舞台 「心の声など聞こえるか」 観劇レビュー 2021/12/18
【写真引用元】
範宙遊泳Twitterアカウント
https://twitter.com/HANCHU_JAPAN/status/1464567162555625478/photo/2
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公演タイトル:「心の声など聞こえるか」
劇場:東京芸術劇場 シアターイースト
劇団・企画:範宙遊泳
作:山本卓卓
演出:川口智子
出演:井神沙恵、鈴木光介、滝本直子、武谷公雄、埜本幸良、李そじん
公演期間:12/17〜12/19(東京)
上演時間:約100分
作品キーワード:SF、夫婦、ヒューマンドラマ、音楽劇、ロックバンド、社会問題
個人満足度:★★★☆☆☆☆☆☆☆
山本卓卓さんが主宰する演劇集団「範宙遊泳」の舞台を初観劇。
山本卓卓さんの脚本作品の観劇も初めて。
今作は、今まで脚本と演出の両方を務めてきた山本卓卓さんが脚本執筆に専念し、演出を川口智子さんが務める形で創作シリーズを開始した第一弾の上演となる。
作品のテーマは「社会からの孤立」と「アーティスト間の断絶」、既に現代舞台芸術において多くの作品でテーマとして扱われている内容であるが、それを電子楽器などを使ってロックバンド風の音楽劇としてユニークな作品に仕上げている。
公演のフライヤーにSFヒューマン愛(ラブ)ドラマとある通り、照明演出や電子楽器による演奏によってまるで宇宙人が飛来したかのようなSFのような演出を感じるのだが、ストーリーとしては仕事がなくなってしまって仕事先を探す女性と、その隣人からのゴミの分別の仕方に関するクレームという社会問題を内包した不思議な作品。
たしかに世界観は一貫しているし、今まで観劇したことない新たな挑戦を感じさせる創作演劇というのは分かったのだが、あまりにも役者から飛び出すシチュエーションに脈絡がなさ過ぎてついていけなかったのと、結局この作品を通じて観客にどう感じてほしいのか、どんなメッセージを込めて作っているのかが分からず、私は退屈してしまった。
だからこそ、どんなに舞台照明やバンド演奏が格好良くても、それがストーリーに乗っかってこなくて純粋に楽しむことが出来ず作品にのめり込めなかった。
先月(2021年11月)に観劇したKUNIO10の「更地」を観劇した時と同じ感覚を抱いた。舞台美術は力が入っていて素晴らしいのに、全然脚本・ストーリーにコミットしていなくて心を全く動かされない感じ。
武谷公雄さん、李そじんさんなどキャスト陣の演技力は素晴らしくて、特に李そじんさんの透き通って且つ力強く感じさせる声は好きだった。
句読点を置かずにサラサラっと台詞を言う感じは独特で耳に残った。
きっと自分にはこの作品の良さを感じられる感性を持ち合わせていなかったのだろう。
エンターテイメントを肌で感じる作品を観劇したい人には勧められるかもしれないが、私のように力点を脚本やストーリー構成に置く人には向いていない好き嫌いの分かれる作品だと思う。
【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/gallery/news/458082/1725338
【鑑賞動機】
範宙遊泳という演劇集団の名前はずっと耳にしていて、いつか新作公演を観劇しようと思っていたから。
音楽劇として仕上がっていると耳にした点も決めての一つで、音楽と演劇が組み合わさった作品ということで興味をそそられたから。
【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)
まるで宇宙人が宇宙から地球に飛来するような、SFチックな照明と電子楽器による演奏によるオープニング。
ある夫婦がいた。妻はみっちゃん(李そじん)と呼ばれ、夫(武谷公雄)とは何の映画を観るかなどで夫婦同士で他愛もない会話をしていた。
みっちゃんはゴミを出す際に分別をしておらず、宇宙ゴミの日に地球ゴミを捨てていた。またみっちゃんは、今までは仕事で忙しくしていて仕事を辞めたいと思うほどだったようだが、今は全く仕事がなくて何か仕事がしたいと、仕事のない状態が辛いと言っていた。
そこへ、隣人の女性(滝本直子)がみっちゃんの元にやってくる。そして、みっちゃんと隣人の女性は仲良くなる。
隣人の女性は、夫(埜本幸良)と住んでいた。隣人の夫は、選挙があるから選挙に行こうと言っている。そして、ゴミが分別されていない様子を知って、隣に住む女性(みっちゃんのこと)に対して愚痴を言う。しかし、隣人の女性はそのゴミの分別をしないみっちゃんとは仲良くなって友達になったと言っていた。
ロックバンドの演奏に合わせて、みっちゃんと夫がお互いの愛を確認するかのように心のうちに秘めた気持ちを声に出して歌う。
隣人の夫婦は海外旅行でスペイン(だった気がする)へ行く。そこで知り合い(井神沙恵)に出会ったりする。
みっちゃんはネットで仕事を探していた。(おそらくアーティストとして今まで活躍してきていたので)フォロワーは沢山いて、彼らから仕事紹介してくれないかなと願っていた。
DMで仕事の依頼がやってきて、やり取りをする。どこに住んでいるか、在宅ワーク出来るかなどDMで聞かれる。みっちゃんは、仕事を引き受ける方向で返事をして、また詳細は追って連絡いたしますという締めくくりでやり取りは終わる。
そしてみっちゃんは20のタスクを依頼され、そのうちの19のタスクを終わらせる。
みっちゃんとその夫が住んでいる家に、隣人夫婦がやってくる。みっちゃんと隣人の妻は以前から顔見知りだったが、隣人夫婦の夫とみっちゃんは初対面であった。
隣人夫婦の夫は、みっちゃんがゴミの分別をしっかりしないでゴミ出しをしていることに対してクレームを言いに来た。宇宙ゴミの日に地球ゴミを出していたと。
そこから暫くワチャワチャした会話が続く、注文していた出前が届いたり、パパラッチが登場してまるで芸能人のスクープのようなシチュエーションに発展したり。また隣人の夫は選挙に行ってきたというが、今日は金曜日で日曜日でないのだから選挙はないはずと周囲の人にいわれ、その勘違いしていた選挙が公民館の住民投票の間違いだったと気づく。
そして、お互いどんな仕事をしているかといった会話にもなる。投資家をやっている人もいたようである。
その時、隣人の夫はみっちゃんにとある奇妙な話をする。どうやらあと2年で人類は滅亡してしまい、人類は皆ペットボトルになってしまうのだと言う。そして、そのペットボトルは、宇宙によって回収されるのだと。
みっちゃんは夫に、20個目のタスクが出来たという。それは、みっちゃんのお腹の中に赤ちゃんが出来たということだった。あまり関心を持ってくれてなさそうな夫に対して、みっちゃんは彼に怒り出す。
一方隣人の夫婦は、今までまるで人形劇のようにペットボトルで出来た等身大の人形を夫婦並べて横たわらせて、その後それを宇宙からやってきたと思われるUFOをモチーフとしたような小さなリュックのようなものに吊り下げ、そして宇宙へと回収されていく。その時、まるでその人形のペットボトルには沢山のハエがまとわり付いているかのように、「ブーン、ブーン」と鳴っていた。ここで物語は終了する。
観劇した当初似た感触を得たKUNIO10の「更地」と違って、ストーリー展開はおおまかにはついていけて、何が起こっているか程度の状況把握は出来たのだが、それでも世界観が独特過ぎて状況を追えないシーンは沢山あってあまり集中して観劇できなかった。のめりこめなかった。
この舞台作品は考えるな、感じろというふうに振り切った作品であればまだ良かったのかもしれない。そうではなく、「社会からの孤立」や「アーティスト間の断絶」というある種真面目な社会問題をテーマとして掲げていて、SFヒューマン愛(ラブ)ドラマとして前提として脚本に対する意識、重心みたいなものも置いているにも関わらず、ここまで訳分からないシナリオになってしまうと個人的にはどう受け取っていいか分からず困惑した。このモヤモヤは考察パートでしっかり触れるとする。
結局この脚本を通して山本さんは観客にどう思ってほしかったのか、非常に知りたいところである。
【写真引用元】
ステージナタリー
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【世界観・演出】(※ネタバレあり)
世界観はSF一色で統一されていた印象を受けた。SFといっても色々あるが、ここで言うSFっぽさというのは「ブレードランナー」とか「攻殻機動隊」とかディストピアを感じさせるような近未来的SFではなくて、宇宙人が地球に飛来してきたみたいな少しコメディのようなカラフルで明るい印象を感じさせるSFだった。今にも空からUFOが飛んできそうなそんなSF作品だった。
舞台装置、衣装、舞台照明、舞台音響・音楽、その他演出について見ていく。
まずは舞台装置から。
これといった舞台装置は存在せずに、下手側・上手側に洋服が沢山掛けられたハンガーポールが置かれており、中央には長方形の形をしたステージとその奥には電子楽器などが横に並べられた少し高さのあるステージが用意されていた。この楽器を演奏する際に使われるステージは、舞台奥から舞台手前に向かって移動させることが出来るようになっており、オープニングや、みっちゃんと夫のお互いの愛を語るやり取りや、みっちゃんがDMで仕事を探すシーンのバンド演奏は舞台奥側で行われ、エンディングの皆で歌を歌いながら演奏するシーンは舞台手前で行われていた。
最もユニークだと思ったのは、客入れ時に舞台中央のステージの下手側、上手側それぞれ一体ずつ置かれていたペットボトルや空き缶などのゴミで作られた等身大の人形。キャストそれぞれが演奏者としてではなく、演者としてステージ上に登場する際には皆このゴミで作られた等身大の人形を操りながら演技をしていた。
人形の中には、劇中で粉々に粉砕されてしまう人形、空き缶を細長く積み上げたような首長の人形などが存在していて非常にユニークだった。劇中で壊れてしまったらどうするのだろうか、替えとかあるのだろうか、とか色々心配しながら観てしまった。ただ、こんなユニークな作り物を使って演劇をする作品を観たことがなかったので凄く新鮮だった。けれども、これが果たしてどんな意味があるのか、なぜこのような演出を取ったのかといった動機づけが分からず、腑に落ちなかった点があってしっくりいっていない自分はいる。
次に衣装。
前述したように、基本的には役者はペットボトルなどのゴミで出来た人形を操ることによって演じるため、役者は黒子のような存在になっているのかと言ったら大間違いで、役者は役者で重要な役割を果たしていて、衣装も非常にユニークで豪華であった。
特にみっちゃんを演じていた李そじんさんは、劇中で何度も衣装を着替えていた印象。みっちゃんの衣装はそこまで派手ではなかったけど、白い洋服だったり髪をポニーテールに結んだり、結んでいなかったり、外見をコロコロ替えていてそれだけでも魅力的に感じてしまう。
また一番ユニークだと感じた衣装は、鈴木光介さんが着ていた(記憶がある)白い輪っかのようなものが縦に並んでいて、それをワンピースのように着ることの出来る衣装。意図は分からなかったが強烈に印象に残っている。
次に舞台照明だが、前述したように宇宙人が飛来するようなSFチックな演出だったので、照明もネオンのような近未来感のあるカラフルな印象を受けた。
劇場の箱に対して、ステージの客席側の面以外の3辺の壁に対して蛍光灯のような照明が直列で仕込まれており、それがオレンジだったり、青色だったりとカラフルに光ることによって、ネオンぽさを感じさせる演出が凄く印象に残った。特にオープニングシーンは、音楽も相まって凄くSFの世界観を形作って、一気に観客をその世界へ誘ってくれた感じがあった。
そして今作で一番のメインの演出となったであろう舞台音響・生演奏について。
音楽は全て電子楽器によるロックバンドの生演奏がメインであった。このロックバンドの生演奏が、単純な普通のロックバンドという感じではなく、シンセサイザーのようなエレクトロミュージックに近い音楽での生演奏であった。だからこそ、宇宙人が今にも飛来してきそうなSFっぽさを上手く演出出来ていたのだと思う。
そして尚且つロックバンドなので、サブカル的なエモさも感じられる音楽で凄く目新しいものに感じた。そこに役者たちの声が入ってきて、そこには役としての本音だったり気持ちだったりが込められていて、凄くエモさを感じる生演奏、ロックミュージックに聞こえた。
また舞台音響という観点では、特に印象に残った音は最後のシーンでの、おそらく隣人夫婦が孤独死してしまって、ペットボトルとなってしまって宇宙に回収されるシーンでの、あの虫みたいな音。あれは死体が腐ってしまったということを演出しているのだと思うが、なんか印象に残っているし好きだった。
その他の演出について、印象に残っているものを上げていく。
まずは、音楽と台詞を組み合わせた演出はインパクトが強かったので印象に残りがちである。例えば、みっちゃんとその夫がお互いの愛について自分が思っていることを歌にのせてマイクパフォーマンスするシーンはエモくて好きだった。また、みっちゃんが仕事先を探すシーンでDMリプしながら、エージェント?とのやりとりの文面をひたすら歌にしながらパフォーマンスするシーンも印象的。みっちゃんとエージェントとのやり取りの狭間で「DMリプ」の台詞が入るのは耳に残って好きだった。
そのシーンと付随して、みっちゃんが仕事を見つけて20のタスクをこなしていくシーンの演出も印象に残った。まるで運動会の玉入れが終わった後の籠に入った玉を数え上げていく際に、一つずつ玉を取り出して外へ投げていくような感じで、みっちゃんがタスクを一つ一つこなしていく毎に籠の中に入ったペットボトルを一つずつ舞台後方へと投げていくシーンが印象的。それはまるでルーティンな同じ仕事を淡々とこなしていく様子を表現しているようでユニークだった。
あとは、隣人夫婦とみっちゃん夫婦が出会って、みっちゃんがゴミの分別がなっていないことでクレームを言われるシーンのわちゃわちゃ感は、本当に何が起きているのか追っていくのが容易ではなかった。ただ、パパラッチみたいに「カシャカシャ」とペットボトルで作った取材カメラみたいな小物を用いてシーンをやっている箇所は印象に残っている。
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ステージナタリー
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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)
役者陣はどの方も非常に魅力的で演技力の高かったと思った。
特に印象に残った役者について紹介する。
まずはみっちゃん役を演じていた李そじんさん。観劇レビューは残していないが、DULL-COLORED POPの「丘の上、ねむのき産婦人科」で一度演技を拝見して以来2度目となる。
今回のキャストの中で良い意味で群を抜いて目立っていて素晴らしいと感じた。特に彼女の声色が魅力的で良かった。透き通るようで劇場によく響く聞き取りやすい声色だった。声の感じは、ロロの島田桃子さんと似た感覚だった。非常に透明感があって素敵。
そしてその声を使って音楽に合わせながら歌うあたりもエモくて好きだった。彼女は音楽劇向いていると感じた。もっと彼女が歌うシーンは観たいと思ったし、聞きたいと思った。
また、台詞を句読点で止まらずにサラサラっと発する台詞も印象的だった。あの台詞の発し方は李そじんさんだからこそ似合うというか、良い意味で癖があって好きだった。
それから、舞台上であそこまでワチャワチャ遊べるって素晴らしい。まるで子供のようなのだけれど、あそこまで無邪気に演じ切れるっていうのもなかなか出来ないと思うし魅力的だった。
次に、みっちゃんの夫役を演じた武谷公雄さん。彼の演技を拝見するのは初めてだが、個人的には結構好きな俳優だった。今作に出演するキャストの中では、李そじんさんの次くらいに好きなキャストだった。
本当にみっちゃんへの愛に満ちた台詞が好きだった。例えば、「みっちゃん、みっちゃん」と名前を呼び続けながらロックバンドの演奏に合わせて歌うシーンとか好きだった。
みっちゃんと一緒にワチャワチャ童心に返ったかのように遊ぶ感じも好きだった。
武谷さんの声もエモさというものを持っていて、サブカル風なロックには非常に合っていたという印象。もっと歌い続けるシーンが観たかった。
そして、隣人夫婦の夫役を演じた埜本幸良さん。彼は武谷さんとは違って、もっとクールな感じの(といっても相対的な話でめちゃくちゃという訳ではない)男性役ではまり役だった。
ゴミの処理の仕方にクレームを言う感じとか、選挙に行こうなどと啓蒙する感じが凄く固いといってしまうと違うが真面目よりで、みっちゃんたちとの衝突を際立たせていたような気がする。
そして、鈴木光介さんのオーラは凄くおしゃれで印象に残っている。メガネをかけておしゃれな身だしなみをして、楽しそうにワチャワチャに参加している感じが印象的だった。
また、凄くアーティストという感じも似合っていて作品にハマっていたと思う。
【舞台の考察】(※ネタバレあり)
Twitterで色々と今作の感想をエゴサしていると、褒めている内容ばかりで自分と同じように感じた人がいなくて結構衝撃をうけている。前例のないパターンだなと。それだけ今回の作品は目新しいものをチャレンジしたということだと思うし、良い意味で異端児的な作品になったということで、創る側としては正解だったのではないかと思う。
ただ、どんなに他の人の感想を読んだとしても自分が観劇した当初感じたことは変わらないので、ここではストレートに思ったことを書かせていただく。
今作で個人的に良かったと感じた点は、キャスト陣の演技力のレベルの高さと、目新しいが世界観として一貫したSFチックな舞台演出でチグハグには感じなかった点である。
まずキャストに関しては、役者・キャラクター項目で書いた通りで、何よりも李そじんさんの演技が非常に素晴らしくて観ていて惚れ惚れした。
そしてSF要素のある舞台演出は、ただSFというだけでなくサブカル的なエモさも内包されている舞台作品で初めて出会う世界観だった。SF的な側面はある種観客の好奇心をくすぐるような、例えば人類が滅亡してペットボトルになってしまうらしいとか、UFOみたいなのが飛来してペットボトルと化した人類を回収するとかで未知な現象を上手く扱っていた。そんなSF的側面を持った一方で、サブカル的なエモい側面も併せ持っていて、みっちゃんと夫が愛について語っていたりと感情に訴えかけてくる側面もあった。ここが凄く演劇的で非常に興味深い部分であったと思う。
そのため、SFといっても「ブレードランナー」とか「攻殻機動隊」みたいなディストピア系の近未来SFではなくて、映画に詳しい方なら分かるかもしれないが、どちらかというとニール・ブロムカンプ監督系SFに近いかなと感じた。彼のSF映画で有名なのは「第9地区」とか「チャッピー」あたりだが、「チャッピー」のようなかわいい系SFを少し想起させる節があった。もちろん、「チャッピー」ほどのメカニック感は、この作品にはないのだが。あとピクサーの「ウォーリー」なんかも少し近い感じがあると思う。
それと、それらの映画になくて今作にある要素としては、演劇といてのエモさかなと思っている。愛を直接言葉にして歌にして叫ぶ、そこにロックバンドが乗っかる。こういう演出は目新しくて素晴らしくてこれ単体では非常に見応えのある内容ではあったと思う。
映画「チャッピー」
映画「ウォーリー」
しかし、ここまで今作の醍醐味について書いたとしても自分にはしっくりこなかったという事実は変わらない。そこについて詳しく書く。
私が一番この作品を観劇していて違和感を感じたのは、脚本と演出の組み合わせである。この脚本のコンセプトは、「社会からの孤立」と「アーティスト間の断絶」という社会問題であったはずである。たしかにそういった要素はこの脚本に含まれていた。「社会からの孤立」という点では、最後に隣人夫婦が死んで腐ってしまって宇宙に回収されるシーンがそうで、これは孤独死として高齢化社会において一つの社会問題となっているテーマである。もう一つの「アーティスト間の断絶」は、みっちゃんが仕事がなくなってしまってフォロワーのエージェントから仕事をもらおうとするシーンが対応すると思う。これは、感染症拡大による緊急事態宣言の発令で、仕事がなくなってしまったアーティストの現状と繋がってくることなので、凄くイメージしやすかったと思う。
では、この脚本に今回のエモさ×SFの演出って果たして妥当だったのだろうか。どちらもそれ単体であれば作品としてたしかに面白い要素だとは思うが、これって上手く脚本と演出が融合して一つの作品として成り立っているのだろうか。私は成り立っていないのではないかと思った。
社会問題を扱う上で、敢えてSFを持ち出す理由は分からなかった。はたまた、そのSF要素に演劇的なエモさを乗せる理由も分からなかった。だから私としては、この脚本に対してという意味で舞台演出が乗ってこなくてどう捉えたらよいか分からなくて楽しめなかったのだと思う。そして感情も動かされなかったのだと思う。
この脚本に対して演出が乗っかってこなくて退屈したという点では、先月(2021年11月)に観劇したKUNIO10の「更地」と同じ感覚なのである。この作品も舞台美術は切り出せばたしかに素晴らしいのだが、どうもテキストに合ってなくて作品にのめり込めなかった。
どんなに舞台美術が豪華でも、ちゃんと観客に解釈出来るレベルで脚本との関連と意味づけがなされていないとキツイと感じた。どんなに豪華な舞台美術であっても。
今回の作品は、初めて山本卓卓さんが脚本に専念して、演出を川口智子さんに委ねるという形で上演されたものだったが、この自分の感想からの憶測になってしまって事実無根ではあるが、川口さんの演出がどんどん自分のやりたい方向に走りすぎてしまって脚本を無視した部分もあったのではないかと思う。おそらく、山本さんが作・演出兼任だったらここまでにならなったんじゃないかと。
私自身も山本さんの脚本作品を初めて観劇したので、どういう作風かもよく分からなかったので、そこに対する個人的な好みのミスマッチもあるかもしれない。けれど、少なくとも脚本と演出は上手く融合していなかったんじゃないかと思っている。初タッグということだし、そこの相性が自分には仇をした感覚だった。
次回、山本さんと川口さんでタッグを組んで作品を創るときは、もっと脚本を尊重した舞台美術であってほしいかなと思った次第である。
舞台「更地」
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