【雑感】手段の目的化 VS 目的思考 ー結局どっちが大事なの?ー
きっかけは、元リクルート出身であり、
ハウツーサイトnanapiの運営会社元社長けんすうさんの記事から。
「手段を目的化するのは、全然オッケー!
"目的”なんかよりも、手段のほうが輝いてたりする」
主に起業についての例を出しながら、「目的→手段」でしか考えられない人は、"つまらない人である"という意見を展開している。
目的→手段が当然という議論に対してのカウンターパンチとして、
非常に面白いが、
一方で、「目的→手段」で考える事が正しいときもあるのでは?
と考えたので今回は、以下について整理したい。
① 手段の目的化 =「手段を目的化するのは、全然オッケー」
② 目的思考主義 = 「手段を目的化する」なんて、本末転倒だ」
例えばやりたいことがあったときに、普段の生活でも、
「でも目的を考えると、、、」ということもあるし、
「目的ばかり考えても、、、」ということはよくある。
では、二つの立場は、いったいどういう違いがあるのか。
具体的な例を整理してみたい。
▽①手段の目的化=「手段を目的化するのは、
全然オッケー」
上記の立場に立つけんすうさんは、自身のブログで、
ハンターハンターを引用しながら、以下のような事を言っている。
今まで誰も調べていない遺跡を調べるという目的のために、いろいろがんばるのですが、そのゴールよりも、その志を一緒にした仲間のほうが大事、みたいな話です。ゴールについたことより、その仲間と一緒にがんばったりするほうが価値があった、みたいな話です。
陳腐な話に聞こえますか?陳腐かもしれません、物語ではよくあるパターンです。でもすごくわかります。目的なんかよりも、手段のほうが輝いてたりすること、よくあります。サービス作ったり、起業したりいろいろしてきましたが、やっぱり宝物は、一緒にやってきた人だったり、その過程だったりするのですよね。「結果がすべてだ」というのは一瞬かっこいいかもしれないですし、潔いかもしれないですけど、僕は「過程がすべて」なんですよね。どう何をやったかってとても大事なんです。
▽②目的思考 = 「手段を目的化する」なんて、
本末転倒だ」
◯◯の目的のために、読書を始めた。
だが、次第に読書すること自体が楽しくなり、本来の◯◯のスキルをあげるためというよりも、本を読む事が目的になってくる。
Aさん Bさんはなんのために、読書をしているの?
Bさん 読書する事が楽しいから、あまり明確な目的なんてないかなー
Aさん (目的もなく、読書しているなんて、なんて非効率な、、)
※もし、Aさんが②のタイプの人なら、上記のようなことを考えるであろう。
▽意思決定のコンテキスト次第
けんすうさんの記事をきっかけに、両者の考え方を改めて考えてみると、
結論は、「コンテキストによって使い分けるべきものかもしれない」
という点に落ち着いた。
うまく言語化できていない部分もあるが、判断しようとしているものが、
「第三者の納得感を得る必要があるか」や「クリエイティブなことなのか」
によって、変わるような気がする。
②目的思考 = 「手段を目的化する」なんて、本末転倒だ」
の論調の特徴としては、
考えが他の人に伝わりやすく、共感しやすい。
一貫性があるように感じるが、おそらく創造的な発想はできなさそう。
わかりやすく型にはまった考え方は、わかりやすいが、予想しやすい。
一定の訓練を積めば、だれでもできる。
一方で、①手段の目的化=「手段を目的化するのは、全然オッケー」
の論調の特徴としては、
興味をもったものをどんどん試し、興味がある分野も越境している。
人には予想できない斬新な発想と機動力がある。
サービス設計や企画など創造性の高い業務で高い成果を出す人は、
①の人が多そう。
コンテキストによって、
①は、プライベートや創造的な割合が大きい業務の時、
②は、非創造的な業務タスクの時
というように使い分けるのが良いのかもしれない。
▽参考
①手段の目的化=「手段を目的化するのは、全然オッケー」
②目的思考 = 「手段を目的化する」なんて、本末転倒だ」
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