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僕が26歳で映画を劇場公開するまでの話(3.11東日本大震災・原発事故・風評被害・農家の祖父の思い・働くって)

僕は、福島県須賀川市出身です。
両親も福島が生まれです。
2011年3月11日あの事故が起こりました。

東日本大震災・原発事故

僕は、卒業間近に控えた高校3年生でした。
といっても、高校の関係上、すでに決まっている就職先場所で研修を受けていたので京都のとある工場で研修を受けていました。
あの時、実は、京都でも揺れていたのです。
一応、工場から出て、と言われ、工場は何もなく、みなさん普通に働き続けていました。
働いていると、配属先の課長が

仕事早くやめてテレビ見て!!実家が大変だよ!!

僕が、福島出身だということを知っていた課長は、早くテレビを見て自分の実家の状況を確認してきてと言われ、見た光景は、まさしく自分の知る福島ではありませんでした。
ただ、幸いにも自分の実家だけの事をいうと内陸で、もちろん大変でした、祖父の農家の作業場は全壊・農機具も全て破壊
ですが、祖父や両親の言葉を借りると

海沿いの方に比べたら命があるから全然大丈夫

今、考えると、すごいですよね、僕も確かに海沿いの人たちに比べると全然!!

と思っていましたが、フリーで働き始め、
思いますが自分の作業場がダメになり、仕事道具がないって、そんなことある!!!って感じです。

そんなこんなで、家族・親戚みんなで協力し、農作業ができるぞとなった祖父でしたが、ここで大きな問題が立ちはだかります!!!

放射能・風評被害

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この影響により、祖父の畑、農作物は出荷停止を余儀なくされません。
考えてみてください。
信じられない状況下で野菜をなんとか作ったと思ったら、出荷停止・そして風評により、自分の作った農作物を食べてくれない

この状況下、おぞましいです。
ここで一ついいたい事大事なことは、僕は風評被害や原発事故に文句をいいたいわけでは、ありません。
その状況下でも

文句言わず野菜を作り・向き合い続けた祖父

がいかに凄いか、僕は当時からそのような事を思っていました。
そして、月日が流れ、会社をやめ東京の大学に進学を決めた矢先

2011年11月祖父がアルツハイマーに

にかかります。僕は会社をやめ2月から4月までの間、実家で過ごしていました。
その頃もう、祖父の病は進行していました。
もう、自分の知っている祖父ではありません。僕のことは全く認識していませんでした。

実家にいる間目にしたことは、今でも忘れません。

朝になると必ず行方不明になります。
ただ、母は百発百中で当てられました。


それは、畑にいたのです。

もう、何もできない、ただ、土をいじる事しかできない。
そんな自我を失ってでも、60年畑に費やしてきた男の生き様をみた気がしました。

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この時、僕は決めました。絶対祖父の尊敬の映画を作ると。

じいちゃん、映画作ったからばあちゃんと天国でみといてくれよ!!!
母ちゃん、めっちゃ泣いてたよ!!!
DVD誰か届けてあげてwww


それがハッピーアイランドなのです!!!!
興味あったら、買ってみてwww


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