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舞台 「娘」 観劇レビュー 2021/12/29

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【写真引用元】
ゆうめいTwitterアカウント
https://twitter.com/y__u__m__e__i/status/1475979408486047744/photo/2


公演タイトル:「娘」
劇場:ザ・スズナリ
劇団・企画:ゆうめい
作・演出:池田亮
出演:高野ゆらこ、宮崎吐夢、木村美月、岩瀬亮、中村亮太、森谷ふみ、大石将弘、大竹このみ、田中祐希、山中志歩
公演期間:12/22〜12/29(東京)
上演時間:約105分
作品キーワード:家族、親子、舞台美術、考えさせられる
個人満足度:★★★★★★☆☆☆☆


池田亮さんが作演出を務める劇団「ゆうめい」の新作公演を観劇。
「ゆうめい」は、今年(2021年)5月に再演された「姿」を観劇して以来2度目の観劇となる。
舞台「姿」は、ローチケ演劇宣言で毎月投稿されている「今月の優先順位高めです!」という、様々な演劇業界の著名人から聞いた各月のおすすめ舞台情報をまとめた記事があるのだが、そちらでほぼ全員の著名人からおすすめされていたくらい評価の高い作品だった。
実際に私も観劇して、今年観劇した舞台作品の中でも群を抜いて素晴らしい舞台作品だったと感じたので、非常に高い期待値を持って「ゆうめい」の新作公演の観劇に臨んだ。

物語は、池田亮さん自身に娘が授かったという事実をベースに、作者自身の祖父と母という親子関係、作者の妻の母親とその父親という親子関係、作者の妻とその母親・父親という親子関係という、複数の親と娘という関係を時代の移り変わりも反映させながら描いたもの。

結論から言ってしまうと、舞台「姿」で感銘を受けてしまった私にとって、今回の「娘」という作品は正直「姿」の劣化版としか感じられず、戦後から現在までを時系列順に展開させていく観せ方とか、ラストの歌謡曲を使ったクライマックスシーンなど、「姿」に出演されていたキャストも多かったという点も相まって既視感しかなかった。
それも舞台「姿」の方がみせ方も全然上手かった。
今作は出演キャストも多くてワンシーンに登場するキャストも多かったため、スズナリという小さな劇場で観るとワチャワチャし過ぎていて観劇する側が情報過多になって混乱する感覚が否めなかったかなと思う。
もっと大きい劇場で上演したら印象もだいぶ変わると思うし、その方が向いていると感じた。
もしかしたら池田さん自身がもっとキャパの大きい劇場で再演することを見据えて創作した作品なのかもしれないが。

ただ、キャスト陣の演技力の高さには圧倒された。
舞台「姿」でも好演だった高野ゆらこさん、中村亮太さん、田中祐希さん、山中志歩さん、森谷ふみさんの安定感は素晴らしかったし、今回「ゆうめい」初登場となる木村美月さん、大竹このみさんらの演技に魅了された。
特に木村さんに関しては、阿佐ヶ谷スパイダースの「老いと建築」で一度演技を拝見していたが、今作の若へら役の方がハマっていて魅力的に感じた。

おそらく舞台「姿」を観劇したことのない方は今作を絶賛すると思うのだが、私を含め「姿」を観ている方はどうしても比較してしまって「姿」の方が良かったという感想になるのではないかと思う。
「ゆうめい」を観劇したことのない方にはオススメしたい作品だが、今作を観た方にはぜひ「姿」を次回再演されるタイミングで観て欲しい。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/459116/1730376


【鑑賞動機】

今年(2021年)5月に観劇した「ゆうめい」の舞台「姿」で感銘を受けたので、再度「ゆうめい」の舞台作品を観劇したいと思ったから。
今回は「ゆうめい」の新作公演ということもあり、どんな作品として仕上がっているのか非常に楽しみだった。また、舞台「姿」に出演されていた多くのキャストも続投されていたので、またあの感動に出会えるという楽しみもあったので、期待値としては非常に高めだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

へら子(中村亮太)が登場する。へら子は客席に向けて自己紹介を始め、嫌いな食べ物はエビだと言う。へら子は、自身がこの物語の作者であることを告げた上で、来年自分の娘が産まれるとの報告を客席に向けてする。
物語は、その娘が授かったという報告をするために、へら子は妻のゆの子(山中志歩)とゆの子の両親の元を訪れる。へら子は、ゆの(森谷ふみ)とゆの夫(田中祐希)に向けて娘が授かったというご挨拶をする。ゆの夫は、それはおめでたいことだと出前を注文するために、エビは食べられるかと聞かれる。へら子はエビが食べられないにも関わらず食べられると返事をしてしまう。
へら子は母であるへら(高野ゆらこ)にも娘が出来たことを報告する。しかし、アニメの脚本家を本業としているへら子のことをよく思っていないへらは、へら子に対して仕事の悪口を言う。
エビが届く。ゆのとゆの夫はエビの入った出前の寿司を食べ始める。へら子もゆの夫に言われてエビを食べることにする。へら子は明らかに我慢してエビを食べ、そのままトイレに直行する。そしてトイレで結局吐き出して出てきたにも関わらず「美味しかった」と呟く。一堂は呆然とする。

その日の夜、妻であるゆの子はへら子に対してなぜエビが食べられないことを正直に言わなかったのかと責め立てる。へら子は、いつかはエビを食べられるように克服出来るからだと答えていたが、ゆの子は今回のへら子の行動に失望しているようであった。
へら子のスマホに電話がかかってくる。それはへら兄(大石将弘)からであった。へら兄は風呂に浸かりながらへら子と電話していた。へら子は娘が授かったことをへら兄に報告して電話越しに祝ってもらう。

ゆの、ゆの夫、へらは娘が授かった祝いで酒を呑み過ぎてそのまま横たわっていた。へらは夢で死んだ自分の父親であるへら父(宮崎吐夢)に魘される。
1949年に遡る。まだ日本が終戦して間もない頃のこと。へら父は学生時代、北海道の警察学校で2番の成績だった。成績1位の奴を殺したいと思っていた。へら父は戦時中、満州へ出兵していて身柄を拘束されていた。
日本へ帰ってきた後、へら父は旧友(岩瀬亮)に会う。旧友はもみじのような緑色の葉を持っていた。それを地面に落とすと男(大石将弘)がやってきて財布を落としていく代わりに、その葉を持ち去っていった。この葉は高い値で売れる植物であった。こうすれば高い金額が手に入ると。へら父は警察学校を出ている身であったため戸惑っていたが、現場を見られたからにはと、ヤクザ①(中村亮太)、ヤクザ②(田中祐希)に取り囲まれてアジトまで連行される。
薬物を売るグループに仲間入りしたへら父は、厳格なへら父兄(大石将弘)にはよく叱りつけられていた。
へら父は、へら母(高野ゆらこ)と結婚して娘が授かる。それが後のへらである。

一方、1964年。ゆの父(大石将弘)とゆの母(山中志歩)の間にゆの(大竹ことみ)が産まれる。ゆの父は、産まれたばかりのゆのをデッサンすることに必死だった。ゆの父は絵かきだった。
外には猫(田中祐希)がいて、ゆの父が戦時中に使っていた戦闘用ヘルメットで遊んでいた。
すくすく育った若ゆのは、両親の意向で小さい時からピアノを習わせていた。そして、おそらく若ゆのが4歳か5歳くらいで迎えたピアノの発表会では、本番中に途中ピアノを弾くことを止めてしまって大泣きする。ゆの父とゆの母は、まだ若ゆのにはピアノの発表会は早かったかと後悔する。そして若ゆのも、ピアノにトラウマを抱いてしまう。
それから若ゆのは、ゆの父がそうであったように絵描きとして歩み始める。

一方若へら(木村美月)は成長して公務員として就職する。そしてへら夫(岩瀬亮)と結婚する。若へらは公務員の仕事が忙しく、いつも酒を呑み過ぎてフラフラで帰宅していた。
一方、薬物を売買するグループの中にいたへら父のことを、若へらは心配していた。

若ゆのは、ゆの夫(田中祐希)と知り合い付き合い始める。そして、お互いに親の元へ結婚の挨拶に向かうことになる。
まずは、若ゆのとゆの夫で、ゆの父の元へ向かう。ゆの父は何やら巨大な絵画を持ち出してくる。そして、この絵画は若ゆのを描いたものだと言う。絵画はピカソの絵画のように芸術性の高い作品として仕上がっており、ゆの父自身もどの向きにしたら正しいか分からなくなってしまっていた。若ゆのは帰りがけにゆの夫に対して、最近はゆの父はボケが入ってしまっているのだと言う。
次に2人は、ゆの夫の母である義母(森谷ふみ)の元へ挨拶に向かう。しかし若ゆのは義母から、仕事もしながら、そして絵描きもやりながら、猫も飼っているなんて、随分器用に多くのことをする人なのねと嫌味を言われてしまう。若ゆのは傷つく。
ゆの夫は、自分の母は絵かきだったりと芸術関係の仕事をする人に厳しいのだとかばってくれる。

若ゆのとゆの夫の間に娘が産まれる。娘であるゆの子(山中志歩)は、ピアノを習い出して若ゆのと違って上手にピアノが弾けるようで向いているようであった。そんなゆの子のことを快く思っていなかった若ゆのは、彼女のことを「ブスメ」と読んでいた。
ゆの夫は、よくゆの子をピアノ教室に送迎していた。
ゆの父が亡くなった。しかし義母(つまりゆの夫の母)は葬式にも出席せずに連絡すらもくれなかった。それは常識的にあり得ないと憤っていた若ゆのは、そのことについてゆの夫に相談する。ゆの夫は憤る若ゆのを落ち着かせる。

(たしか2005年)のある日、ゆの子のピアノの発表会の帰り、若ゆのとゆの夫は彼女を車で迎えに来て家に帰る。若ゆのは自分の大好きな小田和正をかける。ゆの子はこの曲好きでないと言うが、若ゆのはそれを聞かず車を走らせていた。
今日はピアノ発表会の帰りだし、ゆの子はバローに行きたいとダダをこねるが、若ゆのは聞かなかった。家に着く。若ゆのはやっぱりゆの子の言うことを聞いて、バローでも行こうかと再び車を走らせようとする。
その時、何かを車で轢いてしまった音。なんとペットの猫を轢いて死なせてしまった。若ゆのとゆの子は2人で大泣きする。そして猫が死んでしまった理由をお互いに擦り付けて大喧嘩を始める。若ゆのは、ゆの子がバローに行きたいとダダをこねたからだと言うし、ゆの子は母がなかなかバローの方に車を走らせようとしなかったからだと。
運転手であったゆの夫は困惑する。

若ゆのは、インターネットの匿名掲示板で今あった事実を書き込む。
そして様々なコメントをもらうが、そこに共感してくれるユーザーもいて、そのユーザーたちと親しくするようになる。そこにへらもいて仲良くなった。

へらは公務員務めから戻る途中、へら父の薬物仲間に偶然遭遇する。そして彼に自分の父が今どうしているかを尋ねる。もうへら父とは暫く会っていなくて、北海道にいるのではと居場所を教えてくれる。
へらはへら父の元へ向かう。へら父は既に亡くなっており、下半身は腐っていた。そしてへらが渡した札束は使われずにそのまま腐らせていた。

2021年、ゆの子は音楽を使った映像制作をしており、その作品を身内向けに披露する会が行われる。
スクリーンにゆの子が制作した映像が流れる。オフコース小田和正の「愛を止めないで」が流れながら、映像がひたすら流れる。一堂が拍手する。
一方ゆの(森谷ふみ)は、今の心境をインターネットの匿名掲示板に書き込む。そしてユーザーから「禿同」と共感を得る。ここで物語は終了する。

へら父とへら、ゆの父とゆの、そしてゆのとゆの子、という3つの親と娘という関係があって、皆それぞれ受ける境遇って異なるのだけれど、それは親子愛の形って親子それぞれだからなのかなと感じた。
考察パートで深く書いていきたいと思うが、ゆのとゆの子の親と娘の関係であるにしても、たしかにすれ違うことは沢山あって、特に猫を死なせてしまった時はゆのとゆの子で大喧嘩してしまっていたけれど、お互い歩み寄ろうとする言動はしていて、そこに親子愛を感じた。
ただ、冒頭で書いたように脚本の持っていき方も舞台「姿」の方が断然優れていて、言葉として形容し難いがもっと上手い家族史の組み立て方はあったんじゃないかと思う。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/459116/1730371


【世界観・演出】(※ネタバレあり)

正直舞台美術も全般的に「姿」と比較してしまうと、、、という感じが否めなかったのだが、凝った舞台装置、映像、音楽と趣向の凝らされた作品ではあったので、そちらについて詳しくみていきたいと思う。
舞台装置、映像、舞台照明、舞台音響、その他演出についてみていく。

まずは舞台装置から。
舞台装置は全体的に木造で出来た箱のような形をしており、客席側に向かってポッカリと空間が空いている形状をしているのだが、この箱の中にある空洞部分が舞台奥側から手前側へと移動出来る仕掛けになっている。
また、上手側と下手側の箱の側面には、開閉出来る扉があってデハケとなっている。下手側のデハケはゆの実家のトイレとしても使われ、へら子がエビを戻してしまったトイレもこちらに当たる。
この舞台奥側から手前側へ移動出来る空洞は、奥側に一段高くなったステージのような場所があり、そこには小さなピアノが置かれてピアノの発表会が行われたりした。
さらに、舞台奥側には下手側から上手側へと移動させることの出来る扉が備え付けられており、こちらもデハケとなっている。
一番気になったのが、舞台中央手前側にあった小さな四角い穴。こちらは劇中の「死」を表すシーンで度々使用されていた印象。例えば、ゆの父が飼っていた猫の死であったり、若ゆのとゆの子が可愛がっていた猫を車で轢いてしまった時の死であったり、はたまたへら父が死んでいた時もこの穴に横たわっていた。
凄くユニークで独創的な舞台装置だったので、これを巧みに使用して物語を展開するというのは素晴らしかった。個人的には「姿」の舞台装置の使い方の方が秀逸だったが、これはこれでモノとしてはありだと思う。ただ、やっぱりスズナリでこれをやるのはちょっとゴチャゴチャし過ぎかなとは思った。もっと広い舞台で拝見したいなと感じた所。

次に映像だが、メインはピアノの音楽が鳴りながらインターネットの匿名掲示板に書き込むシーンでの演出になるかなと思う。
個人的にはこの演出はちょっと観客に不親切かなと思っていて、まずネットに投稿された文章の内容を観客にしっかり読ませたかったのかが疑問である。最初のタイピングの速さ的にはしっかり観客に読ませたいのかなと思いきや、文章量はかなり膨大だし、舞台装置の隅の出っ張りによって映像の映され方がグチャっとなってしまって読みにくかったりと支障が出た。個人的には結構ストレスに思えた。文章をしっかり観客に読んで欲しいならもっと工夫すべきだと思うし、別に読んで欲しくないのであればどんな内容だったのかを他でサポートして欲しかったかなという印象。
あとは、オフコース小田和正さんの「愛を止めないで」と同時に投影される、ゆの子が制作した映像。凄く抽象的な映像で芸術性を高く感じられた一つの感動ポイントだった。
他は、年号をプロジェクターで投影する演出。でもこれは「姿」でも同様の演出があった。「2005年」だけ遊び心を感じた映像になっていて印象に残っている。

次に舞台照明。
色々思い返して、特にインパクトのあるような照明演出はなかったが、ピアノの発表会のときの小さなピアノに白い照明がスポット的に当たっていた演出は素晴らしかったと思った。今考えてみれば、中央のピアノとスポット照明と木造の温かみのある舞台装置は、ピアノ発表会らしいエレガントな演出が効果的になされていたと思った。
あとは、序盤の方で登場した娘が出来たという報告を聞いた後で、皆が酔い過ぎて眠ってしまったシーンでの夜の暗さを演出した照明。良い感じで青い照明が入っていたと思っていて個人的には好きだった。

次に舞台音響。
音響は、ピアノの音と、小田和正さんの「愛を止めないで」が印象に残った。
ピアノの音は、タイピングと共に奏でられる演出は好きだった。またしっかりとクラシック音楽に則っていて興味深かった。あんな演出方法はたしかにアリだなと思った。
小田和正さんの「愛を止めないで」は素晴らしい歌謡曲だが、「ゆうめい」はいつもクライマックスシーンに家族との思い出となる歌謡曲を用いた演出をするなと思う。ここも演出的には「姿」の方が好きだったかなと比較してしまう。アートワークとしての映像と音楽は非常に合っていたのだが。

↓Off Course 「愛を止めないで」


最後にその他演出について触れていきたいと思う。
まずは「ゆうめい」ならいつも通りなのだが、基本作者の池田亮さん自身の経験を作品にしているので、池田亮さんの体(てい)で中村亮太さんが登場して、池田さん自身のことを話し始める点はこの劇団特有の演出手法である。そこからいつの間にか作品が上演され始めているのが面白かった。ただいつも思うのは、池田さんのご家族がこの作品を観てどう思うのだろうなと考えてしまう。自分だったら絶対嫌だなとか考えてしまう。ましてやこれから産まれてくる娘さんなんて、自分自身が勝手に舞台作品に登場していたら絶対嫌だろうなとか。
あとは凄く演劇的な演出アプローチだとは思うが、同じ人物を複数のキャストで演じたり、はたまた一人のキャストが複数の登場人物を演じるのが、観客は凄く混乱するかもしれないが今回の作品では凄く上手い演出だなと感じていた。なぜかというと、例えば高野ゆらこさんは、へら役とへら母の役を演じていたり、森谷ふみさんは義母とゆの役を演じていたりと、母と娘という親子(義理の親子)の関係を同じ人物で描いているというのが興味深くて、これは自分もいずれは親の立場になって娘に対して感じることが、自分の親と重なるんだよということを暗示している感じがあって深かった。ここは考察パートでもしっかりまとめていこうと思う。
腑に落ちなかったのが、客入れ時はスクリーンセーバーのような映像が流れて、この舞台装置全体がデスクトップPCのように思われて、たしかにインターネット上で出会った2人の女性の物語だから、PC上のやり取りがこの劇中で多く登場するのだなと思っていたのだが、実際蓋を開けてみたら、インターネットの世界が登場するシーンがネットの書き込みくらいで、そこまで舞台装置が活かされていないように見えた点。もっとインターネットを絡めてくる内容なのかと思った。あと細かい所だが、客入れ時にかかっていたBGMがwindowsのmedia playerにデフォルトで収録されている楽曲「Like Humans Do」だったので、結構ビックリした。なかなかそこまで気がつく人いないと思うが。

↓「Like Humans Do」


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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/459116/1730370



【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

「姿」に引き続いて出演されていたキャストも、今回「ゆうめい」初参加のキャストも皆素晴らしい方ばかりだったと感じた。
特に印象に残ったキャストについて触れていく。

まずは、へら・へら母役を演じた高野ゆらこさん。高野さんは「姿」に引き続き2度目の演技拝見。
インパクトで言ったら「姿」で初めて拝見した時の方が強かったものの、今回もあくの強い女性的なポジションで存在感を出していたと思う。彼女は「ゆうめい」の作品に必要な女優ではあると思った。素晴らしかった。
「姿」で皆見慣れているせいか、高野さんが毒舌を吐くと客席から笑いが起きるのだなと思った。

次に、へら父役を演じていた大人計画所属の宮崎吐夢さん。彼の演技拝見は初めて。
一人だけ今回の座組で年配なキャストだったのかなという印象、でも良い味を出されていて昭和の男感が凄く役柄に似合っていた。
特に好きなシーンは、へらが夢にうなされていた時のモノローグのシーン。北海道の警察学校で成績が良かった話や、満州で捕虜になった話をする辺りが好きだった。

今回一番俳優の中で個人的に素晴らしかったと感じたのは、若へら役を演じた木村美月さん。木村さんの演技は、阿佐ヶ谷スパイダースの「老いと建築」で拝見して以来2度目となる。
木村さんは今回の若かりし公務員の役はとてもはまり役だったと思っている。女性用のスーツとか似合っていたし、あんなダメダメな父親でも物凄く父親想いな彼女は凄く魅力的に感じた。
今後も木村さん出演の舞台作品は観ていきたいたいなと感じた。今回の舞台「娘」の出演で、だいぶ女優としてステップアップ出来た役者なんじゃないかと思う。

へら子役の中村亮太さんは、「姿」に引き続き2回目の演技拝見だが、凄くキャラクター的に好きな俳優さんである。
もしこんな人が周りにいたら友達にしたいなというくらい自分と気が合いそうなキャラクター性を持っているので、凄く好感がもてる。
役どころとしては高野ゆらこさんと同じで「姿」と同様の役柄だったかなと思う。優しそうな男性で、でも嫌いなエビを食べちゃうくらい無理もする不器用さもある。あの夫婦喧嘩のシーンをみていると、今後の夫婦関係の雲行きは怪しく感じてしまう。これが池田さん夫婦の本来の姿であったら、娘さんを悲しませないように円満にしてあげてと思ってしまう。

若ゆの役を演じていた大竹このみさんは、今回演技を初めて拝見したが凄く熱量のある女優に感じた。
とにかく叫ぶシーンが多かった印象があって、あそこまでスズナリで叫ぶと劇場に響き渡って印象に残る。若ゆのとして産まれたばかりの赤子としての泣き声、ピアノ発表会で失敗してしまった時の泣き声、誤って愛猫を轢いてしまった時の泣き声。印象に残る素晴らしい女優だったと思う。

ゆの夫役を演じた田中祐希さんは、「姿」で拝見して以来2度目の演技拝見となるが、田中さんに関しては今作では違った印象を感じた。スズナリという小屋だったので役者と観客との距離が近かったからであろうか。
以前から凄く優しい男性を演じる俳優さんという印象だったが、今回はちょっとそこにダサさも加わった感じ。「姿」の方がもうちょっと映えていた印象。
と言っても演技が良くなかった訳ではなくて、母(義母)や妻、娘の存在感にも負けてしまうくらい家族の中で影響力の弱い男性として描かれていて、作品とハマっていた。そう、凄くこのゆの夫というのは存在感がなかったなという印象。役者としての存在感ではなくて、劇中での存在感。これが秀逸だった。
また、猫を演じる感じが可愛げがあった。結構エモかった。

ゆの子役を演じた山中志歩さんは、「姿」で拝見して以来2度目かと思いきや、調べたら月刊「根本宗子」の「今、出来る、精一杯。」にも出演されていた。なので3度目の演技拝見。
山中さんは、今作では「姿」よりも登場シーンが多かった上に、物語中でもかなり重要な役割を担っていた印象。凄く現代的な若い女性を演じている感じがあって個人的に好きだった。アートワークが好きだったり凄く芸術に精通している感じが凄くハマっていた。
一番印象に残ったのは、序盤のへら子との夫婦喧嘩的なシーン。ゆの子がへら子に対して責め立てる感じが良かった。凄くおとなしそうな印象だが芯はしっかりした女性で言う時は言うみたいな、現代的な女性という感じが好きだった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/459116/1730374



【舞台の考察】(※ネタバレあり)

「ゆうめい」の代表作「姿」と比較してしまうと、今作の「娘」は脚本観点といい、演出観点といい見劣りはしてしまったのだがそれはさておき、ここでは世代を超えた親と「娘」という関係について考察していきたいと思う。
今作で秀逸だなと感じた点は、世界観・演出パートでも書いた通り、へらとへら母の役を高野ゆらこさんが演じたり、ゆのと義母役を森谷ふみさんが演じたりと、娘が成長したときに親と同じ女優が演じることによって、娘も成長すると親の気持ちが分かるようになるということを暗示するかのように描いている点だと思っている。「母」は誰かの「娘」である訳だし、女性であれば「私」も誰かの「娘」な訳である。
そしてこの事実は、今作では作者の池田さんの家族を例として描いているが、これは普遍的に当てはまることであるということも主張されている。それがインターネットの匿名掲示板で共感してくれるユーザーになるのだと思うが。

へら父とへらという父娘関係、ゆの父ゆのという父娘関係、義母ゆのという義母娘関係、ゆのゆの子という母娘関係についてそれぞれみていくことにする。

まずは、へら父とへらの関係性について。
ここの関係は、舞台「姿」でも登場したかなと思っている。へら父は家族を顧みないいわゆるダメな父親、しかしその娘は公務員に務め且つ父親想いであるというしっかりした女性。
結局へらは、へら父の死に際に立ち会うことなく発見した時には亡くなっていた状態だったのが凄く彼女にとって無念であったろうなと思う。だからこそ今でも夢となって父親が登場してうなされるのかなとも思う。
親がダメダメだと子供ってしっかり者に育つのだろうか。iakuの「フタマツヅキ」でも親父が売れない落語家をやって夢を追いかけ、息子に見向きもしてくれなかったが、息子はそれを反面教師にして介護士に就こうとしていたので、そういった親子の関係性って結構あるんじゃないかなと思う。場合によるかもしれないが、実際そういう親子はいると思う。

次にゆの父とゆのの父娘関係について。
ゆのは幼少期は伸び伸びと育ったのではないかと思う。家には愛猫がいて、そしてゆの父は絵かきで可愛い娘であるゆのをモデルにして絵を描いていた。ゆのが小さい頃にはピアノを習わせようと務めてくれた。
へらとへら父とは対照的で、ゆのは幼少期に物凄く両親に可愛がられている。だからゆのにとっても、この幼少期の経験って忘れられなくて、ゆの自身を構成している要素として愛猫と絵画とピアノは重要であった。そしてそれらは結婚して娘が産まれてからも引き継がれることになる。

義母とゆのの義母娘関係について。
ここの関係性は個人的には観ていてキツイものがあった。誰しもがそう思っただろう。嫁ぎ先の義母と価値観が合わないというのはいつの時代も変わらない普遍的な嫁の苦しさなんじゃないかと思う。
それにしても初っ端から義母が、厭味ったらしく仕事もして、猫も飼って、絵も描いて色々やるのねと言うのは常識的にあり得ないなと私も思ってしまったが。そしてゆの父の葬式に出席しなかったことに対しても。
でも視点を変えると、この義母も誰かの「娘」な訳である。この作品では描かれていないが、もしかしたらこの義母は、親などから芸術というものに対して何かネガティブな経験をさせられたからそのようなゆのにキツく当たらざるを得ない価値観になってしまったのかもしれない、あくまで憶測だけれど。でもそうやって解釈することも可能である。

最後に、ゆのとゆの子の母娘関係について。
劇中で描写された内容だけみると、ゆのが凄く哀れな存在に感じてしまう。ゆの子の方がピアノも出来る訳だし、ゆのにとってはゆの子が羨ましかったのだろうなと思う。でもゆのはゆの父を含めゆの母からも愛されていた訳だが、ゆの子はゆのからの愛情って少なくてそういった意味で、ゆの子にも不幸な箇所がある。だからどちらが可哀想とかもないのかもしれない。
でも興味深いのは、そんな犬猿の仲な母娘の関係性であっても、お互いに歩み寄ろうとしている努力があることに個人的にはグッときた。
例えば、最初はピアノの発表会の帰りにバローに行きたいというゆの子の望みを叶えようとしてくれなかったゆのだったが、家に着いてから向かおうと言ってくれる。結果その後大惨事は起きてしまうが。
それから一番グッと来たのが、ゆのはオフコースの小田和正さんの曲が好きで、車の中ではよく聴いていたのだがゆの子は嫌いだった。しかしゆの子が終盤のシーンで家族に向けて制作した映像(アートワーク)では小田和正さんの曲をがっつり使っている。私の解釈では、ゆの子が大人になって母になる年齢になって少しはゆのの気持ちが分かったのではないかなと思う。なので、少しゆのに愛の気持ちではないけれどゆのの好きな小田和正さんの曲を選曲したのではないかなと。
これも一つの愛の形かなと思っている。母と娘の愛の形。

こうやって見ていくと、家族史を遡ることによって見えてくる親と子供の関係っていうのがあって、深く考察してみると非常に興味深いなと感じた。へら子とゆの子の間にも娘が授かる訳だが、一体どんな「娘」として育つのであろうか。ピアノ演奏やアートワークを巧みにやってのけるゆの子とは違って不器用な娘(へら子に似てしまうのかな)として育つと、母親に対してコンプレックスを抱いてやはり犬猿の仲になってしまうかもしれない。もしかしたら、ゆの子が自分自身がゆの(母)にあまり愛されずだったため、自分は母親として娘を可愛がろうとするかもしれない。色々な今後の展開を考えることができる。
そういったイマジネーションを観客に多く抱かせるという点で、池田さんの脚本は今作も素晴らしかったと思う。だが、個人的には「娘」よりも「姿」に軍配は上がったかなと思っている。やはり総合的には「姿」の方が秀逸だった。「ゆうめい」には「姿」を超える傑作が生み出される時を期待したい。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/459116/1730369


↓「ゆうめい」過去作品


↓親子を扱った作品


↓木村美月さん過去出演作品


↓岩瀬亮さん過去出演作品


↓山中志歩さん過去出演作品


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