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世界の諸問題解決に高等教育が果たす役割は甚大。その原動力を担うリベラルアーツの展開に期待する。

原点に戻って、再構築を

では、これから日本の大学はどう進めばよいのか――

特に、米国や欧州の大学で、教育の根幹をなしていると言ってもよいリベラルアーツ教育。

これまでみてきたように、戦後まもなく80年になろうとしているにもかかわらず、日本国内においては、リベラルアーツ教育は未だ定着せずに、今日に至ってしまっていると申し上げても過言ではないでしょう。

しかし、土持氏は、そうした困難な状況にあっても諦めず、リベラルアーツ教育に大いなる期待を寄せています。

…もう一度、原点に戻って、ゼネラルエデュケーションとして、戦後日本の大学に導入された「リベラルアーツ教育」の本質を見直して、再構築を急がねばならない。

土持ゲーリー法一『戦後日本の大学の近未来』(東信堂、2022年11月刊)230頁より



脱「機能主義」的大学への有力な手がかりに

松浦氏も、現在の日本の大学改革で「「機能主義」的な大学像・教育概念が跋扈している」状況を懸念し、リベラル・エデュケーションがそうした状況を改善する可能性を述べています。

「社会のニーズ」に機能的に応答することが現代の大学の唯一の使命ではない、とするならば、実用性を直接的に志向しない「リベラル・エデュケイション」は、脱「機能主義」的な大学像・教育概念を構成するための有力な手がかりになるはずである。

『「教養教育」とは何か』(「哲學」No66、日本哲学会編 知泉書館 2015年4月)99頁より

 

このメッセージは、国を挙げて理工系やデータサイエンス系人材などの人材を養成すべしとする現状を揶揄しているともいえ、リベラルアーツがそうした動きに対するアンチテーゼとしての役割を担う、という期待が込められています。


STEAMの“A”は、リベラルアーツ

ところで、現在、にわかに注目されているキーワードにSTEAM教育があります。
土持氏は、STEAM教育とリベラルアーツとの関係にも言及しています。

もともとSTEM(Science、Technology、Engineering、mathematics)に、“A”を加えたものですが、この“A”は Arts であり、実はリベラルアーツのことである、という説を紹介し、さらに、STEAM教育は「越境的な学び」と訴えるジャズピアニスト・中島さち子氏のメッセージも紹介しています。(『戦後日本の大学の近未来』223―224頁)

“越境的”とは、異なる領域をまたぐことであり、新たな視点を持つ、
ということ。
まさに、越えていく学びですね。


日本版リベラルアーツ誕生なるか

日本国内に話を戻すと・・・
「ボタンの掛け違い」が起きてしまったことは、今となっては致し方がありません。

ならば、ここは開き直って、それこそ“リベラルに”、つまり、自由な発想で、新しいリベラルアーツをゼロから創り出していくというのはどうでしょうか。

もちろん、土持氏がおっしゃるように、欧米におけるリベラルアーツの伝統という“原点” に立ち返る、つまり、リベラルアーツ教育の神髄をしっかり学ぶことは必須でしょう。

しかし、その上で、日本発の新リベラルアーツを創り出せないか
世界の諸問題解決のため、21世紀にふさわしい新たなリベラルアーツ教育

そのためは、これまでみてきた様々な事例にヒントが隠されているのかもしれませんね。
 

  • ハーバード大学など欧米の大学における世界を牽引する人材を育む伝統的な取り組み

  • 東京大学が後期専門課程で新たに導入した専門の垣根を越え行き交う教養教育

  • 上智大学がはじめた新たな基盤教育、さらに「身体知のリベラルアーツ」という視点

  • 米国や欧州では当たり前のように行われている芸術を通じた異文化理解や、音楽や演劇等のパフォーミングアーツで多様な人たちと協働し連帯する作業、そして、中島さち子が唱える「越境的な学び」

・・・など



公共空間と、他者と議論する力

諸問題解決に関しては、市民一人ひとりが議論を積み上げていく公共空間の重要性に言及している藤垣氏の次のご発言がヒントになるのかもしれません。

環境や健康、安全等にかかわる日本の将来に関する国の意思決定を他人まかせにせず、自ら調べて考える力を養い、他者と議論する力を養うことは公共空間を育むことにつながる。

『後期教養教育と統合学―リベラルアーツと知の統合』68頁
(『教養教育と統合知』東京大学出版会2018年3月刊)

考えてみれば、今日ほど、国境を越え、地球規模で、人々が自由に意見をたたかわせ議論する公共空間の重要性が高まっているときは、かつて無かったのではないでしょうか。

そうした人材や土壌を創り出す原動力に、リベラルアーツ教育が確かな役割を果たせるのであれば、高等教育や大学への信頼と価値はさらに高まるはずです。


グローバルな知的移動のハブに

日本におけるリベラルアーツ教育は、失われた年月を経て、ようやく本格的に端緒についたばかりなのかもしれません。

吉見氏は、リベラルアーツを中心とした大学の歴史を俯瞰し、次のように大学の使命を語っています。

第一世代の大学は、リベラルアーツを通じて自由なヨーロッパ人を育て、第二世代の大学は哲学や人文学を通じて自由な国民を育てた」とし、そして、これからは、「第三世代の大学の使命とは、世界哲学や世界人文学、様々なリベラルアーツ的な知を通じて自由な地球人を育てていくことだ。

『大学は何処へ 未来への設計』岩波新書 2021年 4月 36頁より一部抜粋

そして、日本の大学については、

誰かが、どこかで殻を破り、垂直から水平へ、単線から複線へ、(入学試験という)通過儀礼からグローバルな知的移動のハブへと日本の大学を転換させていく

ことを促しています。



学術・教育の最高機関としての責務と「リベラルアーツ」

グローバルな知的移動のハブ――
それは、世界に蔓延する様々な障害や壁を越え、連携・連帯する「知の拠点」であること。

大学が人類、社会全体に対して有する学術・教育の最高機関としての責務を果たすためには、リベラルアーツ教育についてのさらなる探究が不可欠と言えるでしょう。

日本国内の大学には、これまでのボタンの掛け違いや紆余曲折といったネガティブな歴史を、むしろ糧にしていただき、自由で大胆な発想に基づいた、独自の新たなリベラルアーツの開発に全力を挙げていただければ、と思います。

改めて、「リベラルアーツ」には、大いなる望みを託したい、と思います。


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