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ぼくたちは生活の途中だ #だらしない暮らし

アンパンマンの中身は、実はつぶあん。

こんにちは、よすです。

あなたは何ごともきっちりとしたいタイプでしょうか?

デスクの上、仕事の工程、旅行の行程・・、整理整頓しておくと気分が良く、なにごとも効率よくうまくできそうな気がしてきますよね。

整理整頓できていないと恥ずかしいし、どこになにがあるのか分からなくなるし、次になにをしたらいいのかもわからなくなります。  #丁寧な暮らし に投稿もできません。

整理整頓は、大人ならできて当然のたしなみのような気がします。

しかし、それは本当でしょうか?


「散らかり」は悪なのか?

だれでも一度は「きっちりしよう」と思いたち、身の回りをきれいに片付けたことがあるかと思います。でも、時間をかけて片付けたものの、時間が経つと散らかってしまい、「ああ、自分は根本的に雑な人間なんだな・・」と思い知ることだろうと思います。

人によってはそこから「どうすれば継続的にきれいを保てるんだろうか?」と片付け術を研究してついにはきれいな状態を保つことができるようになるのかもしれませんが、おそらくほとんどの人は「散らかる→片付ける→散らかる→・・・」のサイクルに元に戻ってしまうんだろうと思います。

で、ぼくは思いました。
「果たして、それは本当に間違っているんだろうか?」と。

散らかった状態ってつまり何なのでしょうか?
ぼくは「途中」だと思います。

「生活感」という言葉がありますよね。テレビやインスタで高い評価を受けるのは、生活感が感じられない、まるで「雑誌から飛び出してきたかのような」空間ですが、あの空間には「途中」のものが何もありません。

例えば、今ぼくがこれを書いているデスクの上には、先ほどまで読んでいた本が開きっぱなしで伏せてあります。

さっきまで読んでいた本

たぶん、これをインスタにアップすると「きたない罪」で通報されそうですが、ぼくの暮らしには何も支障がありません。それどころか、ぼくはこの本を読みながら記事を書いている途中なので、今デスクの上で雑に置かれているのが理にかなっているのです。何ならこのまま数日デスクの上にあってもほとんど問題はありません。

つまり、ぼくの部屋が散らかっているのは、ぼくがこの部屋で暮らしている途中だからであり、逆に理にかなった状態ですらあるのです。

もちろんゴミ屋敷と呼ばれるほどものを溜め込んでいるなら問題が出てくるのでしょうが、生活している上であるていどの生活感が出ることは、ご飯を食べたらトイレに行きたくなるのと同じくらい自然で合理的なことなのではないでしょうか。

きっちりするには多大なコストがかかる

散らかっている部屋よりもきれいな部屋に憧れるのは人情ですが、きれいな部屋を維持するには大変な労力と時間が必要です。

先ほど写真に映っていた『だらしない人ほどうまくいく』によると、アメリカの住宅では「芝生信仰」のようなものがあるようです。管理がいきとどいた芝生はアメリカ人とその地域にとっての重要なステータスの1つらしいのです。

実はあの芝生を維持するには、多大なコストがかかっているようです。維持のための機械やスプリンクラーへの設備投資、定期的な芝刈り、水代。そして、芝生を維持できなかったら条例で罰金を支払わないといけない地域や、芝生のかわりに他の植物を植えると周囲の住民から庭を荒らされるなどの嫌がらせを受けるケースもあるようです。さらに、大量に投与される殺虫剤や化学肥料によって子どもやペットにとって有害な状態の庭もあるようです。

芝生を管理する習慣がない日本人からすると「なんでわざわざそんなことをするのか?」と思ってしまいますが、今ぼくたちが当たり前のように称賛している「生活感がない暮らし」もアメリカ人にとっての芝生とほとんど同じではないでしょうか?

本を読んだら本棚の指定の位置に戻す。
パンツはひとつひとつくるくる巻いてきれいに収納しておく。
食器は洗ったらすぐに拭いて食器棚に戻して視界に入らないようにしておく。
使った調味料はラックに戻す。
クッションは常にソファの両側に戻す。
起きたらベッドを直す。
コードが見えてはならない。
ゴミが落ちていてはならない。
家に不要なものがあってはならない。
だれかから憧れるような部屋でなければならない。

・・・

これらのルールを守ると、たしかに部屋が秩序化されていて美しく見えます。ただ、その美しさを維持するための暮らしに疲れてしまっていませんか?

だらしない暮らしのすすめ

本はデスクの上にあっていい。
パンツは下着用バケットに放り込んでおけばいい。
よくつかう食器は洗ったら干しっぱなしでいい。
調味料は出しっぱなしでいい。
クッションの位置なんかどうでもいい。
ベッドを直すのは寝る前でいい。
コードが見える。それがどうした?
ゴミは週末にでもまとめて掃除機で吸えばいい。
不要なものは気が向いたらまとめて捨てよう。
部屋をきれいにしたくらいで胸を張ってどうするのか?

このくらいに考えていたほうが、じぶんにとって本当に大事なことにつかうための時間やお金を守ることができそうです。

ぼくがこの家に住んでいる限り、よく使うものはすぐに手に取れる場所にあるのが適していると思います。案外、自分のデスクの上って自分にとっては秩序があったりするんですよね。

アインシュタインのデスク。pinterestより

また、部屋の片付けについてだけでなく、仕事や遊びについても「だらしなさ」を取り入れることはメリットが多そうです。

例えば、仕事については、あるプロジェクトが始まる前から完璧なプランを組むことは不可能なはずです。始まる前にあらゆることを想定していくつものプランを考えておくことは優秀だとは思いますが、そのほとんどが無駄に終わってしまうと考えると、時間やお金の無駄だと考えることもできます。あらかじめあらゆることを想定するのではなく、最初は大雑把なプランを組んでおき、走らせながら微調整を加えていくほうがスタートも早くなり、柔軟な対応も可能になり、会社にとっても自分にとってもメリットが大きいのではないでしょうか。

また、例えば旅行に行く際も、あらかじめ細かいプランを立てておくことは旅の前に疲れますし旅の魅力を半減させます。実際にその場所へ行ったとき、自分がどれくらい感動するのかもわかりません。プランにはなかった出会いがあるかもしれません。やはり旅の場合でも最低限のプランだけ立てておき、身軽に行って即興で楽しむ。そのほうがただ疲れるだけの旅にはなりにくそうですよね。

おわりに

もちろん、だらしないことによるデメリットもあるかもしれません。しかし、過剰な「きっちり」は大切な時間もお金も浪費してしまいます。

適度に「だらしなさ」を取り入れて自分の時間とお金を守ってみようと思いました。

#だらしない暮らし

お読みいただいてありがとうございました!
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参考文献

  • だらしない人ほどうまくいく


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