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社会がずれているのか、教育がずれているのか?【みらいの教育 学校現場をブラックからワクワクへ変える】

こんにちは。7時に起き、洗濯、読書をして、朝活を成功させたやうたです。

さて、今日は「みらいの教育」(内田良 苫野一徳)を読んで、思ったことを書いていきます。

対談形式で書かれているので、めちゃくちゃ読みやすい1冊です。教育のあり方について、エビデンスや事例をしめしながら言及する内田さんと哲学的に「よい教育」とは何かを突き詰めていく苫野さんの考えに手軽に触れることができます。2人の他の著書を読む前に、さらっと思考に触れたい場合はこの本を最初に読むのはアリかもしれません。

この本の中でのキーワードはいくつかありますが、教育現場を考えた時に大事だなと思ったのは「特殊性」という概念です。

教育って、いろんな部分で特殊なんですよね。内田さんが取り上げている部活動問題・生徒指導問題・給特法問題などは分かりやすい例ですけど、当たり前とされている講義型一斉板書授業なんて、社会ではほとんど見る機会がないんじゃないか。全く必要ないわけではないけど、もっと違ったものが必要とされていると思う。

特に、「教育固有の価値」を見出そうとする今までの教育観は危険ですよね。よく「学校だからね〜。」っていう言葉を教員は言いますけど、それって怖いですよね。教育は、社会や経済と切り離して語られることが多いけど、どうやってよりよく社会を生きていくかを考えるほうがいいと思います。教育にしかできない価値付けをしようとするから、余計に社会とずれていくんだろうな

苫野さんは、他の著書でもよく言っているんですけど、学校は「自由に生きるために必要な能力と感性を育む場」であると言います。

授業で身につけるべきは、自分がなりたい、自分はこうしたいと思ったことができるようになるためであり、黙って座ってノートを写すことじゃない。
集団生活の中で身につけるべきは、他者と折り合いをつけながら、自由に行動することであって、決められたルールを、言われたことをみんなで守ることじゃない。

たぶん、こんな感覚を持って教師をしてる人って少ないんだと思います。子どもたちはいずれ社会に出て、生きていかなくちゃならないのに、「理想の教育」を押し付ける。やっぱり、「今後社会がどうなっていくのか?」「社会に出て求められる能力・考え方は何か?」を出発点にしないと、教育は変わっていかないでしょうね〜。

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