舞台 「天使の群像」 観劇レビュー 2023/12/26
公演タイトル:「天使の群像」
劇場:ザ・スズナリ
劇団・企画:演劇ユニット鵺的
作:高木登
演出:小崎愛美理
出演:堤千穂、とみやまあゆみ、山像かおり、佐瀬弘幸、森田ガンツ、本井博之、小西耕一、井神沙恵、渡辺詩子、小町実乃梨、野花紅葉、吉水雪乃、函波窓、ハマカワフミエ、寺十吾
公演期間:12/21〜12/29(東京)
上演時間:約2時間20分(途中休憩なし)
作品キーワード:学校、不登校、青春群像劇、ハラスメント、舞台美術、シリアス
個人満足度:★★★★★★★☆☆☆
アニメ『ゴールデンカムイ』や『キングダム』のシリーズ構成を務めている劇作家である高木登さんが主宰する演劇ユニット「鵺的(ぬえてき)」の新作公演を観劇。
「鵺的」の公演は、2020年3月に『バロック』を観劇したことがあり、今回は二度目の観劇となる。
『バロック』は主に呪われた家族と洋館を中心に描かれたホラーだったが、今作は青春群像劇ということで作品ジャンルが異なるためどんな作品になるのか楽しみだった。
物語は、臨時的任用教員である道原さとみ(堤千穂)を中心として描かれる学園ものの話である。
道原は今まで働いていた小規模の商社が倒産してしまい高校の教員になる。
道原が担当することになったのは、村田という男性生徒が不登校になってしまい、その担任であった戸部圭一(小西耕一)も休職してしまったクラスの臨時担任である。
道原自身、自分が学生時代にあまり学校が好きでなかったということもあり、彼女は生徒の前でも学校が好きではないと本音を言ったことで、逆に生徒からは好感を抱かれていた。
しかし、不登校だった村田が失踪し、学校にとある証拠が発見されたことで道原は窮地に立たされることになり...という話である。
序盤は20代以上の大人たちが制服を着て演技をしていて違和感を感じてのめり込めなかったのだが、道原が生徒の前で自己紹介を始めるシーンから徐々にこのクラスが好きになっていった。
そしてラストの衝撃的な展開と迫力によって150分弱という長さを感じさせないくらい引き込まれるように観劇していた。
それは、物語が進行することによって登場人物たちの立ち位置や役割が徐々に明確になり、序盤から張られていた伏線が巧みに回収されていく感じもあったからだと思う。
その点でも、脚本としても演出としても非常によく計算されていて素晴らしかった。
学校というのは、生徒や保護者たちが学校の教育方針に不信感を抱かぬように、黒い部分は包み隠さないといけない。
だからこそ建前だらけの環境になってしまう。
しかし生徒たちは、その建前に気がついているからこそ悩み、苦しむ。
学校の欠点をこれでもかというくらいに描いていて、私は高木さん自身が学校に恨みでもあるのかと思ってしまったが、その脚本が持つ鋭さが秀逸に舞台上に表現されていたので個人的にはとても良い刺激を受けられて素晴らしい観劇体験だった。
また、舞台セットの使い方が非常に巧みで面白かった。
ステージの下手側と奥側に鏡になったパネルを仕込むことで、ステージ上に生徒たちが沢山いるかのように演出するやり方が上手かった。
また、客席側に役者が座れる用の椅子が複数置かれていて、そこに登場しない役者たちが待機して生徒の笑い声などを演じているので、実際生徒役は4人しかいないのだが、もっと大勢の生徒がいるのではないかと錯覚させる演出がまた良かった。
さらに、その椅子が客席の椅子と地続きなので、観客自身もそのクラスの生徒なのではないかと思わせるのも良かった。
スズナリという劇場自体はそこまで大きくないが、それを広く見せて人が大勢いるように見せる演出手法が素晴らしかった。
役者陣も皆素晴らしく、主人公の道原さとみ役を演じた堤千穂さんの、あの良い意味で不器用そうな感じの先生に人として惹かれた。
目の前のことに一生懸命で、生徒のことも考えながら自分らしく先生であろうとする姿にグッときた。
また、生徒役の真鍋紫乃役を演じた小町実乃梨さんと中島朱羽役を演じた野花紅葉さんも素晴らしかった。
真鍋のラストの涙を浮かべながらステージを退出していく姿に胸が苦しくなり、中島はとても格好良い女子生徒で惚れ惚れするが、ああ見えて洞察力は鋭いしクラス思いな点が中島というキャラクターを何倍も魅力的にしてくれた。
途中大声で怒鳴るシーンがあったり、性加害の描写やハラスメントの描写があって、胸糞悪く思う方もいるかもしれない。
ただ、あの小劇場でここまでの衝撃を目の当たりに出来る芝居も少ないので、メンタルの強い方であれば勇気を振り絞って観劇して欲しい作品だと感じた。
【鑑賞動機】
久しぶりに「鵺的」の作品を観たかったから。2020年3月に観た『バロック』は凄く印象に残っていて、あの舞台美術の手作り感と感情をぐちゃぐちゃに掻き乱す脚本と演出に中毒性があった。小劇場演劇の良さを際限なく引き立てる団体だと感じた。そんな「鵺的」の新作公演、しかも学園ものだったので凄く気になって観劇することにした。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
ストーリーに関しては、私が観劇で得た記憶なので、抜けや間違い等沢山あると思うがご容赦頂きたい。
道原さとみ(堤千穂)は、霜澤樹子(ハマカワフミエ)に高校の教員になることを報告する。どうやら道原は、今までは小さな商社に勤めていたが倒産してしまったらしく教員に転身したとのことだった。道原は、高校の教員になったのも、教員になりたかったからなったのではなく、消去法で辿り着いた職業であった。
霜澤からは、学校が嫌いだった道原が教員になるなんてと驚かれる。
道原は、臨時的任用教員として2-Bの学級の担任になる。2-Bは、以前は戸部圭一が担任をしていたが、村田という男子生徒が不登校になってしまったことでメンタルを崩してしまい休職してしまった。そのため、臨時で道原が担任を務めることになった。村田という男子生徒は、どうやら同じクラスの真鍋に告白して振られたことにより学校に来なくなったと言う。
道原は、教頭である荒木伸三(佐瀬弘幸)から2-Bをよろしくお願いしますと頭を下げられる。
道原は、2-Bのクラスメイトの前の教壇に立つ。2-Bの生徒である真鍋紫乃(小町実乃梨)、中島朱羽(野花紅葉)、今野藍(吉水雪乃)、相月琢磨(函波窓)は、ワイワイと教室で騒ぎながら道原が臨時で担任になったことを迎え入れる。
道原は、学級活動の時間にどんなことをして良いのかわからず途方にくれる。そんなちょっと頼りなさそうな道原を、生徒たちは受け入れ好感を抱く。
道原は、今度は荒木教頭から文芸部の顧問になってもらえないかと打診がある。休職に入った戸部先生が以前顧問をやっていた部活であり、道原にお願いしたいのだと言う。道原は文芸部の顧問になることを承諾する。2-Aの担任で日本史の先生である前田義朗(森田ガンツ)や2-Cの担任である稲川昭(本井博之)らは、道原が大変な学級を受け持つことになってしまったことを労り、カントリーマームを渡す。
道原は家に帰ると、霜澤がいた。道原は霜澤に結局文芸部の顧問までやりことになってしまったと愚痴を吐く。本当はやりたくはなかったのにと。こうしてずるずると学校の言いなりになってしまうと言う。
2-Bの日本史の授業。前田が授業をするが生徒たちは寝ている。中島は保健室へ行く。保健室には、養護教諭の星野多恵子(井神沙恵)がいた。そこへ道原もやってくる。
星野と道原は会話し、この学校にはスクールカウンセラーもいるのだと教えてくれる。スクールカウンセラーは生徒だけでなく先生の悩みごとや相談にも乗ってくれると教えてくれる。今度星野は道原にスクールカウンセラーを紹介すると言ってくれる。
道原は学級活動の時間に、2-Bの生徒の前で自己紹介を始める。道原は、自身がそもそも教員をやりたいと思ってなったのではなく、小さな商社が倒産して消去法で選んだ職業だったことを話す。
昔、道原が学生時代の時に突然学校に来なくなってしまった先生がいたことを話す。その先生は女性で若く、道原のような地味な女性ではなかったので人気があったが、ふと何かあって学校に来なくなってしまったと言う。その学校には教育論について書籍を出すほどの大物の教育者がいた。その教育者が学校に来なくなってしまった先生の家まで直接足を運んで、早く学校に戻ってくるように叱りつけたのだと言う。
その結果、その若い女性の先生は蒸発してしまったのだと言う。家もそのままで失踪してしまったのだと。だから道原は、学校という存在が嫌いなのだと語る。
その自己紹介を聞いた生徒たちは、徐々に道原に心を打ち明けていき、親しくなっていく。
道原は、スクールカウンセラーの高梨一恵(とみやまあゆみ)と会う。道原は、学級活動で自己紹介をして、生徒たちに話した内容について問題なかったかどうか尋ねる。高梨は、自分の言葉で語られていた点が凄く良かったので問題ないと意見する。
学校長の諸星三津子(山像かおり)は、不登校だった男子生徒の村田が失踪してしまったことを全職員についた緊急で会議を開く。なんとしてでも村田を見つけないとと教員一同協力して欲しいと。そこで、スクールロイヤーの松川涼香(渡辺詩子)にも来てもらっていた。
養護教諭の星野とスクールカウンセラーの高梨と道原はカラオケボックスに行く。ここに来れば誰も話し声を聞いていないので、本音で自由に語れると言う。三人は、この村田の失踪までの一連のことについて、村田が本当に面倒臭い生徒だと、そしてその村田の父もモンスターペアレントで面倒臭いと口々に語る。
また養護教諭の星野は、以前の学校であった出来事について語る。それは、保健室登校していたとある男子生徒の面倒を見ていたが、ある朝その男子生徒が保健室からいなくなってしまった。しかし、彼が休んでいたベッドは散らかっていて先ほどまでいた様子があった。そこを調べてみると、布団には精液が沢山着いていたという。要は、こちらがどんなに生徒だと思って接していても、生徒側がこちらを女としか見てくれていなくて辛かったと呟いていた。
とある日の職員会議、そこには2-Bの前担任であった戸部圭一(小西耕一)も来ていた。戸部はすかさず道原始め、多くの先生に謝罪していた。学校長や教頭はそんなに謝らなくてもと首を上げるように言う。
諸星と松川は、2-Bの教室で道原が生徒の前で先生なんてやりたくなかった、学校が嫌いだったという言葉を録音したものがSNSで拡散されていることを告げる。また、村田が失踪した日の夜、カラオケボックスで星野と高梨と道原が三人で村田と村田の父の悪口を言っていたのを録音されてSNSに拡散されていることも告げられた。三人は驚く。そして学校長や教頭から三人は追及される、なんでそんなことを言ったのだと。道原は返す言葉がなかった。
その一方で、道原の2-Bで語った言葉が録音されているということは、2-Bの生徒に誰か村田の一件を学校側のせいにしようと企んでいる奴がいることが明らかになる。なにか学校に恨みのある奴に違いないと。そこで荒木や前田、稲川は、きっと中島という生徒に違いないと話し出す。中島はいかにもそういったことをしそうな生徒だと。
そこへ、職員会議に中島が乗り込んでくる。中島は荒木教頭などの中年男性職員に対して、見た目に勝手に犯人だと決めつけてふざけるなという。そんなことはやっていないと。それでも荒木教頭たちは信じなかったが、道原たちはわざわざ職員室に乗り込んできて、無罪を主張する中島が犯人であるはずがないと言う。
その後、戸部と道原と中島で教室に戻る。中島は戸部に久しぶりに会えて嬉しそうだった。そこへ、真鍋、今野、相月もやってきて、戸部との再会を喜ぶ。
道原は霜澤に会う。霜澤は、実は道原の学生時代の担任で、突然学校に来なくなってしまった先生だった。霜澤は、人間突然蒸発したくなる時ってあるものだと語る。
霜澤以外の全員の出演者が、ステージ上にお互い向きがバラバラの状態で座る。そこへ、失踪した村田の父である村田和夫(寺十吾)がやってくる。村田和夫は、村田の担任はどこだと大声で探す。そして道原を見つける。村田和夫は、録音された村田親子に愚痴を吐く音声について激しく追及する。これはどういうことだと。
村田和夫は、自分は学校が嫌いだと言う。息子のダイキという名前も学校が大嫌いだからそう名付けたのだと言う。村田和夫自身は学生時代頭が悪くていつも学校で辛い思いをしていた。だからきっと息子も学校で辛い思いをするのだろうなと思っていた。
村田和夫は、妻に逃げられてから息子を男手一つで育ててきた。そんな息子が学校で酷い目に遭わされているのが耐えられないと。先生たちにとっては、村田は30人いる生徒のうちの一人で、問題を起こす迷惑な存在かもしれない。しかし自分にとっては唯一の子供なのだと。だから非常に大事な存在なのだと。その間に、真鍋が涙を浮かべながらステージを去っていく。
そう言って、村田和夫は去る。道原は涙をこぼしたまま呆然とする。ここで上演は終了する。
ラストは物凄く衝撃的で、ここまで過激な演出と演技を小劇場でやってしまうのだと、ただただ呆然とさせられた。その迫力に打ちひしがれている自分がいた。
終わり方は賛否両論あるだろうなと思った。結局この作品を通じて、観客にどう思って欲しいのか、そのヒントになるようなことは描かれず終わる。だから、ただただ理不尽でハラスメント的な描写だけを振り撒いて終わっている感もあって、満足しない人もいるだろうなと思う。
しかし私自身は、その終わり方をしっかり描かなくてもそれまでの展開によって十分に得られるものがあったので満足してしまった。むしろ、この作品に一つのアンサーを描くとそれはそれで違う気がする。これによって道原は先生であることを辞めましたになってしまったら、ただただ学校というものを悪く描いた作品になってしまうし、そこから紆余曲折あって村田が学校に来るようになったと言う展開にしても綺麗事過ぎてしっくりこない。観客がこの後の展開を色々想像させること自体が、この作品の正しい着地点だと思うので、これで良かったと思う。
誰も悪くない、だからこそお互いに傷つけ合ってしまうし、消えたいと思ってしまう。皆それぞれ事情があって、その事情が学校という制度によってぶつからざるを得ない。その理不尽さが、これでもかというくらい描かれていて素晴らしかった。
【世界観・演出】(※ネタバレあり)
『バロック』しか拝見したことがないが、非常に「鵺的」らしく気味の悪い演出手法で見応えがあった。その上で、今作では特に舞台セットの使い方とスズナリという劇場の使い方が非常に新鮮且つ巧みだと感じた。
舞台装置、舞台照明、舞台音響、その他演出の順番で見ていく。
まずは舞台装置から。
ステージ上には大きな鏡になっているパネルが仕込まれており、下手からステージ奥にかけてステージをくの字に囲うようにセットされている。そして、ステージ上を鏡を通して観客が見られる角度になるように鏡のパネル自体が傾いている。また、ステージの床自体も傾斜がかかっており、上手手前側にいけばいくほど高く盛り上がっている。これによって、ステージ上のキャストたちが鏡に映って、それが客席から見える角度に計算されている。まず、この舞台セットのアイデアが凄く新鮮で素晴らしいと感じた。これはスズナリという劇場を熟知していないと設計できない舞台セットなんじゃないかと思う。「鵺的」は過去に何度もスズナリで上演しているので、その辺のナレッジを含めた挑戦のような気がしていて素晴らしかった。
客入れ時に、役者たちが椅子を持ってきて観客の客席の前に次々と椅子を置き始め、ステージだけでなく客席の前方もステージの一部であるが如く舞台は進行する。そこに置かれた椅子に役者が座り教室のシーンでガヤガヤと賑わうことによって、そのシーンで登場していない出演者もまるで教室にいる生徒の一部として演じることになるのだが、この演出も素晴らしかった。生徒役のキャストが4人しかいないので、4人で大人数の教室のシーン作りをするのは困難だが、それを他のキャストがガヤを入れることでそのように見せるのが巧みな演出だと感じた。また、そのガヤを演じたキャストたちが座る椅子と地続きで客席が配置されていることによって、客席自体も教室の一部なのではないかと錯覚し、また観客である自分自身もこのクラスの生徒の一人なのではないかと錯覚する。そんな観客を巻き込む感じの演出がリアルな舞台空間の醍醐味を活かしていて良かった。鏡の演出も、そんなキャストたちの姿を映すことで大勢いるように見せている演出として効果的だったように思えた。
あとは舞台に仕込まれているのは椅子くらいで、椅子は役者たちが自由自在に持ち運び出来るからこそ、自由度高くステージ上を活用出来たのではないかと思った。
次に舞台照明について。
舞台照明は、特に奇抜な照明演出を使ったようなシーンはなかった記憶。道原と霜澤のシーンだけちょっと照明が違ったような記憶があるが、具体的にどう違ったのかは思い出せない。ただ、奇抜な照明でなくても照明の明暗を巧みに変化させてシーンを作っているシーンは沢山あって、そのあたりの演出も凄く巧みだなと照明のオペレーションの絶妙なタイミングなどを見ながら思った。
あとは何度か暗転するシーンがあって、暗転するごとに不気味な音響が流れるので、「鵺的」らしさを一番感じた。
次に舞台音響について。
音響はなんといっても、「鵺的」らしい不気味な感じの効果音。血なのか水なのかなにか得体の知れない液体が不気味に滴るような効果音や、妙なエフェクトのかかった効果音の連発で、この演出手法に関しては『バロック』と通じるものを感じた。
『バロック』はそもそもドロドロした家族関係と洋館を主軸にしたホラーだったので、このような舞台音響がハマっていたが、今作では作品に対してこの舞台音響が適切だったかはよく分からなかった。「鵺的」らしさはあるっちゃあるし、これがなかったら「鵺的」らしくないと言ってしまえばそうなのだけれど、ちょっとしっくり来ない所があった。
個人的には、この気味悪い効果音は好きなのだけれど、人によっては耐えられないと思う人もいるかもしれない。そこを汲み取って舞台音響をマイルドにするのも違う感じがするので、注意書きは必要かと思った。あと、スズナリの狭さだと途中で体調悪くなっても退席しにくいので、そのあたりの配慮も大事かなと感じた。
最後にその他演出について。
なんといってもラストの村田の父が乗り込んでくるシーンの迫力はとんでもなかった。まず、霜澤以外の役者全員が椅子を持ってきてステージ上に座る。その座り方が、みんなそれぞれ異なる方向を向いている。それはまるで、村田という失踪した男子生徒のいる学級を持つ道原に対する責任を彼女のみに押し付けてしまっているかのような無責任さを想起させる。また、そんな演出が鏡になったパネルにも映し出されるので、ちょっと舞台空間自体が異世界のようにも感じられる点が面白いポイントだった。道原が村田の父に怒鳴られているシーンが、ちょっと道原自身も迷走している印象を受けた。自分が良かれと思って行った行動が、返って村田の父の感情を逆撫でしてしまった。だからこそ、道原自身はどうしたら良いのか路頭に迷っている、そんな演出に感じられた。
村田の父が出ていく時、劇場の扉をバタンと音を立てて閉める迫力が舞台空間らしくて好きだった。人によっては衝撃が大き過ぎてしまうかもしれないが、個人的にはあのくらいの迫力が欲しかったので大満足だった。
またそのシーンに関して、多くの観客は村田の父と泣き崩れる道原のやり取りに目が行ってしまうと思うが、そのシーンの真横で涙を浮かべた真鍋がその場を立ち去る姿がなんとも心動かされた。私はむしろ真鍋に感情移入して胸が苦しかった。村田を振って不登校にさせてしまったのは、実は真鍋の行動によるものである。しかし、真鍋は村田を不登校にさせる気持ちなんてまっさらなかった。しかし、真鍋の言動によって2-Bは大事になってしまって、戸部が休職したり学校全体が村田を探し出すべく乗り出したり、道原まで酷い目に合っている。そして村田の父の話を聞けば、村田親子も村田親子で事情を抱えていた。消えてしまいたいと思うのは、村田も道原もそうかもしれないが、実は真鍋が一番そう思っているのかもしれないと感じた。なんて残酷なシーンなのだと感じた。
霜澤は、物語終盤になって、やっと道原の学生時代の担任の先生の幻想であることが分かる。当日パンフレットにも霜澤の名前には肩書きが書かれていない。つまり、観客が劇中途中で彼女が道原の先生だったということを気づかせるようにシーン作りされている。そういった仕掛けを設けているという点でも、後半に面白さを感じさせてくれる内容になっていた。私は、疎い方なのでだいぶ後半になってから霜澤の正体を知り、途中では2-Bの前の担任なのかとさえ思った。
当初はホラーなのかと思っていたが、蓋を開けたら全然ホラーではなくてびっくりした。胸糞悪い作品ではあったけれどホラー要素は一切なかった。「鵺的」もこういった作品を手がけることが出来るのだなと再認識した。
【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
半分ほど他の舞台で見かけたことがある方で、もう半分の方は名前は知っていたけれど初めて演技を拝見した方といった感じで、どの方も素晴らしかった。熱演という言葉が一番ピンとくるほど、役になりきって芝居をされていて、これを何ステージも演じられるなんて、凄く体力のいることだろうなと思ってただただ尊敬の眼差しで見ていた。
特に印象に残った役者について記載する。
まずは、主人公の道原さとみ役を演じた堤千穂さん。堤さんの演技は、ammo『太陽は飛び去って』(2021年12月)、江古田のガールズ『12人の怒れる女』(2021年4月)で観劇している。
道原はほぼすっぴんの状態で役作りされていて、そこには道原の着飾らない性格、生徒の前では建前で語り合うのではなく本音で向き合おうという姿勢が見られて素晴らしかった。すっぴんだったのもあり、最初は堤さんだと分からず、終演してから配役を見直してそうだったのか!と驚いた。
喋り方もぎこちなく、どこか不器用そうな感じのキャラクターが凄く良かった。むしろ取り繕えるほど容量が良くないのだと思うが、それを逆手にとって自分の本音で生徒と向き合う感じが生徒にもウケて、そして生徒にも受け入れられていく感じがなんとも心がほっこりした。
そして何と言ってもラストシーンは、もう直視出来ないくらい道原が辛い立場過ぎて痺れた。村田の父に、基本先生なんて学校でいい思い出しか経験したことがない人間の集まりに過ぎないみたいな固定観念によって押し付けられる点も辛い。道原だって、本当は先生になんてなりたくなかったし、学校は嫌いだった。しかし、村田の父からすればそんなこと知ったこっちゃない。そんなすれ違いがとんでもないことを引き起こしていてしんどかった。
道原は、村田の父からあんな理不尽な仕打ちを受けて、このあとどんな行動に出るのだろうか。学校から消えてしまいたいと思ってそれを実行してしまうのだろうか。ラストの描き方的には、学校に残るとも残らないとも取れるラストだったので、そこは観客の想像に委ねられるだろう。きっと、これによって霜澤先生が消えてしまった理由が痛いほど分かったに違いない。そして、あんなに生徒に2-Bのみんなに心を開いて打ち解けて、2-Bのクラスメイトたちは自分の味方でいてくれるだろうと思っていたにも関わらず、それが全く伝わっていなくて、こうやって録音されてSNSで公開してしまう生徒もいたという事実とどう折り合いをつけていくのだろうか。きっと、カラオケボックスで聞いた星野の、結局自分は女としか見てくれなかったというエピソードも頭によぎったに違いない。生徒への信頼の揺らぎ、そんな感情を掻き乱される演技をした堤さんは凄かった。
次に、中島朱羽役を演じた野花紅葉さん。野花さんの演技は、鵺的『バロック』で一度観劇したことがある。
制服の下にジャージを着ているという、なんとも格好良い女子高生だった。特に印象的だったのは、職員会議に乗り込んできて、自分の無罪を主張するシーン。ちょっと昔テレビドラマでやっていた『キッズ・ウォー』を思い浮かべてしまった。女性教員や女子生徒が学校の偉い人に向かって訴える姿にグッと来た。
中島は一見メンタルが強そうな女子高生に見えるけど、意外と結構弱いのでは観劇しながら思った。保健室によく行っていたり、村田のことをかなり気にかけていて結構優しい生徒なんだと思っていた。真鍋のことも凄く気にかけていた。そういう点もあって、この中島というキャラクターは個人的には今作一番の推しキャラクターだった。外見だけで、勝手に悪者っぽく扱ってしまうおじさんたち(荒木、前田、稲川)は本当に罪だぞとつくづく思った。
真鍋紫乃役を演じた小町実乃梨さんも素晴らしかった。小町さんの演技は、ammo『太陽は飛び去って』、キ上の空論『ピーチオンザビーチノーエスケープ』(2021年2月)で拝見している。その時は井上実莉さんだったが、小町実乃梨さんに名前を変えてからは初めて演技を拝見した。
2-Bの学級委員ということで、凄く真面目でしっかりしていそうな感じの立ち振る舞いが良かった。たしかに、こんな清楚な感じの女の子がクラスにいたら告白したくなる村田の気持ちもよく分かる。
私はラストシーンの真鍋のポジションが辛過ぎて、そこに感情移入してしまった。自分のせいでこんなことにまってしまったときっと思っているに違いない。涙を浮かべながら去っていくとはそういうことだと思う。でも、彼女は一ミリも悪いことをしていない。結果的に悪い方向に行き過ぎてしまった。女子高生という若い子に、こんな残酷なことを経験させて良いのかと思うと、たしかに学校の意義とは?と疑いたくなってしまう気持ちも分かる。どうしようもない理不尽な仕打ちにずっと胸が苦しかった。非常に素晴らしかった。
養護教諭の星野多恵子役を務めたモメラスの井神沙恵さんも素晴らしかった。井神さんは、範宙遊泳『バナナの花は食べられる』(2023年7月)を観劇したばかりで、「鵺的」にも出演されるのだと驚いた。
養護教諭らしいちょっと色気を感じる先生というのがはまり役だった。たしかに星野の感じなら、男子生徒が女として見てくれなかったというエピソードもしっくりいく。
あの優しく話しかけてくる感じが養護教諭っぽくて、井神さんは『バナナの花は食べられる』でも感じたが、色気を出す役が向いているなと感じた(もちろん褒めてます)。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
私は観劇していて、この作品を教員である方が観劇したらどんな感想を抱くか興味を持った。私は教員ではないし、教員という職業の大変さは自分も学校に通った経験のある身なので分かる範囲はあったが、今作を観て教員の大変さみたいなものはまざまざと痛感させられた気がする。安直に教員の方に今作をおすすめすることは出来ないけれど、彼らが一体どういった感想を抱くのかは凄く気になる所である。
ここでは、自分の体験を踏まえて学校について考察してみる。
私が高校時代、大学受験に力を入れる(いわば自称進学校)高校に通っていて、割と成績を競い合うような風習があった。だからこそ、そんな競争についていけない学生もちらほらいた。
自分が高校時代に仲良くしている友人が体調を崩して休むようになったことがあった。それは高校二年の時で、もうすぐ修学旅行を控えている時だった。その修学旅行には体調を崩した友人も出席してくれた。途中途中調子が悪くなったこともあったらしく先生の元にいた時間もあったが楽しく過ごしていた。
修学旅行も終わる頃、先生からその休みがちだった友人に対して、これからも学校に元気で来てくれるように私の方から声をかけてくれと依頼された。私はその時学級委員だったので、その役割を担ってほしいと先生は思ったのだろう。私は明るく笑顔で重くならないように友人に言葉をかけたつもりだった。
しかし、その後その友人は学校に来なくなり、結果転校することになった。理由はどうやら、同じクラスメイトの友達に心配されるのが辛いからだったみたいだった。自分は、あの時先生に依頼されて投げかけた言葉によってその友人を追い込んでしまったと気がついた。
高校卒業後にその友人と会う機会があって、彼は元気に働いて彼女もいたらしかったので良かったが、それでも私は時々あの時自分がかけてしまった言葉を思い出し悔いることがある。あの時自分が言った言葉で弱っている友人を追い込んでしまったのだなと。
その一方で、なんで先生はそんな重い依頼を学級委員だった自分に任せたのだとも感じた。
今作を観劇して、私は再び自分の高校時代のエピソードを思い出した。しかし今回改めて感じたのは、先生にも先生なりの考えと判断があったということ。先生が学校に来いと言うのは、非常に重くて権威のある言葉に感じられてしまう。まだ生徒から言った方が明るく受け止めてくれるに違いないと思ったのかもしれない。
私も当時の担任だった先生と同じくらいの年齢に達して、先生の気持ちにも思いを馳せられるようになった。今作でも描かれているが、昔よりはマシになったとはいえ、まだまだ学校に来ることが正しいことという固定観念は完全には拭えていないと思う。なんとなく学校に来ない人は心配になるし、色々事情を探ってしまうし、それは不登校ということ自体がどこか普通なことではないという固定観念に基づいてるからかもしれないなと感じた。
教員自身も学校側の事情と生徒に寄り添おうとする気持ちのせめぎ合いだと思う。学校側としては、生徒が不登校になった、失踪したという自体になったら名誉毀損になる。学校の社会的な信頼性を担保するためには、そういった自体を防ぐ、もしくは対処しないといけない。しかし、生徒にとっては、そんな苦しい環境に毎日行かなければならないという苦しみは大きい。それはきっと、大人たちが頭で理解している以上のものがあるのかもしれない。
ラストシーンで村田の父から、教員は成績が優秀な生徒ばかりを褒め称えて、そうでない生徒には見向きもしないと訴えていたが、まさにそれによってそうでない生徒たちの居場所を自然と奪っているのかもしれない。先生としては、純粋で言うことの聞いてくれる生徒の方が楽だから、そうあってほしいと願うが、そうなりたくてもなれない生徒も沢山いる。
今の教育制度は間違っていると言う訳ではもちろんないが、私自身も含めて今の教育制度や学校制度の欠点はしっかり認識した上で、その上で子供に接していこうと、将来自分に子供が出来た時に気を付けることとして肝に銘じようと思った。
↓鵺的過去作品
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