【短編】『ブリーディング・ルーム』
「離せ!離せって!俺は『種を残せ』って言われることが一番嫌いなんだよ!」
ギャア、ギャア、と鳴く俺に「みこと、あなたは特別なペンギンなんだから子供をたくさん作らないと。」と優しい顔して近付く飼育員の黒ゴム手袋。
ブリーディング・ルームのアルミ扉が開くと、いちひめがすっとこちらを見つめた。
先日も仲間がここで交尾をした。しかし今ではそんなことお互いケロッと忘れている。シャバに出て、ちょこちょこっと夫婦関係を楽しんだら、また違う相手と同じようなことをする。それが俺ら王様ペンギンの生き方。人間には理解し難いかもしれないが、いつまでも同じ相手といる人間こそ、俺らから見たら非効率かつ面白くなさそうで、到底理解できない。
俺はこの水族館で生まれた。父も母ももういないが、仲間は沢山いるし、思いっきり泳げるし、食い物だって豊富にある。そして毎日いろんな奴が来る。騒ぐ子供。初々しい二人。どんくさいけどニコニコした年寄。人間観察はいつまで経っても飽きない。退屈なんて全然しない。
たまの人間からの圧さえなければ。
いちひめは今日もブリーディング・ルームで俺に視線を送るが、無視し続けている。それを見た黒手袋は、偉そうにこんなことを話し出した。
「館長。いつもこんな状態なんです。いちひめの一方通行っていうか。まあ、恋愛がうまくいってない女はここにもいますが。」
「はっはっは。君はまだ若いから。二十五だっけか? 結婚も出産もこれからだろ。でもみことはなぁ……もう二十年だったかな。」
「はい。人間で言えば四十越えてますね。まだ元気ですが、いちひめは今がちょうど適齢期。みことに好意を持っていますし、なんとかしてみことのこの純白の毛の染色体を後世に残し、この水族館の看板を引き継いでもらいたいのですが」
聞こえないと思って。このエゴどもめ。
迫ってくるいちひめのアタックをかわしながら、今日も俺は交尾をしない。ゼッタイにしない。
館長のじいさんが去り、黒手袋がしょんぼりとしながらやっとアルミ扉を開け、俺は一目散にシャバに戻った。
ああ、外の空気はうまい。
さて今日もしっかり泳いで、胸筋と、最近傷めていた左翼を鍛え直そう。観客はみんな俺の泳ぐ姿を楽しみにしている。筋トレ後はちょうどメシの時間か。
今日は新入りがやってきた。
バケツを持ってきたのはひょろっとした眼鏡男。悪い奴じゃないが、給餌(きゅうじ)がとにかくヘタ。みんな白黒模様だが似て非なる仲間達の見分けがまだ付かず、同じ奴ばかりに餌をあげちまう。加えて俺みたいにオラついた奴に甘いから、引っ込み思案な奴は食べれずじまいになっちまう。
だから俺は鯵を咥えてあいつのところに持っていってやるんだ。
「アツタ。やっぱりここにいたか。」
「うん。」
「メシ。ほら。食えって。」
「ありがとう。」
「お前、また痩せたんじゃねぇか。」
「かもね。みことは元気そうだね。」
「おう。またハメられそうになったけど、ちゃんと断った。」
「相変わらず、強いね。」
「そりゃそうだろ。自分の生だもの。俺が決める。」
アツタは鯵をつつきながら落ち着いた口調で「そういうとこ、好きだよ。」とつぶやいた。
「わかったから。そういやケガしてた右翼のとこ、ちょっと見せてみ。」
こうしてみこととアツタは岩陰で夕飯を食べた。
厳密に言えば、アツタが食べるところを、みことはずっと見守っていた。
「アツタ、やっぱりここにいたのね。ゴハンまだでしょ?ほら。」
黒手袋の意外と気の利いた声が、俺が去った後に聞こえた。そしてアツタの声も。
ピューイ!
あいつの声は小さいけれど、高く、澄んでいて、それでいてすごくかわいい。
数日後にアツタがいなくなった。
検診か、それともあいつもブリーディング・ルームに連れて行かれたのか。数日経っても姿が見えない。
給餌の後、黒手袋が来た。俺はカリカリとくちばしで黒ズボンを突っついてやった。
「みこと、痛いじゃない!餌あげたでしょ!もしかして仲良しアツタのことかしら。あの子は病気中!しばらく入院!」
俺は呆然とした。
そこからの黒手袋はやっぱり悪魔だった。
「あんたやっぱりアツタのこと好きなの?男同士でやめなよ。意味ない。早く子供作りなって。あなたは選ばれたペンギンなんだから。他と違うんだから。種を残して、この水族館や、王様ペンギンの研究のために……」
その日は既に満腹まで鯵を食っていた。なぜなら戻ってくるかもしれないアツタの分も食っていたから。前に何度かしたように、口移しの餌付け用に。アツタはそれくらい弱ったときもあった。
アツタへの心配に加え、黒手袋がいまだに俺達の関係を否定し、そしてこの期に及んでまだ雌との交尾圧をかけてくること。それらが急に胸を締め付け、げっと吐いた。
「みこと!」
ピュイ!ピュイ!
黒手袋と周りの仲間たちが騒ぎ出したが、俺は腹がへこむほどにもう一度大きく吐いた。
それはアツタが本来食べるはずだった鯵。ちょうど消化が進み、弱者が食すにはいい具合にぐちゃぐちゃになった鯵。
正気に戻り視線を上げた。いちひめがまたこっちを見ている。目をそらすためにうつむくと、また変に吐きそうになった。最後にぐぇっと出たのは、黄色い胃酸が少しだけだった。
アツタは結局数週間経っても帰ってこなかった。あの事件以来、飼育員はみんなそのことを俺の前では話さなくなった。
痩せた俺はまたブリーディング・ルームに連れていかれた。それを眺める館長や黒手袋。そして待ち望んでいるいちひめ。
俺はもうどうでもよくなって初めて交尾をした。
それでもいちひめは妊娠しなかった。
皆ガッカリしていたが、俺が一番落胆した。
死にたいほど落ち込み、純白だった全身の毛は、一晩で真っ黒になった。
―完—
【後記】
ペンギンを眺めていたら、このストーリーが思い浮かびました。
そしてもう一つ大切なテーマ。それは一言でいえば『悠仁様がゲイだったら』。そんなストレートな問いをするのは憚られる。では違った角度でアプローチできないか。それが小説というファンタジーの持つ役割なのではないでしょうか。
クスっと笑えたら100円!(笑)そんなおみくじみたいな言霊を発信していけたらと思っています。サポートいつでもお待ちしております。