に住んでいた頃と比べて魅力的に映えているような気がする。

リビング、テレビでは高校野球と思しき中継をやっている。田村清春(金子清文)は、テレビの野球中継に向かって文句を垂れている。母の田村繭子(千葉雅子)は、明日は清春の快気祝いだと張り切っている。弟の田村洋介(水石亜飛夢)は、快気祝いということで手巻き寿司にしようと言う。しかし、繭子は明日は亡くなった娘(洋介の姉)である田村千鶴の命日ということで千鶴の好きだったコロッケにしようと言う。この前、繭子は千鶴の部屋のカーテンが開いていてこれはきっと千鶴の幽霊が来ているに違いないのだと言う。
洋介はちょっと不機嫌になりながらも、手巻き寿司でなくコロッケであるということで認める。千鶴の妹の鈴子は、外でタバコを吸ってくると行って外へ出る。
外の喫煙所には、清春が社長をやっている職場の従業員である飯岡太(若林元太)と丸川夢(斎藤友香莉)がいた。夢は偏頭痛に悩まされていた。きっと梅雨の時期でジメジメした気候によるものでないかと言う。タバコを吸って3人は喫煙所から立ち去る。

2018年6月14日、末光は東京の自宅に父親がくる。そのとき、末光には恋人がいることを打ち明けることは出来なかった。

清春の快気祝い、従業員である絹田桜(日比美思)がカラオケで歌を歌っている。そして歌い切ると拍手が巻き起こる。快気祝いは盛り上がっている。
繭子がコロッケが揚がったと、皆にコロッケを振る舞う。カラオケの話題で、丸川夢も一人カラオケでストレス発散するという話になる。周囲は、夢が一人カラオケをするというが意外に感じられたらしく、そこを深掘りしていく。その流れで、夢は中島みゆきを歌うことになる。
夢が歌い始めたその時、家の照明とテレビの電源が突然切れてしまう。皆は怖がる。何の心霊現象だよと。そして今度は家のチャイムが鳴る。そして一人の女性が頭を抱えながら家の中に入ってくる。
その女性は、ここは田村千鶴の自宅ですかと尋ねていて、彼女はどうやら千鶴の友人の須田君子らしい。しかし、すぐに君子の様子はおかしくなり、千鶴が乗り移った状態になる。一同は呆然とする。

千鶴は、自分が千鶴であることを証明するために、過去の思い出を色々と語り始める。そして田村家の人間は、その思い出の懐かしさによって彼女を千鶴だと思うようになる。
しかし、弟の洋介はどうしても千鶴だと信用出来なかった。そして口論になって、洋介と従業員で仲良しの佐野茂己(富川一人)と共に家を出て行ってしまう。
繭子は、千鶴がやってきたと嬉しくなって千鶴の好きだったミックスジュースを作り始める。千鶴は、鈴子に何やら彼女にしか聞こえない小さな声で家族を崩壊させに来たと言う。そして千鶴は、清春が従業員の桜と不倫していることを暴露する。
繭子はその事実を知ると激怒する。清春は犬のように小さくなってしまう。桜はカミングアウトする。清春に最初近づいたのは桜の方からであると。そして桜はひたすらに清春のことを下の名前で呼ぶ。繭子は、年の差のある男性を好きになるのは置いておいて、社長を下の名前呼ばわりするのは止めるように言う。そして繭子は、どうして清春のことを好きになったのか尋ねる。清春は、今までも散々不倫してきてこんなことに何度もなっているのだと。桜は泣きながら、自分の主張をする。
繭子は起こって二刀流で包丁を持つと、大暴れして清春に斬りかかってくる。そのまま桜と清春と繭子は家の外へ出て行ってしまう。

末光のモノローグが語られる。同じく6月14日のことで日付はどんどん過去に遡っている。末光は海水浴に行った時のことを思い出し、父が海中で自慰行為をしているのを見てしまい、それが気持ち悪くて海水浴が嫌いになったことを語る。

田村家には千鶴と鈴子と清春と従業員が残っている。千鶴はどこか笑っているようである。
そこへ洋介と佐野が戻ってくる。鈴子は彼らがいない間に清春の不倫が明かされて大変だったことを伝える。そこへ警察官の鵜飼(稲川悟史)がやってくる。洋介は千鶴と偽る女性が田村家に不法侵入してきたので、その女性を追い出してもらうために警察を呼んだのだと言う。
しかし鵜飼は、状況把握に時間がかかってしまいなかなか千鶴を拘束してくれずイライラする。その上、鵜飼は状況把握をすると、どうして洋介だけが千鶴を追い払おうとして、他の家族は追い払おうとしないのかと言う。千鶴は、このグチャグチャした状況を打破するために呪いを使って鵜飼を呪い、田村家から追い払う。一同は、やっぱり千鶴は呪いが使えるのかと驚く。

千鶴は、先ほどの警察を呼んだ復讐ということなのか、今度は洋介がギャンブルで金がなくなって借金していることを告げる。清春は洋介を今度は叱りつける。洋介の借金の件について、佐野が弁護する。
しかし、途中で戻ってきた繭子は佐野の頬をビンタする。田村家はさらにカオスな状態になる。
鈴子は千鶴の目の前で、今起きていることが夢のようだと言う。そして、鈴子は太としばらく会話する。

過去、千鶴と鈴子は童歌を歌いながら蛍の飛ぶ川辺に行く。鈴子は夜で暗かったので、足を滑らせて川へ落ちてしまう。その様子を察知した千鶴は、鈴子を助けようと川に入る。
鈴子は助かったが、千鶴はそのまま流されてしまった。水中の音が聞こえている。

末光は、田舎の夜の道を歩いている。そこで鵜飼という警察と遭遇する。夜で遅い時間というのもあって、末光は鵜飼に持ち物検査される。するとリュックの中から花束が出てくる。

千鶴と鈴子は再び千鶴が亡くなった、あの蛍の飛ぶ川辺にやってくる。千鶴はここにくるのが懐かしいと言う。鈴子は亡くなってから来なかったの?と尋ねる。千鶴は幽霊が出そうで怖いから来なかったと言う。鈴子は自分こそ幽霊の癖にと言う。
千鶴は、社会というのはちょっとずつ修正しようとするから変わらないのであって、一旦落ちる所まで落ちた方が修正されやすいと言う。鈴子は、だから家族に対しても同じようなことをしたのかと尋ねる。千鶴はうなづく。でも結局家族は崩壊したままでよくなってないじゃないかと鈴子は言う。鈴子は泣き出す。自分のことは何も家族内で言い出せないと。快気祝いは手巻き寿司にしようかコロッケにしようかと話していたが、本当は鈴子はケンタッキーが食べたかったのだと言う。でもとてもじゃないけど、そんなこと切り出せなかったと。母である繭子はいつまでも千鶴のことが好きで、それに対して自分の意見を言えるのは洋介まで、自分には何か主張する機会がないと。
千鶴と鈴子がその場を立ち去ると、そこに末光がやってきて花束を千鶴が亡くなった場所に置く。

末光のモノローグ、2002年6月14日、妹が生まれる。自分は妹を兄としてしっかり可愛がるのだと固く誓う。

朝、清春、繭子、洋介、鈴子の田村家4人は朝からケンタッキーを食べている。みんな無言でフライドチキンを食べている。洋介は味が薄いと言う。ここで上演は終了する。

たしかにテーマは、家族の崩壊とそこからの再構築。けれど、やはりストーリーを改めて追ってみても千鶴の出現理由と、家族を崩壊させようとする動機がよく分からなかった。もう少し田村家の登場人物の人間描写を丁寧に描いて欲しかったかもしれない。どうしてそこまで千鶴は田村家を崩壊させようとしたのか、千鶴は田村家にとって悪魔なのか救世主なのか、上手い解釈が見つからなかった。
あとは、末光の存在も上手く回収していない点もモヤモヤする。解釈の幅を広げるという意味で、敢えて回収しなかったのかもしれないが、個人的にはそれがしっくりいかなくてちょっと乱暴な終わり方かなと思えてしまった。

写真引用元:ステージナタリー ピンク・リバティ 新作公演「点滅する女」より。(撮影:中島花子)


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

世界観は、冒頭で説明した通り夏のホラーファンタジーといった感じで、舞台が田舎町というのもあってノスタルジーを感じさせながら、どこか夏の匂いがする作品で非常に好きな舞台空間だった。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番でみていく。

まずは舞台装置から。
ステージ上には田村家のリビングが東京芸術劇場シアターイーストの中規模のステージをまるまる貸し切る形で仕込まれていた。下手側手前にはテレビが置かれ、その奥にはキッチンがあった。食器棚と水道などがあると思われるキッチン台が広がっていて繭子のテリトリーである。
ステージ中央にはダイニングテーブルがあって、コロッケなどの食事はみんなこのダイニングテーブルで食事していた。また、千鶴が川辺で死んだとされる場所も、このダイニングテーブルの上に乗る形で演じられていた。このようにリビングを吐けさせることなく外のシーンとしても使用する舞台空間の使い方は面白かった。
上手側には、ソファーが置かれていて、そこには清春や洋介がよく座っていたイメージがあった。また、その背後にある壁にはゴッホの絵画が掛けられていた。
さらに、ステージ後方には壁面に沿うような形で緑の葉の装飾が施されていて、おそらく川辺をイメージしているのだと思われる。そこには、千鶴が亡くなった川辺のシーンになると蛍の光が所々光る仕掛けになっていて、とても幻想的な舞台美術だった。

次に舞台照明について。舞台照明は、小劇場の舞台照明スタッフとして有名な松本大介さんが手がけているということで、かなり素晴らしい照明演出が多かった印象。
まずは、一番最初のシーンから照明演出が良かった。開演のタイミングで暗転するのだが、そこから一気に明るくなるのではなくぼんやりと鈴子を照らす形で上演開始する。あの照明の入り方の絶妙な光量が、どことなくホラーっぽくファンタジーっぽくて上手く観客を、今作の世界に連れ込んでくれた。
千鶴と鈴子が「ねえ」と言いながら蛍の光る川辺に向かって歩いていると思われるシーン、つまりダイニングテーブルを周回する演出時の照明も薄暗いぼんやりとした照明で、不気味な感じとファンタジーな感じが混在していて良かった。
あと印象に残っているのは、千鶴が登場するシーンや呪いをかけるシーン。ステージの上手下手の両サイドに蛍光灯のようなものが仕込まれていて、「ジーン」という音と共に点滅する演出がホラーっぽくて印象的だった。蛍光灯が点滅するとなんであんなにホラーっぽさが醸し出されるのだろうか。
蛍の光も良かった。本物の蛍のように舞台背後の豆電球のようなものが沢山、ゆっくりと色々な場所で明滅する感じが良かった。川辺なのでもちろん蛍の光を表しているのだろうが、どことなく星空にも感じさせられた。凄く神秘的な演出、舞台空間で素敵だった。
照明演出は全体的に、照明の切り替わりに時間をかけて変化させるので余韻を凄く大事にしている感じがある。だからこそ、この作品の世界観に合うような夏のホラーファンタジーを再現しているんじゃないかと思う。照明演出によって大部分の舞台空間が助けられている感じがして、さすがは松本さんだなと痛感させられた。

次に舞台音響について。舞台音響も好きだった。
末光のモノローグのタイミングで流れる、優しい管弦楽器によるメロディは、どこか私たちの田舎で暮らした幼少期を思い出させてくれるノスタルジーがあった。舞台照明とも上手く絡んでいて、ファンタジーを作り出していた。
千鶴が登場したり、呪いをかけたりするシーンの「ジーン」という効果音、あれは凄くホラー的で良かった。
あとは、客入れやカラオケ音楽で1980年代頃のJ-POPがよく使われていたことだろうか。これは山西さんの趣味だろうか。聞いたことがあるけれど、曲名が分からないものが多かった。
あとは、水の音の再現度の高さに驚いた。川の中に飛び込む音。溺れている時のブクブクという水中での音、凄く効果音がリアルで想像力を掻き立てられて良かった。
ただ、ミックスジュースを作る時の音はちょっと舞台上の空気感を破壊しすぎかなと思った。役者の会話ではなく、そちらに耳がいってしまった。

最後にその他演出について。
注意喚起は制作的な観点で必要だと思うが、タバコの煙の演出は好きだった。3人ともタバコを吸うと煙が大きなシアターイーストの会場でも立ちこめる。F列に私は座っていたが、そこまで煙は匂ってきた。けれど、田舎の夜の夏ってなんか煙のイメージはある(花火だったり、BBQだったり)ので4DX的で良い演出だった。
末光のモノローグのシーンは、どう解釈するかについての考察は考察パートで詳しく書くが、大石さんが発していて言葉のチョイスは好きだった。きっと山西さんは地方から上京して活動されている方なのだなとわかるくらい、上京するときの思いや、そこから久しぶりに故郷に帰ってくるときの感じ方がリアルだったので、あそこをモノローグに起こしてくれたセンスは素晴らしいと思った。
ただ、物語中盤のちょっとカオスになったシーンに緊迫感があまりなかったのは、狙いなのか役者の演技不足なのか物足りなかった。もし狙っていたのだとしたら意図が分からなかった。千鶴の登場によって田村家は崩壊してしまうので、清春の不倫がバレたタイミングでもっと家中が凍りつくべきだったのかなと思う。何度も清春は不倫をしているからということもあるのかもしれないが、どうも緊迫感がないと面白みに掛けてしまうシチュエーションだった。繭子が二刀流で包丁を持って追いかけるシチュエーションも滑稽に見えてくるし、桜の既婚者に手を出した感じももっと演技で訴えかけて欲しかった。その後の洋介の借金がバレたシーンもいまいち迫力は足りなくて、かといってコメディになる訳でもなくて陳腐な感じに見えてしまった。
千鶴と鈴子がテーブルを周回しながら、蛍のいる川辺に彷徨うシーンを演出しているのは素晴らしかった。たしかに舞台だったらそんな表現方法あるなと思ってしまう。

写真引用元:ステージナタリー ピンク・リバティ 新作公演「点滅する女」より。(撮影:中島花子)


【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

若いキャストから金子清文さん、千葉雅子さんといったベテラン俳優まで幅広い年齢層のキャスティングで皆演技が素晴らしかった。
特に印象に残ったキャストを紹介していく。

まずは、田村鈴子役を演じた森田想さん。森田さんはなんと今作で舞台出演が初めてなのだそう。過去には映画『アイスと雨音』『わたし達はおとな』『わたしの見ている世界が全て』などに出演し、主演を務めるなどしている映画俳優である。
森田さんの演技を拝見した第一印象は、凄く妹らしい田舎娘といった感じで、色々家族のこととかに対してずっと我慢し続けていておとなしい感じを漂わせる演技は役にハマっていて素晴らしかった。
終盤のシーンの、蛍が飛び交う川辺で千鶴と二人でいるときに、ずっと自分が我慢していた食べたかったことや両親に対する不満に対してぶちまけるあたりが凄く心動かされた。きっと鈴子は我慢しすぎていて、自分が我慢し続けていることに対しても自分自身で忘れてしまっていたのではないかななんて思った。それが今回の千鶴の亡霊による家族の崩壊事件を経て、自分だって本当は...という自意識が芽生えて自分のことを吐露してくれたんじゃないかとも思える。そう考えると、千鶴の亡霊は鈴子の心の内を解放してくれた存在になっていたんだと思う。
田舎の閉塞感、空虚感といったものを反映するかのようなどこか物悲しさを覚える森田さんの演技には、舞台初出演とは思えないほどの魅力があった。今後も映画俳優、舞台俳優共にご活躍を期待したい。

次に、須田君子役、田村千鶴役を演じた岡本夏美さん。岡本さんは私は演技を観ること自体初めてだったが、舞台方面ではよく活躍されており、2.5次元舞台や劇団時間制作の公演などで出演されている。
岡本さんが田村千鶴の亡霊役を演じているときの、ちょっと悪魔的な笑みが個人的には印象深かった。こういった演出は、映像だと顔がアップで切り取られてわかりやすい効果を生み出すのだが、舞台となると遠くからぼんやりとそうだなと分かる程度なので、なかなか伝わりにくいがかろうじて分かるレベルだった。
長女という感じがあって、主張の強いハキハキとした部分があって鈴子の姉貴だなというのが伝わってくる。そして鈴子との姉妹でのシーンは、やはりお姉さんという感じがあって二人のやり取りにはつい轢かれてしまう。
2023年8月には劇団時間制作の『哀を腐せ』でも出演されて観に行こうと思うので、そちらの出演も楽しみにしていたい。

次に、絹田桜役を演じた日比美思さんも良かった。
日比さんは序盤から中盤にかけて出演シーンが多いが、まず歌声がとても素敵だった。桜のカラオケのシーンから始まる場面があるのだが、その透き通るような歌声がとても魅力的だった。日比さんにカラオケを歌わせるシーンを入れた山西さんのチョイスが良かった。
あとは不倫していることを千鶴にバラされるシーンで、涙を流しながら自分の意思を主張する姿が印象的だった。

末光定夫役を演じた、ままごとやナイロン100℃に所属している大石将弘さんも素晴らしかった。
大石さんの演技は、ゆうめい『娘』(2021年12月)、ロロ『ロマンティックコメディ』(2022年4月)、ナイロン100℃『Don't freak out』(2023年3月)と3度演技を拝見しているが、今作のようにモノローグとして演技を拝見したことがなかったので新鮮だった。そして、物凄くそのモノローグに引き込まれた。
もちろん、このモノローグのシーンの言葉選びもよくて山西さんのセンスも素晴らしいのだが、それを上手く演技に落とし込んで観客に引き込ませる大石さんの腕も素晴らしかった。どこか東京に出て働いている自分にとって、この末光という人物の存在は自分と重ね合わせてしまう。自分も故郷に帰ったときに同じような懐かしさと思い出に引き寄せられる感覚がある。家族を大切にしようと思ったし、そう心を強く動かしてくれる演技をした大石さんが素晴らしかった。

警察官の鵜飼役を演じた青年団の稲川悟史さんも良かった。
稲川さんの演技を拝見するのは初めてだったが、規範に沿おうと意識しすぎて業務を熟せてない不器用な感じが、良い意味で観客をイライラさせて良かった。
洋介によって鵜飼が田村家にやってきた時、田村家の家族構成を整理しようと時間がかかっていて洋介がイライラしている感じと全く同じ感情を観客である私も抱いた。そんなコミカルな演技を熟る稲川さんは素晴らしかった。

写真引用元:ステージナタリー ピンク・リバティ 新作公演「点滅する女」より。(撮影:中島花子)


【舞台の考察】(※ネタバレあり)

真夏も近づきつつある6月下旬に観劇する内容としてはベストで、夏の匂いのする田舎のホラーファンタジーという感じで凄くワクワクさせられる舞台空間と世界観だった。意外とこの類の作風というのは演劇に限った話であればなくて(映画だとよくある)、そういった意味では新鮮さがあった。
しかし、冒頭でも記載した通り、コメディなのかシリアスなのかよく分からない中途半端なシーン描写がかなりの尺を使っていて、それが私の舞台への没入観を削いでしまった感じがあって勿体なかった。中弛み的なシーン描写が続いたからこそ亡霊のシーンは陳腐なものになってしまったのもネガティブな方向に作用した気がする。
それはさておき、ここでは今作を観劇して色々考えたことを考察していこうと思う。特に、なぜ千鶴は亡霊となって田村家にやってきたのか。そして田村家はどう変わったのか。また、末光定夫とは何者なのか、そこから作者は何を示したかったのかについて考察していく。

田舎の家族でありがちなのは、長男や長女を可愛がる傾向にあるということである。私も関東の田舎出身で3兄妹の長男として生まれているのだが、祖父や祖母たちに兄妹の中で一番可愛がられていた記憶がある。それは家の後継になるからという部分も大きいだろうとは思う。
今作に登場する田村家も、例外なく長男長女が可愛がられていた。千鶴は長女ですでに亡くなっているが、いまだに母の繭子は千鶴のことが忘れられず、清春の快気祝いなのに彼女が好きだったコロッケを作った。また、洋介は長男ということもあったのか田村家での主張は強かった。兄妹のうちで千鶴の方が年上なのか洋介の方が年上なのか分からなかった(描写がどこかにあったら聞き逃しました)が、おそらく千鶴の方が年上で、両親ともに一番彼女を可愛がったに違いない。それに反発して洋介は両親と若干不仲だったんじゃないかと思われる感じもあった。
だから妹である鈴子なんて、田村家からしたら大事に扱ってくれなかった感じは凄く強いと思う。むしろそれが当たり前になっていて、鈴子は自分の主張をしてはいけないのではないかという強い強迫観念に囚われていて大人しくしている節もあるんじゃないかと思った。

田村家は事業をやっている。話を聞く限り清春の父から受け継いだ会社を清春が社長を勤めて持続させている感じだった。きっと田舎なので、地元と密着した小さな会社なのだろう。
だから世間体を気にして、田村家が不仲であるということを従業員の人々に見せる訳にはいかなかったと思う。清春も浮気性だが、世間体を気にして繭子と離婚するということはまず不可能だったに違いない。繭子も同じで、清春はどうしようもないオヤジだが、彼を見限ることは世間が許さなかったと思う。
だからこそ、田村家はずっと家族内で問題を抱えたまま何も変わることなく時間を過ごすしかなかった。誰もが薄々気がついている家族の間の軋轢は、臭いものに蓋をするが如く誰も解消しようとはせずやり過ごしていた。

そんな田村家の淀んだ空気感を、亡霊として眺めていた千鶴は許せなかったのではないかと思う。だから田村家に祟るかの如く登場した。
お互いに思うことがあっても、大喧嘩をすることが出来ない状況の田村家だったから、それを千鶴は敢えて問題を掘り起こしておおごとにさせた。結果田村家は険悪な方向へ行ってしまった。まるでそれは、もう大戦を起こすことは出来ずにずっと大きな変換を出来ずにいる今の社会にも似ていて、戦争は数えきれない悲劇を生むが、戦争が起きて今の社会が大きく破壊されれば大きく修復はされて結果良い方向に向かう可能性は残されているかもしれないということと繋がる考え方だと思う。

結果田村家の家族は再構築されたとはいえないかもしれない。しかし、最後にケンタッキーを食べる描写から少なくとも鈴子の意志というものを家族が悟ったことは事実である。
鈴子は本当はケンタッキーが食べたかったのに、洋介の手巻き寿司か、千鶴の好きなコロッケかの2択しか候補に上がらなかった。鈴子は何食べたい?と聞いてくる家族は誰もいなかった。でも千鶴の登場によって、間違いなく鈴子は心を開いた。そして自分の意志と向き合った。そこに鈴子の成長を感じられて凄く良かった。
だからこの物語の主人公って鈴子であるような気がしていて、鈴子が自分と向き合って成長する話でもあるような気がする。

では、末光定夫の存在はなんだったのか。末光は、劇中に登場するシーンから整理すると、田舎から東京に上京して一旗あげようとしている人物であるようだ。そして、上演台本を買っていないので劇中から聞こえた台詞から判断するに、末光はLGBTではないかと考えている。というのは、たしか東京で付き合っている人の名前が男性の名前だった気がしていて、親が自分の住む東京にやってきた時にその事実を言えなかったとモノローグで語っていた記憶があった。これは、田舎に住む親は昔の価値観で生きているからLGBTのような価値観に偏見を強く持っていて言えなかったと解釈できるからである。
そんな末光は、久しぶりに自分の故郷にやってくる。久しぶりにやってきた故郷はどこか神秘的で良いものに映っていたようにモノローグからは推測できる。
末光が帰省した一つの目的は、死んだ千鶴に花を手向けること。おそらく末光は田村家の生まれで千鶴や洋介、鈴子と兄妹であったと考えられる。そうでなければ千鶴に向けて花をわざわざ手向けたりはしないだろう。花を手向ける場所も、千鶴と鈴子が去ったあとにその場にやってきて置いていたので、千鶴が川辺に落ちて死んだ場所だと考えられる。
また、末光は2002年6月14日を回想するモノローグで、妹が生まれて可愛がるという決意をすると言っている。この妹というのは、劇中の描写や演出をみるに鈴子であると考えられる。だから末光は鈴子の兄だったと考えられる。
ここで余談だが、もし6月14日が鈴子の生まれた日、すなわち誕生日であるとなると、この6月14日という日は清春の快気祝いをやった日であり、千鶴の命日であり、鈴子の誕生日でもあったということが考えられる。でも母の繭子は千鶴の命日という意味合いが強すぎて、鈴子の誕生日をそっちのけにしていたと考えられる。それは慌てて次の日の朝ケンタッキー食べるよなと思う。

そう考えると、末光は鈴子が生まれた日、自分は妹を可愛がると決意したのに田舎での暮らしが嫌になって東京に行ってしまったまま実家にあまり帰らない男だったということになる。
ここは憶測だが、末光もきっと両親から可愛がられなかったのかもしれない。だから実家が嫌になって東京に行ったのかもしれない。ずっと家族とは疎遠だったけれど、久しぶりに千鶴の命日ということで故郷にやってきたのかもしれない。
故郷に帰ると色々と過去のことが蘇ってくる感じはたしかにある。それを末光のモノローグが語っていたのかもしれない。

夏の訪れを感じさせる作品であったと同時に、一度故郷にも帰りたいと思わせてくれる作品だった。

写真引用元:ステージナタリー ピンク・リバティ 新作公演「点滅する女」より。(撮影:中島花子)


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