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学校に行けることは「フツウ」なの??

今週から登校が始まっている自治体・学校が出始めたらしいですね。でもまだ全体の4.1%ほどで、ほとんどの子は自宅で時間を過ごしていることと思います。かといって、悪いことばかりではなく、こんな状況だからこそできることは多々あります。例えば、ネット上には大量のコンテンツが無料開放されています。

僕は「学校へ行けない僕と9人の先生」を読みました。

この漫画は、作者の実体験を元に描かれてますが、冒頭から衝撃を受けたました。小学1年生の時の主人公である棚橋くんの体験から話は始まります。担任の先生が学芸会でやる役についての説明をクラスに説明し始めるんですけど、説明が速すぎて、棚橋くんは途中から分からなくなってしまいました。めちゃくちゃ棚橋くんは迷います。「みんなわかってるのかな?」「聞けば教えてもらえるかな?」

勇気を出して、担任の先生のところに行って、「わかりません」と一言。

あなたなら、どうしますか??
優しく教えてあげるでしょうか?
早く説明しすぎたことを謝るでしょうか?
「わからない」と言えたことを褒めるでしょうか?
それとも、怒りますか?

答えは「ビンタ」です。

担任の先生は棚橋くんをビンタしました。
困惑するでしょう?
棚橋くんも理解できず、もう一度「わかりません」と言います。
そしてもう一度ビンタされ、棚橋くんは、不登校になりました。

その後、何かを抱えた棚橋くんは、学校に行ける時期もありますが、何か周囲と違う自分が気になってしまう。自分の良さがわからない時期を多く過ごします。そんなストーリーの中で、何度も出てきて、1番印象に残っている言葉があります。

「フツウ」

です。

ことあるごとに、棚橋くんは「フツウ」という言葉を使います。
「学校に行くのがフツウ」
「僕はフツウじゃないんだ」
「僕への対応が、みんなフツウになった」

この作品を通して、「フツウ」という言葉についてすごく考えさせられました。「普通」って何気なく使いますけど、誰にとっての「普通」なんでしょう。おそらく学校で使われる普通は、教師目線の普通になるんでしょう。「みんな仲良くするのが普通」「教師の言うことを聞くのが普通」「黙って授業を受けるのが普通」「毎日学校に来るのは普通」…

これって、めちゃくちゃ生きづらくないですか?
そう思わせてしまう要因は、教師であり、周囲の大人の価値観の押し付けでしょう。僕たち教師を含めた大人はもっと「子どもに対する言動」に責任を持つべきだと強く思いました。行動だけでなく、何気なく言った一言がその子の人生を狂わしかねない。ぞっとしました。

普段の自分の行動、そして勤務校のあり方を見つめ直すきっかけになりました。

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