【年齢のうた】村下孝蔵 その1●少年の心に寄り添う「16才」
こないだ、少しばかり驚いたことがありました。少し、ですが。
スピッツの草野マサムネくんが、彼自身のラジオ番組の中で、僕の名前を出したということを伝え聞いたんです。TOKYO FM系の『ロック大陸漫遊記』で。
3月24日の放送回だったらしいですが、僕がこのことを知ったのが2週間もあとだったので、radicoでも聞けていません。なので、内容をしっかりとは把握していないんですけど。
これが【夢・ドリームで漫遊記】というタイトルの回で、伝聞によると、草野くんは夢というテーマについて話したそうで。そこで、音楽ライターの青木優さんに、スピッツのとあるアルバムについて、どの曲にも夢という言葉が出てくると言われた、それ以降はそうした(=似た言い回しが続くような)表現にならないよう気を配ることにした、と語ったらしいんですね。もっとも、悪いニュアンスで話されたわけではなかったようですが(すべて伝え聞いたことなので断定には至らずですが。すみません)。
このOA回で彼はスピッツの「夢じゃない」をかけていますね。
その通りです。僕自身、そう指摘をしたことを覚えています。
ただ、もう20年以上前なんですね(そのアルバムは、上の「夢じゃない」が入っている『Crespy!』ではないです。1993年は、僕はまだ今の仕事を本格的に始めていないので)。
僕がそう言ったと……あるアルバムの曲に夢という表現がたくさん出てくると指摘したというのは、草野くんに直接話して伝えたわけではなく、雑誌(おそらく『テレビブロス』)のCDレビューでそういうことを書いたんですね。そして本人がそれを読んでくれたんでしょう(その頃、彼はブロスを毎号読んでると言ってましたし)。アルバムで言うと『インディゴ地平線』(1996年)以後のどれかです。というのは、僕がスピッツのアルバムを雑誌のレビューで書いたのはこの作品が初めてだったので(彼らにインタビューしたことはありましたが)。
ただ、僕が指摘したアルバムが1996年以降のどの作品なのかは、ちゃんと確認し直していないこともあり、ここでは名言しないことにします。
思えばこれ以前、90年代半ばまでのスピッツの曲には、鳥だとか、空を飛ぶという表現が多かったですよね(ファンの方なら周知の事実でしょう)。アーティストにはその時々で表現したい感覚があるだろうし、当時の草野くんはそういうモードだったんでしょう。で、そこから夢についての表現に踏み込んだ時期があったということだと思われます。
スピッツとは近年、仕事をできていないんですが、また何かやりたいですね。『横浜サンセット』の劇場版のパンフレットでたくさん書かせてもらったのは、もう8年前か~。
去年は上白石萌歌がMVに出てるこの曲とか、すごく良かった。
実は今年1月のスピッツの日本武道館公演(全国ツアー最終日)について書く仕事を某媒体からオファーしてもらったんですが、僕のスケジュールがどうしても合わなくて、丁重にお断りせざるをえなかったんです。数年ぶりのスピッツ仕事かと思ったのに、残念でした(泣)。まあ仕事や出会いは巡り合わせという部分がありますから、仕方ないですけど。
そんな日々を送っている青木ですが。先週の土曜日はジェイムス・テイラーを観てきました! これはいい巡り合わせでした。
彼のライヴは初めて観覧したんですが、素晴らしかった! JTの歌も、バンドの演奏も。
とくに良かったのは「カントリー・ロード」の恍惚感。サイケデリックだったわ~。この人は奥が(業も?)深いな。
1960年代後半、若くしてデビューしたJTはすごく長いキャリアのシンガーソングライターなんですが、日本での公演は今回の東京で4度目。意外と少ないんですね。観れて本当に良かったです。
で、その翌日には家族で花見に行きました。あったかい日はいいですね(←あまりに普通な感想)。
そして今回は、JTからのシンガーソングライターつながりというわけではないのですが、村下孝蔵です。
大人になってから心に響いた「初恋」
村下孝蔵は、「初恋」という曲のヒットで知られるアーティストである。
優れたシンガーソングライターであったが、残念ながら1999年、今から25年前に病のために亡くなっている。46才だった。
先ほどの「初恋」が大ヒットしたのが、シングル曲としてリリースされた1983年のこと。この頃のラジオや街中でものすごく耳にしたものである。
初めての恋の感情にハマった少年の繊細な心の内を唄った、叙情的な名曲だと思う。
ただ、村下の存命中、僕個人は彼の音楽に惹かれることがほとんどなかった。
「初恋」も、ヒットしている当時、とくに何も感じなかった。せいぜい「いい曲だね」ぐらいなもので、それは感動というにはほど遠かったし、何かのテレビ番組で本人が唄っているのを見ても、特別な何かを思った記憶がない。彼の姿に「素朴そうな人だな」という印象を持った程度である。
当の村下にとって「初恋」のヒットは、さぞ大きな出来事だったはずだ。
この1983年、彼はすでに30才になっていた。1953年生まれの村下は、1980年、27才の時にメジャーデビュー。「初恋」のヒットはその3年後というわけだが、ここに至るまでにシングルを4枚、アルバムは3枚出している。
前年である1982年には「ゆうこ」という曲が小ヒットしていた。
当時、僕はこの「ゆうこ」という曲の存在もほぼ意識していなかった。もしかしたらどこかで耳にしたことはあったかもしれないが、ともかく、そのくらい遠いリスナーだったのだ。
そして村下孝蔵は「ゆうこ」の翌年に「初恋」でブレイクし、シンガーソングライターとして広く認知されることになった。
一方、僕の村下への距離感は、自分が今の仕事をするようになってからも変わることがなかった。おかげでソニーレコード(当時)に所属して活動を続けていた村下と接点を持つことも、まったくなかった。
そんなふうに長い間過ごしていたのだが……10年近く前だろうか。洋楽も邦楽も、昔の曲をいろいろと掘り返して聴いている時に、たまたま村下孝蔵に行き当たった。
そこでたまたま「初恋」をあらためて聴いて、今度はものすごく感動したのである。
みずみずしくもせつないメロディ、純朴な本心そのままのような歌詞、そして実直で汚れのない歌声。こんなにいい曲だったんだと思って、心が揺れ動き、何度も何度もくり返して聴いた。気がつけば、涙が流れそうになっている自分に気がついた。
何でそうなったのかはよくわからない。きっと年月を経て、大人の年齢になった自分と、彼の歌の歩調が、ここで初めて合ったということだと思う。
それからは村下のいくつかの作品を聴いた。さっきの「ゆうこ」も、それから「踊り子」も本当にいい曲だなぁと、素直に感じた。
その後は、のめり込んだというほどではないものの、村下についての文献や記事を読んだりするようになった。以前よりもこのシンガーソングライターの音楽を気にする自分になっていたのだ。
彼が生きているうちに、一度でもライヴを観たり、インタビューをしたり、したかった。今では切に、そう思っている。
そうこうしているうちに、やがて僕は、彼が年齢を表題に掲げた歌を書いているのを知った。
そしてその歌を、いつか【年齢のうた】で取り上げようと考えてきた次第である。今回がその回なのだ。
荒ぶる少年の内面に寄り添った「16才」
村下孝蔵の「16才」は1996年6月、CD盤のシングルとして発売されている。
彼にとって20枚目のシングルで、オリジナルアルバムでは1999年の9月にリリースされた『同窓會』に収録。ただ、このアルバムは村下が亡くなったあとに発売されたものだ。そのせいもあって、シングル発売から3年以上の間が空いてのアルバム収録になっている。
「16才」についての本人が語っているテキストは探し出すことができなかったが、プロデューサーである須藤晃が言及している記事を見つけた。そのアルバム『同窓會』についての全曲コメントである。
ここで「16才」は、こう語られている。
「少女」の続編です。少年たちの不可解な行動を目にして、大人の大きな愛が必要だということを歌にしました。
子供たちは大人に愛されているということを知らないんじゃないかって話して、作りました。
アレンジは安全地帯の武澤豊サンに頼みました。アルバム初収録。
話に出ている「少女」は1984年発表のシングル曲で、アルバムとしては同じ年の『花ざかり』に収録されている。あどけない少女への思いを描いた歌だ。こうした歌の多くは、村下自身の青春時代の思いに原点があると思われる。
一方、この「少女」の続編とされる「16才」では、少年に対する思いが唄われている。須藤が言及する「少年たちの不可解な行動を目にして、大人の大きな愛が必要だということを歌にしました」というのは、90年代の半ばに頻発した少年たちによる犯罪を指していると考えられる(この頃から、少年法の改正についての議論が盛んになった記憶がある)。
つまり「16才」は当時30代半ば、もはや親の世代である村下から、自分の子供ぐらいの世代である少年たちに向けられた歌なのだ。
そうしてみるとこれは社会性の高い作品であると言える。それは、おそらく一般的に定着している「純粋なラブソングを唄う人」という村下孝蔵からは飛躍したイメージだ。
また、楽曲のアレンジは、須藤が言うように安全地帯のギタリストである武澤豊が担当。これが90年代当時のポップ/ロックのマナーを吸収したモダンなサウンドになっている。「初恋」に代表される先ほどまでの過去の楽曲では、叙情的で和の香りのする、あえて言うなら80年代ですらちょっと懐かしめのフォークサウンドが主体だったが、その部分も96年時点にはアップデートされようとしていた。
村下と須藤が、歌の世界をその時代に見合ったものにマッチングさせるために、さまざまな試行錯誤をしていたことがわかる。
そう、須藤は、ここでは尾崎豊の回で何度も名前を出した名プロデューサーだ。
ただ……この「16才」に込められたメッセージは、若干伝わりにくい表現になっているように感じる。これはあくまで僕の解釈だが、もうちょっと平易な言葉と展開で、曲に込めた意味性や歌詞の構成を受け取りやすくしても良かったように感じる。
しかしそんな中で、これこそが村下孝蔵らしさだと思うのだが……この歌での彼の視点は、あくまで少年に寄っている。孤独な、そして荒ぶる心を優しさとともに勇気づけながら、その子の背中を押すような歌として綴っているのだ。
この前編だとされた「少女」では、対象の女の子をちょっと距離を取りながら見つめていたのだが、「16才」は、やはり同性だからか、そしてもはや親のような視点もあるのか、アップテンポの中に包容力すら感じる。広い意味での応援ソングになっていると思う。
そして僕はそこに、村下孝蔵という人物の、あたたかい人柄を感じる。
(村下孝蔵 その2に続く)